1/2(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 二爻

1/2(日) 山澤損(さんたくそん) 二爻


【運勢】
自己犠牲の精神はかえって仇となる。
自他共に益する形でないのなら、極力避けるべきである。
正しさを守り、その上で不用意に動かない事が大切である。
油断禁物、心の緩みは大きな過ちに繋がる。道理に従い動くと良い。

【結果】䷨◎
山澤損(さんたくそん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。


《爻辭》
九二は、貞に利し、征けば凶。損せずして之を益す。
象に曰く、九二、貞に利しとは、中以て志と爲すなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。
陰は陽に順うものである。
陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。
下を損じて、上を益す。
上に上昇するということである。
損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。
不足を補うものではない。
君子の道を長ずるわけでもない。
損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。
だから元吉なのである。
剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。
下を損して上を益す。
それで上を満たして剛を損して邪をなさない。
自然にはそれぞれ分というものが決まっている。
短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。
損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。


《爻辭》
柔は益を全うすべからず、剛は削を全うすべからず、下は以て正しくなかるべからず。
初九は已に剛を損して以て柔に順ふ。
九二は中を履みて、復た己を損して以て柔を益す。
則ち剥の道成る。故に遄やかに往くべからずして、貞に利しなり。之を柔に進めば、則ち凶なり。故に往けば凶と曰ふなり。故に九二は損せずして益に務む。中を以て志と爲すなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
損は減少である。
は泰の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。
下が損して上が益する様である。
天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。
損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。
あくまで正しくあろうとすべきである。
二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。
損益は時に應じておこなわれるとよい。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は「損」を意味する。
損とは有る物を失って不足になることである。
前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。
解ければ人の心が緩む。
緩めば損を生じる。
この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。
地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。
つまり人民が富んでいる。
初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。
そこで余りを以て上に献ずる。
そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。
上の方ではこれを止(と)める。
上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。
兌の卦は喜びを意味している。
こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。
互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。
しかし、是も程良い所でなければいけない。
そこで貞が大切である。
乾は満ちているから、奢りが生じる。
余剰は御祭用に献上するのが良い。
多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。
八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。
孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。
[彖傳]
損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。
下を損らして、上を益すのである。
下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。
「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。
二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。
豊年で献上物が多ければ、益すこともある。
下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。
内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。
凶年の時には上から下へ益して来ることもある。
損すべき時には損し、益すべき時には益す。
満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。
これも其の時節に従って時と共に行うのである。
[象傳]
山下に澤があるのは損である。
君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。
この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。
これは止める義であり、元は乾の卦である。
乾は三畫とも剛である。
強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。
これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。
三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。
つまり喜ぶところとなる。
また欲は坤の卦の象である。
坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。
上は坤の卦であるから、欲が盛んである。
その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。
《爻辭》

1/1(土) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 二爻

1/1(土) 雷山小過(らいさんしょうか) 二爻


【運勢】
少し過ぎるくらいに準備をすれば、控え目に過ごして丁度良い状況を作る事が出来る。
時間の余裕は心の余裕、穏やかで優しい人の言葉には、周りも耳を傾ける。
慎みを持って過ごせば、間違いを犯す事は無いだろう。


【結果】
䷽◎
雷山小過(らいさんしょうか) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
小過は亨る。貞に利ろし。小事に可にして、大事に可ならず。飛鳥之れが音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。
彖に曰はく、小過は小なる者󠄃過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞に利し。時とともに行ふなり。柔、中を得たり。是を以て小事に吉なり。剛、位を失ひて不中。是を以て大事に可ならざりなり。飛鳥の象有り。飛鳥之が音をのこす。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉とは、上るは逆にして下るは順なるなり。
象に曰はく、山上に雷有るは小過。君子以て行は恭に過ぎ、喪は哀に過󠄃ぐ。用は儉に過ぐ。


《爻辭》
六二。其の祖󠄃を過ぎて其の妣に遇ふ。其の君に及ばずして其の臣に遇ふ。咎なし。
象に曰く、其の君に及ばずとは、臣過ぐるべからざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
飛ぶ鳥がその声を残して、悲しみながら場所󠄃を求める。上には適当な場所がなく、降れば安住できる。上に行けば行くほど悪くなる。
飛ぶ鳥と同じである。小過の小はおよそ小事全般を言う。小事を過ぎて、うまく行く。過ぎれば正しくしていればよい。時宜にかなうのである。恭しく儉約󠄃していればよい。大事をなすは必ず剛がいる。柔で大を犯すのは、剝の道である。上に昇ってはならず、降るのが良い。これは飛ぶ鳥の象である。


