9/30(木) ䷱ 火風鼎(かふうてい) 二爻

【運勢】
鼎は三足の銅鍋。周󠄃までは王位の証であった。心機一転、新たな道に進もうとするが、嫉妬されたり、古い慣習を残そうとしてこようとするものがいる。しっかりとしている人についていけば良い。


【結果】
䷱◎
火風鼎(かふうてい) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
鼎は元(おほ)いに吉、亨(とほ)る。彖に曰はく、鼎は象なり。木を以て火に巽れて、亨飪(かうじん)するなり。聖人亨(かう)して以て上帝を亨す。而して大いに亨して以て聖賢を養ふ。巽(そん)にして耳目(じもく)聡明(そうめい)。柔進みて上行す。中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る。象に曰はく、木の上に火有るは鼎(てい)。君子以て位を正し、命を凝(あつ)む。


《爻辭》
九二。鼎に實有り。我が仇疾に有り。我に卽くこと能はず。吉。象に曰はく、鼎に實有りとは之く所󠄃を愼しむなり。我が仇疾に有りとは、終に尤无きなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
古い制度が新しく刷新され、新しい制度が定着するので大吉である。さらに、それが長くなる持続するので亨るという。鼎(かなえ)は食べ物を煮炊きする器である。程子はこの卦自体が鼎の形を象っているとする。初爻が鼎の足で、二爻から四爻までが鼎の腹、五爻が口で、上爻が蓋であるとする。下が木德であり、上が火德であるから、物の煮炊きに良いので、鼎とされるのである。革の卦と対応しており、五爻と二爻が応じており、和順で聡明である。だから、大吉なのである。何かをする時に人の助けがあり、その人に任せられる。君臣の心が通じ合っている。おそらく、亨と烹は音が通じるので古代にはどちらも使われていたのであろう。


《爻辭》
[王弼]
陽質で鼎の中にある。實があるものである。加えてはいけない。これを益すると溢れてしまう。却って実を傷つけてしまう。我が仇とは五爻の事を言う。剛の上に乗ることの疾に悩む。
[東涯]
仇とは好敵手のことである。初爻を指している。陽剛で中に居る。五爻と応じている。五爻のもとに行くのが良い。陰陽は互いに求めるのは天地の大義である。陽が陰を求めると正しきを得る。陰が陽を求めれば正しくない。人の付き合いは慎重にしなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
鼎は三足の鍋で、天下の宝器であり、王の象徴である。
日本でいうところの三種の神器である。
鼎は五味を調和することが出來る。
だから肉であれ、魚であれ、釜で煮た後、最後は鼎に移して味を調えたのである。
天地宗廟の祭祀に用いる神饌は鼎で調理され、賓客への御馳走も鼎が用いられた。
伏羲の時代には、一つの鼎が宝器であった。
もとより天地万物は一つのものから生じたわけで、天地人の三才は鼎の三足、それが鼎により調和されるのである。
それが黄帝の時代に三つの鼎になった。
三才を表すためであるという。
堯舜までは三つであった。
その後、夏王朝初代の禹王の時代に九つになった。
なぜなら、九州(漢󠄃土全体は九つの國に分かれていた)を象徴するためである。
周代まで九つであった。
政治も料理と同じで、五味を調和して誰にとってもおいしいものでなければならない。
だから鼎が王の象徴なのである。
王を助けるのは宰相であるが、この宰の字は肉を盛って料理をこしらえるという意味である。
そして十翼に鼎を主るのは長子であるとする。
つまり、皇太子が皇統を継ぐべきであるというのである。
それでこそ元吉なのである。
[彖傳]
初爻が鼎の足、二から四までに
があるが、これは物が入る部分である。
五爻が耳、上爻が持ち運びのためのひもにあたる。五爻の耳に通すのである。
元来、鼎は門外で煮炊きするもので、宗廟の門外東である。
[象傳]
木の上に火がある。
火は物を煮炊きするのに必要であり、強すぎても弱すぎてもいけない。
火にも陰陽があり、陽の火は強すぎて、すぐにものが焦げてしまう。
逆に弱すぎると火が通らないで生のままである。
陰陽が程よい状態ではじめて煮炊きが可能である。
牛羊豚で鼎を分ける。
是を三鼎という。
三鼎は日月星を表す。
心は巽順で耳目がしっかりしている。
五爻の王は二爻の賢人を用いて大いに栄えるのである。


