3/11(金) ䷟ 雷風恆(らいふうこう) 初爻

3/11(金) 雷風恆(らいふうこう) 初爻


【運勢】
事なかれ主義では、大きな情勢の変化に対応出来ない。
目の前の問題を先延ばしにせず、堅実に正しさを守る事が大切である。
信頼関係は積み重ねから生まれる。
新たな関係を築くよりも、今ある関係を大切にすると良い。


【結果】
䷟◎
雷風恆(らいふうこう) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
恒は亨る。咎めなし。貞に利ろし。往く攸あるに利ろし。
彖に曰く。恒は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恒。恒は亨る。咎めなし。貞によろしとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往くところあるによろしとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恒とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷風は、恆なり。君子以て立ちて方を易へず。


《爻辭》
初六。浚を恆うす、貞凶。利しき攸なし。
象に曰く、浚を恆うするの凶は、始に求むること深ければなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
恒であり享る。
恒の道は通り、咎めなく通る。
正しくしていれば良い。
常道を修めることが終われば、また始まりがある。
行って間違いはない。
剛が尊く柔が卑しいの順序が得られる。
長く陽で長く陰である。
互いに成就する。
動いて間違えることなく、よく連れ合い、長く続く。
窮まることがない。


《爻辭》
恆の初に處り、最も卦の底に處る。始めより深きを求むる者なり。深きを求めて底を窮め、物をして餘蘊なからしむ。漸く以て此に至れば、物すら猶ほ堪へず、而して況んや始めより深きを求むる者をや。此を以て恆と爲せば、正なるを凶にし德を害ふ。絶へて利あるなきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
恒は常、久しいの意である。
卦は変じて咸となる。
咸の三爻が上に行き四爻となった。
上爻が下って初爻となった。
剛が昇り柔が下る。
雷も風も共に鼓動する。
内外全て応じる。
だから久しく続き不易である。
咎めなく、正しくしておけば良い。
作為や粉飾は恒の道でない。
必ず駄目になり、長く続くことはない。
正しくなければ恒であっても善でない。
恒で善であれば何をしても良い。
伊尹が畝の中に居て堯舜の道を楽しんだことは、身を終えたことはまさに恒と言えよう。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「つね」は常と恒の二つがある。
「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。
しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが、幾万年経っても易わらない所が有る。
是は日月の象になり、常の字は日、恒の字は月である。
太陽は幾万年経っても大小変化せず、何時も変わらない。
しかし月は毎日形が変わって居る。
この卦は夫婦の卦である。
夫婦は一旦婚姻を結んだ上は何処までも全うすべきものである。
しかし人の身の上というものは毎日変わって往く。
初爻目は下卦の主であり、四爻目は上卦の主である。
また初爻目と四爻目は互いに相応じて居る。
其処で正しい所が良い。
夫婦力を合わせ心を同じくして事を為せば、一家は段々盛んになり先に進んで往く。
[彖傳]
この卦は元は地天泰で、一番下の陽爻が四爻目に上り、また四爻目の陰爻が一番下に下った。
其処で陰陽相交わり雷風恆の卦になった。
雷が鳴って動けば、風が従って雷を助ける。
雷と風は相離れず、互いに相與しめ、万物を生じさせる。
初爻目と四爻目、二爻目と五爻目、三爻目と上爻目、皆剛柔応じて居る。
男女の道は天地陰陽の道である。
[象傳]
雷が春に起こって風が是を助ける。
雷気の滞る所を風が一帯に吹き散らし、能く気が循環して万物が育つ所がある。
君子は陽が外、陰が内という在り方を易えない。
《爻辭》

3/10(木) ䷲ 震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻

3/10(木) 震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻


【運勢】
勢いだけではどうにもならない時。
冷静に状況を分析して、問題点を見つけると良い。
望んでいた成果が得られなくても、継続する事に意味がある。
最後までやり抜く覚悟が無ければ、周りを奮い立たせる事は出来ない。


【結果】
䷲◎四⚪︎三
震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰く、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰く、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。震して遂に泥む。
象に曰く、震して遂に泥むとは、未だ光ならざるなり。
[三爻]
六三。震蘇蘇たり。震して行へば眚なし。
象に曰く、震蘇蘇とは、位當らざればなり。

