8/16(火) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 二爻初爻

8/16(火) 坎爲水(かんゐすい) 二爻初爻


【運勢】
困難が絶えず大きく道を見失う時。
どんなに辛い状況でも芯を曲げず、自分を信じ行動する事が大切である。
軽はずみな言動は避けると良い。
自らの役目を果たす事が大切である。
正しさを守り努力すれば小事は叶う。


【結果】
䷜◎二⚪︎初
坎爲水(かんゐすい) 二爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[二爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。
彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。
象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


《爻辭》
[二爻 優先]
九二。坎に險有り。求めて小しく得。
象に曰く、求めて小しく得とは、未だ中を出でざるなり。
[初爻]
初六。習坎。坎窞に入る。凶。
象に曰く、習坎、坎に入るとは。道を失ひて凶なるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


《爻辭》
[二爻 優先]
[王弼]
履むに其の位を失ふ。故に坎と曰ふ。上に應じ援くるなし。故に險有りと曰ふ。坎にして險有り。未だ險の中を出づること能はざるなり。中に處りて初、三と相得。故に以て求めて小しく得べきなり。初、三未だ以て大いに援くると爲すに足らず。故に求めて小しく得と曰ふ。
[東涯]
この爻は坎にあり坎に陥っていて、二陰の中にいる。故に險有りという。険の地のところに至る。未だ困難から抜け出すことできない。しかし其の才は剛中である。苟も求める所があるのならば小しく得ることができる。正に険難の地にいて、剛中の才があると雖も未だ平穏にならない。則ち未だ功有らざるなり。唯君子は戒慎の心あれば、時が至らないことはない。故にその事を全うする。
[初爻]
習坎は、習ねて險難の事を爲すなり。最も坎の底に處り、坎窞に入る者なり。重險に處りて復た坎の底に入る。其の道を失ひて凶なり。險を行きて自ら濟ふこと能はず、坎を習ねて坎窞に入る。道を失ひて窮まりて坎の底に在り、上は應じ援けて以て自ら濟ふべきことなし。是を以て凶なり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
危険なるものの上に危険なるものが重なり、険難の象である。しかし如何に危険な状況にあっても孚(まこと)を失ってはいけない。たとえ禍のために僵(たお)れても、その行いの尊ぶべき所は死後も人から称される。この孚が水から出てくるのは、潮汐は時を間違えず、月は旧暦十五日に必ず満月になる。この間違いの無い所から孚の象がある。
[彖傳]
習坎は陰を重ねたもので、これは習の字を釋(と)いたものである。水は常に流れ続け、塞がる所が無ければ、盈ちて溢れることが無い。水の流れは岩にぶつかったり、流路が屈曲したり困難な所があるが、潮が上り潮が下るという所においては間違いが無い。このように人は如何なる危険な所にあっても、如何なる苦しみに遭っても、信を失ってはいけない。信を失わず進んでゆくのが功である。二爻と五爻の陽爻は剛にして中正であり、中庸の徳を持っている。山川丘陵の険しく侵し難い所を、王公は外国からの護りに用いる。また小人が跋扈し君子が難に遭い苦しみを受ける世の中である。
[象傳]
洊(かさ)ねるという字は「再び」「仍る」と解くことができる。水は如何なる危険な所を流れても常に失わない孚がある。そこで徳の行いを常にする。教育を重ね、徳を育てなければいけない。
《爻辭》
[二爻 優先][初爻]

8/15(月) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 三爻二爻

8/15(月) 澤水困(たくすいこん) 三爻二爻


【運勢】
不満を感じやすい時。
相手に多くを求めると辛い思いをする。
自分で自分を認める事が大切である。
何事も、来る者拒まず去る者追わずの精神で取り組むと良い。
困難は長く続かない。平常心を保つ事が大切である。


【結果】
䷮◎三⚪︎二
澤水困(たくすいこん) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。石に困(くる)しみ、蒺藜(しつれい)に拠る。其の宮に入り、其の妻を見ず。凶。
象に曰く、蒺藜に拠るとは、剛に乗るなり。其の宮に入り、其の妻を見ずとは、不祥なるなり。
[二爻]
九二。酒食(しゆしよく)に困む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利し。征けば凶。咎なし。
象に曰く、酒食に困むとは、中、慶有るなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《爻辭》
[三爻 優先]
石の物爲るや、堅にして納れざる者なり。四を謂ふなり。三は陰を以て陽に居り、志武き者なり。四は自ら初を納れ、己を受けざる者なり。二は據る所に非ずして、剛の乘る所に非ず。上には比しみて石に困しみ、下には蒺藜に據る。應ずるなくして入れば、焉んぞ配耦を得ん。困に在りて斯に處れば、凶其れ宜なるなり。
[二爻]
二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。
水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。遠方から人が来る。自分から行こうとしてはならない。留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]
九二は賢人である。初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。食貧は『論語』にも『詩経』にもある。「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。三顧の礼と同じである。この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。「征くは凶」である。しかし咎が有るわけではない。道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。つまり夏の祀りである。夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。
[象傳]
酒食に困する中にして喜びがある。やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。