【運勢】
とても驚くべき事が起こり、それは、自分を律する事に繋がる。
残念な事に、周りの人々には響かないので、意識の違いを感じ、苦しい思いをするだろう。
苦しい思いを耐えて、律する事を貫けば、最後には、報われる。
人の上に立つ者は、積極的に行動して、皆の手本となるべきである。
【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。
《爻辭》
九四。震して遂󠄅に泥(なづ)む。象に曰はく、「震して遂󠄅に泥む」とは、未だ光らざるなり。
〔王弼の解釈〕
《卦辞》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。
〔根本通明の解釋〕
《爻辞》
四爻は上下の四つの陰の中心に位置する。
であるから、振動することが出来ず、陰静になずんでいる。
四爻は大臣の爻であるが、このように人に恐れられない大臣は光輝を放つ存在とは言えない。
《卦辞》
前の卦は火風鼎である。
鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。
皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。
そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。
こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。
『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。
故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。
この震は皇太子の象である。
皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。
震は剛(つよ)いから亨る。
また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。
卦全体の主になるのは初爻目である。
虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。
激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。
『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。
大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。
天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。
艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。
「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。
「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。
匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。
鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。
この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。
このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。
身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖伝]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。
「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。
雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。
乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。
つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象伝]
この卦は震が二つある。
二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。
君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。
《爻辞》
雷が震(ふる)って泥の中に墜ちる。
三・四・五爻目に坎がある。
坎は水である。
又その下の二爻目は陰爻であるから地である。
水と土だから泥となる。
四爻目は雷の主爻である。
また大臣に相当するが、陰の位にあるため、気力が弱い。
これは雷が泥の中に墜ちて、震うことが出来ない状態を意味する。
奮発する気力が無く、安楽に耽ってしまう。
「遂」という字は「墜ちる」という字と通じる。
皇太子においても安楽に導かれ、学問を離れ、慎みも無くなれば、皇太子の位を失うことになる。
古くは側近の役人に第一等の人間を選んでいたが、役人が悪ければ皇太子を安楽な方向へと導いていくだろう。
そうなれば雷が泥の中に陥ったようになり、再び発奮する気力もなくなるのである。