3/31(木) ䷯ 水風井(すいふうせい) 初爻

3/31(木) 水風井(すいふうせい) 初爻


【運勢】
普段よりも邪な心を持ちやすい時。
不遇な時でも変わらず正しさを守り、地道に努力を続ける事が大切である。
至誠通天。綺麗な飲み水と同様に誠実な者の善行は万人から受け入れられる。
真心が生活を豊かにするだろう。


【結果】
䷯◎
水風井(すいふうせい) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
井は邑を改めて井を改めず。喪ふことなく得ることなし。往来井を井とす。汔(ほとん)ど至らんとして亦た未だ井に繘(ゐつ)せず。其の瓶を羸(やぶ)る凶。彖に曰く、水に巽れて水を上ぐるは井。井は養ひて窮まらず。邑を改めて井を改めざるは乃ち剛中をっ以てなり。汔(ほとん)ど至らんとして未だ井に繘(ゐつ)せずとは、未だ功有らざるなり。其の瓶を羸(やぶ)る、是を以て凶なるなり。象に曰く、木の上に水あるは井。君子以て民を勞し、勧め相(たす)く。


《爻辭》
初六。井泥にして食はれず。舊井に禽なし。
象に曰く、井泥にして食はれずとは、下なればなり。舊井に禽なしとは、時舍つるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
井は不変の徳がある。常にあり、変化しない。ほぼ到達するのに井の水が出てこない。井は水が出なければ意味がない。至る直前でこぼしてしまったら、汲まないのと同じである。剛中である。だからよくその場にとどまり、変わらない。


《爻辭》
最も井の底に在り、上もまた應ずるなし。沈み滯りて滓穢る。故に井泥にして食はれずと曰ふなり。井泥にして食ふべからざれば、則ち是れ久井の渫治さ見ざる者なり。久井渫治さ見ざれば、禽すら嚮せざる所なり。而るに況んや人をや。一に時共に棄舍する所なり。井は、變はらざるの物にして、德の地に居る。恆德至賎なれば、物取るなきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
汔はほとんど、繘は井戸の水をくみ上げる綱、瓶は水を汲む器、羸は破れるの意󠄃。内卦は木、その徳は入る。外卦は水。木が水の下に入って水をくみ上げる。よく人を養い、極まることがないのである。二爻も五爻も剛中の才があり、常の徳がある。そして人々を養う。井の水は減りもしないし、増えもしない。往来の人々は、みなその恩恵にあずかる。また、井は水を汲んで初めて役に立つ。水をほとんどくみ上げたところで、綱が上まで来なかったり、器が壊れてしまっては、何の役にも立たない。君子が德を修め、世の中に不正がはびこっても常に一人正しさを守り、世の中にどんな禍󠄃があろうとも不易の道を進む。窮まったり、通ったりで増えも減りもしない。あまねく人々のためになる。終始励み、怠らない。そして成功をおさめるのである。其の志を挫くことは出来ない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
此の井は、俗に言う井戸で、水を汲み上げて以て人を養う所である。井戸の水は人間の徳に譬えたものである。乃ち道徳である。邑が変わり、国が種々に変化しても、道徳は動かすべきものでない。井戸の水は幾ら汲んでも減じて無くなる事は無く、また汲まずに置いても溢れ出る事も無い。地の中に名水を掘り当て清水が湧出するのは、学問を修め仁義礼智の徳が湧き出でて来るが如くである。釣瓶縄を置かなければ之を汲み上げることが出来ないように、道徳ある人物を朝廷へ薦め挙げる人が無ければいけない。しかし、賢人を妬み釣瓶を壊す小人もあり、之は最も凶である。
[彖傳]
下卦の巽は五行では木の象である。其処で瓶に取る。上卦の水の中に瓶を入れる形である。井戸は、水を幾ら汲んで人を養っても尽きることは無い。賢人と云うものも道徳を以て多くの人に施し養うが、道徳は尽きることが無い。此の卦は二爻目と五爻目とも剛中を得ているから、中庸にして長く施して養う所がある。しかし折角井戸を掘っても繘(つるべ)が無い。学問道徳盛んな人があっても、朝廷において挙げて用いなければ養ったところの功が出て来ない。また釣瓶を蠃(や)ぶり、賢人を用いないように讒言を以て害する者がある。是を以て凶である。
[象傳]
木の上に水がある。即ち繘を井戸の中へ入れる形である。水は広く人を養うものであり、農業が最も盛んなるものである。君子は水を以て農民を良く励まし助ける所がある。
《爻辭》

