5/25(水) ䷖ 山地剥(さんちはく) 四爻

5/25(水) 山地剥(さんちはく) 四爻


【運勢】
悪人が多く蔓延り力を増す。物事を前に進めるのが困難な時。
徳のない者を相手にせず、正しさは内に秘めておくと良い。
何も考えず、素直に休む事も大切である。
起こり得る危険を的確に予測し、備えは万全にすると良い。


【結果】

山地剥(さんちはく) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
剝は往く攸有るに利しからず。彖に曰く、剝は剝なり。柔剛を變ずるなり。往く攸有るに利しからずとは、小人長ずるなり。順にして之を止む。象を觀るなり。君子は消息盈虚を尚ぶ。天の行なり。象に曰く、山、地に附く剝。上以て下を厚うし宅を安ず。


《爻辭》
六四。牀を剥するに膚を以てす。凶。
象に曰く、牀を剥するに膚を以てすとは、切に災に近づくなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
剝は割くの意󠄃である。下から陰が侵食し、最後に上爻だけに陽が残っている。これは徳の無い者がはびこり、有徳者が衰退している時である。このような時は何か事を起こす時ではないと、強く戒めるべきである。


《爻辭》
初二、牀を剥ぐ。民の安んずる所以なり。未だ其の身を剥するなり。四に至りて剥の道浸長し、牀既に剥がれ盡く。以て人身に及ぶ。小人遂に盛んなり。物、將に身を失はんとす。豈に唯だ正を削るのみならんや。凶とせざる所靡く。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
剝は刀で削り取っていくという意味である。徳の無い者が削り取りながら有徳者にせまっていくところである。このような時には有徳者は遁れておくのが良いのである。
[彖傳]
剝にはものを破る、落とすという義もあるが、この場合は削り落とすの意󠄃である。小人が世の中の隅々にはびこっているので、君子たるものはどこにも行かない方が良い。そして正しい行いをつづけていかなければならない。今はすべてが陰になろうとしているが、固く道徳を守り、一陽来復に備えておくべきである。
[象傳]
地の上に山がある。地は民であり、山は君主である。地が厚ければ山は盤石であるように、民の生活基盤が盤石であってこそ、君主は盤石なのである。卦の形は牀のようである。牀とは今の机のことで、一番上の上爻が机で、五爻までの陰爻が足である。
《爻辭》

5/24(火) ䷆ 地水師(ちすゐし) 変爻無し

5/24(火) 地水師(ちすゐし) 変爻無し


【運勢】
現実的な成果が求められる時。
いい加減な対応は大きな失敗に繋がる。気を抜かない事が大切である。
皆を率いて大事を進める場合は、目標に無理がないか改めて確認すると良い。
自ら率先して取り組む事が大切である。


【結果】

地水師(ちすゐし) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
師は貞なり。丈人なれば咎なし。
彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


〔東涯の解釋〕
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


〔根本通明の解釋〕
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。

5/23(月) ䷠ 天山遯(てんざんとん) 二爻

5/23(月) 天山遯(てんざんとん) 二爻


【運勢】
困難が目の前に迫る時。
失敗しても大丈夫、必ずやり直せる。
心の余裕を保つ事が大切である。
何事も中途半端は良くない。
最後までやり遂げ、価値ある結果を得る事が大切である。
正しいと思う道を信じて進むと良い。


【結果】
䷠◎
天山遯(てんざんとん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
遯は亨る。小しく貞に利し。
彖に曰く、遯は亨るとは、遯れて亨るなり。剛位に當りて應ず、時と與に行くなり。小しく貞に利しとは、浸して長ずるなり。遯の時義大なるや。
象に曰く、天の下に山有るは遯なり。君子以て小人を遠ざけ、惡うせずして嚴にす。


《爻辭》
六二。之を執ふるに黃牛の革を用てす。之を勝げて説くことなし。
象に曰く、執ふるに黃牛を用てすとは、志を固うするなり。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
遯の義なるや、遯るれば乃ち通ずるなり。五を謂ふなり。剛位に當りて應ず。亢を否ぐに非ざるなり。遯れて亢を否がず。よく時と與に行ふ者なり。陰道浸して長ぜんと欲す。正道もまた未だ全く滅びず。故に小しく貞に利しなり。天の下に山有り、陰長の象なり。


《爻辭》
内に居り中に處り、遯の主なり。物皆遯る。己のみ何を以て之を固くす。能く理を中にし順を厚くするの道を執り、以て之を固くするが若きなり。則ち之を勝げて説くことなし。

