11/1(月) ䷠天山遯(てんざんとん) 上爻

11/1(月) ䷠天山遯(てんざんとん) 上爻

【運勢】

遯は、逃げることである。

しがらみから離れていれば、トラブルに巻き込まれることを防げる。

他の人を気にしないで、ひっそりと楽しく過ごせばよい。

【原文】

《卦辭》

遯は、亨る。小しく貞しきに利あり。

彖に曰はく、遯は、亨るとは、遯れて亨る也。

剛位に當たりて應じ、時と與に行ふ也。

小しく貞しきに利ありとは、浸くにして長ずる也。

遯の時義大いなる哉。

象に曰はく、天の下に山有るは、遯なり。君子以て小人を遠ざけ、惡まずして嚴かにす。

《爻辭》

上九は、肥かに遯る。利あらざる無し。

象に曰はく、肥かに遯る、利あらざる無しとは、疑ふ所無き也。

【解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

遯の義爲るや、遯るれば乃ち通じる。五爻のことをいう。剛位に當たっていて、応じる。亢るを否ぐに非ざる也。遯れて亢るを否がず。能く時と與に行ふ者也。陰道浸くにして長ぜんと欲す。正道も亦た未だ全く滅びず。故に小しく貞しきに利ある也。天の下に山有り、陰長ずるの象なり。

《爻辭》

最も外の極にいて、內に応じるところがない。超然として志を絶ち、心に疑い顧みるがない。憂患累ぬること能はず、いぐるみが及ばない。このことによって、肥かに遯る、利あらざる無きなのである。

10/31(日) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 五爻三爻

10/31(日) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 五爻三爻

【運勢】

謙遜することは良いことである。

心の底から謙虚であり続けていれば、人にそのことは伝わっていく。

しかし、本来の立場が下か同等である者に謙遜していてなめられてしまうときがある。しかし、それに対して対処したとしても皆はついてきてくれる。

【原文】

《卦辭》

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。

《爻辭》

〈五爻〉

六五。富まずその鄰を以てす。侵伐に用ゐるによろし。よろしからざることなし。

象に曰はく、「侵伐に用ゐるよろし」とは、服せざるを征するなり。

〈三爻〉

九三。勞謙す。君子、終有りて吉。

象に曰はく、勞謙す。君子とは、萬民服するなり。

【解釋】

《卦辞》

〔王弼、通解の解釋〕

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

これを有終の美という。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

《爻辞》

〈五爻〉

〔王弼、通解の解釋〕

五爻は王位であるが、富を持たないので、人を使役できず、仲間である二爻から上爻までの陰爻と共に行動するしかないとする。

遠方の服従しないものを討つのに好機である。

なぜなら、味方はその謙譲の美徳に従ってくれ、敵は服するからである。

〈三爻〉

〔王弼の解釈〕

三爻は下卦の極みにある。

進んでその位を得た。

上下陽がないから、その民を上下に分ける。

澤山の陰が三爻を宗源とする。

尊さでこれに勝るものはない。

謙の世に在っては尊󠄄に安んずることが出来ない。

上は下を承けて安らかになる。

ひたすら謙に努めることは怠りではない。

だから吉である。

〔伊藤東涯の解釈〕

勞謙とは労あって謙であることである。

三爻は謙の時にあって、剛であり下卦の最上に居る。

上下にある五つの陰が三爻を宗とする。

三爻は上下の陰に勲功があって謙譲の美徳を有する。

小人がこの爻に居たら功を誇って自ら腐敗していく。

君子だけがよく最後まで謙譲を守り吉である。

これは卦の主爻である。

世の中、人に誇る功労がない人でも人の上に行きたがるが、天下国家に大勲功があったのに謙譲の態度を崩さないで下に留まる。

だから萬民が宗源とするのである。

克己して礼に復す。天下は仁に帰す。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。

我が身が小さくなって人の下に降って居る。

古くは言偏の無い「兼」の字であった。

小さいために一つで足らず合わせるという義である。

他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。

口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。

小さいというのが本来の義である。

卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。

二・三・四爻目に坎がある。

水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。

これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。

しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。

[彖伝]

天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。

元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。

光明は三爻目に降りて来た陽爻である。

また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。

元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。

上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。

我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。

卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。

そうして君子は終を遂げる所となる。

[象伝]

