3/21(月) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 二爻

3/21(月) 地風升(ちふうしょう) 二爻


【運勢】
大事を行うのに良い時である。
一貫した姿勢で取り組み、皆の信頼を得ると良い。
順調な時こそ冷静に、しっかりと土台を固める事が大切である。
思いやりと真心を持って接するなら、形に拘る必要はない。誠意は伝わる。


【結果】
䷭◎
地風升(ちふうしょう) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。
彖に曰く、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。
象に曰く、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。


《爻辭》
九二。孚あれば乃ち禴を用ふるによろし。咎なし。象に曰く、九二の孚とは、喜び有るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
巽順で以て上るべし。陽爻が尊󠄄位に当たらない。厳しい剛の正しさがないので憂えを免れない。大人にあうのに用いる。憂うるなかれ。柔で南に行けば、大きな明󠄃につく。柔は時により上ることを得られる。純柔であれば自分で上ることが出来ない。剛が思いあがれば人は従わない。旣に時であり上った。また巽順である。剛中で応じている。だから大いにとおるのである。巽順で上った。大きな明に至る。志が通ったことを言う。


《爻辭》
五を興し應ずるため、往けば必ず任ぜ見る。夫の剛徳を體して、進みて寵を求めず。邪を閑ぎ誠を存し、志大業に在り。故に乃ち約を神明に納るるを用ふるに利あるなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
升は変じて萃と通う。萃の内卦の三爻の陰が昇って外卦に行った。だから升という。内が巽で外が順。柔巽で人の心に從う。二爻は剛中で五爻と応じている。これは賢人が君を得た象である。その得失を憂うるなかれ。西南は坤
であり、上卦にある。だから前進して南に遠征する。進み上って吉である。君臣が遇うことは古來難󠄄しい。巽順の德を身につけ、柔中の君(五爻)に遇󠄄う。剛中の逸材(二爻)を重用して、賢人を好む時、進んで為すことがある。地中に木が生ずる象であるから、地道は木に敏感である。時に昇進する。もしその養いを得れば、長く続かないものはない。君子はこれを体してその徳に從う。次々に重ねて高明󠄃廣大となる。漸次進む。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
升は升(のぼ)って進むという義がある。昇と同じである。三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。地に陽木と陰木の芽が出ている。それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。元亨の元は震で、亨は兌である。また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。南に征くとは、南面の位に即くことをいう。
[彖傳]
太子は升るべき時を以て天子の位に升る。皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。心配には及ばない。必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。
[象傳]
地の中に巽と震の卦がある。木が次第に上の方に進んで伸びて往く。君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。巽は『説卦伝』に「高し」とある。
《爻辭》

3/20(日) ䷇ 水地比(すゐちひ) 三爻

3/20(日) 水地比(すゐちひ) 三爻


【運勢】
身近な人と親しみ、協力し助け合い、信頼関係を育むのに良い時。
何より大切なのは、相手の意見を尊重し、敬意を払う事である。
思い切りが大切。
幾ら能力に秀でて居ても、人を見下し蔑ろにする者とは、親しむべきでない。


【結果】
䷇◎
水地比(すゐちひ) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。
彖に曰く、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。
象に曰く、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。

《爻辭》
六三。之を比す、人に匪ず。
象に曰く、之に比す人に匪ずとは、また傷しからずや。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
比の時にあり、筮によって咎なきを求めようとしている。元永貞であろうか。人が群れて互いに親しみ、元永貞で無ければ、凶邪の道である。もし主に遇わなければ、永貞といえども咎を免れることが出来ない。永貞で咎なき者は、ただ五爻のみであろう。上下に五爻以外に陽がない。すべて五爻に帰す。親しみ安心する。後れるものは凶である。


《爻辭》
四、外自り比する。二、五を應と爲す。近くして相得ず、遠ければ應ずる則ちなし。與に比する所の者、皆己の親に非ず。故に之に比すること人に匪ずと曰ふ。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
比は相附き比することである。九五が位を得ている。そしてほかの五陰がつき従う。多くのものが一人を助けている。吉である。元永貞の後に郡陰に当たれば咎めがない。まだ安住の地に居ないものがいる。どんな剛強の者でも咎を免れない。柔弱󠄃であれば猶更である。
《爻辭》