3/30(水) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

3/30(水) 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻


【運勢】
慎重な判断が求められる時。
行動前に、ひと呼吸置く習慣をつけると良い。
急がば回れ。逸る気持ちを抑え堅実に正しさを守る事が大切である。
自らの力を弁えず勢いに身を任せれば、進退窮まる結果となるだろう。

令和四年壬寅
春三月癸丑朔壬午


【結果】
䷡◎
雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《爻辭》
上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利しき攸なし。艱むときは則ち吉。象に曰く、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、詳にせずるなり。艱むときは則ち吉とは、咎長かふざるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


《爻辭》
三に應ずる有り。故に退くこと能はず。剛長ずることを懼る。故に遂ぐること能はず。疑ひを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱むときは則ち吉と曰ふ。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。
《爻辭》

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。
《爻辭》

3/29(火) ䷆ 地水師(ちすゐし) 変爻無し

3/29(火) 地水師(ちすゐし) 変爻無し


【運勢】
現実的な成果が求められる時。
いい加減な対応は、大きな失敗に繋がる。気を抜かない事が大切である。
皆を率いて大事を進める場合は、目標に無理がないか改めて確認すると良い。
自ら率先して取り組む事が大切である。


【結果】

地水師(ちすゐし) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
師は貞なり。丈人なれば咎无し。彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


〔東涯の解釋〕
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


〔根本通明の解釋〕
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。

3/28(月) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻

3/28(月) 澤地萃(たくちすい) 三爻


【運勢】
正しさを守り、物事を前に進めるのに良い時。
重要な場面で気を抜かない事が大切である。
積極的に誠意を持って取り組めば、何事も上手く行くだろう。
この様な機会は、望んでも得られないので、大切にすべきである。


【結果】
䷬◎
澤地萃(たくちすい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。
彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。


《爻辭》
六三。萃如、嗟如。利しき攸なし。往けば咎なし。小し吝。
象に曰く、往けば咎なしとは、上巽ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
萃は集まることである。物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。祭祀は大切にすべきである。古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。


《爻辭》
[王弼]
履むに其の位に非ず、以て四に比しむ。四もまた位を失ひ、正ならずして相聚まる。相聚まりて正ならざるは、患ひの生ずる所なり。人の應ずるに于いて、害の起く所なり。故に萃如、嗟如。利しき攸なきなり。上六もまた應ずるなくして、獨り立つ。極に處りて危ふきを憂ひ、援けを思ひて朋を求む。巽ひて以て物を待つ者なり。其の正しからざるに萃まる與りは、志を同じくするに之くに若かず。故に以て往くべくして、咎なきなり。二陰相合ふは、猶ほ一陰一陽の至るに若かざるがごとし。故に小しく吝有るなり。
位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。
[東涯]
陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
萃の下に亨の字があるのは間違いである。萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。そして、豚羊牛で祭るのが良い。そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。
[彖傳]
萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。天命にしたがうというのは、
巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。天子の恩沢に人々は集まるのである。
[象傳]
人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。


《爻辭》
九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。
[象傳]
六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。

3/27(日) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 変爻無し

3/27(日) 山天大畜(さんてんたいちく) 変爻無し


【運勢】
己の実力を磨くのに良い時である。
初めから学問道徳に優れた者はいない。
冷静に知見を広げ、次の機会に備える事が大切である。
単純な決めつけは危険である。
柔軟な思考を持ち、現状を見直してみると良い。


【結果】

山天大畜(さんてんたいちく) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。彖に曰く。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。象に曰く、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
大畜は大きく蓄へる、とどむることである。剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。吉である。大事業をするのに良い時である。


