10/22(金) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 上爻二爻

10/22(金) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 上爻二爻

【運勢】  

留まるべきときに、大変であっても留まることができるので問題ない。

だからこそ、焦らずじっと我慢することが大事である。

最後まで留まることができるから、物事を成すことができる。しかし、そうすることは難しい。それを成し遂げることで成功するのである。

【原文】

《卦辭》

その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。

彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。

象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。

《爻辭》

〈上爻〉

上九。艮まるに敦(あつ)し。吉。

象に曰はく、艮まるに敦きの吉は、以て終(おわり)を厚うするなり。

〈二爻〉

六二。其の腓に艮まる。拯(すく)はずして、其れ随ふ。其の心快(こころよ)からず。

象に曰はく、拯(すく)はずして、其れ随ふとは、未だ退いて聴かざるなり。

【解釈】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辭》

艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。

《爻辭》

〈上爻〉

止の極に居て、止まることを極める者である。敦く重にして上に在り、陷らずに、妄に非ず。宜しきを得ているので吉であるべき。

〈二爻〉

隨とは趾のことである。其のふくらはぎに止まる。故に其の趾拯はれざる也。ふくらはぎは躁を体して止まるに處り。而して其の隨を拯ふを得ず、又た退き聴いて安静することができない。故に其の心快からざるなのである。

10/21(木) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ) 五爻四爻

10/21(木) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ) 五爻四爻

【運勢】
随は、従うの意味があり、その中でも極みにいる。
従うべき人を選ぶことが成功の元であり、誠心誠意従えば問題ない。最後まで一貫して、ただ正しい道を続けるべきとき。


【原文】
《卦辭》
隨(ずゐ)は元(おほ)いに亨(とほ)る。
貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨(ずゐ)。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮(むか)ひて入りて宴息(えんそく)す。


《爻辭》

〈五爻〉

九五。嘉に孚あり。吉。

象に曰はく、嘉に孚あり、吉とは、位正中なる也。

〈四爻〉

九四。隨ひて獲ること有り。貞なれども凶。孚有り道に在りて、以て明ならば何の咎あらん。

象に曰はく、隨ひて獲ること有りとは、其の義凶也。孚有り道に在りとは、明の功也。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
隨はしたがうの意󠄃味である。内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。人々は時機にしたがい行動する。


《爻辞》
〔王弼の解釈〕

〈五爻〉

正を履みて中に居り、而して處りて世に隨う。時に隨ふの宜しきを盡くし、物の誠なるを得。故に嘉にして吉である。

〈四爻〉

説の初にいて、下にして二陰に據る。三、求めて己に係り、距てざれば則ち獲る。故に隨ひて獲ること有るという。臣の地に居り、其の位に非ざるを履む。以て其の民を擅にし、臣の道を失う。正なるに違える者である。故に貞なれど凶と曰う。剛を体して説に居て、而して民の心を得る。能く其の事を幹りて、其の功を成す者である。常の義に違ふと雖も、志物を濟ふことに在り、心公誠に存り。信を著らかにして道に在り、以て其の功を明らかにす。何の咎があるだろうか。

10/20(水) ䷌ 天火同人(てんかどうじん) 上爻二爻

10/20(水) ䷌ 天火同人(てんかどうじん) 上爻二爻

【運勢】

後悔しない人生を送る上で何より大切なのは、意志を貫く事である。

機会は幾らでもあるのだから、結果に拘り過ぎるのは良くない。

辛い時や苦しい時、上手く行かない時、身近な理解者が心の支えとなるだろう。

【原文】
《卦辭》
同人野に于てす。亨る。大川を渉るに利ろし。君子の貞に利ろし。
彖に曰はく、同人は柔位を得、中を得る。而して乾に應ず。同人といふ。「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし。」とは、乾行くなり。文明にして以て健。中正にして應ず。君子の正なり。


《爻辭》

[五爻]
九五。同人。先には號咷(ごうとう)して後には笑ふ。大師克ちて相遇ふ
象に曰はく、同人の先は中直を以てなり。大師相遇ふは相克つを言ふなり。

[二爻]

六二。同人宗においてす。吝なり。

象に曰はく、同人宗においてすとは、吝の道なり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし」は、二爻の能くする所ではないこれが乾の行う所である。故に特に同人に曰くという。健を行うに武を使わずに、文明を使って之を用いる。相応してに邪を応じずに、中正によって応じる。君子の正しき事である。故に「君子、貞に利し」という。君子は文明をもって徳にする。天、上にあって、火の炎上げている。同人の意味である。君子、小人、各々同じくする所を得る。