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
比は親密なる所である。比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。上卦は水、下卦は地である。水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。五爻目は陽爻で天子にあたる。天子は人民と密着しており離れることが無い。ちょうど水と土の関係のようである。これは吉である。「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。転じて、賢明なる天子の称のようなものである。「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。
[彖傳]
比は吉である。また互いに相輔けることである。「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。
[象傳]
地の上に水があるのが比である。地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。君と民は親密な関係であり、離れようもない。こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。
《爻辭》

3/19(土) ䷟ 雷風恆(らいふうこう)→䷹ 兌爲澤(だゐたく)

3/19(土) 雷風恆(らいふうこう)→ 兌爲澤(だゐたく)


【運勢】
切磋琢磨し、喜びを分かち合うのに良い時。
何事にも意欲を持ち、限りある時間を有意義に使う事が大切である。
百聞は一見にしかず。どんな道も、歩まずに語る事は出来ない。
挑戦する事に価値がある。


【結果】

本卦:雷風恆(らいふうこう)
之卦:兌爲澤(だゐたく)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
雷風恆》
恒は亨る。咎めなし。貞に利ろし。往く攸あるに利ろし。
彖に曰く。恒は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恒。恒は亨る。咎めなし。貞によろしとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往くところあるによろしとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恒とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷風は、恆なり。君子以て立ちて方を易へず。


《之卦:
兌爲澤》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖に曰く、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰く、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。


【解釋】
《本卦:
雷風恆》
〔王弼の解釋〕
恒であり享る。恒の道は通り、咎めなく通る。正しくしていれば良い。常道を修めることが終われば、また始まりがある。行って間違いはない。剛が尊く柔が卑しいの順序が得られる。長く陽で長く陰である。互いに成就する。動いて間違えることなく、よく連れ合い、長く続く。窮まることがない。


〔東涯の解釋〕
恒は常、久しいの意である。卦は変じて咸となる。咸の三爻が上に行き四爻となった。上爻が下って初爻となった。剛が昇り柔が下る。雷も風も共に鼓動する。内外全て応じる。だから久しく続き不易である。咎めなく、正しくしておけば良い。作為や粉飾は恒の道でない。必ず駄目になり、長く続くことはない。正しくなければ恒であっても善でない。恒で善であれば何をしても良い。伊尹が畝の中に居て堯舜の道を楽しんだことは、身を終えたことはまさに恒と言えよう。


〔根本通明の解釋〕
「つね」は常と恒の二つがある。「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが幾万年経っても易わらない所が有る。是は日月の象になり、常の字は日、恒の字は月である。太陽は幾万年経っても大小変化せず、何時も変わらない。しかし月は毎日形が変わって居る。この卦は夫婦の卦である。夫婦は一旦婚姻を結んだ上は何処までも全うすべきものである。しかし人の身の上というものは毎日変わって往く。初爻目は下卦の主であり、四爻目は上卦の主である。また初爻目と四爻目は互いに相応じて居る。其処で正しい所が良い。夫婦力を合わせ心を同じくして事を為せば、一家は段々盛んになり先に進んで往く。
[彖傳]
この卦は元は地天泰で、一番下の陽爻が四爻目に上り、また四爻目の陰爻が一番下に下った。其処で陰陽相交わり雷風恆の卦になった。雷が鳴って動けば、風が従って雷を助ける。雷と風は相離れず、互いに相與しめ、万物を生じさせる。初爻目と四爻目、二爻目と五爻目、三爻目と上爻目、皆剛柔応じて居る。男女の道は天地陰陽の道である。
[象傳]
雷が春に起こって風が是を助ける。雷気の滞る所を風が一帯に吹き散らし、能く気が循環して万物が育つ所がある。君子は陽が外、陰が内という在り方を易えない。


《之卦:
兌爲澤》
〔王弼、東涯の解釋〕
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。この卦は
が二つ重なってできている。は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。


〔根本通明の解釋〕
兌は喜びである。自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。そこで「貞利」なのである。
[彖傳]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。
[象傳]
兌の卦を澤と言う。澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。これが麗澤である。

3/18(金) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 三爻初爻

3/18(金) 艮爲山(ごんゐさん) 三爻初爻


【運勢】
思う所があっても、出来る限り声にはせず、心に留めておくのが良い時。
話せば事態が好転するというのは、安直な発想である。
無理な対話は、相手を傷付け確執を深めてしまう危険もある。
外寛内明を心がけると良い。


