6/4(土) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 二爻初爻

6/4(土) 火山旅(かざんりょ) 二爻初爻


【運勢】
意志の弱い者は大成しない。
苦難の中にあっても、努力を続ける事が大切である。
基礎が不安定なものは長く続かない。
目標を定めて、歩み始めると良い。
成功者に倣い謙虚に人と接し、信頼関係を築く事が大切である。


【結果】
䷷◎二⚪︎初
火山旅(かざんりょ) 二爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[二爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。
彖に曰く、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。
象に曰く、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。


《爻辭》
[二爻 優先]
六二。旅、次󠄄に卽(つ)く。その資を懐き、童僕の貞を得たり。
象に曰く、童僕の貞を得たりとは、終ひに尤なきなり。
[初爻]
初六。旅瑣瑣。斯れ其の災を取る所なり。
象に曰く、旅瑣瑣とは、志窮りて災あるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。物がその主を失うと散る。柔が剛に乘る。五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。小し亨る。旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。


《爻辭》
[二爻 優先]
次󠄄は旅先で安んずることである。二爻は位にあたっており、旅で必ず宿舎を得る。資金も懐にある。童僕の正しい者を得る。
[初爻]
最も下極に處り、寄旅して安んずる所を得ず。而して斯賎の役を爲し、災を致すを取る所なり。志窮まり且つ困しむ。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
旅は旅行である。五爻は陰で、順の徳がある。安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。少しはうまく行くのである。旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。旅の時には、助けてくれる人も必要である。信用できない人に頼ってはならない。


《爻辭》
[二爻 優先]
旅の途中、柔順で中正である。必要な資金は懐にあり、さらに心が正しい童僕を得た。両方とも、道中大変ありがたいものである。道中最も安定ているといえる。
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。一つ前に
雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。その後、旅に出る。旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。
[彖傳]
この卦の五爻の陰爻は、元々は
雷火豐の時には、内卦にいた。それが外に出たので、旅をするというのである。旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。そこで、上爻と四爻に依存している。このようにただ縮こまっていてはいけない。旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。怪しい人間は避けた方が良い。
[象傳]
山は動かず、火は行き過ぎる。この二つが同居しているのが旅である。君子は刑罰を慎まねばならない。なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。慎重に刑罰を行うべきである。


《爻辭》
[二爻 優先]
二爻は旅の卦の中で一番安定している。次とは宿のことで、旅人が宿を得たということである。そればかりではなく、懐には資金があり、童僕もいる。童僕とは若い召使と年を取った召使である。二人とも忠誠心があり、旅の友としては最適である。お金をたくさん持っていても安心である。
[象傳]
童僕が良く尽くしてくれるので、憂えが無くなるのである。
[初爻]

6/3(金) ䷱ 火風鼎(かふうてい) 上爻四爻

6/3(金) 火風鼎(かふうてい) 上爻四爻


【運勢】
運気が好転し、何事も順調に進む時。
柔軟な姿勢を心掛け、人との調和を大切にすると良い。
広い視野を持ち、謙虚に努力を続ける事が大切である。
規則を破った者や過ちを犯した者は、しっかりと処罰する必要がある。


【結果】
䷱◎上⚪︎四
火風鼎(かふうてい) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
鼎は元(おほ)いに吉、亨(とほ)る。
彖に曰く、鼎は象なり。木を以て火に巽れて、亨飪(かうじん)するなり。聖人亨(かう)して以て上帝を亨す。而して大いに亨して以て聖賢を養ふ。巽(そん)にして耳目(じもく)聡明(そうめい)。柔進みて上行す。中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る。
象に曰く、木の上に火有るは鼎(てい)。君子以て位を正し、命を凝(あつ)む。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。鼎玉鉉。大吉にして利しからざるなし。
象に曰く、玉鉉上に在り、剛柔節するなり。
[四爻]
九四。鼎足を折り、公の餗(そく)を覆(くつがへ)す。その形渥たり。凶。
象に曰く、公の餗(そく)を覆すとは信に如何ぞや。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
古い制度が新しく刷新され、新しい制度が定着するので大吉である。さらに、それが長くなる持続するので亨るという。鼎(かなえ)は食べ物を煮炊きする器である。程子はこの卦自体が鼎の形を象っているとする。初爻が鼎の足で、二爻から四爻までが鼎の腹、五爻が口で、上爻が蓋であるとする。下が木德であり、上が火德であるから、物の煮炊きに良いので、鼎とされるのである。革の卦と対応しており、五爻と二爻が応じており、和順で聡明である。だから、大吉なのである。何かをする時に人の助けがあり、その人に任せられる。君臣の心が通じ合っている。おそらく、亨と烹は音が通じるので古代にはどちらも使われていたのであろう。