《爻辭》

[五爻]
彖に曰く、柔位を得、中を得て、乾に應ずるを同人と曰ふ。然れば則ち柔を體して中に居り、衆の與へる所。剛を執りて直を用ふ、衆の未だ從はざる所。故に近づいても二の剛に隔てられ、未だ厥の志を獲ず。是を以て先には號き咷ぶなり。中に居りて尊に處り、戰へば必ず克く勝つ。故に後には笑ふなり。物をして自ら歸り使へて其の強く直なるを用ふること能はず。故に必ず大師を須て之に克て、然る後に相遇ふなり。

[二爻]

五に在るに應ずるは、唯だ主に同じくするのみ。主を過てば則ち否がる。心を用ふること褊狹なり。鄙吝の道なり。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
同人とは人が互いに心を同じくすること、共に同じ目標を有することである。天(日)と火は同じ火の性である。野は広い場所のことで、狭い集団での友情も大切であるが、より広い範囲で人と交流することが、大きなことを成し遂げる際には必要である。そのためには正直で、正しい心を大切にしなければならない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
同人は、人と人が互いに相親しくして、吉凶ともに同じくする。野は都から遠く離れた田舎で、山や谷の間に居る者までも親しくするという義である。これは乾の象である。天下一軒の家の如くして居れば、互いに亨らない所は無い。九五の天子は六二の賢人を深く信用して、之を用いて往く。
[彖伝]
六二は陰爻を以て陰位に居り、位を得て居る。また下卦の真ん中にあるので、中を得て居る。これは賢人で、中正なる道徳があり、天道に応じて居る。乾は上卦であり、上は外であるから、内から外へ旋って往く。人は道徳を以て普く進んで行う所の義である。之は仁者であり、君子である。天下皆悉く応じて来る。
[象伝]
「天興火」の興は親しむと訓む。また火と天は元は同じ物である。人間も天の分子であるから、御互に親しまなければならない。族を類するとは、分家が自分達の先祖である宗家の祭りへ聚って来ることである。物を辨ずるというのは、聚って来た者は皆代数や衣服などが異なり、其々仕分けて往く所を云う。

《爻辭》

[五爻]
九五は六二の賢人に遇おうとして呼び掛けるが、其の者は此方へ来る事にはならない。其所で歎くが、後には遇う所となり笑うことが出来る。併し是は容易な事では無い。間の九四、九三の悪い奴を師さを以て、撃ち払ったのである。そうして遇うことが出来たから、是程の喜びは無い。「断金の交わり」は是から出た事である。九五と六二の間に陽爻が二つあり間を妨げているが、双方が遇おうと思う心の鋭い所は刃物の如くで、間を隔てている金を貫く所となる。
[象伝]九五の天子は剛直で中正なる所を以て、終に思う所を遂げた。君臣の間で邪魔をするものを撃ち破るのは容易な事では無い。九三と九四も剛敵である。大いなる師さを挙げて、漸く戦に勝って遇ったのである。

 

10/19(火) ䷕ 山火賁(さんかひ) 五爻

10/19(火) ䷕ 山火賁(さんかひ) 五爻

【運勢】

賁は、飾ることである。

しかし、仕事に力を入れるのであって、質素であることが必要なとき。

人からは、ケチだと言われようが質素倹約も大事である。終に吉であり、それが豊かになるもととなる。

【原文】

《卦辭》

賁は、亨る。小しく往く攸有るに利あり。

彖に曰はく、賁は亨る。柔來たりて剛を文る。故に亨る。剛を分かちて上りて柔を文る。故に小しく往く攸有るに利あり。天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成す。

象に曰はく、山の下に火有るは、賁なり。君子以て庶政を明らかにし、敢へて獄を折むること无し。

《爻辭》

六五は、丘園を賁る。束帛戔戔たり。吝なれども終に吉。

象に曰はく、六五の吉は、喜び有るなり。

【解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

剛柔分かたざれば、文何に由りてか生ず。故に坤の上六、來たりて二の位に居る。柔來たりて剛を文るの義也。柔來たりて剛を文り、位に居りて中を得。是を以て亨る。乾の九二、分かちて上位に居る。剛を分かちて上りて柔を文るの義也。剛上りて柔を文り、中の位を得ず、柔來たりて剛を文るの若くならず。故に小しく往く攸有るに利あり。

《爻辭》

尊位を得ている。飾の主である。飾の盛たる者である。物に飾を施せば、其の道害はるる也。丘園に飾を施せば、盛なること焉より大なるは莫し。故に束帛を賁る。丘園乃ち落たり。丘園を賁る、束帛乃ち戔戔たり。用て儉なるを過ぐる莫く、泰んじて能く約やかなり。故に必ず吝なり、乃ち終に吉を得るのである。

10/18(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

10/18(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

【運勢】

大壯は、盛んである、勢いの強い者のことである。
勢いが強すぎれば、暴走してしまい。身動きが取れなくなってしまう。

ただ、そのことについて心から反省し、改心するのであれば問題はない。

【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。
彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。