【結果】
䷳◎三⚪︎初
艮爲山(ごんゐさん) 三爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三。其の限に艮る。其の夤(いん)を列く。厲うして心を薫ず。
象に曰く、其の限に艮まるとは、危うして心を薫ずるなり。
[初爻]
初六。その趾(あと)に艮る。咎なし。永貞に利し。
象に曰く、その趾に艮るとは、未だ正を失はざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
[三爻 優先]
限は身の中なり。三は兩象の中に當る。故に其の限に艮ると曰ふ。夤中脊の肉に當るなり。止まるを其の身に加へ、體を中して分く。故に其の夤を列きて、危うきを憂ひ心を薫ずるなり。艮の義爲るや、各々其の所に止む。上下相與せざれば、中に至りて則ち列く。列くこと其の夤に加ふれば、危きこと焉より甚しきは莫し。危亡之れ憂ふれば、乃ち其の心を薫灼するなり。止まるを體中に施せば、其の體焉を分く。體兩主に分かるれば、大器喪はる。
[初爻]
止の初に處り、行くに之く所なし。故に其の趾に止まる。乃ち咎なきを得る。至靜にして定む。故に永貞に利し。初爻はどこにも行かず、今の位置に留まることがよい。
初爻は最下位であり、上昇したい気持ちもあるが現状を維持して問題ない。
また長く正しくあろうとすべきである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。


《爻辭》
[三爻 優先]
[初爻]
「趾」は前に向かうもので卦の一番下にあるので趾(あし)にあたる。艮の卦は人の身体に象を取っている。外へ往くために最初に動くのは足である。足を止めて世間へ出ないから咎を受けることがない。貞しい所に居るのが宜しい。
[象傳]
「其趾ヲ艮スル」とある。「艮スル」とは止めるという意味であり、正しさを失ったわけではない。三・四・五爻目の震の卦になれば動く所となるが、初爻・二爻目では動くべきでない。言ってみれば、九三(三爻目)は正しさを失って居るが、初爻はそれと反対であるから正しさを失ってはいないのである。

3/17(木) ䷦ 水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻

3/17(木) 水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻


【運勢】
どの道を選んでも厳しい時。
積極的な行動は裏目に出る。解決に適した時期が来るのを待つべきである。
今は焦らず修身斉家を心掛け、力を蓄えると良い。
為せば成る。最後まで諦めず公の為に尽くす事が大切である。


【結果】
䷦◎三⚪︎二
水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。
彖に曰く、蹇は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。
象に曰く、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三。往けば蹇み來り反る。
象に曰く、往けば蹇み來り反るとは、内之れを喜ぶなり。
[二爻]
六二。王臣蹇蹇す、躬の故に匪ず。
象に曰く、王臣蹇蹇すとは、終に尤なきなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は地であり、東北は山である。難󠄄しい平地を行けば解決は難しい。難󠄄しい山地を行けば道󠄃が窮まる。爻は全部位に当たっている。正しきを履んでいるのが、邦を正す道である。ただし、難に遇うと正を失う。それは良くない。小人には対処できない。難󠄄を除くには德を高めるしかない。


《爻辭》
[三爻 優先]
進めば則ち險に入り、來れば則ち位を得。故に往けば蹇み來り反ると曰ふ。下卦の主爲りて、是れ内の恃む所なり。
[二爻]
難の時に處り、履むに其の位に當る。居に中を失はず、以て五に應ず。五、難の中に在るを以てせず。私の身害を遠ざけ、心を執りて回らず。志、王室を匡す者なり。故に王臣蹇蹇す、躬の故に匪ずと曰ふ。中を履みて義を行ひ、以て其の上を存す。蹇に處るに此を以てすれば、未だ其の尤を見ざるなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
蹇は難である。進むことができない。前に難があり進めず、険難があるので止まる。蹇が変わると解になる。解の二爻が外卦の五爻に行って中を得る。だから、西南がよく、止まりて進まない。東北に利なし。五爻は位に当たって中正。君を得て、國を正すことが出來る。だから賢人に遇う時であるという。世が乱れているので、蹇に遇えば身を滅ぼす。時を待って行動せよ。我が身を反省して、德を修めよ。
《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
蹇は歩行が難󠄄しい状況である。西南がよい、上卦が
であるが、上に在る時は月󠄃である。二三四爻の互卦にもがある。これは三日月を表す。旧暦の三日に西南から現れ、東北になくなる。又西南は坤である。草莽にいてどこまでも学問をして學藝を磨くのかよい。何の能力もなく朝廷に出ようとしてはならない。艮は朝󠄃廷を表す。学問を修めたのなら、賢人に遇って、天下を経営するのに良い。
[彖傳]
の卦は大水であり、行けばおぼれてしまう。は止まるであるから、大水に行かずにとどまった。目の前に大水があるので、進めない。止まるべきところで止まるのが知である。西南に於いて学問を修めから、東北に行けば賢人に遇って、明君を得ることになる。今は無学であるから、進んでも利なし。険難の時代に生まれても大いに活躍できるのである。
[象傳]
君子は険難の時代には、良いことをしようとしてもうまく行かない。そこで、己を正しくして、だんだんと德を修めると二爻から上爻までは正しい位にいるが、初爻だけは陽の位に陰でいる。始めが正しくないといけない。だから君子はまず自分の修身から始めるのである。
《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]