《爻辭》
九二は、二・三・四爻目に乾の卦があるから、丁度鼎の中に實を入れた所である。九二の仇である初六は、陰爻を以て陽位にあり位を得ていない。其所で賢人を嫉んで害する所の疾があり、趾(あし)を顚(さかさ)まにして上を侵そうとする。乍併、二・三・四爻目に賢人等が連なって居り、初六は迚(とて)も彼らを害するだけの力は無い。初六は四爻目に応じて居るが、其の間に陽爻が二つあり、四爻目と相合う事は出来ない。九二は六五と位が応じて居り、我が身にある学問道徳を以て、六五の天子に盡す。其所で鼎の中の實は、何処迄も六五へ往かなければいけない。其所で、之(ゆ)く所を慎むと云う。我が仇が嫉み害する所があっても、我には一点の隙も無いから、終には咎を受けない。

9/29(水) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく)→䷾ 水火旣濟(すいかきせい)


【運勢】
大きなことより小さなことを事を進める時。
ものごとは上手く進むが、頂点を過ぎて下ろうとしている。
不安になる前に蓄えを貯めとくべきである。


【結果】

本卦:山天大畜(さんてんたいちく)
之卦:水火旣濟(すいかきせい)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][二爻]


【原文】
《本卦:
山天大畜》
大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。
彖に曰はく。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。
象に曰はく、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。


《之卦:
水火旣濟》
旣濟は亨(とほ)る。小、貞に利し。初めには吉、終はりには亂る。
彖に曰はく、旣濟は亨るとは、小なる者、亨るなり。貞に利しとは、剛柔正して位當たる。初めは吉とは、柔、中を得るなり。終に止まれば則ち亂る。其の道󠄃窮まるなり。
象に曰はく、水、火の上に有るは旣濟。君子以て患を思ひて豫め之を防ぐ。


【解釋】
《本卦:
山天大畜》
〔王弼、東涯の解釋〕
大畜は大きく蓄へる、とどむることである。剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。吉である。大事業をするのに良い時である。

〔根本通明の解釋〕
大畜は、君が臣を止めて畜(やしな)う卦である。大は君のことである。大畜とは反対に小畜という卦がある。小畜は、臣の方が君を止めるという卦である。小は臣のことである。上卦の艮は身体である。三・四・五爻目の震は仁である。また二・三・四爻目に兌は義である。つまり仁義の徳を身の内に具えていることになる。畜の字は、止めるというだけでなく、之を育てて善くするという義がある。徳を十分に養はねばならない。君は、臣の早く出世を求める心を抑えて、十分に学問を以て徳を養わせるのである。また養われる側も、貞所を守るのが良いので、「利貞」という。「不家食吉」とは、学問道徳のある人物は君に用いられ、禄を以て養われる所となる。そのため賢人は家に居って食することは無い。朝廷に招かれた賢人は、危険なことがあっても之を踏み越えて往くのが良い。そこで「利渉大川」という。
[彖傳]
天子に剛健なる徳が具わっている。政務を執っても疲れることがなく、篤実である。篤実は艮の卦の象である。また艮の陽爻が上にあり、光輝く所がある。「日新」というのは、乾の卦で象で、日々昇り沈んでいく太陽である。「其徳剛上」は、上九を指していう。上九は剛にして一番上に居る。
[象傳]
上卦の艮は山、其の山の中に天がある。山中には天の元気が十分に満ちている。火気と水気の働きで草木が良く生じ、禽獣も繁殖する。これが大畜である。「前言」は震の象である。また震は行くという事もある。