《爻辭》

上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利する攸无し。艱めば則ち吉。

象に曰はく、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、不詳也。艱めば則ち吉とは、咎長からざる也。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。
小の道は亡ぼうとしている。
大は正を得る。
故に利貞である。
天地の情󠄃は正大である。
廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。
壮大で礼に違えば凶。
凶であると壮を失う。
だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。

《爻辭》

三爻に応じている。故に退くことができない。剛長ずることを懼る。故に遂ぐることもできない。疑いを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱めば則ち吉という。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。
四つの陽が壮である。
二陰は徐々に薄れていく。
君子の道が長く続く時である。
其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。
人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。
陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。
四つの陽がみんな正しいわけではない。
私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。
盛大な時であるが、つまずくこともある。
君子は平素から礼法をまもる。
昔の人は天命を畏んだ。
雷ほど天威に似たものはない。
常に礼を大切にすべき時である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。
また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。
人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。
剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖伝]
大なるものが極めて剛くなった。
卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。
従って、気力が強く動いて進む。
また天の気が動き、萬物を生じる。
人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象伝]
雷の気は萬物を生じる所の気である。
君子は礼に非ざれば履まずと云う。
上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。
其処で礼に非ざる事であってはいけない。

10/17(日) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 初爻

10/17(日) 水雷屯(すいらいちゅん) 初爻

【運勢】
屯は、なやみがあることである。

厳しい時期となるが、その中でも自分を見失わず耐え抜くことが重要である。

今は動くときではないので、動かないことに問題はない力を貯めるときである。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
初九。磐桓(はんかん)す。貞(てい)に居るに利(よろ)し。侯(こう)を建つるに利し。象に曰はく、磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。貴を以て賤(いや)しきに下る、大いに民(たみ)を得ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
[王弼]
屯の初めにいる。動けば則ち難を生じるので進んではならない。故に磐桓である。此の時によって、其の利、安くにか在る。唯だ貞に居て、侯を建てることのみてまある。乱れを息めて静かにする。静を守って侯たり。民を安んじて正に在り、正を弘くして謙に在り。屯難の世、陰、陽を求むめる。弱は、強を求める。民は、其の主を思う時である。初、其の主爻でまた、下である。爻、斯の義を備えている。宜しく其れ民を得るべきあるって、進むべきでない。故に磐桓するのである。宴安して成務を棄てるわけではない。故に磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。なのである。
[東涯]
磐は盤と同じであり、盤垣である。難に進もうとしている貌である。この爻は、屯の初めで陽を以って下にいる。苦しい時で卑しく、その才を用い得ていない。故に盤垣である。ただ、正しくいて詭計詐謀を用いてはならず、かわいがるのである。故に貞に利し。陽剛の才を持って緖陰の下にいる。民衆は、服従して、その心を得ている。故に「侯(こう)を建つるに利し。」なのである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。
下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。
水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。
天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖伝]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。
険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。
初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。
この人が進んで遂に侯になる所の卦である。
雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。
真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。
服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。
世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象伝]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。
また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。
綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。
この雲雷の象によって世の中を治める。

10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

【運勢】

萃は、集まるものである。

しかし、自らの力だけでは、実現できない。

上の人の助けが必要である。

自ら助けを求めれば、寛大な心でうけとめてくれるはずである。

一度妥協して、そこからまた目標への道筋をたてることも考えてみる時。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

(三爻)

六三。萃如。嗟如。利しき攸无し。往けば咎め无し。小し吝。

象に曰はく、往けば咎无しとは、上巽ふ。

(初爻)

初六。孚有りて終へず。乃ち亂れ乃ち萃る。若し號ぶときは一握の笑を爲す。恤ふること勿れ。往いて咎无し。

象に曰はく、乃ち亂れ乃ち萃まるとは、其の志亂るる也。

【解釋】

《卦辭》

〔王弼と東涯の解釋〕

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

(三爻)

〔王弼の解釋〕

位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。

〔伊藤東涯の解釋〕

陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。

〔根本通明の解釋〕

九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。

縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。

[象伝]

六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。

(初爻)

〔王弼の解釋〕

四爻と応じて、三、之を承く。心懷きて疑うを嫌う。故に孚有りて終へざるのである。道を守ること能はず、以て至好を結び、迷ひて務めて競爭す。故に乃ち亂れ乃ち萃まる也。一握とは、小さきの貌也、笑を爲すとは、懦く劣るの貌也。己は正妃と爲り、三は近きを以て寵す。若し夫の卑退なるに安んじ、謙にして以て自ら牧へば、則ち恤ふること勿くして、往けば咎ない。

