10/12(火) ䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく) 三爻

10/12(火) ䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく) 三爻

【運勢】
畜には、制止するという意味がある。

猛進しようとしていて、止めようとする者との対立が避けられなくなってしまっている。

今無理に進もうとすれば、それまでの道筋が崩れてしまう。

今は小畜のときであるから、自身を制止すべきである。

【原文】

《卦辞》
小畜は亨る。密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
彖に曰はく、小畜は柔、位を得て、上下之に應ずるを小畜といふ。健にして巽。剛中にして志行はる。乃(すなは)ち亨(とほ)る。密雲雨ふらずとは、往くを尚ぶなり。我、西郊よりすとは、施、行はれざるなり。
象に曰はく、風、天上を行くは小畜。君子以て文德を懿(よ)くす。

《爻辞》

九三。輿(くるま)輻を說(と)く。夫妻目を反す。

象に曰はく、夫妻目を反すとは、室を正すこと能(あた)はざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕

《卦辞》
大を養い、健をとどめることが出来ない。強い志があれば、うまく行く。四爻が主爻である。二陰四爻は陰に陰でおり、初爻と応じている。三爻は乗り越えることが出来ない。小畜の勢いは密雲を作るに足る。しかし雨を降らすには至らない。陽の上の陰が薄く、今初爻の復道󠄃を抑えることが出来ない。下の方は往くを尊び、上爻だけが三爻の路を固めることが出来る。もし四爻五爻も上爻のように善畜であったなら、よく雨をふらせる。旣に設けられているが、行われない状態である。彖傳は卦全体を言い、象傳は四爻に特化して説明する。

《爻辞》

上、畜の盛と爲りて、以て牽きて征く可からず。斯を以て進む。故に必ず輻を説く也。已に陽の極爲り。上は、陰の長ずるを爲し、陰を畜ひて長ず。自ら復る能はず。方に之れ夫妻反目するの義也。


〔東涯の解釋〕

《卦辞》
畜はとどめる、制止の意󠄃である。一陰が四爻に在り、五爻はこれに従っている。陽は大であり、陰は小である。二爻五爻は剛であり、中を得る。君子が君を得ることを表すので、うまく行くという。二三四爻に☱澤がある。岐周󠄃より西で陰陽が交わり雨を降らそうとするが、陽気がまだ盛んであり、まだ降らない。剛のものが害をなせば柔のものが救う。陽が陰をとどめることが出来ていない。文德は礼樂教化をいう。


〔根本通明の解釋〕

《卦辞》
畜は育成するの意󠄃味である。育ててよいものにしていくことである。小は陰、大は陽である。又止めるの意󠄃味がある。君が悪い方に行くのをとどめ、良い方に導くことである。小は臣であり、君に対するものである。君を諫めるのは難しい。君を徹底して批判するのは正しくない。至誠を以て諫めるのが良い。密雲というのは細かな雲が集まって大きくなることを言う。それは二三四爻の☱澤をさす。雲は陰である。陰が集まっているが陽が作用しないと雨は降らない。上卦の風☴が雲を吹き払ってしまい、雨が降らない。兌は西である。東は陽、西は陰である。西の方に雲ができる。臣下(陰)が天下をよくしようと志す。しかし君主(陽)がそれに応じない。
[彖傳]
四爻が主爻である。これは人に譬えるなら周󠄃公旦であり、その徳を慕って人々が集まってくる。下卦は☰であるから意志が強い。意志が強いが謙遜を忘れていない。下のものが天下をよくしようとどこまでも志すが、君主がそれに応じてくれない。それでも下のものはどこまでも誠を尽くして君に訴える。どこまでも諦めないのである。そして上爻に達すると雨が降る。君主に至誠が通じたのである。そして、恩沢があるが、まだその時でない。
[象傳]
風が天の上をふいて雲が散じたり集まったりして、いろいろな模様ができる。

10/11(月) ䷲ 震爲雷(しんゐらい)→䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく)

10/11(月) ䷲ 震爲雷(しんゐらい)→䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく)

【運勢】

驚くようなことがあったら、自分を見直すとともに、慎重になるべきである。

本卦が震爲雷であり、之卦が風天小畜であり、本卦から之卦に移るとして考えると、雷がなっているのに、まだ雨が降ってこない。

まだ、時でない。そろそろだと思う予兆は出ている。少しの辛抱である。

【原文】


《本卦:䷲ 震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。

《之卦:䷈ 風天小畜》

小畜は亨る。密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
彖に曰はく、小畜は柔、位を得て、上下之に應ずるを小畜といふ。健にして巽。剛中にして志行はる。乃(すなは)ち亨(とほ)る。密雲雨ふらずとは、往くを尚ぶなり。我、西郊よりすとは、施、行はれざるなり。
象に曰はく、風、天上を行くは小畜。君子以て文德を懿(よ)くす。

