9/29(木) ䷺ 風水渙(ふうすいかん)→䷥ 火澤睽(かたくけい)

9/29(木) 風水渙(ふうすいかん)→ 火澤睽(かたくけい)


【運勢】
物事を整理し無駄を省くのに良い時。
相手を貶めるのではなく、高め合える関係を築く事が大切である。
大事を行うには時期尚早である。
小事から着実に取り組み、視野を広げて行く事が大切である。


【結果】

本卦:風水渙(ふうすいかん)
之卦:火澤睽(かたくけい)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][初爻]


【原文】
《本卦:
風水渙》
渙は、亨る。王有廟に假(いた)る。大川を涉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、渙は亨(とほ)る。剛來(きた)りて窮(きはまら)ず。柔、位を外に得て上同す。王有廟に假るとは、王乃ち中に在るなり。大川を涉るに利しとは、木に乘じて功有るなり。
象に曰く、風、水上を行くは渙。先王以て帝に亨して廟を立つ。


《之卦:
火澤睽》
睽は小事に吉。
彖に曰く、睽は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽いて其の志通ずるなり。萬物睽いて其の事類するなり。睽の時用大なるかな。
象に曰く、上火下澤は睽。君子以て同じくして異なり。


【解釋】
《本卦:
風水渙》
〔王弼、東涯の解釋〕
渙とは散ること、問題が解決することである。王が散らばっている民心をまとめて、混乱を収拾し、宗廟(そうびょう)に先祖を祭り、天下を統一したことを表す。
は木であり、水の上に木があるから、舟が水に浮いている様を表すので、大きな川を渡るによいというのである。つまり大きな難題を解決できるのである。その時、常に正しさを守るべきである。


〔根本通明の解釋〕
渙は四方の水が散じて往く所の義である。下卦の坎は季節では冬、方位では北にあたり、水は冰(こお)る。氷は陰の固まりである。二・三・四爻目は震の卦で、春の真ん中(旧暦二月)であり、その時期には雷が鳴り氷が砕ける。『詩経』には、妻を娶るなら氷の泮(と)けないうちに娶れとある。妻を娶るのは陰を迎えることだからである。よって氷の融けた後には妻を迎えない。これは古からの礼である。氷が砕けて泮けるのは、渙の字と同じ義である。普通、陽は正しい方に取り、陰は悪い方に取るが、渙は悪い物を融かし砕いて正しい所にする。小人の悪い物が摧(くじ)けて無くなり、道徳の方が亨る所となる。
[彖傳]
剛は二爻目の陽爻である。坎=水であり、能く流れて何処までも達する所があるので「不窮」という。「柔」は四爻目の陰爻であり、これが巽の主爻である。有廟を假にするとは、廟を大いに盛んにすることである。天下の人は東西南北から集まり祭りを助ける。
[象傳]
風が水上を吹くのは、ちょうど二月である。氷が融けようとする時に風が吹き、氷は皆砕けて消えてしまう。これは天下の難が解ける所の象である。そこで先王は天を祭り、廟を立て、天下の諸侯皆集まって会するのである。


《之卦:
火澤睽》
〔王弼、東涯の解釋〕
睽は背くの意󠄃である。小さな事には吉である。二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の
沢が喜んで火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。


〔根本通明の解釋〕
睽は互いに相反して和せざる所の卦である。『説文解字』には互いに反目する貌とある。上爻の離の卦は目である。下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。
[彖傳]
火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。兌にも毀折の象がある。しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。小事が吉である。しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。
[象傳]
上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。君子は是を用いて事を為す。

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