5/22(日) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 変爻無し

5/22(日) 澤山咸(たくざんかん) 変爻無し


【運勢】
公明正大な者に倣い、思いやりの心を持つのに良い時。
目で見て耳で聞く、自然な感性を大切にすると良い。
広い視野を持ち冷静に物事を捉え、その上で判断する事が大切である。
内実の伴う行動で誠意を示すと良い。


【結果】

澤山咸(たくざんかん)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。
彖に曰く、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。天地万物の樣は感ずるところに現れる。同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。下に在って初めて吉である。虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


〔東涯の解釋〕
咸は感じることである。反転すると
雷風恒になる。恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。つまり、柔が昇って剛が下りている。陰陽二気が通じ合っているのである。内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。艮の少男を兌の少女に下す。皆和順している。物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。


〔根本通明の解釋〕
是は下経の始まりである。上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。兌は少女、艮は小男である。上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖傳]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。情欲の私があってはいけない。天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象傳]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。我が満ちていてはいけない。

5/21(土) ䷇ 水地比(すゐちひ)→䷣ 地火明󠄃夷(ちかめいい)

5/21(土) 水地比(すゐちひ)→ 地火明󠄃夷(ちかめいい)


【運勢】
周りと親しみ、協力し助け合い、信頼関係を育むのに良い時。
些細な事に惑わされてはいけない。
強い信念を持って行動すれば、自ずと道は開けるだろう。
気を引き締め、問題の解決に努めると良い。


【結果】

本卦:水地比(すゐちひ)
之卦:地火明󠄃夷(ちかめいい)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
水地比》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。彖に曰く、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。象に曰く、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。


《之卦:
地火明󠄃夷》
明󠄃夷は艱貞に利し。彖に曰く、明󠄃、地中に入るは明󠄃夷。内文明にして外柔順。以て大難を蒙る。文王これを以てす。「艱貞に利し」とは、その明󠄃を晦すなり。内艱にして能くその志を正す。箕子之を以てす。象に曰く、明󠄃地中に入るは明󠄃夷なり。君子以て衆に莅(のぞ)みて晦を用ゐて明󠄃なり。


【解釋】
《本卦:
水地比》
〔王弼の解釋〕
比の時にあり、筮によって咎なきを求めようとしている。元永貞であろうか。人が群れて互いに親しみ、元永貞で無ければ、凶邪の道である。もし主に遇わなければ、永貞といえども咎を免れることが出来ない。永貞で咎なき者は、ただ五爻のみであろう。上下に五爻以外に陽がない。すべて五爻に帰す。親しみ安心する。後れるものは凶である。


〔東涯の解釋〕
比は相附き比することである。九五が位を得ている。そしてほかの五陰がつき従う。多くのものが一人を助けている。吉である。元永貞の後に郡陰に当たれば咎めがない。まだ安住の地に居ないものがいる。どんな剛強の者でも咎を免れない。柔弱󠄃であれば猶更である。


〔根本通明の解釋〕
比は親密なる所である。比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。上卦は水、下卦は地である。水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。五爻目は陽爻で天子にあたる。天子は人民と密着しており離れることが無い。ちょうど水と土の関係のようである。これは吉である。「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。転じて、賢明なる天子の称のようなものである。「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。
[彖傳]
比は吉である。また互いに相輔けることである。「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。
[象傳]
地の上に水があるのが比である。地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。君と民は親密な関係であり、離れようもない。こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。


《之卦:
地火明󠄃夷》
〔王弼の解釋〕
衆に莅むは顯明にして、百姓を蔽ひ僞る者なり。故に蒙を以て正を養ひ、明夷を以て衆に莅む。明を内に藏めれば、乃ち明を得るなり。明を外に顯かにすれば、乃ち辟くる所なり。


〔東涯の解釋〕
明󠄃夷は目をくらますことである。心の中では聡明で大きな徳を有しているが、外面は柔順である人、例えば文王のような人である。箕子は紂の親戚で國内にいたが、難󠄄に会い、内に志を正した。


〔根本通明の解釋〕
明らかなるものが傷ついて夷(や)ぶる。内卦の離は明らかなるもので、外卦の坤は欲である。前の卦の火地晋の明徳が欲のために夷ぶれ亡びようとする所の卦である。
[彖傳]
明らかなるものは地の底に這入って悉く失われる。明徳を身に懐いていながら、その明徳を外に現さずに巽順にして能く仕えている。その結果、柔順なる聖人は大難を蒙る。ちょうど文王と殷の紂王の無道なる時に該当する。
[象傳]
明らかなるものが地の中に這って真っ暗に為った所が明夷である。君子は万民の上に立って晦を用いる。天子は余り世間の事を細かい所まで見るようではいけない。