〔王弼と東涯の解釋〕


《本卦:䷲ 震爲雷》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。

《之卦:䷈ 風天小畜》

〔王弼の解釋〕
大を養い、健をとどめることが出来ない。強い志があれば、うまく行く。四爻が主爻である。二陰四爻は陰に陰でおり、初爻と応じている。三爻は乗り越えることが出来ない。小畜の勢いは密雲を作るに足る。しかし雨を降らすには至らない。陽の上の陰が薄く、今初爻の復道󠄃を抑えることが出来ない。下の方は往くを尊び、上爻だけが三爻の路を固めることが出来る。もし四爻五爻も上爻のように善畜であったなら、よく雨をふらせる。旣に設けられているが、行われない状態である。彖傳は卦全体を言い、象傳は四爻に特化して説明する。


〔東涯の解釋〕
畜はとどめる、制止の意󠄃である。一陰が四爻に在り、五爻はこれに従っている。陽は大であり、陰は小である。二爻五爻は剛であり、中を得る。君子が君を得ることを表すので、うまく行くという。二三四爻に☱澤がある。岐周󠄃より西で陰陽が交わり雨を降らそうとするが、陽気がまだ盛んであり、まだ降らない。剛のものが害をなせば柔のものが救う。陽が陰をとどめることが出来ていない。文德は礼樂教化をいう。


〔根本通明の解釋〕
畜は育成するの意󠄃味である。育ててよいものにしていくことである。小は陰、大は陽である。又止めるの意󠄃味がある。君が悪い方に行くのをとどめ、良い方に導くことである。小は臣であり、君に対するものである。君を諫めるのは難しい。君を徹底して批判するのは正しくない。至誠を以て諫めるのが良い。密雲というのは細かな雲が集まって大きくなることを言う。それは二三四爻の☱澤をさす。雲は陰である。陰が集まっているが陽が作用しないと雨は降らない。上卦の風☴が雲を吹き払ってしまい、雨が降らない。兌は西である。東は陽、西は陰である。西の方に雲ができる。臣下(陰)が天下をよくしようと志す。しかし君主(陽)がそれに応じない。
[彖傳]
四爻が主爻である。これは人に譬えるなら周󠄃公旦であり、その徳を慕って人々が集まってくる。下卦は☰であるから意志が強い。意志が強いが謙遜を忘れていない。下のものが天下をよくしようとどこまでも志すが、君主がそれに応じてくれない。それでも下のものはどこまでも誠を尽くして君に訴える。どこまでも諦めないのである。そして上爻に達すると雨が降る。君主に至誠が通じたのである。そして、恩沢があるが、まだその時でない。
[象傳]
風が天の上をふいて雲が散じたり集まったりして、いろいろな模様ができる。

10/10(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 上爻五爻

10/10(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 上爻五爻

【運勢】

損することなく、皆が豊かになれる。

周りにも富を分けることで、皆が良い生活を送ることができるが、損するのではなく、利益を生む。

節度を守って、事業を始めれば上手くいくとき。

【原文】

《卦辭》

損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。

《爻辭》

〈上爻〉

上九。損せずして之を益す。咎めなし。貞にして吉。往くところ有るによろし。臣を得て家なし。象に曰はく、損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。

〈五爻〉

六五。或いは之を益す。十朋の龜も違ふことあたはず。元吉。

象に曰はく、六五元吉は上より祐(たす)くるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。陰は陽に順うものである。陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。下を損じて、上を益す。上に上昇するということである。損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。不足を補うものではない。君子の道を長ずるわけでもない。損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。だから元吉なのである。剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。下を損して上を益す。それで上を満たして剛を損して邪をなさない。自然にはそれぞれ分というものが決まっている。短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。

《爻辭》

〈上爻〉

上爻は損の最上位に在り、悔いあることが多いが、陽の徳を大切にしているので、應爻の三爻が助けてくれて、損をすることはない。三爻は自分の家を失っても尽くしてくれる忠臣である。あくまで正しくあろうとすべきである。