《爻辭》
[上爻 優先]
鼎の終りに處り、鼎道の成るなり。鼎の成るに居り、剛を體して柔を履む。勁きを用ひて鉉を施し、斯を以て上に處り、高くして亢なるを誡めず。夫の剛柔の節を得、能く其の任ずる者を舉ぐるなり。應は一に在らざれば、則ち舉げざる所靡し。故に大吉にして利しからざるなしと曰ふなり。
[四爻]
[王弼]
四爻は上卦の土台にあたり、初爻と応じている。その任に耐えられないので、足が折れるという。そのせいで、尊󠄄位のひとの食事をこぼしてしまった。床が食べ物で濡れている。
[東涯]
諸本には「形渥」を「刑屋刂」とつくる。重い刑である。陰の位なのに陽でいる。この大臣は天下の賢人と力を合わせて行動しなければならない。そこで応じている初爻を登用したが、実力がなく任に堪えなかった。それで公(四爻)に大恥をかかせることになる。それを鼎の足が折れて、公の食事をこぼすと表現しているのである。気が合うからと言って小人を用いてはならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
鼎は三足の鍋で、天下の宝器であり、王の象徴である。日本でいうところの三種の神器である。鼎は五味を調和することが出來る。だから肉であれ、魚であれ、釜で煮た後、最後は鼎に移して味を調えたのである。天地宗廟の祭祀に用いる神饌は鼎で調理され、賓客への御馳走も鼎が用いられた。伏羲の時代には、一つの鼎が宝器であった。もとより天地万物は一つのものから生じたわけで、天地人の三才は鼎の三足、それが鼎により調和されるのである。それが黄帝の時代に三つの鼎になった。三才を表すためであるという。堯舜までは三つであった。その後、夏王朝初代の禹王の時代に九つになった。なぜなら、九州(漢󠄃土全体は九つの國に分かれていた)を象徴するためである。周代まで九つであった。政治も料理と同じで、五味を調和して誰にとってもおいしいものでなければならない。だから鼎が王の象徴なのである。王を助けるのは宰相であるが、この宰の字は肉を盛って料理をこしらえるという意味である。そして十翼に鼎を主るのは長子であるとする。つまり、皇太子が皇統を継ぐべきであるというのである。それでこそ元吉なのである。
[彖傳]
初爻が鼎の足、二から四までに
があるが、これは物が入る部分である。五爻が耳、上爻が持ち運びのためのひもにあたる。五爻の耳に通すのである。元来、鼎は門外で煮炊きするもので、宗廟の門外東である。
[象傳]
木の上に火がある。火は物を煮炊きするのに必要であり、強すぎても弱すぎてもいけない。火にも陰陽があり、陽の火は強すぎて、すぐにものが焦げてしまう。逆に弱すぎると火が通らないで生のままである。陰陽が程よい状態ではじめて煮炊きが可能である。牛羊豚で鼎を分ける。是を三鼎という。三鼎は日月星を表す。心は巽順で耳目がしっかりしている。五爻の王は二爻の賢人を用いて大いに栄えるのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
[四爻]
四爻は大臣である。この大臣は自分と気が合うという理由だけで、徳の無い初爻を用いてしまった。それで、任に堪えず国政は混乱する。丁度鼎の足が重みに堪えず、折れてしまい、中に入っていた料理がこぼれてしまうようなものである。その料理というのが、宗廟に捧げる神饌で、八珍である。八珍とは八つの珍味という意味で豪華な料理である。八の数字にこだわらなくてよく、四方八方から極上の食材が集まったということである。極上の料理も、それを担当する人間のせいで台無しになる。政治も大臣の私心のせいで、変な人間に任せると大変なことになるのである。その大臣に対する刑は至極ひどいもので、屋刂という。小さな小屋で行われ、人に見せないために屋刂というもので覆いながら行われる。駄目な人間を私心で雇ったら、大臣が罰を受けるのである。
[象傳]
政治の混乱が起こってはどうしようもない。その悪人を私事で用いた大臣には極刑が施行されるのである。

