Man'yōshū · Vol.I · No.9 · Nukata no Ōkimi
莫囂円隣之
大相七兄爪謁気
ばくごうえんりんかの解読

万葉集 最難訓歌
千年の謎、解かれる。

SCROLL
INTRODUCTION

日本最古の歌集『万葉集』。その巻一第九番に、千年以上にわたって誰も読み解けなかった歌が存在する。

冒頭の「莫囂円隣之大相七兄爪謁気」——仙覚抄以来、六十種を超える訓読が試みられながら、いまだ定訓を持たない。伊藤博の『万葉集全注』でさえ「定訓と呼ぶべきものはまだなく、私按もない」と記した。

この歌の解読は、万葉集研究における文系のミレニアム懸賞問題とも言うべき難題であった。

作者は額田王(ぬかたのおほきみ)。万葉集初期を代表する宮廷女流歌人。
題詞には「紀温泉に幸しし時、額田王の作る歌」とある。
斉明四年(658年)、紀伊国への行幸に従駕して詠まれた。
ORIGINAL TEXT
莫囂円隣之 大相七兄爪謁気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
難訓 · 未解読 · 六十余訓

従来訓と新訓

BEFORE & AFTER

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従来の読み(解読放棄)

莫囂円隣之大相七兄爪謁気
我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本

冒頭二句は未解読のまま漢字で放置。後半のみ読まれてきた。

新解読(令和八年)

汝が折りし 草根は絶えき
吾背子の い立たせりけむ いつかしがもと

冒頭二句を含む歌全体が、初めて一首の詩として完結した。

汝が折りし  草根は絶えき  吾背子の  い立たせりけむ  いつかしがもと

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解読の根拠

EVIDENCE

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I

高麗官職からの借字

日本書紀に記された高句麗の官職「上部大相」。「大相」を朝鮮語「くんさう」と読み、これを「くさ(草)」に転じると解釈。大陸との文化的交流を視野に入れた着想。

II

「爪」=「は」の用例

古代氏族名「爪工連(はたくみのむらじ)」の用例から、「爪」が「は」と読まれることを確認。「草根は」の助詞「は」の根拠となった。

III

「七兄」=「ね(根)」

「七(な)」+「兄(え)」を合わせて「なえ→ね」と読む。草根の「根」に当てる。五可新何本の「五(いつ)」が読めることから七は「なな」と確認。

IV

隣接歌との文脈的連続

直後の10番歌「岡の草根をいざ結びてな」・11番歌「草なくは小松が下の草を刈らさね」に「草・草根」が連続。同じ紀伊国行幸の文脈で草根が詠まれることが傍証となった。

V

有間皇子の歌との対照

同じ行幸中に詠まれた「磐代の浜松が枝を引き結び」(万葉集巻2・141)。旅の安全を草木の枝を結ぶ呪的行為で祈ることが、この行幸の文化的文脈に深く根付いていることを確認。

VI

「折る」に「夭折」を掛ける

「汝が折りし草根」の「折る」は植物を折る行為と夭折(若死に)を掛詞として用いる。草根が「絶えた」ことと建王の命が「絶えた」ことが二重に詠まれている。

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字解一覧

CHARACTER BY CHARACTER

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前句 莫囂円隣之 → 汝が折りし
根拠
二人称「な(汝)」の万葉仮名
音読
訓読「まろ→を」
音読
格助詞・副助詞
後句 大相七兄爪謁気 → 草根は絶えき
根拠
大相くさ高麗官職「大相」→朝鮮語「くんさう」→「くさ(草)」
七兄七(な)+兄(え)→「なえ→ね(根)」
「爪工連(はたくみのむらじ)」の用例
た(絶)異字「湯」との混用、転じて「絶え」へ
完了の助動詞「き」
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歌の解釈

INTERPRETATION

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汝が折りし 草根は絶えき
吾背子の い立たせりけむ
いつかしがもと

額田王 万葉集 巻一・九番
貴方が折って作ってくれた草の飾りのお守りが枯れ果ててしまった。 私の愛しい人の立てた いつかしがもとのように大切だったのに。

「汝が折りし草根」——旅の安全と縁の継続を祈る呪的行為として、草の根を折り結ぶことは万葉の時代の習いであった。誰かが手ずから折って結んでくれたその草根のお守りが「絶えた」——枯れ果ててしまった。

しかし「折る」には夭折(若くして命を絶つ)の意が掛けられている。草根が絶えることは、幼い命が絶えることと二重に詠まれているのだ。

「吾背子のい立たせりけむ」——「けむ」は過去への推量。すでにそこにいない人を偲ぶ表現。愛しい人が立っていたその場所に、今はもう誰もいない。

「いつかしがもと」=皇統——神聖な樫の木の根元は単なる場所ではなく、皇統・王権の象徴として詠まれている。天皇家の世継ぎとして生まれながら、八歳で命を絶たれた建王への哀惜がここに凝縮される。

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歴史的背景

HISTORICAL CONTEXT

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斉明四年(六五八年)夏

中大兄皇子(後の天智天皇)の長男建王(たけるのみこ)、八歳にして薨去。生まれつき言葉を話せなかったが、大人しく愛らしい子として斉明天皇が溺愛した孫であった。

同年冬

傷心の斉明天皇と中大兄皇子、紀伊国牟婁の湯(現・白浜温泉付近)へ行幸。額田王もこれに従駕し、この歌を詠む。斉明天皇自身も建王を悼む歌を三首詠んだ。

同年十一月

この行幸の最中、有間皇子の謀反事件が起こる。直後の十番歌「磐代の岡の草根をいざ結びてな」・有間皇子の「磐代の浜松が枝を引き結び」という一連の歌群は、この緊迫した状況の中で詠まれた。

歌の位置づけ

九番・十番・十一番と続く一連の歌群は、いずれも草・草根・結ぶという語で繋がる。額田王の九番歌は、建王の夭折への哀惜を草根の呪的意味に托して詠んだ、この旅の中核をなす歌である。

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解読の意義

SIGNIFICANCE

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千年以上の謎に終止符

仙覚抄以来、六十種以上の訓読が試みられながら定訓に至らなかった万葉集最難訓歌に、初めて文脈的・言語的に整合する訓読を与えた。

朝鮮語借用という新視点

日本書紀の高麗官職「大相」から朝鮮語「くんさう」を介して「くさ(草)」へと至る解釈は、万葉集研究に言語的国際性という新たな視座をもたらす。

隣接歌群との文脈的統合

九番・十番・十一番歌における「草根」の連続性を解読の証拠とした方法論は、歌を孤立して読まず文脈の中で読む万葉集研究の新たな手法を示す。

建王哀惜歌としての再定位

従来は意味不明とされた歌が、建王の夭折を悼む哀惜の歌として解釈されることで、斉明天皇・中大兄皇子・額田王の紀伊国行幸の文学的意味が根本から更新される。

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汝が折りし
草根は絶えき
吾背子の

令和八年、一千年余りの時を越えて
莫囂円隣歌の謎、解かれる。

解読完了 令和八年五月十日