《爻辭》
過ぎて遇うことができる。小過があって位に当たる。過ぎて遇󠄄うことが出來るのである。祖󠄃は初めである。妣は内に居て中を履む善いものである(二爻)。初爻を過ぎて二爻に居る。だからその祖󠄃(初爻)をすぎて、妣(二爻)にいるというのである。過󠄃ぎるけれども僭越には至らない。臣位を尽くすのみである。だからその君に及ばず、その君に遇󠄄うのは咎めがないというのである。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陽は大であり、陰は小である。四つの陰が外に在り、二陽が内に在る。陰が陽に勝っているので小過という。
陽が陰に勝るのが道理であるが、陰が勝って問題ない時もある。
二五は柔が中を得て、三四は剛であり、中でない。卦の形は鳥が翼を広げているようである。
上に向って鳴くので、下には聞こえない。下は順調で容易であるが、上昇は逆行するので難しい。
任務にも大小があり、位にも上下がある。人の才分もそれぞれ違う。柔は下位にあって小事を治めるのが良い。それが分からなかった人が多く失敗してきたのである。易は中に適うことを尊ぶ。


《爻辭》
三爻は陽で上に在るので父である。
四爻はその上に在るから祖󠄃である。
五爻は陰で祖󠄃の上に在るから祖󠄃妣である。
君は五を指し、臣は四を指す。二爻は小過があり、三を過ぎて五に行く。しかし、陰と陰で応じない。そこで五爻まで行かずに四爻までにすれば陰陽が相性よい。咎めなし。
陰が過ぎる時にあるので、戒めなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
小過の卦は全体でみると
の卦になっている。
三爻と四爻が鳥の体であり、一二、五六が翼である。何の鳥かといえば鶏である。
二三四爻に
がある。これが鶏である。
この卦は陰が過ぎる卦である。
陽は君で陰は臣下である。君が鳥の体で、臣が鳥の翼である。
陰が過ぎるとは臣下が調子に乗っていることである。
だから小事は行われ、大事は行われない。鶏が高く飛べる道理はない。
声だけ高く上がっても、体は高く上がらない筈である。
この場合、鷹に咥えられたとするとよい。飛び去ってしまい悲しむ声だけが残るのである。
上に行かれてはもうどうしようもないが、下にいるのなら人でも何とか救出できるかもしれない。
[彖傳]
祭祀に於いて祭式の起居進退は小事であり、道徳は大事である。
しかし、小なることを徹底して、良くなることもある。
この卦は陰が多すぎる。
二爻も五爻も陰である。
だから大事をするには不利である。
君は常に民と共にあらねばならない。
[象傳]
大いなる山を、小なる雷が過ぎて行く。
君子はこの卦をもとに行いを恭しくする。


《爻辭》
二爻は臣たるものの正しい位置である。
君を拝するときはまずはじめに宗廟に参る。
艮は宗廟を表す。
君にすぐにあうのは憚られることであり、まずは付近にいる臣下に仕えるべきである。
[象傳]
臣たるものが君以上ではいけない。
それを戒めているのである。

令和四年の運勢

【令和四年の運勢】 風地觀(ふうちかん) 初爻


【運勢】
風によって地上は吹き清められ、あるべき姿へと立ち返る。
風の様な身軽さで、身の回りに溢れる善行の機会を最大限に活かすと良い。
助け合いの精神が社会の支えとなり、天下泰平に繋がる。
学びを続け、視野を広げる事で、理想を現実に出来るだろう。


【結果】
䷓◎
風地觀(ふうちかん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。                  象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《爻辭》
初六。童觀す。小人は咎なし。君子は吝なり。
象に曰く、初六の童觀は、小人の道なり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


《爻辭》
觀の時に處りて、最も朝の美に遠し。陰柔を體して、自ら進むこと能はず。鑒見する所なし。故に童觀すと曰ふ。順ふに趣くのみにして、能く爲す所なし。小人の道なり。故に小人咎なしと曰ふ。君子大觀の時に處りて、童觀するを爲せば、亦た鄙ならずや。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。


《爻辭》