【解釋
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。


《爻辭》
[四爻 優先]
四陰の中に處り、恐懼するの時に居る。衆陰の主と爲りて、宜しく其の身を勇め、以て衆を安んずるべし。若し其れ震へば、遂に難に困しむ。夫の正しからざるを履み、恐れを除き、物をして己を安んぜ使むこと能はず。德未だ光ならざるなり。
[三爻]
其の位に當らず、位處る所に非ず。故に懼れて蘇蘇なり。剛に乘るの逆なし。故に以て懼れて行へば眚なかるべきなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦は火風鼎である。
鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。
皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。
そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。
こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。
『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。
この震は皇太子の象である。
皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。
震は剛(つよ)いから亨る。
また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。
卦全体の主になるのは初爻目である。
虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。
激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。
『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。
大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。
天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。
艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。
「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。
「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。
匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。
鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。
この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。
このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。
身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。
「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。
雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。
乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。
つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。
二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。
君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]

3/9(水) ䷓ 風地觀(ふうちかん)→䷮ 澤水困(たくすいこん)

3/9(水) 風地觀(ふうちかん)→ 澤水困(たくすいこん)


【運勢】
広い視野を持ち、謙虚に自らの役目を果たす事が大切である。
誠実な対応を心掛けると良い。
いくら言葉が巧みでも、内実が伴わなければ信頼は得られない。
成果が出るまでは、寡黙に努力すべきである。


【結果】

本卦:風地觀(ふうちかん)
之卦:澤水困(たくすいこん)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻][四爻][二爻]


【原文】
《本卦:
風地觀》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。                  象に曰く、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《之卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


【解釋】
《本卦:
風地觀》
〔王弼、東涯の解釋〕
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


〔根本通明の解釋〕
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。


《之卦:
澤水困》
〔王弼、東涯の解釋〕
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


〔根本通明の解釋〕
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

3/8(火) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻

3/8(火) 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻


【運勢】
様々な困難があり悩みは絶えないが、悲観する事は無い。
既に峠は越えている。
不安な気持ちをなるべく抑えて、冷静に結果を待つ事が大切である。
目標に向けて歩みを続ければ、時勢は良くなり、運気も回復するだろう。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。
彖に曰く、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。
象に曰く、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
上六。馬に乘ること班如たり。泣血漣如たり。
象に曰く、泣血漣如たり。何ぞ長かるべきなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
上爻は険難の極みであり、煩わしいことが多い。助けてくれる人もなく、泣くほかない。憐れであるが、どうしようもない。その位に留まることも、長くはない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖傳]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。この人が進んで遂に侯になる所の卦である。雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象傳]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。この雲雷の象によって世の中を治める。


《爻辭》
上六は尊い位を失ってしまった所で、遁げようとするが往く所が無い。そこで復た馬を回えして唯立って泣いているより他ない。涙が尽きて血を流して泣いている。
[象傳]
ここに至って婦女子の如く唯泣いて居た所で仕方が無い。ここで一つ考えをもって気力を振るって為す所が無ければいけない。其処で何ぞ長うすべきという。

3/7(月) ䷠ 天山遯(てんざんとん) 上爻

3/7(月) 天山遯(てんざんとん) 上爻


【運勢】
上手く行かない事には執着せず、素早く手を引く事が大切である。
心配事を後回しにすれば、心の余裕は失われてしまう。
周りの意見に惑わされてはいけない。
自らの考えに自信を持ち、正しいと思う道を信じて進むと良い。


【結果】
䷠◎
天山遯(てんざんとん) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
遯は亨る。小しく貞に利し。
彖に曰く、遯は亨るとは、遯れて亨るなり。剛位に當りて應ず、時と與に行くなり。小しく貞に利しとは、浸して長ずるなり。遯の時義大なるや。
象に曰く、天の下に山有るは遯なり。君子以て小人を遠ざけ、惡うせずして嚴にす。


《爻辭》
上九。肥遯す、利しからざることなし。
象に曰く、肥遯す、利あらざるなしとは、疑ふ所なきなり。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
遯の義爲るや、遯るれば乃ち通ずるなり。五を謂ふなり。剛位に當りて應ず。亢るを否ぐに非ざるなり。遯れて亢るを否がず。よく時と與に行ふ者なり。陰道浸して長ぜんと欲す。正道もまた未だ全く滅びず。故に小しく貞に利しなり。天の下に山有り、陰長ずるの象なり。


《爻辭》
最も外の極に處り、内に應ずるなし。超然として志を絶ち、心に疑ひ顧みるなし。憂患累ぬること能はず、矰繳及ぶこと能はず。是を以て肥遯す、利あらざるなしなり。