《之卦:
水火旣濟》
〔王弼の解釋〕
旣濟は完全に渡り切ったという意味である。
小は残らず渡り切った。五爻と二爻が位に当たっているので、邪悪なことは出来ない。ただ正しければ上手く行くのである。柔が中を得たら、小はとおるのである。柔は中を得ていないならば、小はまだ通らない。小はまだうまく行っていない。剛で正を得ているといっても、まだ旣に渡り切れていないのである。だから旣濟の要は柔が中を得るにあるのである。旣濟を安定となすのは、道󠄃が窮まり進めないからである。止まるから乱れるのである。存續している時に亡びることを忘れない。旣濟は未濟を忘れてはいけない。


〔東涯の解釋〕
濟は交わり作用しあうことである。火が下に在って炎上し、水は上に在って下を潤す。陰陽が互いに作用していることである。陰陽六爻がそれぞれ正しいところにある。二爻は陰で中を得て、上には坎つまり止がある。だから始めは吉を得て、終には止まってしまい、衰乱の時代になる。治乱盛衰は永遠に互いに作用し続ける。陰陽が交わり互いに作用し、日が南中しているようであり、月󠄃が満月に近い状態である。よくうまく行くといっても、ただ小のみである。大吉ではない。ただ正しさを守るべきである。そうしなければ始めはうまく行っても、終いには乱れるのである。易の戒めるところである。


〔根本通明の解釋〕
水火相和して、萬物悉く生育する。
何事も亨り達する。
小なるものの二爻目は、主爻となり、陰爻を以て陰位にある。
よって中を得て居り、小なるものが正しくして居る。
内卦は始まりで、萬物が盛んになって来るが、半ばを過ぎれば衰えが出て来るから、油断をせずに対策しなければならない。
[彖傳]
二爻目は柔で陰位にあり、九五は剛で陽位にあり、正しく剛柔である。
険難が除けて、天下泰平になる。
安楽になれば人は動かず、為すべきことを怠って、乱れが起って来る。
[象傳]
水火相和しているというものの、性質で言えば分かれる所がある。
水は火の上に在れば宜しいが、水の性質は下を好む。
又火の氣が何処までも上がり、互いに反対に為って相害する所が出て来る。
安楽なる内に災の出ない様に之を防がなければならない。

9/28(火) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう)→䷿ 火水未濟(かすいびせい)


【運勢】
自ら考え、行動する事が大切である。
いざと言う時、周りに判断を委ねる様では信頼を失うだろう。
皆が最善を尽くし、互いに助け合う事が出来る環境を作れば、如何なる難局も乗り越えられる。


【結果】
䷿
本卦:天雷无妄(てんらいむまう)
之卦:火水未濟(かすいびせい)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
天雷无妄》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。
象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。


《之卦:
䷿ 火水未濟》
未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。
彖に曰はく、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸无し」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。
象に曰はく、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。


【解釋】
《本卦:
天雷无妄》
〔王弼の解釋〕
動いて健とは震のことをいう。
雷動して乾健である。
剛中というのは五爻を言う。
剛が外からきて、内卦の主爻となる。
動いていよいよ健である。
剛中で応じている。
私欲が行われない。
妄動することはない。
无妄の道ができ、大吉。
剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。
動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。
剛中にして応じれば斉明の德が通る。
天の教命である。
もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。
茂は盛んなことである。
物は皆あえて妄でない。
その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。
時に対して物は育つ。
是より盛んなことはない。


〔東涯の解釋〕
妄(もう)は、望と音に相近し。
无妄は、希望することがない。
『史記』では无望󠄇とかく。
この卦をさかさにすると
山天大畜になる。
主爻は初九である。
无妄は予期せずに来るものである。
卦体は震が動くで、乾が健やかである。
五爻と二爻は応じている。
まさに天命である。
逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。
舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


〔根本通明の解釋〕
无妄は欲がないということである。
無望の意味である。
『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。
ただ誠にのみ志すのである。
志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。
五爻と二爻が応じており、上下心が通う。
天命を受けることを表す。
その天命に従うのがよい。
それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。
人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。
先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。
春夏秋冬、天に従った生き方をした。