6/2(木) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 五爻

6/2(木) 地澤臨(ちたくりん) 五爻


【運勢】
大局的に考え決断するのに良い時。
良い考えを思い付いた時、それを最善だと思ってはいけない。
周りの意見を柔軟に取り入れ、判断してこそ、真に最善であると言える。
思いやりの心を持ち、根気強く相手に向き合うと良い。


【結果】
䷒◎
地澤臨(ちたくりん) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。
彖に曰く、臨は剛浸して長ず。說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。


《爻辭》
六五。知臨す。大君の宜。吉。
象に曰く、大君の宜とは、中を行ふの謂ひなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。また、上から下を見下ろす余裕がある。今はとても運気が良い。しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。


《爻辭》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。また、上から下を見下ろす余裕がある。今はとても運気が良い。しかし、八か月後には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。
五爻は君位の爻である。よく世の中の事情を知り、賢者が誰かを把握し、登用しながら統治することは、君子のあるべき姿である。それはとてもよいことで、国は自ずと良く治まる。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の坤は岸である。岸の高い所から、下の水に臨んでいる。臨は望とは違う。望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。
[彖傳]
初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。続いて二陽になって此の臨となる。さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。そこで大いに亨る。明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。
[象傳]
地の上の高い所から下を俯瞰する。君子は思慮深くして物を教える。深く考えるのが兌の象である。教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。萬物を生じるのに窮まりが無い。坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。
《爻辭》

6/1(水) ䷿ 火水未濟(かすいびせい) 変爻無し

6/1(水) ䷿ 火水未濟(かすいびせい) 変爻無し


【運勢】
目標を定め、出来る事から進めると良い。成功への道のりは長い。
失敗を恐れて歩みを止めてはいけない。
何度でも立ち上がり、最後まで歩み続ける事が大切である。
諦めなければ、如何なる難局も乗り越えられる。


【結果】
䷿
火水未濟(かすいびせい) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)なし。
彖に曰く、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸なし」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。
象に曰く、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
柔が中にあり、剛に違わない。よく剛健を納めるので、うまく行く。小狐が大きな川を渡ることができない。あと少しの所󠄃で実現できない。剛健が難を抜き、その後に可能になる。ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。小狐渡れるだろうが、余力がない。もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。終わりまで続けられない。今も険難の時である。未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。位に当たらないので未濟である。剛柔が応ずれば済む。


〔東涯の解釋〕
未濟は事が成就しないことである。火が上に在り、水が下に在る。上下交わらない。互いに用いないので未濟という。五爻は柔で中にいる。ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。始めはうまく行く。そして、下に止まっていればよいのである。いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。上が陽で下が陰である。互いに妨害しない。


〔根本通明の解釋〕
下は水上は火である。水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。互いが作用しないので、萬物が創造されない。しかし、両者あるべき場所に在る。しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。だから最終的には亨るのである。
坎は狐である。この卦の場合、小さな狐である。それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。忍耐力が無いのである。忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。気力が無いと何事も達成できないのである。
[彖傳]
柔が中を得ている。五爻のことである。これが主爻である。また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。陰は陽に居て、陽は陰に居る。しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。最終的にはうまくいくのである。
[象傳]
火は南に居り、水は北に居る。自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。何事もはっきりと分ける象である。
離はものを明󠄃らかにする。それぞれが自分のいる場所にいることを示している。