上卦が地で下卦が山である。

地の広い方から見れば山が小さい。

天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。

そこで多い方から取って、少ない方へ益す。

政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。

政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。

《爻辞》

〈五爻〉

富まずというのは、天子が己を空虚にして邪の無いことである。

其の鄰を以ゆというのは、九三の賢人をはじめ周囲の人を能く用いることである。

侵伐は容易に出来るものでなく、謙遜の徳に天下皆服しているから勝利を得られる。

しかし是は外国を討つことが本義ではない。

[象伝]

若し国内に服することがなく、乱を起こす様な者があれば之を討つのが良い。

〈三爻〉

九三は賢人で天下の為に功労があっても深く謙遜する。

君子は孚の大業を遂げても、初めの頃と変わることなく能く謙遜する。

終りと云うのは艮の卦が終わる象である。

[象伝]

天下第一の功労道徳があっても、深く我が身を下して謙遜をして居り、その徳は普く天下に通じる。

10/30(土) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 変爻無し

10/30(土) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 変爻無し

【運勢】

觀はみることである。良いものをみて、自身が感化したり、自身の行いによって相手が感化したりするのである。
一つ一つのことに対して誠意に取り組むとともに、いろいろなものを観て、自身の知識の一つにしていくことを意識すべし。

みている人に対して、みられる人の影響は大きい。みられていると意識し、常に清くあるべきである。

【原文】
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。

彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。

象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
観は見ること、見られることである。全体として艮☶の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。

〔根本通明の解釋〕
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖伝]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象伝]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。

10/29(金) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 四爻

10/29(金) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 四爻

【運勢】

事の初めに注意すれば、ものごとがよく進むとき。

まだ間違いがそこまで広がってなく、対処可能なとき。対処すべし。

今から物事をなそうとするなら、今は力を貯めるとき、悪いものを抑えようとするなら今行動するという判断をすれば良い。

【原文】

《卦辭》

大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。

彖に曰はく。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。

象に曰はく、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。童牛の牿(こく)。元吉。

象に曰はく、六四の元吉は喜(よろこび)有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

大畜は大きく蓄へる、とどむることである。

剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。

剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。

賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。

吉である。

大事業をするのに良い時である。

《爻辞》

童牛とはまだ角が生えきっていない牛のことである。

初爻が童牛である。

四爻は初爻と相性が良い(応じている)。

牿(こく、四爻)は牛の角を抑える横木のことで、牛がまだ若いので抑えることはたやすい。

よくとどめておくことができるので、喜びがあるのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

大畜は、君が臣を止めて畜(やしな)う卦である。

大は君のことである。

大畜とは反対に小畜という卦がある。

小畜は、臣の方が君を止めるという卦である。

小は臣のことである。

上卦の艮は身体である。

三・四・五爻目の震は仁である。

また二・三・四爻目に兌は義である。

つまり仁義の徳を身の内に具えていることになる。

畜の字は、止めるというだけでなく、之を育てて善くするという義がある。

徳を十分に養はねばならない。

君は、臣の早く出世を求める心を抑えて、十分に学問を以て徳を養わせるのである。

また養われる側も、貞所を守るのが良いので、「利貞」という。

「不家食吉」とは、学問道徳のある人物は君に用いられ、禄を以て養われる所となる。

そのため賢人は家に居って食することは無い。

朝廷に招かれた賢人は、危険なことがあっても之を踏み越えて往くのが良い。

そこで「利渉大川」という。

[彖伝]

天子に剛健なる徳が具わっている。

政務を執っても疲れることがなく、篤実である。

篤実は艮の卦の象である。

また艮の陽爻が上にあり、光輝く所がある。

「日新」というのは、乾の卦で象で、日々昇り沈んでいく太陽である。

「其徳剛上」は、上九を指していう。

上九は剛にして一番上に居る。

[象伝]

上卦の艮は山、其の山の中に天がある。

山中には天の元気が十分に満ちている。

火気と水気の働きで草木が良く生じ、禽獣も繁殖する。

これが大畜である。

「前言」は震の象である。

また震は行くという事もある。

《爻辞》

六四は大臣の位で、陰を以て陰に居る。

この正しい所の大臣が、賢人を留めて養う。

「童牛之告」は、牛が角を人に突き立てることが無い様に、体が小さな頃から角に木を結んで物に当たるのを防ぐのをいう。

下卦の乾は陽の卦であるから、強くて剛である。

その剛なる所を以て人へ突きあてるようではいけないので、子供の内からこれを引き留めて程よくする。

そこで「元吉」である。

[象伝]