〈五爻〉

陰が尊󠄄位に居る。尊󠄄を履んで損なので、あるいは益になる。亀は疑いを決める物である。陰は先に唱えてはいけない。柔は自分で任じることは出来ない。尊󠄄にいて、その場を守る。故に人はその力を用い、その功に尽くす。才能を持ったものが集まってくる。十朋の龜を得て、天人の助けを尽くす。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

損は減少である。損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。下が損して上が益する様である。天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。あくまで正しくあろうとすべきである。二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。損益は時に應じておこなわれるとよい。

《爻辭》

〈五爻〉

昔は貝を貨幣としており、二つの貝を朋という単位にした。十朋の龜とは澤山の宝石に相当するものである。龜は大変貴重である。比に損があるが、柔順中正である。そして尊󠄄位に居る。二爻の賢人と応じている。五爻は賢人の言をきく。其れは利益となる。賢人と親しくなる益は、諸󠄃鬼神にただし、違うことはない。民の順うところに天は従う。神々も祝福するだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

この卦は「損」を意味する。損とは有る物を失って不足になることである。前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。解ければ人の心が緩む。緩めば損を生じる。この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。つまり人民が富んでいる。初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。そこで余りを以て上に献ずる。そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。上の方ではこれを止(と)める。上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。兌の卦は喜びを意味している。こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。しかし、是も程良い所でなければいけない。そこで貞が大切である。乾は満ちているから、奢りが生じる。余剰は御祭用に献上するのが良い。多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。

[彖伝]

損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。下を損らして、上を益すのである。下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。豊年で献上物が多ければ、益すこともある。下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。凶年の時には上から下へ益して来ることもある。損すべき時には損し、益すべき時には益す。満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。これも其の時節に従って時と共に行うのである。

[象伝]

山下に澤があるのは損である。君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。これは止める義であり、元は乾の卦である。乾は三畫とも剛である。強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。

これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。つまり喜ぶところとなる。また欲は坤の卦の象である。坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。上は坤の卦であるから、欲が盛んである。その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。

《爻辞》

〈上爻〉

これは己が既に益を得ているから、その分損をして他人を益することを言うのではなく、咎は無い。「貞吉、利有攸往」は、人民から上の方へ益してきたのである。上爻が五爻目へ行き、五爻目が上爻へ行くと、艮が坎に為る。艮の卦が無くなったから、家なしと言う。「臣を得る」というのは、坤の陰爻が来たからである。坤は險(僉の字源:「亼」は覆いの下に集める、「吅」+「从」で人々が集まる様)であるから人民のことである。人民は皆家をなくして臣となる。臣たるものは我が家を持たない。我が家は無くして、皆上の為にするから、「臣ヲ得テ家ナシ」と言うのである。

[象伝]

大いに志を得るというのは、元来人民の方を富ましたいという志を遂げることである。祀りは倹約を以て二簋で行い、下にとって難儀になる様なことはしない。「大得志也」という。

〈五爻〉

六五と九二は互いに応じて居るが、二爻目は五爻目を益することが出来ない。ここでは上九から益するので、「或いは之を益す」るのである。上九が富んでいるのは、三爻目が六爻目を益したことによる。人民(三爻目)からの献納物を上方(六爻目)で受け取り、これを天子(五爻目)に差上げた格好になる。これは全く当然の事だから、「十朋の龜も違ふ能はず」なのである。一朋は二百十六銭であるから、十朋は二千百六十銭となる。それだけの価値がある上等な龜のことで、これは神霊である。この龜の甲羅で占えば、必ず吉となるのである。

[象伝]

六五を上九が祐(たす)ける。下からの献納物を上九が受けて、そこから天子の方へ廻っていく。よって「上より祐くる也」と云う。

10/9(土) ䷕ 山火賁(さんかひ) 上爻二爻

10/9(土) ䷕ 山火賁(さんかひ) 上爻二爻

【運勢】

賁は、飾ることである。

無理に飾る必要がないとき。飾らず、自然なままでも大丈夫。

飾ろうとしたとしても、違和感のないようなものにするべき。

【原文】

《卦辭》

賁は、亨る。小しく往く攸有るに利あり。

彖に曰はく、賁は亨る。柔來たりて剛を文る。故に亨る。剛を分かちて上りて柔を文る。故に小しく往く攸有るに利あり。天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成す。

