6/15 (月) ䷹ 兌爲澤 五爻

【運勢】

とても順調に物事が進む。

周りの協力に対して、感謝や喜びの気持ちを、言葉にして伝えると良い。

順調に進み過ぎるが故に、妬み嫉みを持つ者もいる。

危険ではあるが、ただ排除するのでは無く、真心で接し、改心を求めるとなお良い。

【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖(たん)に曰はく、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて
以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰はく、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。

《爻辭》
九五。剝にまことあれば、あやふきこと有り。象に曰はく、「剝にまこと有り」とは、位正に當たるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。

この卦は☱が二つ重なってできている。

☱は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。

内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。

喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。

《爻辞》
一つ上の上爻は徳のない人物で、外面は温和で親しみやすいが、心の中では人を害そうとしている。

そのような人に騙されてはいけない。

危険である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
兌は喜びである。

自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。

立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。

彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。

上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。

互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。

『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。

中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。

あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。

そこで「貞利」なのである。

[彖伝]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。

「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。

「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。

それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。

この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。

「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。

また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。

己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。

上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。

[象伝]
兌の卦を澤と言う。

澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。

『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。

これが麗澤である。

《爻辞》
兌は四季で言えば秋(七・八・九月)にあたる。

すると初爻目は七月、二爻目が八月、三爻目が九月である。

九月は秋の末でちょうど山地剥の卦になる。

剥は君子を害する小人である。

九五の天子は名君で小人を撃退することは容易いが、それよりは徳を以て小人を感化するのである。

しかし危険な所もあるので「有厲」という。

[象伝]
天子は大徳を有しており、小人を殺すのは好む所ではない。

徳を以てこれを感化することに眼を着けるのである。

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