大臣たるものは、人材を養うにあたりその人の剛なる所を程よく引きとめる。

後に、その人は立派な賢人になって国家の用を為すことになる。

そこで喜ぶ所となり、喜びは後に出てくるのである。

10/28(木) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻

10/28(木) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻

【運勢】

復は、かえるという意味を持っている。

何度も同じ過ちを繰り返しては、注意されて戻っている。危ういがまだ大事に至ってない。

初心を忘れてはならない。正しい道を続けるためには、強い信念が必要である。

【原文】

《卦辭》

復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。

象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。

《爻辭》

六三。頻(ひん)に復す。厲(あやふ)けれども咎め无(な)し。

象に曰はく、頻復の厲(れい)は、義咎(とが)め无(な)きなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

復はかえるの意󠄃味である。

ひとつ前の䷖剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。

一陽来復、また盛んになろうとしている。

陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。

《爻辞》

三爻は迷いやすく心が動きやすいので、危険なことが多くある。

しかし、それでも正しい道に戻ることが出来る。

正しい道に戻れたのならば、問題はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

復は本の所に反(かえ)るという意である。

一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。

天の気が地の底に来ることで万物は生じる。

この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。

前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。

果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。

「其道」とは、万物を生成する所の道である。

「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。

雷気が往くに従って万物が発生する。

また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。

それで「利有攸往」なのである。

[彖伝]

「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。

上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。

つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。

七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。

「天地之心」は万物の生成である。

[象伝]

雷が地中に来たって居ることが「復」である。

陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。

そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。

天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

《爻辞》

震の卦徳は動であり、変化が生じる。

『論語』で言えば、子路・子貢の様な、復(ふく)したり変わったり、また復したりする様なことである。

『論語』雍也第六に「子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ」とある(顔回は三ヶ月もの間、仁から離れることがなかったが、その他の者は日に一度か月に一度仁に復するのがせいぜいであった)。

このように頻(しき)りに復するから厲(あや)うい。

しかし厲ういけれども咎が無いのは、仁に始終復するからである。

[象伝]

過っても繰り返し仁に復するから咎が無いのである。

10/27(水) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 初爻

10/27(水) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 初爻

【運勢】

巽は従うという意味を持つ。

立派な人が上にいるのなら、それに従うべきである。

ただ、上の人からの命令でも、自己の判断が求められるときがある。ただ、すべての命令に従うのではなく、本当に意思があるのなら自分を突き通す必要がある時でもある。

【結果】䷸◎初

巽爲風(そんゐふう) 初爻


《卦辭》


[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]


[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]


《爻辭》


[初爻]

【原文】

《卦辭》

巽は小(すこ)し亨(とほ)る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。

彖に曰はく、重巽以て命を申(かさ)ね、剛、中正に巽して志行はる。柔皆剛に順ふ。是を以て小し亨る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。

象に曰はく、隨風は巽。君子以て命を申(かさ)ね、事を行ふ。

《爻辭》

初六。進退す。武人の貞に利し。

象に曰く、進退すとは、志疑うなり。

武人の貞に利しとは、志治るなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

巽の德であるから、少しうまく行く。上下ともに巽。令に違わず命が行われる。だから命が重なり、事が行われる時、上下ともに巽なのである。巽はよく仕えて行くことである。拒むものはない。大人は巽を用いて道がいよいよ盛んになる。剛が巽を用いる。中正に居るのは譲られたのである。明󠄃は間違えることがない。だから少しうまく行くのである。

《爻辭》

令の初に處り、未だ服し令すること能はざる者なり。故に進退するなり。命を成し邪を齊ふるは、武人より善なし。故に武人の貞に利し。以て之を整ふ。

〔東涯の解釋〕

《卦辭》

巽は順である。一陰が二陽の下に居て陽に順っている。また、入るという意味もある。風、木、命令を意味する。五爻は剛で中正である。大人の象である。命令に重複がある。初爻と四爻は陰であり、陽に順う。大きなことは出来ないにしても、小さなことは出来る。命令は、剛が過ぎれば厳しすぎて民が従えず、乱れてしまう。柔が過ぎれば緩くなり、秩序が乱れてしまう。剛中の君に柔が順う状況なら、大きな成功は見れなくても、官職について君に仕えるのに支障はない。

《爻辭》

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

巽は四爻目の陰爻と初爻目の陰爻が卦の主である。

陰爻は、上に重なる陽爻に順っていけば能く亨り、進んで事を行う所に宜しきを得る。

この卦はもとは山風蠱から変わったものである。

天子の晩年に政治が乱れ、崩御後に太子が即位した。

そして朝廷に入り込んだ小人を除きさり、天下を斉(ととの)えた所の象である。

古代、堯が隠居して舜に政を斉えさせたのは、まさに此の卦の義である。

[彖傳]