3/16(水) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 四爻

3/16(水) 風地觀(ふうちかん) 四爻


【運勢】
過去から学び、今を見つめ直すのに良い時。
事の是非は見方により変化する。
相手の言葉を表面で捉えてはいけない。真意を推察する事が大切である。
敬いの心を持ち、謙虚に己の役割を果たす事で道は大きく開けるだろう。


【結果】
䷓◎
風地觀(ふうちかん) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。
彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。
象に曰く、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《爻辭》
六四。國の光を觀る。王に賓たるに用ふるに利し。
象に曰く、國の光を觀るとは、尚びて賓とするなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


《爻辭》
觀の時に居り、最も至尊に近し。國の光を觀る者なり。近きに居りて位を得。國儀を明習する者なり。故に「王に賓たるに用ふるに利し」と曰ふなり。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。
《爻辭》

3/15(火) ䷉ 天澤履(てんたくり) 五爻

3/15(火) 天澤履(てんたくり) 五爻


【運勢】‬
才能に溢れ正しい決断を下せる者でも、礼節を軽んじて大成する事は無い。
相手を敬い、考えを尊重し、柔軟な姿勢で共に力を合わせる事が大切である。
過去を省みると良い。
経験は、評価整理して初めて活かす事ができる。


【結果】
䷉◎
天澤履(てんたくり) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。
彖に曰く、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。
象に曰く、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
九五。夬して履む。貞なれども厲し。
象に曰く、夬して履む、貞なれども厲しとは、位正に當ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
位を得て尊に處り、剛を以て正を決す。故に夬して履む、貞なれども厲しと曰ふなり。履道盈つるを惡む。而して五、實なるに處る。是を以て危ふし。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖傳]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象傳]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。
《爻辭》

3/14(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう)→䷩ 風雷益(ふうらいえき)

3/14(月) 雷天大壯(らいてんたいそう)→ 風雷益(ふうらいえき)


【運勢】
些細な事であっても正しさを失えば、勢いは衰え破滅へと向かう。
選り好みせず、皆の気持ちに寄り添う事で、視野は大きく広がるだろう。
正しい事は積極的に倣い、過ちは素直に改めると良い。


【結果】

本卦:雷天大壯(らいてんたいそう)
之卦:風雷益(ふうらいえき)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陰][四爻 老陽]
[三爻 老陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][四爻][三爻][二爻]


【原文】
《本卦:
雷天大壯》
大壯は貞に利し。
彖に曰く、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《之卦:
風雷益》
益(えき)は、往く攸(ところ)有るによろし。大川を涉るに利し。彖に曰く、益は上を損して下を益す。民說󠄁(よろこ)ぶこと疆(かぎ)りなし、上より下に下る。其道󠄃大に光なり。往く攸(ところ)有るに利(よ)しとは、中正(ちうせい)にして慶(けい)有り。大川を涉るに利しとは、木道(もくどう)乃ち行く。益は動いてしかして巽(したが)ふ、日に進むこと疆(かぎ)りなし。天施し地生(しょう)ず。其益方(かた)なし。凡そ益の道󠄃は、時と偕(とも)に行ふ。象に曰く、風雷は益。君子以て善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやまち)有れば則ち改む。


【解釋】
《本卦:
雷天大壯》
〔王弼の解釋〕
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


〔東涯の解釋〕
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


〔根本通明の解釋〕
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。


《之卦:
風雷益》
〔王弼、東涯の解釋〕
益は増すこと、増やすことである。
否の上卦の四爻が陽から陰となり、下爻の初爻が陰から陽になっているので、上が損をして下が得をした象である。上の者が損をして、下の者󠄃を助けることはとても良いことで、また二爻が陰、五爻が陽で、中正であるので、大事業をするのに好機である。上の者が動けば(震)、下の者が従う(巽)象である。