《之卦:
䷿ 火水未濟》
〔王弼の解釋〕
柔が中にあり、剛に違わない。
よく剛健を納めるので、うまく行く。
小狐が大きな川を渡ることができない。
あと少しの所󠄃で実現できない。
剛健が難を抜き、その後に可能になる。
ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。
小狐渡れるだろうが、余力がない。
もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。
終わりまで続けられない。
今も険難の時である。
未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。
位に当たらないので未濟である。
剛柔が応ずれば済む。


〔東涯の解釋〕
未濟は事が成就しないことである。
火が上に在り、水が下に在る。
上下交わらない。
互いに用いないので未濟という。
五爻は柔で中にいる。
ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。
狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。
始めはうまく行く。
そして、下に止まっていればよいのである。
いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。
君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。
上が陽で下が陰である。
互いに妨害しない。


〔根本通明の解釋〕
下は水上は火である。
水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。
互いが作用しないので、萬物が創造されない。
しかし、両者あるべき場所に在る。
しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。
だから最終的には亨るのである。
坎は狐である。
この卦の場合、小さな狐である。
それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。
狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。
疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。
忍耐力が無いのである。
忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。
気力が無いと何事も達成できないのである。
[彖傳]
柔が中を得ている。
五爻のことである。これが主爻である。
また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。
この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。
陰は陽に居て、陽は陰に居る。
しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。
また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。
最終的にはうまくいくのである。
[象傳]
火は南に居り、水は北に居る。
自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。
何事もはっきりと分ける象である。
離はものを明󠄃らかにする。
それぞれが自分のいる場所にいることを示している。

9/27(月) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 四爻初爻

【運勢】
復はかえるの意味である。これから段々と運気がよくなっていく。                また、陰の勢いが強く、陽の勢いが弱い時から、陽の勢いが盛り返してくる時であり、悪い道から、正しい道に戻ろうとしているときでもある。
人から忠告を受けたら従うべきである。まだまだ間違いを修正することができる時である。


【結果】
䷗◎⚪︎
地雷復(ちらいふく) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。
彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。
象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。中行獨復す。
象に曰はく、中行獨復すとは、以て道に從うなり。
[初爻]
初九。遠からず復る。祗れ悔无し。元吉。    象に曰はく、遠からざる復とは、以て身を修むるなり。


【解釋】
《卦辭》
〔王弼、東涯の解釋〕
復はかえるの意󠄃味である。ひとつ前の
剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。一陽来復、また盛んになろうとしている。陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。


《爻辭》
[王弼]
[四爻 優先]
四爻の上下どちらにも二陰があって、厥中の処にいる。其の位を得て、初爻と応じている。独り復の処に復するのである。道に従い、物を犯すことがない。故に「中行獨復す。」という。
[初爻]
最も復の初にいて、始めて復る者である。復ることの速からず、遂に迷いに至って凶。遠からずして復り、幾れ悔ありてかえる。此を以て身を修め、患難遠し。之を事に錯けば、其れ殆ど庶幾からん乎。故に元吉也。
[東涯]
[四爻 優先]
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
復は本の所に反(かえ)るという意である。一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。天の気が地の底に来ることで万物は生じる。この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。「其道」とは、万物を生成する所の道である。「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。雷気が往くに従って万物が発生する。また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。それで「利有攸往」なのである。
[彖傳]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。「天地之心」は万物の生成である。
[象傳]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

《爻辭》

9/26(日) ䷴ 風山漸(ふうざんぜん)→䷢ 火地晋(かちしん)


【運勢】
成長を望めるとき。
徐々に進んでいくが、段々とその勢いが増していく。
謙虚でいて、柔順でいることが大事。


【結果】

本卦:風山漸(ふうざんぜん)
之卦:火地晋(かちしん)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][三爻]


【原文】
《本卦:
風山漸》
漸は女歸いで吉。貞によろし。彖に曰はく、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。象に曰はく、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。


