2/15(火) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 五爻初爻
【運勢】
目の前の事に一喜一憂せず、冷静さを保ち、正しさを守ると良い。
素直な心を持ち、内実の伴う行動で誠意を示す事が大切である。
仲間との絆を大切にし、真心を込めて決断すれば、選択を悔いる事は無いだろう。
【結果】䷼◎五⚪︎初
風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 五爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]
【原文】
《卦辭》
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰はく、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰はく、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。
《爻辭》
[五爻 優先]
九五。孚有りて攣如たり。咎なし。
象に曰く、孚有りて攣如たりとは、位正に當るなり。
[初爻]
初九。虞れば吉。他有れば燕(やす)からず。
象に曰く、初九。虞れば吉とは、志未だ變ぜざるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。
《爻辭》
[五爻 優先]
攣如は、其の信を繋ぐの辭なり。中誠に處りて以て相交るの時にして、尊位に居りて羣物の主と爲る。信何ぞ舍つべき。故に孚有りて攣如たり、乃ち咎なきを得るなり。
[初爻]
虞は專の如し。信の初めにあり、四爻が応じている。吉を得る。志は変わらない。心を一に繋いでいる。
〔東涯の解釋〕
《卦辭》
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。
《爻辭》
[五爻 優先]
[初爻]
虞は度である。陽で初爻に居る。四爻と応じており、信ずべきものを信じて往けば吉である。別のものを考えてしまうと、向かうところが分からず安心できない。陽は変動しやすい。人は君に仕える時も、友と交わる時も、師に学ぶ時も一つのことに専心すべきである。
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖傳]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象傳]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。
《爻辭》
[五爻 優先]
[初爻]
虞と云う字は祭りの名である。親を葬って我が家に帰って来て、桑の木を以て木牌を立て、親の魂魄を思い祭りを行う。虞祭ほど精神が凝る祭りは無い。其所で初九が虞祭の如くに、精神が凝れば吉である。外の所へ氣が動けば、親の魂が其所に安んじて留まらない。他の所へ心を狂わせず、燕の如く人を信じなければ、去って往く所がある。
[象傳]
親が死んで間もないため、親を慕う志は未だ変わらない。夜も昼も親を思って飲食が喉を通らないような精神でなければ、人の信用も出ないものである。