5/20(金) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 四爻初爻

5/20(金) 地雷復(ちらいふく) 四爻初爻


【運勢】
一陽来復。どんな災難に遭っても、運気は必ず好転する。
消極的な考え方を避け、積極的な人に倣うと良い。
偏った考え方を良しとしてはいけない。
精神の修養に努めると良い。
過ちは直ぐに改める事が大切である。


【結果】
䷗◎四⚪︎初
地雷復(ちらいふく) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。彖に曰く、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。象に曰く、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。中行獨復す。象に曰く、中行獨復すとは、以て道に從ふなり。
[初爻]
初九。遠からずして復る。悔に祗ることなし。元吉。
象に曰く、遠からざるの復は、以て身を修むるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
復はかえるの意󠄃味である。ひとつ前の
剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。一陽来復、また盛んになろうとしている。陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。


《爻辭》
[四爻 優先]
四は上下各二陰有りて、厥中に處り、履に其の位を得て、初に應ず。獨復する所を得、道に順ひて反る。物之を犯すなし。故に中行獨復すと曰ふなり。四爻の上下どちらにも二陰があって、厥中の処にいる。其の位を得て、初爻と応じている。独り復の処に復するのである。道に従い、物を犯すことがない。故に「中行獨復す。」という。
[初爻]
最も復の初に處り、始めて復る者なり。復ること速からず、遂に迷ひに至りて凶。遠からずして復り、幾れ悔ありて反る。此を以て身を修め、患難遠し。之を事に錯けば、其れ殆ど庶幾からんや。故に元吉なり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
復は本の所に反(かえ)るという意である。一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。天の気が地の底に来ることで万物は生じる。この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。「其道」とは、万物を生成する所の道である。「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。雷気が往くに従って万物が発生する。また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。それで「利有攸往」なのである。
[彖傳]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。「天地之心」は万物の生成である。
[象傳]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。


《爻辭》
[四爻 優先][初爻]

皇武會 新年度挨拶

会長挨拶


我々皇學館武道硏究會は先月で二年目に入りました。皆様のご支援とご協力に深く感謝申し上げます。今年度も何卒よろしくお願い申し上げます。
嬉しいお知らせの後に恐縮ですが、昨今我が国の世相を見ますと、内憂外患に悩まされる事ばかり思い浮かぶのではないでしょうか。しかし平和ボケという言葉が象徴する様に日本人の危機感は希薄であります。それでも近頃は国家を憂う意識を持つ方が段々と増え始めている事は喜ばしい限りであります。
我々の研究会は、小さいながらも一歩一歩勉強会活動など行ってきました。今年度は着実に成果を上げながら、社会に貢献したいと考えております。
我々の研究会には、様々な宗教、政治思想に関係している人が多くいます。又、武士道は宗教関係なく賛同できる崇高な理念であり日本人を正しい道へと導きます。皇學館武道硏究會の目的とするところの思想信念を目指すものであるならば、何ら宗教宗派・政治思想にこだわりません。各界各層に於かれましても視野を広く持ち、祖国日本の繁栄と発展を望むものならば、小事にこだわることなく、大道に立って国家社会に貢献することを第一に考えるものであります。
我々の志は以下の通りであります。
「忠孝一致・敢為邁往・捨身取仁・質実剛健」
この気魂を持ち、精神的にも成長したいと思っていらっしゃる方、ご支援並びに、ご参加のほどよろしくお願い致します。

皇學館武道硏究會会長 小松原盛太


こんにちは、東洋文化硏究會会長の中島玄人です。
この度は、皇學館武道硏究會が設立から無事に一年経過された事、心よりお慶び申し上げます。
ここ数年の間、世界中がコロナの被害を受け人との接触を避ける様になり、諸活動のオンライン化が進みました。
ポストコロナ時代。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との言葉通りに、歴史から教訓を得た者とそうでない者の差が明るみに出る時代です。
急速に変化する時代の荒波を超えて行くには、私達も歴史から学ぶ必要があります。
漢土の四書五経の一つ易経の雷風恆にはこの様に書かれています。恒=恆
「恆は亨る。咎なし。貞に利し。往く攸有るに利し。
彖に曰く。恆は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恆。恆は亨る。咎なし。貞に利しとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往く攸有るに利しとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恆とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷風は、恆なり。君子以て立ちて方を易へず。」
明治の漢学者、根本通明はこの様に纏めています。
「つね」は常と恒の二つがある。「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが、幾万年経っても易わらない所が有る。
恒。時代の流れに柔軟に対応しながら、志は決して変えず次の時代へと繋げて行く。
正しく日本人が持つ「道」の精神です。
皇學館武道硏究會の志の中核も武士道です。
この時代にこの理念、図らずも歴史から学び、天が味方していると感じます。
有言実行。一年目は大きな一歩です。
一年続けられたなら、二年、三年と必ず続けられます。
様々な困難を乗り越えたからこそ、今日という日を迎えられたと感じています。
心より感謝と尊敬を込めて、お祝いとさせていただきます。