〔根本通明の解釋〕
この卦は、前の卦の山沢損と反対である。山沢損は地天泰より来た。そして地天泰は天地否から来た。天地否は、上卦は乾、下卦は坤である。坤は空しさの象で、人民の困窮する卦である。そこで九四の陽爻が下りて、初六の陰爻が上る。これで風雷益の卦になる。これが下を益するという義である。上卦の震は、農業の卦である。人民を富ますのは農業であり、これは何処までも推奨される。それで「利有攸往」である。こうして人民が富んでいれば、如何なる大難が起こっても踏み越えて往く所となる。よって「利渉大川」である。
[彖傳]
「損上益下」とは、天地否の九四の陽爻を一つ損(へ)らして、代わりに初六の陰爻を益すことである。そこで民が説(よろこ)ぶ。陽が段々進んで往けば兌の卦になる。農事が盛んになればなるほど、人民は利益を得る。天の気が地の底に下って万物が生じる。出で来たものは大きくなって花が咲き草木に光を生じる。よって「其道光大」となる。「中正にして慶(よろこ)び有り」とは、中正(二爻が陰、五爻が陽で、爻が定位通りであること)の五爻目の天子に、同じく中正の二爻目が応じることである。いわば名君と忠臣が相助けて人民を生育する所に、慶びが出で来る。「木道乃行」とは、震と巽に対応する五行が双方とも木であり、万物が盛んになることである。
[象傳]
上卦が巽=風で、下卦は震=雷である。雷が起こると、風はこれを助ける。また巽は外卦であり、修飾して能(よ)く齊(ととの)えるという所がある。つまり外の人が行いを修めて行く所を見れば、周囲の者も自ずから其の方へ従って遷って往く。そして過ちがあれば速やかに改める。震には過ぎるという象があり、もし往き過ぎれば、物を害してしまう。雷山小過は霆(激しい雷)である。雷は下から上に昇るが、霆は上から打ってくる。これは往き過ぎである。善い事も過ぎると害を為すから、これを改めなければいけない。

3/13(日) ䷴ 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し

3/13(日) 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し


【運勢】
細かく目標を立て、堅実に取り組むのに良い時である。
基礎を疎かにしてはいけない。
過程を省けば、何処かで行き詰まり、かえって苦労する事になるだろう。
功を焦らず、地道に正しさを守り続ける事が大切である。


【結果】

風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
漸は女歸いで吉。貞によろし。
彖に曰く、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。
象に曰く、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
漸は漸進の卦である。止まりて巽。だから適度に進む。巽に留まるから進󠄃む。だから女嫁いで吉なのである。進んで正しいものを用いる。進んで位を得るとは五爻を指す。この卦は進むことを主る。漸進して位を得る。


〔東涯の解釋〕
漸は次順番通りに進むことである。巽は長女、進んで上に在る。進めることをゆつくりしなければならないのは、女が嫁ぐ時である。五爻が位を得て、剛が中にある。家を正し、功があるだろう。君子が仕えるときは、進󠄃むに礼を以てし、退󠄃くに義を以てする。五爻剛中の徳がある。


〔根本通明の解釋〕
漸は、小さな木が次第に成長して大木になるように、順序を立てて進んで往く意である。この卦は鴻雁(こうがん)の象を取っている。雁は水鳥で、陰鳥であるから、陽に能く従う。そのため婚礼の時には、雁を以て礼を行う。即ち、女が夫に従う義を取ったのである。また臣たるものは、必ず君に従う。国に生まれた者は、皆君に仕えなければならないと云う義も示している。
[彖傳]
女の嫁入りは、速やかにするものではない。六礼といって、六つの段に分かれており、順次進んで往って婚礼が成る。また天子は天下を治めるのに、先ず我が身を正しくする。正しい所を以て、国家を正しくすることが出来る。
[象傳]
山の上に木がある。君子はこの義を用いて、賢徳ある人物を高い所に据え、賢人の徳を以て社会風俗の悪い所を能く直して行く。

3/12(土) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻

3/12(土) 巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻


【運勢】
悩んでも答えは出ない。信頼できる人の意見を仰ぎ、好機を活かすと良い。
感謝の気持ちを忘れてはならない。厳しい指摘も素直に受け止め、聞き従う事が大切である。
相手の意見を尊重する人は、相手からも尊重される。