〔根本通明の解釋〕
大畜は、君が臣を止めて畜(やしな)う卦である。大は君のことである。大畜とは反対に小畜という卦がある。小畜は、臣の方が君を止めるという卦である。小は臣のことである。上卦の艮は身体である。三・四・五爻目の震は仁である。また二・三・四爻目に兌は義である。つまり仁義の徳を身の内に具えていることになる。畜の字は、止めるというだけでなく、之を育てて善くするという義がある。徳を十分に養はねばならない。君は、臣の早く出世を求める心を抑えて、十分に学問を以て徳を養わせるのである。また養われる側も、貞所を守るのが良いので、「利貞」という。「不家食吉」とは、学問道徳のある人物は君に用いられ、禄を以て養われる所となる。そのため賢人は家に居って食することは無い。朝廷に招かれた賢人は、危険なことがあっても之を踏み越えて往くのが良い。そこで「利渉大川」という。
[彖傳]
天子に剛健なる徳が具わっている。政務を執っても疲れることがなく、篤実である。篤実は艮の卦の象である。また艮の陽爻が上にあり、光輝く所がある。「日新」というのは、乾の卦で象で、日々昇り沈んでいく太陽である。「其徳剛上」は、上九を指していう。上九は剛にして一番上に居る。
[象傳]
上卦の艮は山、其の山の中に天がある。山中には天の元気が十分に満ちている。火気と水気の働きで草木が良く生じ、禽獣も繁殖する。これが大畜である。「前言」は震の象である。また震は行くという事もある。

3/26(土) ䷱ 火風鼎(かふうてい) 三爻初爻

3/26(土) 火風鼎(かふうてい) 三爻初爻


【運勢】
火を長く灯すには、常に新しい風を送り込む必要がある。
偏見や拘りを持たず、相手の意見を尊重し、協力する事が大切である。
一つの事に入れ込み過ぎず、全体を俯瞰してみると良い。
柔軟な思考が成功の秘訣である。


【結果】
䷱◎三⚪︎初
火風鼎(かふうてい) 三爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
鼎は元(おほ)いに吉、亨(とほ)る。
彖に曰く、鼎は象なり。木を以て火に巽れて、亨飪(かうじん)するなり。聖人亨(かう)して以て上帝を亨す。而して大いに亨して以て聖賢を養ふ。巽(そん)にして耳目(じもく)聡明(そうめい)。柔進みて上行す。中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る。
象に曰く、木の上に火有るは鼎(てい)。君子以て位を正し、命を凝(あつ)む。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三。鼎の耳革る。其の行塞る。雉の膏食はれず。方に雨ふらんとして悔を虧く。終に吉。
象に曰く、鼎の耳革るとは、其の義を失ふなり。
[初爻]
初六。鼎趾を顛にす。否を出すに利し。妾を得て其の子を以てす。咎なし。
象に曰く、鼎趾を顛にすとは、未だ悖らざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
古い制度が新しく刷新され、新しい制度が定着するので大吉である。さらに、それが長くなる持続するので亨るという。鼎(かなえ)は食べ物を煮炊きする器である。程子はこの卦自体が鼎の形を象っているとする。初爻が鼎の足で、二爻から四爻までが鼎の腹、五爻が口で、上爻が蓋であるとする。下が木德であり、上が火德であるから、物の煮炊きに良いので、鼎とされるのである。革の卦と対応しており、五爻と二爻が応じており、和順で聡明である。だから、大吉なのである。何かをする時に人の助けがあり、その人に任せられる。君臣の心が通じ合っている。おそらく、亨と烹は音が通じるので古代にはどちらも使われていたのであろう。