なし

[象傳]

巽は重ねて命令を下し、能く下へ諭す。

是までの政の弊害を悉く除いた後で命令を下す。

剛は五爻目で、中正の所に坐っており、思う通りに志が行われて往く。

柔は初爻目で二・三爻目に順う。

四爻目も五・上爻目に順う。

そこで小人は大人を見て順い事を行うのが宜しい。

10/26(火) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 五爻三爻

10/26(火) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 五爻三爻

【運勢】
畜は、貯えることや止めるという意味がある。

誤った道に進むことを止めることができる。吉。

普通に行えば上手く行く時である。だからこそ、猛進しないことが重要。

【原文】
《卦辭》
大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。
彖に曰はく。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。
象に曰はく、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。

《爻辭》
[五爻 優先]

六五。豕の牙を豶す。吉。
象に曰く、六五の吉は、慶あるなり。

[三爻]
九三。良馬逐(お)ふ、艱貞(かんてい)に利し。
日に輿衛を閑(なら)ふ、往くところ有るに利し。
象に曰く、往くところ有るに利しとは、志を上合するなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辞》
大畜は大きく蓄へる、とどむることである。剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。吉である。大事業をするのに良い時である。

〔王弼の解釈〕

《爻辞》

[五爻 優先]

豕の牙は横にして猾、剛にして暴、制し難きの物なり。二を謂ふ也。五、尊位を得ていて、畜の主である。二、剛にして進む。能く其の牙を豶く。

柔能く健を制し、暴なるを禁じ盛なるを抑ふ。豈に唯だ能く其の位を固むるのみならんや。乃ち將に慶び有らんとする也。

[三爻]

物極まれば則ち反る。故に畜るのを、極めれば則ち通る。初二の進むは、畜の盛に値ふ。故に以て升ってはならない。九三に至りて、上九に升る。而して上九、天衢の亨るに處り、塗徑大いに通る。進みて違き距つ无く、以て馳騁す可し。故に良馬逐ふと曰ふ也。履むに其の位に當たり、進むに其の時を得る。通路に之り、險厄なるを憂へず。故に艱みて貞しきに利ある也。閑は閡也。衞は護也。進むに其の時を得。艱難を渉ると雖も、患ふ无き也。輿、閑に遇ふと雖も、故に衞る也。上と志を合はす。故に往く攸有るに利ある也。

10/25(月) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 上爻

10/25(月) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 上爻

【運勢】

自身を過剰評価して行動しているので、痛い目を見る。

今の状態は、奢っているようなものなので周りを見渡せていない。

このような時は、初心を思い出して、もう少し簡単なものから始めるべき。

今の状態を認識し、落ち着いた行動が求められる。

【原文】

《卦辭》

小過は亨る。貞に利ろし。小事に可にして、大事に可ならず。飛鳥之れが音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。

彖に曰はく、小過は小なる者󠄃過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞に利し。時とともに行ふなり。柔、中を得たり。是を以て小事に吉なり。剛、位を失ひて不中。是を以て大事に可ならざりなり。飛鳥の象有り。飛鳥之が音をのこす。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉とは、上るは逆にして下るは順なるなり。

象に曰はく、山上に雷有るは小過。君子以て行は恭に過ぎ、喪は哀に過󠄃ぐ。用は儉に過ぐ。

《爻辭》

上六。遇はずして之に過ぐ。飛鳥之に離る、凶。是を災眚(さいせい)と謂ふ。

象に曰はく、遇󠄄はずして之に過󠄃ぐとは、已だ亢れるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

飛ぶ鳥がその声を残して、悲しみながら場所󠄃を求める。上には適当な場所がなく、降れば安住できる。上に行けば行くほど悪くなる。飛ぶ鳥と同じである。小過の小はおよそ小事全般を言う。小事を過ぎて、うまく行く。過ぎれば正しくしていればよい。時宜にかなうのである。恭しく儉約󠄃していればよい。大事をなすは必ず剛がいる。柔で大を犯すのは、剝の道である。上に昇ってはならず、降るのが良い。これは飛ぶ鳥の象である。

《爻辭》

小人が過ぎる。遂󠄅に上の極みに至る。過ぎて際限を知らない。おごり高ぶる。良い処遇は受けない。飛びて満足せず、災いが至る。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