東洋文化硏究會会長 中島玄人


令和4年度 役員編成

顧問    高野裕基
会長    小松原
相談役   中島
相談役代行 竹内
副会長   高野
副会長補佐 柿坂
総務    野田


会の名称、紋変更

会の名称を[皇學館武道研究会]から[皇學館武道硏究會]へと変更した。それに伴い紋を変更した。

】皇學館武道研究会の紋
】皇學館武道硏究會の紋

令和4年5月20日付

5/19(木) ䷜ 坎爲水(かんゐすい)→䷪ 澤天夬(たくてんかい)

5/19(木) 坎爲水(かんゐすい)→ 澤天夬(たくてんかい)


【運勢】
困難の絶えない時。
思い悩み立ち止まれば、問題は先送りになり、進退極まる結果となるだろう。
迷いを振り切り、決断する事が大切である。
後悔のないよう、志を曲げず、何事も迅速に取組むと良い。


【結果】

本卦:坎爲水(かんゐすい)
之卦:澤天夬(たくてんかい)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[四爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
坎爲水》
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


《之卦:
澤天夬》
夬は王庭に揚ぐ。孚(まこと)有りて號ぶあやふきこと有り。吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず。往くところ有るによろし。彖に曰く、夬は決なり。剛、柔を決するなり。健にして說󠄁(よろこ)ぶ。決して和す。「王庭に揚ぐ」とは、柔五剛に乘ずればなり。「孚有りて號ぶ、あやうきこと有り」とは、それ危めば乃ち光るなり。「吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず」とは、尚ぶ所󠄃乃ち窮まるなり。「往くところ有るによろし」とは、剛長じて乃ち終るなり。象に曰く、澤、天に上るは夬。君子以て禄を施して下に及ぼす。德に居りて則ち忌む。


【解釋】
《本卦:
坎爲水》
〔王弼、東涯の解釋〕
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


〔根本通明の解釋〕
危険なるものの上に危険なるものが重なり、険難の象である。しかし如何に危険な状況にあっても孚(まこと)を失ってはいけない。たとえ禍のために僵(たお)れても、その行いの尊ぶべき所は死後も人から称される。この孚が水から出てくるのは、潮汐は時を間違えず、月は旧暦十五日に必ず満月になる。この間違いの無い所から孚の象がある。
[彖傳]
習坎は陰を重ねたもので、これは習の字を釋(と)いたものである。水は常に流れ続け、塞がる所が無ければ、盈ちて溢れることが無い。水の流れは岩にぶつかったり、流路が屈曲したり困難な所があるが、潮が上り潮が下るという所においては間違いが無い。このように人は如何なる危険な所にあっても、如何なる苦しみに遭っても、信を失ってはいけない。信を失わず進んでゆくのが功である。二爻と五爻の陽爻は剛にして中正であり、中庸の徳を持っている。山川丘陵の険しく侵し難い所を、王公は外国からの護りに用いる。また小人が跋扈し君子が難に遭い苦しみを受ける世の中である。
[象傳]
洊(かさ)ねるという字は「再び」「仍る」と解くことができる。水は如何なる危険な所を流れても常に失わない孚がある。そこで徳の行いを常にする。教育を重ね、徳を育てなければいけない。


《之卦:
澤天夬》
〔王弼、東涯の解釋〕
夬は決める、引き裂くの意󠄃味である。形は
剝の反対である。君子が勢いを持ち、徳のないもの(上爻)を征伐する象である。五陽に一陰が載っている。危うい状態に耐えきったら大きな功をなす。徳の無い者と戦うときはただ武力のみに頼るのでなく、誠実さを以て臨むべきである。終には徳の無い者は除かれ、平和になる。