10/15(金) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 変爻無し

10/15(金) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 変爻無し

【運勢】

身に合わないようなことをなそうとしてはならない。

不正をはたらいたのであれば、そのことは、目先は良くても、のちに破滅をもたらす爆弾なのである。

身勝手な行動をおこさないようにするとととに、礼儀正しく最後まであり続けるべし。

【原文】
婦妹は征けば凶。利(よろ)しき攸(ところ)无し。
彖に曰はく、歸妹は天地の大義なり。天地交はらざれば萬物興らず。歸妹は人の終始なり。說󠄁(よろこ)びて以て動く。妹を歸く所󠄃なり。征けば凶とは位に当たらざるなり。利しき攸无しとは、柔、剛に乘ずればなり。
象に曰はく、澤上に雷有るは歸妹。君子以て終を永くし敝(へい)を知る。

【解釈】

〔王弼の解釋〕
妹は少女のことである。
兌は小陰で、震は長陽である。
小陰が長陽を承けるので、よろこんで動く。
妹を嫁がせる象である。
陰陽が既に合って長と少が交わった。
天地の大義、人倫の終始と言える。
少女を長男に嫁がせる。
少女は嬉しくない。
不正を犯し、それを喜んで動くのは邪道である。
終には敝を知る。

〔伊藤東涯の解釋〕
婦人のことを嫁とも歸ともいう。
兌は少女、震は長男である。
これは婦人が嫁ぐ時に礼を失している。
二爻から五爻まで位を得ていない。
三爻と五爻の陰爻が陽の上に居る。
これは陰として正しくない。
夫が先に声をかけて、それに妻は随うのである。
これは天地の大義である。
父母の命、媒酌の言を待ち、礼を尽くす。
その後にそれぞれがその道を尽くして家道󠄃がなる。
正しい道に由らないと、その夫婦は礼儀を乱し、制御できなくなる。

10/14(木) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し

10/14(木) 水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し

【運勢】


節は、節度のことだが、その匙加減は難しい。

調子に乗って、周りを見失えば大変になるが、物事に固執し続けても、本質を見失うこともある。

自身の立ち位置を理解するするとともに、無理をしない程度にしとくべき。


【結果】 

水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
《卦辭》
節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。
彖(たん)に曰はく、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。
象に曰はく、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
坎は陽で兌は陰である。
陽が上で陰が下である。
剛柔が分かれている。
剛柔が分かれて乱れない。
剛が中を得て制となる。
主節󠄄の義である。
節󠄄で最大は剛柔が分かれている時である。
節󠄄で苦を過ぎれば堪えられない。
それでは正に復せない。
喜んで險を冒さず、中を過ぎて節󠄄となれば道󠄃が窮まる。


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辞》
節󠄄は分かれて度がある。
竹の節のことである。
陰陽が均等である。
二爻と五爻が剛中である。
節󠄄があれば通り、及ばないという弊害がない。
上爻は陰柔で正を得て窮まれば、節󠄄を過ぎて窮まる。
君子の道は中に適うを貴しとする。
人は剛で折れず、柔で撓まなければよろしい。
又偏ることがない。
うまく行く。
及ばないことを恐れるのでなく、行き過ぎることに注意すべきである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
節は竹の節に由来する。
中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。
上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。
総ての事は竹の節の様に分限がある。
天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。
しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。
孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。
しかしそれでは生きていくことは出来ない。
我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。
[彖伝]
下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。
上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。
剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。
「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。
陳仲子の様に窮することになる。
[象伝]
沢の上に水が流れる。
沢は四方に堤防があって水を溜めている。
これが節である。
程好い所に止まっている。
君子は節に則って政を行う。

10/13(水) ䷥ 火澤睽(かたくけい) 五爻

10/13(水) ䷥ 火澤睽(かたくけい) 五爻

【運勢】

睽は、背くことであり、仲良くできず、相反し合ってる状態である。

されど五爻は、二爻と合い協力しあうことができるので、悔いがない。

仲良くしたいと思うのなら、行動するべきである。

【原文】

《卦辭》

睽は小事吉。

彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。

象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。

《爻辭》

六五。悔亡ぶ。厥の宗、膚(ふ)を噬む。往きて何のとがあらん。

象に曰はく、厥の宗、膚を噬むとは、往きて慶有るなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

睽は背くの意󠄃である。

小さな事には吉である。

二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。

よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。

《爻辞》

位に非ざるは、悔である。應ずる有るが故に悔亡ぶ。厥の宗とは二を謂ふ也。膚を噬むとは、柔かきを齧むのである。三、二に比しむと雖も、二の噬む所なり。己の応じることを妨げる者ではない。素早さを以てして行えば何の咎もない。往けば必ず合う。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

睽は互いに相反して和せざる所の卦である。『説文解字』には互いに反目する貌とある。上爻の離の卦は目である。下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。

[彖伝]

火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。兌にも毀折の象がある。しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。小事が吉である。しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。

[象伝]

上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。君子は是を用いて事を為す。