5/31(火) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 初爻

5/31(火) 水澤節󠄄(すいたくせつ) 初爻


【運勢】
世の中が大いに複雑化する時。
複雑な状況の解決には、偏らない視点が大切になる。
正しい事とは何か問い続ける事が、過ちを防ぐ。
急いては事を仕損ずる。
節度を弁え、冷静に手の届く範囲で努力する事が大切である。


【結果】
䷻◎
水澤節󠄄(すいたくせつ) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。
彖に曰く、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。
象に曰く、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。


《爻辭》
初九。戶庭を出でず。咎なし。
象に曰く、戶庭を出でずとは、通塞を知るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
坎は陽で兌は陰である。陽が上で陰が下である。剛柔が分かれている。剛柔が分かれて乱れない。剛が中を得て制となる。主節󠄄の義である。節󠄄で最大は剛柔が分かれている時である。節󠄄で苦を過ぎれば堪えられない。それでは正に復せない。喜んで險を冒さず、中を過ぎて節󠄄となれば道󠄃が窮まる。


《爻辭》
節󠄄の初めであり、離散したものを整えて、制度を立てるものである。故に通則を明らかにし、険偽を熟慮する。戶の外の庭に出ず、謹慎を續ける。その後には事は整ってきて問題が無くなる。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
節󠄄は分かれて度がある。竹の節のことである。陰陽が均等である。二爻と五爻が剛中である。節󠄄があれば通り、及ばないという弊害がない。上爻は陰柔で正を得て窮まれば、節󠄄を過ぎて窮まる。君子の道は中に適うを貴しとする。人は剛で折れず、柔で撓まなければよろしい。又偏ることがない。うまく行く。及ばないことを恐れるのでなく、行き過ぎることに注意すべきである。


《爻辭》
内卦を戶といい、外卦を門という。戸外の庭は中門の内側にある。だから庭を戶庭という。初爻は陽で一番下に居る。上に正応があり、無暗に上に進む事は無い。達成できることが無くても、行き過ぎることもない。己の才能が外に出て達成できることがあっても、時勢が合わなければ、自分の場所󠄃をくらまし、時を待って行動すべきである。せっかちに先を急いでは禍にあってはいけない。伊尹が畎畝の中に居て、堯舜の道を楽しみ、終身したようなものである。君子の道である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
節は竹の節に由来する。中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。総ての事は竹の節の様に分限がある。天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。しかしそれでは生きていくことは出来ない。我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。
[彖傳]
下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。陳仲子の様に窮することになる。
[象傳]
沢の上に水が流れる。沢は四方に堤防があって水を溜めている。これが節である。程好い所に止まっている。君子は節に則って政を行う。


《爻辭》
約象(三四五爻)は艮で、互體(二三四爻)は震である。震の卦徳は動であるが、上には山があり、また下には沢があるから、出ようとして止める。其所で家の戸口、庭の門から外へ出ない。初九は陽爻を以て、陽位にあるから動かないのが正しい。
[象傳]
道徳の通る時と塞がって行われない時がある。今は道徳の行われない時であるから、外へ出ずに道を楽しんで居る方が宜しい。世間へ出ない為に咎を受け様が無い。

5/30(月) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 二爻初爻

5/30(月) 澤山咸(たくざんかん) 二爻初爻


【運勢】
相手を思いやるのに良い時。
自然な感性を大切にすると良い。
広い視野を持ち冷静に物事を捉え、その上で判断する事が大切である。
軽率な行動は慎むと良い。
誠実に正しさを守る事が出来れば、困難に遭う事はない。


【結果】
䷞◎二⚪︎初
澤山咸(たくざんかん) 二爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[二爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。彖に曰く、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《爻辭》
[二爻 優先]
六二。その腓(こむら)に咸ず。凶。居れば吉。象に曰く、凶と雖(いえど)も居れば吉とは、順(したが)えば害あらざるなり。
[初爻]
初六。其の拇に咸ず。
象に曰く、其の拇に咸ずとは、志外に在るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。天地万物の樣は感ずるところに現れる。同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。下に在って初めて吉である。虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