〔根本通明の解釋〕
夬は円(まる)い物を欠いて割るという義である。上六の陰爻は大奸物(だいかんぶつ:悪知恵のはたらく心のひねくれた人間)である。それが九五の天子に近接している。巧言令色をもって諂って居るのが、段々と蔓延(はびこ)って害を為す。必ず上六を撃たねばならない。「揚于王庭」とは、この大臣の悪を明らかにして皆に告げる所である。「孚号」は、大臣を除くにあたり誠心をもって協力を呼び掛けるのに号(さけ)ぶ所である。天下はこれを信じ、協力は得られる。しかし兵を挙げて撃つのではない。早まってはいけない。[彖傳]
密接している悪を斬って除く。一番上の陰爻を切り離す。剛が柔を決する。柔の小人は五人の賢人君子の上に上がって権勢を専らにしているので、その罪を揚げるのである。厲(あやう)い所があるから容易に手を出してはならない。危ぶみ慎しんで、人民が騒がしくならないように能く鎮撫する。孚(まこと)を尊び、時を見て動かなければならない。早く往き過ぎると却って窮する所が出てくる。剛が次第に長じてくる所であるから、終(つい)には事を終え遂げることが出来る。
[象傳]
沢の水の気が、乾の天の上にあり、水気がまた下に戻ってくる。君子は恩沢を下々の方まで汎く施す。恩沢を上の方で置き蓄えて、吝(おし)み下へ及ぼさないのは君子にとって忌み嫌う所である。

5/18(水) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 四爻初爻

5/18(水) 澤水困(たくすいこん) 四爻初爻


【運勢】
物事を前に進めるのが困難な時。
内実が伴わなければ信頼されない。
着飾ろうとせず、成果の出ない時は寡黙に努力し誠実さを体現すべきである。
希望を捨てず正しさを守り続ける事が大切である。好機は必ず訪れる。


【結果】
䷮◎四⚪︎初
澤水困(たくすいこん) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。來ること徐々。金車(きんしや)に困(くる)しむ。吝(りん)なれども終はり有り。象に曰く、來ること徐々とは、志下に在るなり。位に當(あた)らずと雖(いへど)も、與(とも)有るなり。
[初爻]
初六。臀(とん)、株木(ちゅぼく)に困(くる)しむ。幽谷(ゆうこく)に入る。三歳、観ず。象に曰く、幽谷に入るとは、幽(くら)くして明らかならざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は初爻を志しているが、二爻の金車(堅い車)に邪魔されている。金車とは二爻である。陽爻で剛く、物を載せるのによい車である。気の合う者󠄃がいても、間に障害があってなかなか会えないで困っている。しかも、初爻と二爻とは相性が良い。しかし、四爻は初爻と応じており、我慢すれば最終的には初爻と会うことが出來る。
[初爻]
最も底の下に處り、沈み滯り卑しく困しむ。居るに安んずる所なし。故に臀株木に困しむと曰ふなり。其の應ずるに之かんと欲すれども、二、其の路を隔つ。居れば則ち株木に困しみ、進めば拯ふを獲ず、必ず隱れ遯るる者なり。故に幽谷に入ると曰ふなり。困の道爲るや、數歳を過ぎざる者なり。困を以て藏しみ、困しみ解けば乃ち出づ。故に三歳まで覿ずと曰ふ。
幽と言ふは、明らかならざるの辭なり。明らかならざるに入りて、以て自ら藏するなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は初爻と応じており、四爻は陽爻、初爻は陰爻で陰陽も応じていて、非常に相性が良い。しかし、初爻は小人である。徳が無い。その諸初爻が助けを求めるので四爻は助けに向おうとするが、何分初爻は信用できないので、二の足を踏んでいる。しかも、二爻の賢人が初爻のところに行ってはならないと教え諭す。初爻を助けたいという気持ちに悩まされるが、二爻の諫めもあって、初爻のところに行かず小人と関わらずに済んだ。
[象傳]
志が下に在るというのは、四爻が初爻を助けようとすることである。四爻は陰の位に陽でいるが、二爻の賢人の助けを得て、世の中を救うことが出來る。
[初爻]

5/17(火) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 変爻無し

5/17(火) 雷天大壯(らいてんたいそう) 変爻無し


【運勢】
勢いに流されやすい時。
冷静に状況を分析し、引き際を見極める事が大切である。
何も考えず行動すれば、余計な苦労をする事になる。行動前にひと呼吸置くと良い。
堅実に正しさを守れば、何事も上手く行く。


【結果】

雷天大壯(らいてんたいそう) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
大壯は貞に利し。彖に曰く、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰く、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


〔東涯の解釋〕
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


〔根本通明の解釋〕
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。