《爻辭》
[三爻 優先]
鼎の義爲る。中を虚にして以て物を待つ者なり。而して三は下體の上に處りて、陽を以て陽に居り、實を守りて應ずるなく、納れ受くる所なし。耳とは宜しく空にして以て鉉を待つべくして、反りて其の實塞るを全くす。故に鼎の耳革る、其の行くこと塞ると曰ふ。雉の膏有ると雖も、終に食ふこと能はざるなり。雨とは、陰陽交はり和して亢に偏らざる者なり。陽爻を體すと雖も、陰卦を統屬す。若し全く剛の亢なるを任ぜざれば、務めは和し通ずるに在り。方に雨ふらんとすれば則ち悔虧く。終ふれば則ち吉なり。
[初爻]
凡そ陽は實と爲して、陰は虚と爲す。鼎の物爲るや、下は實にして上は虚たり。而るに今陰は下に在れば、則ち是れ鼎を覆すと爲すなり。鼎覆れば則ち趾倒なり。否は不善の物を謂ふなり。妾を取りて以て室主と爲すは、亦た趾を顛にするの義なり。鼎の初に處り、將に新しきを納るるに在り。顛にするを施して以て穢れを出し、妾を得て以て子を爲す。故に咎なきなり。
趾を倒にして以て否を寫く。故に未だ悖らざるなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
鼎は三足の鍋で、天下の宝器であり、王の象徴である。日本でいうところの三種の神器である。鼎は五味を調和することが出來る。だから肉であれ、魚であれ、釜で煮た後、最後は鼎に移して味を調えたのである。天地宗廟の祭祀に用いる神饌は鼎で調理され、賓客への御馳走も鼎が用いられた。伏羲の時代には、一つの鼎が宝器であった。もとより天地万物は一つのものから生じたわけで、天地人の三才は鼎の三足、それが鼎により調和されるのである。それが黄帝の時代に三つの鼎になった。三才を表すためであるという。堯舜までは三つであった。その後、夏王朝初代の禹王の時代に九つになった。なぜなら、九州(漢󠄃土全体は九つの國に分かれていた)を象徴するためである。周代まで九つであった。政治も料理と同じで、五味を調和して誰にとってもおいしいものでなければならない。だから鼎が王の象徴なのである。王を助けるのは宰相であるが、この宰の字は肉を盛って料理をこしらえるという意味である。そして十翼に鼎を主るのは長子であるとする。つまり、皇太子が皇統を継ぐべきであるというのである。それでこそ元吉なのである。
[彖傳]
初爻が鼎の足、二から四までに
があるが、これは物が入る部分である。五爻が耳、上爻が持ち運びのためのひもにあたる。五爻の耳に通すのである。元来、鼎は門外で煮炊きするもので、宗廟の門外東である。
[象傳]
木の上に火がある。火は物を煮炊きするのに必要であり、強すぎても弱すぎてもいけない。火にも陰陽があり、陽の火は強すぎて、すぐにものが焦げてしまう。逆に弱すぎると火が通らないで生のままである。陰陽が程よい状態ではじめて煮炊きが可能である。牛羊豚で鼎を分ける。是を三鼎という。三鼎は日月星を表す。心は巽順で耳目がしっかりしている。五爻の王は二爻の賢人を用いて大いに栄えるのである。
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]

3/25(金) ䷶ 雷火豐(らいかほう)→䷳ 艮爲山(ごんゐさん)

3/25(金) 雷火豐(らいかほう)→ 艮爲山(ごんゐさん)


【運勢】
物事を前に進めるのに良い時である。
やる気がある時に、やるべき事を済ませてしまうと良い。
人はそれぞれ成長の速度が違う。周りに合わせようとしても身に付かない。
地道に努力する事が大切である。


【結果】

本卦:雷火豐(らいかほう)
之卦:艮爲山(ごんゐさん)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[上爻][四爻][初爻]


【原文】
《本卦:
雷火豐》
豐は亨る。王、之に假る。憂ふる勿れ。日中に宜し。
彖に曰く、豐は大なり。明󠄃以て動く。故に豐なり。王、之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふる勿れ。日中に宜しとは、天下を照らす宜しきなり。
日中するときは則ち昃(かたむ)き、月󠄃盈(み)つるときは、則ち食󠄃す。天地の盈虚、時とともに消息す。而るを況や人に於いてをや。況や鬼神に於いてをや。
象に曰く、雷電皆至るは豐。君子以て獄を折し刑を致す。


《之卦:
艮爲山》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
《本卦:
雷火豐》
〔王弼の解釋〕
豐の義はひろめる、ひらく、微細にするである。隠れ滞っているものを通して天下の主となって、微隱にはうまく行かない。憂えは未だに収まっていない。だから、豐は亨に至るのである。そして憂えが無くなる。豐亨憂えなきの德を用い、天中に居るべきである。そして天下を照らす。


〔東涯の解釋〕
豐は盛大である。知有りて動く。よくうまく行く。王者が大事業を起こす時である。火を日とし、下に在る。その徳の光明、あまねく四方を照らせば、憂うことなく、自然と豊大である。人は明󠄃がなければ物を照らすことできない。動かなければ事業は出来ない。明にしてよく動く。昔は湯王の徳を慕っていった。天が王に勇智を錫(たま)う。