《爻辭》
[二爻 優先]
咸の道、轉り進み、拇を離れ腓に升る。腓の體は動き躁ぐ者なり。物に感じて以て躁ぐは、凶の道なり。躁ぐに由るが故に凶、居れば則ち吉なり。處るに剛に乘らず。故に以て居りて吉を獲るべし。
[初爻]
咸の初に處り、感ずるの始め爲り。感ずる所、末に在り。故に志有るのみ。其れ本にして實の如く、未だ靜なるを傷るに至らず。四、外卦に屬す。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。反転すると
雷風恒になる。恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。つまり、柔が昇って剛が下りている。陰陽二気が通じ合っているのである。内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。艮の少男を兌の少女に下す。皆和順している。物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。


《爻辭》
[二爻 優先][初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。兌は少女、艮は小男である。上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖傳]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。情欲の私があってはいけない。天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象傳]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。我が満ちていてはいけない。


《爻辭》
[二爻 優先][初爻]

5/29(日) ䷆ 地水師(ちすゐし) 五爻二爻

5/29(日) 地水師(ちすゐし) 五爻二爻


【運勢】
結果が求められる時。
理想を語るだけで無く、自ら率先して行動し、その意気込みを伝える事が大切である。
相手に思いが伝われば、理想は現実となる。
普段から道理を弁え行動する事で、非常時にも秩序を保てるだろう。


【結果】
䷆◎五⚪︎二
地水師(ちすゐし) 五爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎なし。
彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。田に禽有り。言を執るによろし。咎なし。長子は師を帥ゆ。弟子は尸を輿ふ。貞なれば凶。象に曰く、長子は師を帥ゆとは、中行を以てなり。弟子は尸を輿ふとは、使ふこと當らざるなり。
[二爻]
九二。師に在りて中なれば吉。咎なし。王三たび命を錫ふ。
象に曰く、師に在りて中なれば吉とは、天寵を承たるなり。王三たび命を錫ふとは、萬邦を懷くるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


《爻辭》
[五爻 優先]
師の時に處り、柔は尊位を得る。陰は先づ唱へず、柔は物を犯さず。犯されて後に應じ、往けば必ず直なるを得る。故に田に禽有るなり。物先づ己を犯す。故に以て言を執るべくして咎なきなり。柔は軍帥にあらず、陰は剛武にあらず。故に行ふを窮めず、必ず授を以てするなり。授けて主を得ざれば、則ち衆從はず。故に長子は師を帥いるべきなり。弟子の凶、固より其れ宜なり。
[二爻]
剛を以て中に居り、而して五に應ず。師に在りて其の中を得る者なり。上の寵を承ける。師の主なり。大役を任ずること重なりて、功なければ則ち凶。故に吉にして乃ち咎なきなり。師を行ひて吉を得れども、善く邦を懷くるなし。邦懷けば衆服す。錫ふこと重なることなし。故に乃ち命を成すことを得る。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。


《爻辭》
[五爻 優先][二爻]

5/28(土) ䷕ 山火賁(さんかひ) 初爻

5/28(土) 山火賁(さんかひ) 初爻


【運勢】
装いを整え、自らの価値を高めるのに良い時。
外面を気にし、内実が伴わない様ではいけない。
誠実さが大切である。
新しい試みを行う時は、形から入るのではなく、身近な所から進めると良い。
苦労から逃げてはいけない。


【結果】
䷕◎
山火賁(さんかひ) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 初陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
賁は、亨る。小しく往く攸有るに利し。
彖に曰く、賁は亨る。柔來たりて剛を文る。故に亨る。剛を分かちて上りて柔を文る。故に小しく往く攸有るに利し。天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成す。
象に曰く、山の下に火有るは、賁なり。君子以て庶政を明らかにし、敢へて獄を折むることなし。