【結果】
䷸◎四⚪︎二
巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
巽は小(すこ)し亨(とほ)る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
彖に曰く、重巽以て命を申(かさ)ね、剛、中正に巽して志行はる。柔皆剛に順ふ。是を以て小し亨る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
象に曰く、隨風は巽。君子以て命を申(かさ)ね、事を行ふ。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。悔亡ぶ。田して三品を獲たり。
象に曰く、田して三品を獲とは、功有るなり。
[二爻]
九二。巽して牀下に在り。史巫を用ふること紛若たり。吉にして咎なし。
象に曰く、紛若の吉は中を得るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
巽の德であるから、少しうまく行く。上下ともに巽。令に違わず命が行われる。だから命が重なり、事が行われる時、上下ともに巽なのである。巽はよく仕えて行くことである。拒むものはない。大人は巽を用いて道がいよいよ盛んになる。剛が巽を用いる。中正に居るのは譲られたのである。明󠄃は間違えることがない。だから少しうまく行くのである。


《爻辭》
[四爻 優先]
剛に乘りて悔ゆるなり。然るに位を得て五を承く。卑にして奉ずる所を得。柔を以て剛を御すると雖も、尊に依りて正を履む。斯を以て命を行へば、必ず能く強暴なるを獲、不仁なる者を遠ざくるなり。獲て益有るは、三品より善きはなし。故に悔亡ぶ、田して三品を獲と曰ふ。一に曰く乾豆、二に曰く賓客、三に曰く君の庖に充つ。
[二爻]
巽の中心にいて、すでに下位にいる。
陽なのに陰位にいる。
譲るにしても甚だしい。
だから床の下に居るというのである。
下にとどまり続け正しさを失えば、咎や過ちがおこる。
よく中に居て神に対する慎みを尽くして、威勢を用いないでいるならば、吉に至り過ちもなくなる。
だから神明に仕えて居れば、混乱の中、吉を得て問題ないというのである。
〔東涯の解釋〕
《卦辭》
巽は順である。一陰が二陽の下に居て陽に順っている。また、入るという意味もある。風、木、命令を意味する。五爻は剛で中正である。大人の象である。命令に重複がある。初爻と四爻は陰であり、陽に順う。大きなことは出来ないにしても、小さなことは出来る。命令は、剛が過ぎれば厳しすぎて民が従えず、乱れてしまう。柔が過ぎれば緩くなり、秩序が乱れてしまう。剛中の君に柔が順う状況なら、大きな成功は見れなくても、官職について君に仕えるのに支障はない。


《爻辭》
[四爻 優先]
[二爻]
史巫は神に仕えるものであり、紛若は多いことである。
下に居て位を得ず、上に應ずるものなし。
下位に下がって上たるを知らないものである。
巽に過ぎるのである。
だから床下に居るという。
しかし、剛中の徳は失われない。
叮嚀に上と心を通わせようと求めることが、丁度神職が神明に仕えるようであれば、吉であり、問題ない。
卑巽に下に居れば、その志は徳の実践を伴わなくなるが、剛中の徳で誠意を持っていれば、人を動かすに足る。
憂いなし。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
巽は四爻目の陰爻と初爻目の陰爻が卦の主である。
陰爻は、上に重なる陽爻に順っていけば能く亨り、進んで事を行う所に宜しきを得る。
この卦はもとは山風蠱から変わったものである。
天子の晩年に政治が乱れ、崩御後に太子が即位した。
そして朝廷に入り込んだ小人を除きさり、天下を斉(ととの)えた所の象である。
古代、堯が隠居して舜に政を斉えさせたのは、まさに此の卦の義である。
[彖傳]
なし
[象傳]
巽は重ねて命令を下し、能く下へ諭す。
是までの政の弊害を悉く除いた後で命令を下す。
剛は五爻目で、中正の所に坐っており、思う通りに志が行われて往く。
柔は初爻目で二・三爻目に順う。
四爻目も五・上爻目に順う。
そこで小人は大人を見て順い事を行うのが宜しい。


《爻辭》
[四爻 優先]
[二爻]
巽(
)は牀の象がある。
二爻目は上卦の巽の下にあり牀下となる。
九二は陽で貴い身分だが傲らず、初六の陰爻にも交わる。
史は、祭りの文を書いて神に告げる官である。
巫は、舞を巧みにして神に能く事えるものである。
史も巫も孚を以て神の感じる様に能く事える。
九二は、史巫が神に事える如く、孚を以て初六へ交わる。
[象傳]
言葉の綾を盡しても、孚が乏しく外面を飾るだけではいけない。
そこで中を得ることを尚しとする。
二爻目は中を得ているから吉である。