3/6(日) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し

3/6(日) 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し


【運勢】
堅実に努力を続ける事が大切である。
人はそれぞれ成長の速度が違う。周りに合わせようとしても身に付かない。
心にゆとりのない者は、自らを無意識に縛っている。思う様にいかない時も、冷静さを保つ事が大切である。


【結果】

艮爲山(ごんいさん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

3/5(土) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 変爻無し

3/5(土) 山水蒙(さんすいもう) 変爻無し


【運勢】
志は高いが、先を見通せていない。
初めのうちは上手く行っても、理由が理解出来なければ、その経験は慢心に繋がる。良くない。
急がば回れ。
常に考えて努力する事が大切である。
先人に倣い、学びを深めると良い。


【結果】

山水蒙(さんすいもう) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。
彖に曰く、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。
象に曰く、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。山の下に泉があるが、山のせいで流れない。どんな子供でも継続して学べば大成できる。我とは二爻、童蒙は五爻である。五爻が二爻に学びを求めている。二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。


〔根本通明の解釋〕
蒙は未だ智慧が無い状態のため、師を建てるという義である。善良なるものが外から覆われており、それを取り除くには学問をもってするしかない。また教えるという象もある。天子が皇太子を教えるのが主となっている。能く教えて道徳を十分に発達させる必要がある。しかし、皇太子の方から教えを受けたいと求めなければいけないのであり、我が方から求めるのではない。先生は二爻で、童蒙は五爻である。筮は神に誠を以て物を伺い問うのであり、二度三度と占えば、初めの心が穢れてしまうため、正しい所は告げられない。
[彖傳]
山の下に河があり、進んで往けず止まる。また学問が無ければ世の中に出ることは出来ない。しかし元来亨るだけのものがあるので、覆っている包みを取り除けば良い。童蒙の方に志があり求める所があれば、それに応じて教える。もし志が穢れていれば告げない。心が潔く誠が無ければいけない。
[象傳]
山は内側に水を蓄えている。堀り鑿(うが)てば中から水が湧いてくる。人の善性は、学問を以て外側の覆いを取ることで発達してくる。これが蒙の卦である。二・三・四爻は震で、善き行いであり、遂げるという義がある。

3/4(金) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 三爻

3/4(金) 雷水解(らいすいかい) 三爻


【運勢】
先ずは身嗜みを整えて、自らの発言に説得力を持たせる事が大切である。
冷静に現状を把握すべきである。
周りから分不相応だと思われれば、正道を守っても、理解は得られない。
妬み嫉みにも繋がり、一つも良い事は無い。


【結果】
䷧◎
雷水解(らいすいかい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。
彖に曰く、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。
象に曰く、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。

《爻辭》
六三。負ひて且つ乘る。寇の至るを致す。貞なれども吝。
象に曰く、負ひて且つ乘るとは、亦た醜かるべきなり。我自り戎を致す。又、誰をか咎めんなり


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


《爻辭》
處るに其の位に非ず、履むに其の正に非ず。以て四に附き、夫の柔邪なるを用て、以て自ら媚ぶ者なり。二に乘りて四を負ひ、以て其の身を容る。寇の來るなり、自己の致す所なり。幸ひにして免ると雖も、正の賤しむ所なり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。

《爻辭》
負は小人の任。乗は君子の事。此爻は解在りて、陰柔は不中。下の上に居り、上九を興し應ず。此の小人、時を得て位を致す。其の任、勝らぬ者なり。衆心服せず。必ず寇する敵を招く。勉め正を爲すと雖も。亦た吝しむべきなり。故に、負ひて且つ乘ると云ふ。寇の至るを致す。貞すれば吝。蓋を解く者は君子なり。解き見る者は小人なり。解き見る者にして、解く者の位は處る。宜しく其の寇する兵を來侵すべし。君の側に清く欲すなり。小忠なれば細謹す、何ぞ貴き足かな。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。西南は坤の卦で、地の象である。地に五穀を植立てて、以て人民を養う。天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。漸次人民を養えば宜しい。若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖傳]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象傳]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。
《爻辭》

3/3(木) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 変爻無し

3/3(木) 火山旅(かざんりょ) 変爻無し


【運勢】
意志の弱い者が大成する事は無い。
楽な道に逃げず、苦難の中にあっても努力を続ける事が大切である。
己を過信し、人間関係を蔑ろにしてはいけない。
孤立を良しとせず、謙虚に人と接し信頼関係を築く事が大切である。


【結果】

火山旅(かざんりょ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。
彖に曰く、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。
象に曰く、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。
だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。
物がその主を失うと散る。
柔が剛に乘る。
五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。
陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。
小し亨る。
旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。