《之卦:
火地晋》
晋は康侯(しょうこう)用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。
彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く。柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。
象に曰はく、明󠄃、地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照(あきらか)にす。


【解釋】
《本卦:
風山漸》
〔王弼の解釋〕
漸は漸進の卦である。止まりて巽。だから適度に進む。巽に留まるから進󠄃む。だから女嫁いで吉なのである。進んで正しいものを用いる。進んで位を得るとは五爻を指す。この卦は進むことを主る。漸進して位を得る。


〔東涯の解釋〕
漸は次順番通りに進むことである。巽は長女、進んで上に在る。進めることをゆつくりしなければならないのは、女が嫁ぐ時である。五爻が位を得て、剛が中にある。家を正し、功があるだろう。君子が仕えるときは、進󠄃むに礼を以てし、退󠄃くに義を以てする。五爻剛中の徳がある。


〔根本通明の解釋〕
漸は、小さな木が次第に成長して大木になるように、順序を立てて進んで往く意である。この卦は鴻雁(こうがん)の象を取っている。雁は水鳥で、陰鳥であるから、陽に能く従う。そのため婚礼の時には、雁を以て礼を行う。即ち、女が夫に従う義を取ったのである。また臣たるものは、必ず君に従う。国に生まれた者は、皆君に仕えなければならないと云う義も示している。
[彖傳]
女の嫁入りは、速やかにするものではない。六礼といって、六つの段に分かれており、順次進んで往って婚礼が成る。また天子は天下を治めるのに、先ず我が身を正しくする。正しい所を以て、国家を正しくすることが出来る。
[象傳]
山の上に木がある。君子はこの義を用いて、賢徳ある人物を高い所に据え、賢人の徳を以て社会風俗の悪い所を能く直して行く。


《之卦:
火地晋》
〔王弼、東涯の解釋〕
晋は進󠄃むである。地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。これは名君に人々が仕える象である。そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。三陰は柔順の徳がある。君子は德を明らかにし、天下あまねくその恩恵を受ける。


〔根本通明の解釋〕
上卦は日を表し、下卦は地を表す。太陽が昇ったばかりを象っている。萬物も誕生すると、太陽と同じように進んでいく。萬物は日の力を借りて生長するのである。『説文解字』に「日出でて萬物進󠄃むなり」とあるのは、そういうことである。康侯とは「国を平和にする臣下」の意味である。そして、自分の国を平󠄃安に治める諸侯は、国情を君主に報告するために朝廷に來る。一日に三回報告することになっていて、自分の国で生まれた名馬を献上するのである。
[彖傳]
太陽が地上に出て、大地をあまねく照らす様を表す。天子が上に在って、諸侯が拝謁する所󠄃を表す。
離は明󠄃である。大明󠄃は乾であり、その真ん中の爻が下の地に影響されて陰になっているので、「順にして大明󠄃に麗く」というのである。
[象傳]
地の下に日があると真っ暗なように、陽の上に陰があると暗い。陰は人の心の欲である。欲があると徳が輝かないので、君子は自らの明徳を示すためにこの卦を参考にする。『大学』で「大学の道󠄃は明徳を明󠄃らかにするに在り」とはこのことである。

9/25(土) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 三爻


【運勢】
高く聳え立つ澄んだ山々の様に、堂々とした姿勢で、嘘偽りの無い清らかな心を持つと良い。
一人で地道に進めても、大勢は変化しない。
頑なに心を閉ざすのではなく、周りの意見に耳を傾けて、妥協点を探る事が大切である。