象に曰はく、山の下に火有るは、賁なり。君子以て庶政を明らかにし、敢へて獄を折むること无し。

《爻辭》

〈上爻〉

上九は、白く賁る。咎无し。

象に曰はく、白く賁る、咎无しとは、上、志を得るなり。

〈二爻〉

六二は、其の須を賁る。

象に曰はく、其の須を賁るとは、上と與に興るなり。

【解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

剛柔分かたざれば、文何に由りてか生ず。故に坤の上六、來たりて二の位に居る。柔來たりて剛を文るの義也。柔來たりて剛を文り、位に居りて中を得。是を以て亨る。乾の九二、分かちて上位に居る。剛を分かちて上りて柔を文るの義也。剛上りて柔を文り、中の位を得ず、柔來たりて剛を文るの若くならず。故に小しく往く攸有るに利あり。

《爻辭》

〈上爻〉

飾の終に處り、飾終に素なるに反る。故に其れ質素を任ず。文飾を勞せずして、咎がない。白を以て飾と爲し、而して心配ない。志を得る者である。

〈二爻〉

其の位を得て応じていない。三もまた応じるところがない。共に応じる者がいないので親しくなって、一緒になる。須の物爲るや、上にして附くものである。其の履む所に循ひ、以て上に附く。故に其の須を賁るという。

10/8(金) ䷌ 天火同人(てんかどうじん)→䷬ 澤地萃(たくちすい)

10/8(金) 天火同人(てんかどうじん)→ 澤地萃(たくちすい)

【運勢】 

本卦の天火同人、之卦の澤地萃どちらにも集まることに関することである。

同人は、一緒に協力してものごとを進めるときであり、萃は人だけでなく物も集まり、悪いことが集まることもある。

皆で協力して進めることができれば、大成功することができるときである。

【原文】


天火同人》


同人野に于てす。亨る。大川を渉るに利ろし。君子の貞に利ろし。
彖に曰はく、同人は柔位を得、中を得る。而して乾に應ず。同人といふ。「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし。」とは、乾行くなり。文明にして以て健。中正にして應ず。君子の正なり。

澤地萃》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

解釋

天火同人》


〔王弼の解釋〕
「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし」は、二爻の能くする所ではないこれが乾の行う所である。故に特に同人に曰くという。健を行うに武を使わずに、文明を使って之を用いる。相応してに邪を応じずに、中正によって応じる。君子の正しき事である。故に「君子、貞に利し」という。君子は文明をもって徳にする。天、上にあって、火の炎上げている。同人の意味である。君子、小人、各々同じくする所を得る。

〔伊藤東涯の解釋〕
同人とは人が互いに心を同じくすること、共に同じ目標を有することである。天(日)と火は同じ火の性である。野は広い場所のことで、狭い集団での友情も大切であるが、より広い範囲で人と交流することが、大きなことを成し遂げる際には必要である。そのためには正直で、正しい心を大切にしなければならない。

《䷬ 澤地萃

〔王弼と東涯の解釋〕

萃は集まることである。物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。祭祀は大切にすべきである。古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

〔根本通明の解釋〕

萃の下に亨の字があるのは間違いである。萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。そして、豚羊牛で祭るのが良い。そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。

[彖傳]

萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。天命にしたがうというのは、巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。天子の恩沢に人々は集まるのである。

[象傳]

人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。

10/7(木)䷿火水未濟(かすいびせい) 変爻無し

10/7(木) ䷿火水未濟(かすいびせい) 変爻無し

【運勢】

未だ困難から脱出することができない。

しかし、抜け出すための一歩を踏み出しており、最後には抜け出すことができる。

今は、焦って行動すれば失敗してしまう、力を貯める時である。

【原文】

未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。
彖に曰はく、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸无し」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。
象に曰はく、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。

【解釋】

〔王弼の解釋〕
柔が中にあり、剛に違わない。
よく剛健を納めるので、うまく行く。
小狐が大きな川を渡ることができない。
あと少しの所󠄃で実現できない。
剛健が難を抜き、その後に可能になる。
ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。
小狐渡れるだろうが、余力がない。
もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。
終わりまで続けられない。
今も険難の時である。
未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。
位に当たらないので未濟である。
剛柔が応ずれば済む。


〔東涯の解釋〕
未濟は事が成就しないことである。
火が上に在り、水が下に在る。
上下交わらない。
互いに用いないので未濟という。
五爻は柔で中にいる。
ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。
狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。
始めはうまく行く。
そして、下に止まっていればよいのである。
いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。
君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。
上が陽で下が陰である。
互いに妨害しない。


