8/1 (土) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 五爻

【運勢】

道理に従い動く事で、自然な幸せを得られるだろう。

損や益というのは俗的な考えで、さほど重要では無い、誠の心の方が大切である。

客観的に見ると、損は消えるのでは無く、別の益へと変化するので良い。

【原文】

《卦辭》

損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。

《爻辭》

六五。或いは之を益す。十朋の龜も違ふことあたはず。元吉。

象に曰はく、六五元吉は上より祐(たす)くるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。

陰は陽に順うものである。

陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。

下を損じて、上を益す。

上に上昇するということである。

損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。

不足を補うものではない。

君子の道を長ずるわけでもない。

損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。

だから元吉なのである。

剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。

下を損して上を益す。

それで上を満たして剛を損して邪をなさない。

自然にはそれぞれ分というものが決まっている。

短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。

損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。

《爻辭》

陰が尊󠄄位に居る。

尊󠄄を履んで損なので、あるいは益になる。

亀は疑いを決める物である。

陰は先に唱えてはいけない。

柔は自分で任じることは出来ない。

尊󠄄にいて、その場を守る。

故に人はその力を用い、その功に尽くす。

才能を持ったものが集まってくる。

十朋の龜を得て、天人の助けを尽くす。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

損は減少である。

損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。

下が損して上が益する様である。

天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。

損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。

あくまで正しくあろうとすべきである。

二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。

損益は時に應じておこなわれるとよい。

《爻辭》

昔は貝を貨幣としており、二つの貝を朋という単位にした。

十朋の龜とは澤山の宝石に相当するものである。

龜は大変貴重である。

比に損があるが、柔順中正である。

そして尊󠄄位に居る。

二爻の賢人と応じている。

五爻は賢人の言をきく。

其れは利益となる。

賢人と親しくなる益は、諸󠄃鬼神にただし、違うことはない。

民の順うところに天は従う。

神々も祝福するだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

この卦は「損」を意味する。

損とは有る物を失って不足になることである。

前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。

解ければ人の心が緩む。

緩めば損を生じる。

この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。

地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。

つまり人民が富んでいる。

初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。

そこで余りを以て上に献ずる。

そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。

上の方ではこれを止(と)める。

上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。

兌の卦は喜びを意味している。

こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。

互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。

しかし、是も程良い所でなければいけない。

そこで貞が大切である。

乾は満ちているから、奢りが生じる。

余剰は御祭用に献上するのが良い。

多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。

八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。

孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。

[彖伝]

損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。

下を損らして、上を益すのである。

下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。

「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。

二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。

豊年で献上物が多ければ、益すこともある。

下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。

内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。

凶年の時には上から下へ益して来ることもある。

損すべき時には損し、益すべき時には益す。

満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。

これも其の時節に従って時と共に行うのである。

[象伝]

山下に澤があるのは損である。

君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。

この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。

これは止める義であり、元は乾の卦である。

乾は三畫とも剛である。

強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。

これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。

三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。

つまり喜ぶところとなる。

また欲は坤の卦の象である。

坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。

上は坤の卦であるから、欲が盛んである。

その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。

《爻辞》

六五と九二は互いに応じて居るが、二爻目は五爻目を益することが出来ない。

ここでは上九から益するので、「或いは之を益す」るのである。

上九が富んでいるのは、三爻目が六爻目を益したことによる。

人民(三爻目)からの献納物を上方(六爻目)で受け取り、これを天子(五爻目)に差上げた格好になる。

これは全く当然の事だから、「十朋の龜も違ふ能はず」なのである。

一朋は二百十六銭であるから、十朋は二千百六十銭となる。

それだけの価値がある上等な龜のことで、これは神霊である。

この龜の甲羅で占えば、必ず吉となるのである。

[象伝]

六五を上九が祐(たす)ける。

下からの献納物を上九が受けて、そこから天子の方へ廻っていく。

よって「上より祐くる也」と云う。

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