〔根本通明の解釋〕
「豊」は腆(あつ)いと云う義で、物が厚く充ち満ちて居ることである。世の中で云えば、天子が名君で政事が能く行き届いて居り、天下が盛んで富んでいることである。しかしながらどれだけ盛んであっても、衰える所も出て来る。下卦の離は日である。東に在る時は未だ日が低いが、日中になれば遍く東西南北を照らし届かない所は無い。ただし日が昃(かたむ)くといけない。
[彖傳]
天子の明徳は宜しく四海天下を照らすべきで、暗い所が出て来てはいけない。しかしながら日が南中すれば、やがては傾いて往く所がある。月も満ちれば、欠けて来る。天地の道は斯くの如きもので、いつまでも保つことは難しい。人間の主でなって居る所の鬼神と雖も、神明なることもあれば、時には神明ならざることもある。自然の勢いと云うものは、力を以て動かすことは出来ない。
[象傳]
雷と電が一書に来るのが豊の卦である。天下が皆富んで、上下安楽の時である。しかし安楽であると、自然と人の心には奢りが出て来るようになる。其処で刑罰を厳重にしなければいけない。


《之卦:
艮爲山》
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

3/24(木) ䷿ 火水未濟(かすいびせい)→䷮ 澤水困(たくすいこん)

3/24(木) ䷿ 火水未濟(かすいびせい)→ 澤水困(たくすいこん)


【運勢】
出来る事を一つずつ進めて行くのに良い時。
無理をせず、出来ない事は得意な人に任せると良い。
言葉が巧みでも、内実が伴わなければ信頼はされない。
成果が出るまで、寡黙に努力すべきである。


【結果】
䷿
本卦:火水未濟(かすいびせい)
之卦:澤水困(たくすいこん)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻][四爻][二爻]


【原文】
《本卦:
䷿ 火水未濟》
未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)なし。
彖に曰く、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸なし」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。
象に曰く、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。


《之卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


【解釋】
《本卦:
䷿ 火水未濟》
〔王弼の解釋〕
柔が中にあり、剛に違わない。よく剛健を納めるので、うまく行く。小狐が大きな川を渡ることができない。あと少しの所󠄃で実現できない。剛健が難を抜き、その後に可能になる。ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。小狐渡れるだろうが、余力がない。もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。終わりまで続けられない。今も険難の時である。未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。位に当たらないので未濟である。剛柔が応ずれば済む。


〔東涯の解釋〕
未濟は事が成就しないことである。火が上に在り、水が下に在る。上下交わらない。互いに用いないので未濟という。五爻は柔で中にいる。ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。始めはうまく行く。そして、下に止まっていればよいのである。いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。上が陽で下が陰である。互いに妨害しない。


〔根本通明の解釋〕
下は水上は火である。水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。互いが作用しないので、萬物が創造されない。しかし、両者あるべき場所に在る。しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。だから最終的には亨るのである。
坎は狐である。この卦の場合、小さな狐である。それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。忍耐力が無いのである。忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。気力が無いと何事も達成できないのである。
[彖傳]
柔が中を得ている。五爻のことである。これが主爻である。また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。陰は陽に居て、陽は陰に居る。しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。最終的にはうまくいくのである。
[象傳]
火は南に居り、水は北に居る。自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。何事もはっきりと分ける象である。
離はものを明󠄃らかにする。それぞれが自分のいる場所にいることを示している。


《之卦:
澤水困》
〔王弼、東涯の解釋〕
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


〔根本通明の解釋〕
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

3/23(水) ䷠ 天山遯(てんざんとん) 初爻

3/23(水) 天山遯(てんざんとん) 初爻


【運勢】
何事も行き過ぎは良くない。
無理が祟ってしまう前に、気持ちを整理し、上手く行かない事には切を付けると良い。
冷静に挽回の機会を待つべきである。
自らの考えに自信を持ち、正しいと思う道を信じて進む事が大切である。


【結果】
䷠◎
天山遯(てんざんとん) 初爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
遯は亨る。小しく貞に利し。
彖に曰く、遯は亨るとは、遯れて亨るなり。剛位に當りて應ず、時と與に行くなり。小しく貞に利しとは、浸して長ずるなり。遯の時義大なるや。
象に曰く、天の下に山有るは遯なり。君子以て小人を遠ざけ、惡うせずして嚴にす。