陽は大であり、陰は小である。四つの陰が外に在り、二陽が内に在る。陰が陽に勝っているので小過という。陽が陰に勝るのが道理であるが、陰が勝って問題ない時もある。二五は柔が中を得て、三四は剛であり、中でない。卦の形は鳥が翼を広げているようである。上に向って鳴くので、下には聞こえない。下は順調で容易であるが、上昇は逆行するので難しい。任務にも大小があり、位にも上下がある。人の才分もそれぞれ違う。柔は下位にあって小事を治めるのが良い。それが分からなかった人が多く失敗してきたのである。易は中に適うことを尊ぶ。

《爻辭》

陰を以て陽に居る。これは遇である。陰で陰に居れば過󠄃である。鳥が網にかかったようである。小過にあって、陰で上爻にいる。遇でなく過。陰が極まって高ぶる。理に違い常を過ぎる。災いが至る。必ず凶にあう。小人が軽はずみに進み、初爻でも身に至り、凶があるのに、禄は繁栄を極め、人災と天災が至る。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

小過の卦は全体でみると☵の卦になっている。三爻と四爻が鳥の体であり、一二、五六が翼である。何の鳥かといえば鶏である。二三四爻に☴がある。これが鶏である。この卦は陰が過ぎる卦である。陽は君で陰は臣下である。君が鳥の体で、臣が鳥の翼である。陰が過ぎるとは臣下が調子に乗っていることである。だから小事は行われ、大事は行われない。鶏が高く飛べる道理はない。声だけ高く上がっても、体は高く上がらない筈である。この場合、鷹に咥えられたとするとよい。飛び去ってしまい悲しむ声だけが残るのである。上に行かれてはもうどうしようもないが、下にいるのなら人でも何とか救出できるかもしれない。

[彖傳]

祭祀に於いて祭式の起居進退は小事であり、道徳は大事である。しかし、小なることを徹底して、良くなることもある。この卦は陰が多すぎる。二爻も五爻も陰である。だから大事をするには不利である。君は常に民と共にあらねばならない。

[象傳]

大いなる山を、小なる雷が過ぎて行く。君子はこの卦をもとに行いを恭しくする。

《爻辞》

上六は九三と応じて居るが、九三は上六の求めに応じて往く事が無いから、遇う事が出来ない。一番上の上六は何処迄も上り過ぎる。飛ぶ鳥が鷹に攫まれ、遥か遠くに連れて往かれれば、助かり様が無い。上六は我が居所を離れ、遥か遠くに引出して往かれる。其所で凶である。之は外から来た災である。

[象伝]

上六は已に上の方へ上り過ぎた。深い志を得た小人は、我が身が亢ぶり過ぎて、終には下に降り様がなくなった。之は丁度上に亢り過ぎて、鷹に攫まれた鶏が降ろうとしても降れなくなった様なものである。初六と上六は鳥で言えば羽である。臣は丁度羽にあたり、君は身体にあたる。権力ある大臣に率いられ、大いなる災眚(さいせい)ある所に引き立てて往かれる義である。初爻目と上爻が風切り羽で、二爻目と五爻目が其の次の羽で、真ん中の身体を勝手に率いて往く所の卦である。

10/24(日) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 三爻

10/24(日) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 三爻

【運勢】

本来、荷物を持つ者が大臣の位にいる。要するに不相応の地位にいる。

不相応なので、他人から非難をうけるだろう。

いつも通りの場所にいるべきである。

【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。

《爻辭》

六三。負ひて且つ乘る。寇の至るを致す。貞なれども吝。

象に曰はく、負ひて且つ乘るとは、亦た醜かる可き也。我自り戎を致す。又た誰をか咎めん也。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。

《爻辭》
位に得ていなく、正でない。四に附き、夫の柔邪なるを用て、以て自ら媚ぶ者である。二に乗って四を負ひ、以て其の身を容る。寇の來る也、自己の致す所なり。幸ひにして免ると雖も、正の賤しむ所也。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(䷦、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。
長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。
西南は坤の卦で、地の象である。
地に五穀を植立てて、以て人民を養う。
天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。
漸次人民を養えば宜しい。
若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖伝]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。
西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。
大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。
既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。
往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象伝]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。
君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。
其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。
善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。
しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。

10/23(土) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ)変爻なし

10/23(土) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ)変爻なし

【運勢】

誠実で私心のない行いが人に伝わるとき。

外からみた時に厳しいように見えても、中身は優しくなければならない。

私心のない純粋な心で挑戦するべきとき。

【原文】
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰はく、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰はく、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。

〔東涯の解釋〕
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。