〔根本通明の解釋〕
下は水上は火である。
水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。
互いが作用しないので、萬物が創造されない。
しかし、両者あるべき場所に在る。
しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。
だから最終的には亨るのである。
☵坎は狐である。
この卦の場合、小さな狐である。
それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。
狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。
疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。
忍耐力が無いのである。
忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。
気力が無いと何事も達成できないのである。
[彖傳]
柔が中を得ている。
五爻のことである。これが主爻である。
また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。
この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。
陰は陽に居て、陽は陰に居る。
しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。
また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。
最終的にはうまくいくのである。
[象傳]
火は南に居り、水は北に居る。
自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。
何事もはっきりと分ける象である。
☲離はものを明󠄃らかにする。
それぞれが自分のいる場所にいることを示している。

10/6(水) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 上爻

【運勢】
気を緩め過ぎると、盲目的になり、正しい判断が出来なくなるので危険である。
足元を掬われる前に、目を覚まして、心を入れ替える必要がある。
やるべき事を一つずつ整理して、慎重に進めて行けば、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷏◎
雷地豫(らいちよ) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。


《爻辭》
上六。冥豫す。成るも渝ることあり。咎めなし。
象に曰はく、冥豫上に在り。何ぞ長かるべきや。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。
四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。
上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。
統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。
そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。


《爻辭》
上爻は過剰に楽しみがあるので、人々の締まりがなくなってしまった状態である。早く頭を切り替えるべきである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
豫は象の中の最も大きなものをいう。
豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。
そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。
一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。
上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。
天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖傳]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。
また長子でもあり、大臣にもなる。
この四爻目の剛に天下悉く応じる。
震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。
日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。
三・四・五爻目の坎は法律の義がある。
法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。
国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象傳]
豫は萬物皆悦ぶという義である。
この象を用いて作ったのは音楽である。
歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。
そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。
殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。
黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。
上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。


《爻辭》

10/5(火) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 上爻

【運勢】
ずっと昇っていくことはできず、下り坂に入ろうとしている。易は、移り変わっていく。もう進まない方がよいということである。現状維持できるように心懸けるべきである。


【結果】
䷭◎
地風升(ちふうしょう) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。彖に曰はく、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。象に曰はく、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。


《爻辭》
上六。冥(くら)くして升る。息(や)まざるの貞に利ろし。象に曰く、冥くして升りて上に在り、消して富まざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
巽順で以て上るべし。陽爻が尊󠄄位に当たらない。厳しい剛の正しさがないので憂えを免れない。大人にあうのに用いる。憂うるなかれ。柔で南に行けば、大きな明󠄃につく。柔は時により上ることを得られる。純柔であれば自分で上ることが出来ない。剛が思いあがれば人は従わない。旣に時であり上った。また巽順である。剛中で応じている。だから大いにとおるのである。巽順で上った。大きな明に至る。志が通ったことを言う。


《爻辭》
升の極にいて。進みて息まざる者である。進みて息まず。故に冥きと雖も猶ほ升る也。故に息まざるの正に施せば則ち可にして、物の主と爲るに用ふれば則ち喪ふ。息まざることを終ふるは、消するの道である。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
升は変じて萃と通う。萃の内卦の三爻の陰が昇って外卦に行った。だから升という。内が巽で外が順。柔巽で人の心に從う。二爻は剛中で五爻と応じている。これは賢人が君を得た象である。その得失を憂うるなかれ。西南は坤
であり、上卦にある。だから前進して南に遠征する。進み上って吉である。君臣が遇うことは古來難󠄄しい。巽順の德を身につけ、柔中の君(五爻)に遇󠄄う。剛中の逸材(二爻)を重用して、賢人を好む時、進んで為すことがある。地中に木が生ずる象であるから、地道は木に敏感である。時に昇進する。もしその養いを得れば、長く続かないものはない。君子はこれを体してその徳に從う。次々に重ねて高明󠄃廣大となる。漸次進む。


《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
升は升(のぼ)って進むという義がある。昇と同じである。三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。地に陽木と陰木の芽が出ている。それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。元亨の元は震で、亨は兌である。また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。南に征くとは、南面の位に即くことをいう。
[彖傳]
太子は升るべき時を以て天子の位に升る。皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。心配には及ばない。必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。
[象傳]
地の中に巽と震の卦がある。木が次第に上の方に進んで伸びて往く。君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。巽は『説卦伝』に「高し」とある。