《爻辭》
初九。其の趾を賁る。車を舍てて徒す。象に曰く、車を舍てて徒すとは、義として乘らざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
剛柔分かたざれば、文何に由りてか生ず。故に坤の上六、來たりて二の位に居る。柔來たりて剛を文るの義なり。柔來たりて剛を文り、位に居りて中を得。是を以て亨る。乾の九二、分かちて上位に居る。剛を分かちて上りて柔を文るの義なり。剛上りて柔を文り、中の位を得ず、柔來たりて剛を文るの若くならず。故に小しく往く攸有るに利し。

《爻辭》
賁の始めに在り、剛を以て下に處り。无位に居り、不義なるを棄つ。夫の徒歩するに安んじ、以て其の志に從ふ者なり。故に其の趾を飾る。車を舍てて徒す。義として乘らざるの謂ふなり。

5/27(金) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 二爻

5/27(金) 地澤臨(ちたくりん) 二爻


【運勢】
大局的に考え、正しい判断を下せる時。
周りの期待に応える事が大切である。
思いやりの心を大切にし、根気強く相手に向き合うと良い。
邪な考えに惑わされてはいけない。
決めた道は、最後まで堅実に守る事が大切である。


【結果】
䷒◎
地澤臨(ちたくりん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。
彖に曰く、臨は剛浸して長ず。說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。


《爻辭》
九二。咸臨す。吉にして利しからざることなし。
象に曰はく、咸臨す。吉にして利しからざることなしとは、未だ命に順はざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。また、上から下を見下ろす余裕がある。今はとても運気が良い。しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。


《爻辭》
[王弼]
五爻が応じている。剛が勝れば柔は危うくて五は柔である。志を同じくできるものではない。もし五爻に従えば陽徳を伸ばすことが出来ない。全てが相違していれば感応するものを失う。共感を得られれば、吉である。
[東涯]
剛中の才があり、五爻が応じている。必ず信任を得る。そして民に臨めば吉、問題ない。たとえ位に見合っていても上の者の知遇を得なければ物事為し得ない。初位はまだ弱い。知られるはずもない。だから何もできない。二は位にあって五爻が応じている。必ず知られてその志を遂げるだろう。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の坤は岸である。岸の高い所から、下の水に臨んでいる。臨は望とは違う。望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。
[彖傳]
初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。続いて二陽になって此の臨となる。さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。そこで大いに亨る。明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。
[象傳]
地の上の高い所から下を俯瞰する。君子は思慮深くして物を教える。深く考えるのが兌の象である。教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。萬物を生じるのに窮まりが無い。坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。


《爻辭》
九二の中庸の徳に、人は感じ従う所がある。 其所で何処へ往っても利の有らざることが無い。初爻、二爻と陽爻が進み、さらに三爻、四爻と段々進んで往く盛んなる所がある。
[象傳]
九二は、八月に至って凶が出ると云う運命に対して、中庸の徳を以て道徳が消えて滅びない様にして往く。命とは、天道循環する所で生じる道徳の衰えである。其れを人間の徳を以て、何処までも道徳が衰えない様にするのである。

5/26(木) ䷊ 地天泰(ちてんたい) 三爻

5/26(木) 地天泰(ちてんたい) 三爻


‪【運勢】‬
物事の調和が取れて、何事も上手く行く時。
周りからの期待に応える事が大切である。
苦しい時こそ節操を守ると良い。
誠意ある行動を心掛けると良い。
勢いを失ったとしても、変わらず謙虚に努力を続ける事が大切である。


‪【結果】
䷊◎
地天泰(ちてんたい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
泰は小往き、大來る。吉にして亨る。彖に曰く、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。象に曰く、天地交はるは泰。后以て天地の道󠄃を財成󠄃し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右す。


《爻辭》
平󠄃にして陂(かたむ)かざるはなく、往きて復らざるはなし。艱貞にして咎なし。其の孚(まこと)を恤(うれ)ふることなかれ。食󠄃において福有り。
象に曰く、往きて復らざることなしとは、天地の際なり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
泰は物が大いに通る時である。上下がよく通じれば、物はその節󠄄を失う。