《爻辭》
初六。遯尾厲し。往く攸有るに用ふること勿れ。
象に曰く、遯尾の厲は、往かずんば何の災かあらんなり。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
遯の義爲るや、遯るれば乃ち通ずるなり。五を謂ふなり。剛位に當りて應ず。亢るを否ぐに非ざるなり。遯れて亢るを否がず。よく時と與に行ふ者なり。陰道浸して長ぜんと欲す。正道もまた未だ全く滅びず。故に小しく貞に利しなり。天の下に山有り、陰長ずるの象なり。


《爻辭》
遯の義爲るや、内を辟けて外に之く者なり。尾の物爲るや、最も體の後ろに在る者なり。遯の時に處るに、往かざれば何の災ひあらん。而して遯るるに尾と爲るは、禍ひの及ぶ所なり。危ふきに至りて而る後に難を行くを求む。厲きを免るるべけんや。則ち往く攸有るに用ふる勿れとするなり。

3/22(火) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 上爻

3/22(火) 坎爲水(かんゐすい) 上爻


【運勢】
良心に従い物事を進めるのに良い時。
難局を乗り越える事で人は強くなる。冷静に状況を整理し、迅速に役目を果たすと良い。
如何なる理由があっても、問題を先送りにしてはいけない。
今を逃せば、進退極まる結果となる。


【結果】
䷜◎
坎爲水(かんゐすい) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。
彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。
象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


《爻辭》
上六。係くに徽纆を用ひて、叢棘に寘く。三歳得ず、凶。
象に曰く、上六、道を失ふ。凶なること三歳なり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


《爻辭》
險陗の極にして、升るべからざるなり。嚴法にして峻整、犯すべきこと難きなり。宜しく其れ囚執し、過ちを思ふの地に寘く。三歳にして險しき道の夷らかなるなり。險なれば終に乃ち犯さる。故に三歳まで得ず。自ら三歳を修むれば、乃ち以て復るを求むるべし。故に三歳得ず、凶と曰ふなり。
上爻は陰惡の小人である。
小人は縄で縛られ牢屋に入れられて、三年たっても抜け出すことができない。
険難の最後(上爻)まで抗い続け、正しい心を持てないとこうなるのである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
危険なるものの上に危険なるものが重なり、険難の象である。
しかし如何に危険な状況にあっても孚(まこと)を失ってはいけない。
たとえ禍のために僵(たお)れても、その行いの尊ぶべき所は死後も人から称される。
この孚が水から出てくるのは、潮汐は時を間違えず、月は旧暦十五日に必ず満月になる。
この間違いの無い所から孚の象がある。
[彖傳]
習坎は陰を重ねたもので、これは習の字を釋(と)いたものである。
水は常に流れ続け、塞がる所が無ければ、盈ちて溢れることが無い。
水の流れは岩にぶつかったり、流路が屈曲したり困難な所があるが、潮が上り潮が下るという所においては間違いが無い。
このように人は如何なる危険な所にあっても、如何なる苦しみに遭っても、信を失ってはいけない。
信を失わず進んでゆくのが功である。
二爻と五爻の陽爻は剛にして中正であり、中庸の徳を持っている。
山川丘陵の険しく侵し難い所を、王公は外国からの護りに用いる。
また小人が跋扈し君子が難に遭い苦しみを受ける世の中である。
[象傳]
洊(かさ)ねるという字は「再び」「仍る」と解くことができる。
水は如何なる危険な所を流れても常に失わない孚がある。
そこで徳の行いを常にする。
教育を重ね、徳を育てなければいけない。


《爻辭》
是は天下を紊(みだ)し危険を行う大臣の最悪の者である。
大臣と雖も最後は刑戮を加えなければいけない。
縄を以て是を捕縛し、牢へ入れて置く。
獄中に三年置いて教訓するが改心して善人になることはないだろう。
その為に獄から引き出して殺すことも已むを得ない。
[象傳]
上六は重罪を犯した者であるから凶である。
三年の間、悔い改める様に種々な教訓をするが、改心が得られない。
何処までも道を失っている。
三年経っても変わらなければ、是を殺さねばならない。