〔東涯の解釋〕
旅は旅行である。
五爻は陰で、順の徳がある。
安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。
少しはうまく行くのである。
旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。
旅の時には、助けてくれる人も必要である。
信用できない人に頼ってはならない。


〔根本通明の解釋〕
この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。
一つ前に
雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。
贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。
その後、旅に出る。
旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。
謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。
[彖傳]
この卦の五爻の陰爻は、元々は
雷火豐の時には、内卦にいた。
それが外に出たので、旅をするというのである。
旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。
そこで、上爻と四爻に依存している。
このようにただ縮こまっていてはいけない。
旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。
怪しい人間は避けた方が良い。
[象傳]
山は動かず、火は行き過ぎる。
この二つが同居しているのが旅である。
君子は刑罰を慎まねばならない。
なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。
それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。
君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。
慎重に刑罰を行うべきである。

3/2(水) ䷔ 火雷噬嗑(からいぜいごう) 四爻

3/2(水) 火雷噬嗑(からいぜいごう) 四爻


【運勢】
問題から目を背けてはいけない。
正道を守り障害を取り除くと良い。
傲慢さが極まると、過ちを指摘されても、素直に改める事が出来なくなってしまう。
その様な者に対しては、時に非情な決断を下さなければならない。


‪【結果】
䷔◎
火雷噬嗑(からいぜいごう) 四爻

《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
噬嗑は亨(とほ)る。獄を用うるによろし。
彖に曰く、頤(おとがひ)の中に物有るを噬嗑といふ。噬(か)み嗑(あは)して亨る。剛柔分かれ、動いて明󠄃なり。雷電合して章なり。柔、中を得て、上行す。位に當たらざると雖も、獄を用うるに利しなり。
象に曰く、雷電は噬嗑。先王以て罰を明󠄃らかにし、法を勅ふ。


《爻辭》
九四。乾胏を噬み、金矢を得たり。艱貞に利し、吉。
象に曰く、艱貞に利し、吉とは、未だ光ならざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
噬はかむこと。
嗑は合わせることである。
物は親しくなかったら、間を開けるものである。
物が整わず、過ちがある。
噛み砕いて合わせると通ずる。
噛まなければ通じない。
刑に服して改心するのは獄の利である。
剛柔が分かれて動けば乱れず、明らかである。
雷電が合わされば明るい。
獄に用いるべきである。
五爻が主爻である。
五爻は位に当たっていないが、獄に用いるのに良い。


《爻辭》
陽爻を體すと雖も、陰の主爲り。中を獲ざるを履みて、其の位に非ざるに居る。斯を以て物を噬めば、物も亦た服さず。故に乾胏を噬むと曰ふなり。金は剛なり。矢は直なり。乾胏を噬み、剛直を得る。以て艱貞に利し、吉なるべし。未だ以て通理の道を盡くすに足らざるなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
噬嗑は嚙合わせることである。
物が口の中に入っている。
これを嚙合わせるのである。
上下に二陽があるが、これが口である。
四爻の陽爻が口の中のものである。
内卦は動いて外卦は明󠄃るい。
この卦は賁から来ており、賁の二爻が上に昇って五爻に来ている。
位に当たっていないが、君位に居て柔順の德と勢いを失っていない。
刑罰を執行するによい。
剛と柔が卦の中を得ており、偏りがない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
噬は噛む、嗑は合わせるである。
口の中に物が一つある。
頤は上に動いて物をかむ。
上のあごは動かないものである。
飲食をする卦である。
堅いものが四爻に一つある。
骨である。
また、上と下とを通わせない悪人である。
悪人を取り締まるのが刑獄である。
刑獄を用いるによいというのは、そういうことである。
雷、火は造物者󠄃が天地の間の惡を砕くためにある。
[彖傳]
上は火で下は雷。
火は陰で雷は陽である。
雷は動く。
すると火が起こり、明るくなって、悪人がよく見えるようになる。
五爻は陰爻であり、位に当たっていないが、刑獄にはよい。
なぜなら、陽であったなら強すぎて苛烈な刑罰を下す。
それよりは陰の方が良い。
[象傳]
朱子学者は雷電を電雷にした方が良いという。
上が火で、これが電、下が雷というのである。
しかし其れは良くない。
文字に拘泥して道理に背いている。
この電は雷に発したものであるから、雷電で良いのである。
三四五爻に
がある。
是を法律とする。
世の中に悪人は絶えないものであるから、刑獄の必要性はなくならないのである。
《爻辭》