【結果】
䷳◎
艮爲山(ごんゐさん) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
九三。其の限に艮る。其の夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(いさ)ぶ。
象に曰はく、其の限に艮まるとは、危ふくして心を薫ぶる也。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
[王弼]
限は身の中のことである。三は雨の象の中に当る。故に其の限に艮まるという。夤中脊の肉に当る。止まるを其の身に加へ、体を中して分く。故に其の夤を列きて、危ふきを憂ひ心を薫ぶるのである。艮の義爲るや、各々其の所に止む。上下相與せざれば、中に至りて則ち列く。列くこと其の夤に加ふれば、危きこと焉より甚しきは莫し。危亡之れ憂ふれば、乃ち其の心を薫灼する。止まるを体中に施せば、其の體焉を分く。體雨主に分かるれば、大器喪はる。
[東涯]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖伝]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象伝]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。
《爻辭》

第3回 役員会議

令和3年9月24日 東洋文化硏究會 役員会


【会議内容】


[次年度、役員人事について]
会長 雑賀
副会長 竹内.中島
総務 小松原
会計 中山


[倉陵祭について]
倉陵祭展示は教室使用禁止の為(大学通知)
2号館2階.3階のロビーを使用予定。
展示物は全てポスター。(展示資料は写真化)
ホームページを活用し活動内容をデータ化。
作成動画もホームページ上に掲載。
無料占いは公式LINE QRコード使用。


[同好会昇格について]
単なる硏究活動に留まらない活動形態へ。
具体的に新歓、旅行、追いコンを行い、既成団体(雅楽部など)との齟齬を減らす。
それに伴い「総務は幹事となる」仕組みへ。
顧問による主体的な活動承認を促す。
必要書類提出の際、役員総出で意欲を伝える。
下部組織との連携を強める。(望楠会など)
大学提出用の、「会の主体的事業」を古文、漢文読解とする。(記紀、四書五経など)
具体的に11月から、月一又は週一で、易経の漢文読解を会員ら分担で行う。
必要書類の作成。


[硏究會員の勧誘について]
同好会昇格によるホームページ、冊子への掲載、新入生歓迎会での部活動紹介への参加。
Twitter、Instagram等のsnsを活用した勧誘。(#春から皇學館 等)
下部組織の会員に対して、新歓、旅行、追いコンなどへの参加を促しグループLINEに招待。
倉陵祭展示や展示物許可証を活用した、ポスターによる学内募集。


[崎門祭について]
特に問題がなければ、楠公祭同様の手順で催行。
会誌は12月頃になる予定。

9/24(金) ䷦ 水山蹇(すいさんけん)→䷆ 地水師(ちすゐし)


【運勢】
悩みを抱えた時、早急に解決しようと焦ってはいけない。
助言は真摯に受け止め、先を見通す事が大切である。
口先ばかりの者を信頼すれば、目的は達成出来ず、積み重ねて来た成果も無に帰すだろう。


【結果】

本卦:水山蹇(すいさんけん)
之卦:地水師(ちすゐし)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻][三爻][二爻]


【原文】
《本卦:
水山蹇》
蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。
彖に曰はく、蹇は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。
象に曰はく、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。


《之卦:
地水師》
師は貞なり。丈人なれば咎无し。
彖に曰はく、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰はく、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《本卦:
水山蹇》
西南は地であり、東北は山である。難󠄄しい平地を行けば解決は難しい。難󠄄しい山地を行けば道󠄃が窮まる。爻は全部位に当たっている。正しきを履んでいるのが、邦を正す道である。ただし、難に遇うと正を失う。それは良くない。小人には対処できない。難󠄄を除くには德を高めるしかない。


《之卦:
地水師》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


〔東涯の解釋〕
《本卦:
水山蹇》
蹇は難である。進みことができない。前に難があり進めず、険難があるので止まる。蹇が変わると解になる。解の二爻が外卦の五爻に行って中を得る。だから、西南がよく、止まりて進まない。東北に利なし。五爻は位に当たって中正。君を得て、國を正すことが出來る。だから賢人に遇う時であるという。世が乱れているので、蹇に遇えば身を滅ぼす。時を待って行動せよ。我が身を反省して、德を修めよ。