《爻辭》
乾は上に基づき、坤は下に基づくので、泰を得たら、下りて升に与するのである。三爻は天地の際に居り、まさに元の場所に帰ろうとしてゐる。元ある場所に帰ると、上はその尊さを守り、下はその卑しさを守る。だから行けば戻らないのである。天地の閉じようとし、平らな道が坂になろうとする所󠄃で、時は大きく変わろうとする。世は大きく変わろうとしているが、それでも正しさを守る。動いても応じているものを失わない。難でも正しくある。正義を失わない。だから問題はない。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
泰は通󠄃るという意味である。卦は否と逆である。否の三爻の陰が外卦に行き、三陽が下に来たのである。陽は大であり、陰は小である。天気が下降して地気が上昇したのである。陰陽がよく通じているのである。人は世の中で、人と交際しながら生きていく。上は下をおさめ、下のものは上のものを助ける。君臣上下から親戚や町の仲間にまで言えることである。そして天下は治まるのである。よく通るので吉である。


《爻辭》
陂は平らでないことである。難を知りながら正しくある。三爻は泰の時にあり、内卦の上に在る。まさに中間を過ぎようとしている。予防の道󠄃をいうのである。平󠄃らで歩きやすい道もいつかは坂道になるし、行ってしまったものも最後には戻るのである。もし難󠄄を知って正しくいれば問題ない。期待する所󠄃の得失をとわず、自ずから福禄をえる。これが開物成務の道である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
泰の字は滑らかという義で、天地陰陽の気が流動して滞らず、能く万物を成長させる。太、代、世も皆通じる意味である。外卦が坤で、内卦が乾であるから、小は外の方に往き、大は内の方に来る。地の底で陽が三つになって、盛んになる。一ヶ年で考えれば、丁度旧暦の正月にあたる。旧暦の十一月に一陽来復するため、初爻目が十一月、二爻目が十二月、三爻目が正月となる。この卦は天の元気が地に十分に充ちて居る所の卦である。世の中で譬えてみれば、天子の恩沢が人民の間に一杯に溢れて居り、下々の者もそれに随って上の方に事(つか)え、上下相交わる所の卦である。その為、是より吉なる所の卦は無い。
[彖傳]
天の気が下に降り、地の気が上に昇り、天地の気の交わった所で、万物が発生する。地の中に陽気が十分に充ちており、陽気に随って陰気が外の方に昇っていく所である。一人の人にしてみれば、乾は心が十分に剛く、且つ外の行いは順従で人に抵抗しない。又世の中で譬えてみれば、内に在って事を用いるのは君子、外へ出て君子に使われているのは皆小人である。又世の道徳上の事にとってみれば、君子たる所の仁義の道が段々と盛んになって行き、小人の方の道は段々と滅びる所となる。
[象傳]
天地が交わり万物の生成が盛んになる。しかし人間がこれを輔けなければ、天地の造化は昌(さか)んになる様なものではない。天地があり、人間というものがあって、天地を輔けるから天地人、これを三才という。即ち君と書かずに后(きみ)の字を書いたのは、天地を承けてこれを相(たす)けるためである。財の字は裁に通じ、物を計って余計な所は裁り、少ない所はこれを補う。天子が天下を治め人民を取り扱うのは、我が家に生まれた赤子を養育する様な物で、倒れない様に右からも左からも手を引いて輔ける。そうして民を左右するのである。


《爻辭》
九三は乾の卦の終わりで、平らかな状況も陂(かたむ)き、一変する所がある。油断が出来ない。内に居た坤の小人が外へ出たのが、復た帰って来ないという道理は無く、必ず来るのが自然の理である。しかし苦しんでも正しい所を何処までも行って往けば、陂むかんとする所を持ち直すことが出来る。九三は下卦の一番上で大臣である。太平が長く続いて、人の心に怠りや奢りが生じ弊害が盛んになって来ても、誠を以て行っていけば大臣は大臣だけの食禄を得る所に於いては差し支えが無い。
[象傳]
天地が交わり、下にあるべき地が上の方へ往ったのであるから、傾いて下に落ちてこないという道理は無いと云う戒めである。これを耐えて太平を長く保って往くには、上たる者は己を虚しくして、下の賢人に能く下らなければいけない。