【運勢】
とても順調に物事が進む。
周りの協力に対して、感謝や喜びの気持ちを、言葉にして伝えると良い。
順調に進み過ぎるが故に、妬み嫉みを持つ者もいる。
危険ではあるが、ただ排除するのでは無く、真心で接し、改心を求めるとなお良い。
【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖(たん)に曰はく、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて
以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰はく、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。
《爻辭》
九五。剝にまことあれば、あやふきこと有り。象に曰はく、「剝にまこと有り」とは、位正に當たるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。
この卦は☱が二つ重なってできている。
☱は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。
内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。
喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。
《爻辞》
一つ上の上爻は徳のない人物で、外面は温和で親しみやすいが、心の中では人を害そうとしている。
そのような人に騙されてはいけない。
危険である。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
兌は喜びである。
自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。
立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。
彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。
上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。
互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。
『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。
中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。
あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。
そこで「貞利」なのである。
[彖伝]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。
「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。
「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。
それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。
この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。
「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。
また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。
己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。
上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。
[象伝]
兌の卦を澤と言う。
澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。
『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。
これが麗澤である。
《爻辞》
兌は四季で言えば秋(七・八・九月)にあたる。
すると初爻目は七月、二爻目が八月、三爻目が九月である。
九月は秋の末でちょうど山地剥の卦になる。
剥は君子を害する小人である。
九五の天子は名君で小人を撃退することは容易いが、それよりは徳を以て小人を感化するのである。
しかし危険な所もあるので「有厲」という。
[象伝]
天子は大徳を有しており、小人を殺すのは好む所ではない。
徳を以てこれを感化することに眼を着けるのである。