《之卦:
地水師》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
水山蹇》
蹇は歩行が難󠄄しい状況である。
西南がよい、上卦が
であるが、上に在る時は月󠄃である。
二三四爻の互卦にも
がある。
これは三日月を表す。
旧暦の三日に西南から現れ、東北になくなる。
又西南は坤である。
草莽にいてどこまでも学問をして學藝を磨くのかよい。
何の能力もなく朝廷に出ようとしてはならない。
艮は朝󠄃廷を表す。
学問を修めたのなら、賢人に遇って、天下を経営するのに良い。
[彖傳]
の卦は大水であり、行けばおぼれてしまう。
は止まるであるから、大水に行かずにとどまった。
目の前に大水があるので、進めない。
止まるべきところで止まるのが知である。
西南に於いて学問を修めから、東北に行けば賢人に遇って、明君を得ることになる。
今は無学であるから、進んでも利なし。
険難の時代に生まれても大いに活躍できるのである。
[象傳]
君子は険難の時代には、良いことをしようとしてもうまく行かない。
そこで、己を正しくして、だんだんと德を修めると二爻から上爻までは正しい位にいるが、初爻だけは陽の位に陰でいる。
始めが正しくないといけない。
だから君子はまず自分の修身から始めるのである。


《之卦:
地水師》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。

9/23(木) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 三爻初爻


【運勢】
順調な時ほど、邪な心を持たぬよう戒めなければならない。
甘い言葉に釣られて、悪知恵を働かせれば、信頼を失い、かえって目標から遠ざかってしまう。
正しさをしっかりと守れば、道理に合った成果を得られるだろう。


【結果】
䷒◎⚪︎
地澤臨(ちたくりん) 三爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。甘臨(かんりん)す。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。旣に之を憂ふ。咎(とが)无(な)し。象に曰はく、甘臨(甘臨)すとは、位、當(あた)らざるなり。
[初爻]
初九。咸臨(かんりん)す。貞にして吉。象に曰はく、咸臨す。貞にして吉。とは、志正しきを行ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。また、上から下を見下ろす余裕がある。今はとても運気が良い。しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。


《爻辭》
[王弼]
[三爻 優先]
甘は佞邪であり、媚びることである。正しくないことである。その位になく、剛の長の世にいて、邪説を利用してものに臨む。それでは良いことはない。もしそれが危険だと憂うことが出來たなら、道を修正することが出来る。剛は正を害さない。だから、その咎めは長くない。
[初爻]
咸は感である。感は応じることである。四に応じ咸じて以て臨む者である。四、正しき位を履みて、己は焉に応じる。志正しきを行ふ者である。剛を以て感じ順ひ、志其の正しきを行う。斯を以て物に臨めば、正にして吉を獲るのである。
[東涯]
[三爻 優先]
甘臨は甘を以て臨むことである。この爻は臨の時に在り、陰柔で不中正である。甘い言葉で人に臨む。利はない。ただしその志は剛を尊ぶので、自ずからその誤りに気付く。憂えて改めれば問題ない。人の上に立つ道は、剛でなければ物を鎮めることが出来ない。正しくなければ、人を服させることは出来ない。苟も剛正を失い、徒に温和な老婆の柔らかい態度で人心を籠絡しようなど考えたら、大変である。速やかに反省し、咎めが無いようにすべきである。
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の坤は岸である。
岸の高い所から、下の水に臨んでいる。
臨は望とは違う。
望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。
天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。
一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。
九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。
次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。
つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。
[彖伝]
初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。
続いて二陽になって此の臨となる。
さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。
順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。
剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。
そこで大いに亨る。
明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。
八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。
[象伝]
地の上の高い所から下を俯瞰する。
君子は思慮深くして物を教える。
深く考えるのが兌の象である。
教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。
萬物を生じるのに窮まりが無い。
坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。
その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三は兌が主爻である。
兌は巧言令色の象があり、口先で人を說(よろこ)ばせて立身した。
しかしこれは長く続かない。
これを憂え改めるならば咎は無い。
[象伝]
三爻目は陰爻でありながら陽位に在り不中正である。
その位に在るべき人でないが、巧言令色を以て昇った。
これを憂うなら、咎は長くは続かない。
[初爻]