《爻辭》


〔朱熹の解釋〕
《卦辭》
升は、望みは大いに通る。大人に会う。心配する必要はない。前進すれば吉である。
《爻辭》

10/4(月) ䷇ 水地比(すゐちひ) 五爻三爻


【運勢】
比はしたしみのことを意味する卦である。
こちらから親しもうとしても上手くいかない。諦めるべきである。
それと共に、仲良くする人をしっかりと判断しなければならない。朱に交われば赤くなるように悪に染まってしまう。


【結果】
䷇◎⚪︎
水地比(すゐちひ) 五爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。
彖(たん)に曰はく、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。
象に曰はく、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。


《爻辭》
[五爻 優先]
九五。顯(あきら)かに比す。王、三軀(さんく)を用ひて前禽(ぜんきん)を失(うしな)ふ。邑人(ゆうじん)誡(いまし)めず。吉なり。
象に曰はく、顯かに比するの吉は、位、正中なり。逆を舎(す)てて順を取る。前禽を失ふなり。邑人誡めずとは、上の中なら使いしむるなり。
[三爻]
六三。之に比(ひ)する、人に匪(あら)ず。
象に曰はく、之に比する、人に匪(あら)ず、亦(また)傷(いた)ましからずや。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
比は親しむ、たすけるの意󠄃である。五爻の王だけが陽であり、他はすべて陰爻で王にしたがっている。筮に基づいて大変長く正しさを守っている人を選べば問題ない。五爻に親しむ機会を失ったものはよくない。人と親しもうとすべきである。


《爻辭》
[王弼]
[五爻 優先]
比の主爻である。二爻と応じ有っている。顯かに比するものである。比にして之に顯かであれば、親者の所狭し。物に私ないことは、唯だ賢のみ。則ちこれを去って来ることをともにすれば、皆失うことがない。三驅の礼は、禽、逆へ来て己に趣けば、則ち之をすてて、己に背きて走ぐれば、則ち之を射る。来ることを愛して去るをにくむ。故にその施す所、常に前禽を失う。顯かに比するを以て、王位に居り、三驅の道を用いる者である。故に「王、三驅を用ひて、前禽を失ふ。」という。其の中正を用いて、征討するに常有り。伐ちて邑に加えず、動けば必ず叛くを討つ。邑人虞るる。无し。故に誡めない。大人の吉を得ざると雖も、是れ顯かに比するの吉也。此れ以て上の使ひ為る可くして、上為るの道に非ず。
[三爻]
四爻は、外より比しみ、二、五を應となす。近くして相得ず、遠ければ應じるところがない。一緒に親しもうとする者は、皆己の親しんではならない。故に之に比する、人に匪ず。という。
[東涯]
[五爻 優先]
[三爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
比は親密なる所である。比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。上卦は水、下卦は地である。水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。五爻目は陽爻で天子にあたる。天子は人民と密着しており離れることが無い。ちょうど水と土の関係のようである。これは吉である。「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。転じて、賢明なる天子の称のようなものである。「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。
[彖傳]
比は吉である。また互いに相輔けることである。「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。
[象傳]
地の上に水があるのが比である。地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。君と民は親密な関係であり、離れようもない。こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。


《爻辭》
[五爻 優先]
[三爻]

10/3(日) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 変爻無し

10/3(日) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 変爻無し

【運勢】
不安定の時で、物を失うときである。立場がないので、謙遜の態度を守って行動しなければならない。そのような状態下では、信頼できる助けてくれる人が必要である。普段からの行動とともに、本当に信頼できるかの見極めも重要だ。


【結果】 

火山旅(かざんりょ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。
彖に曰はく、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。
象に曰はく、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。
だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。
物がその主を失うと散る。
柔が剛に乘る。
五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。
陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。
小し亨る。
旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。


〔伊藤東涯の解釋〕
旅は旅行である。
五爻は陰で、順の徳がある。
安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。
少しはうまく行くのである。
旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。
旅の時には、助けてくれる人も必要である。
信用できない人に頼ってはならない。


〔根本通明の解釋〕
この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。
一つ前に
雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。
贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。
その後、旅に出る。
旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。
謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。
[彖傳]
この卦の五爻の陰爻は、元々は
雷火豐の時には、内卦にいた。
それが外に出たので、旅をするというのである。
旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。
そこで、上爻と四爻に依存している。
このようにただ縮こまっていてはいけない。
旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。
怪しい人間は避けた方が良い。
[象傳]
山は動かず、火は行き過ぎる。
この二つが同居しているのが旅である。
君子は刑罰を慎まねばならない。
なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。
それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。
君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。
慎重に刑罰を行うべきである。