4/6(水) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 変爻無し

4/6(水) 水雷屯(すいらいちゅん) 変爻無し


【運勢】
世の中が雷雨の様に勢い付き、混沌とし、困難の絶えない時。
問題を一人で抱え込んではいけない。
周りの力を借りて柔軟に対応する事が大切である。
何事も安易に判断せず、将来を見据え、堅実に土台を築くと良い。


【結果】

水雷屯(すいらいちゅん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。
彖に曰く、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。
象に曰く、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


〔根本通明の解釋〕
屯は止まり艱(なや)むという義である。下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖傳]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。この人が進んで遂に侯になる所の卦である。雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象傳]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。この雲雷の象によって世の中を治める。

4/5(火) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 四爻初爻

4/5(火) 雷天大壯(らいてんたいそう) 四爻初爻


【運勢】
目の前の障害は自然と取り除かれる。勢いに乗って大事を進めるのに良い時。
ただ、何も考えず行動すれば余計な苦労をする。行動前にひと呼吸置くと良い。
信念を持ち堅実に正しさを守れば、何事も上手く行く。


【結果】
䷡◎四⚪︎初
雷天大壯(らいてんたいそう) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。
彖に曰く、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《爻辭》
[四爻 優先]
貞にして吉。悔い亡ぶ。藩決して羸(ちぢ)まず。大輿の輹(とこしばり)に壮なり。
象に曰く、藩決して羸(ちぢ)まずとは、往くを尚(とうと)ぶ。
[初爻]
初九。趾に壯なり。征けば凶、孚有り。
象に曰く、趾に壯なりとは、其の孚、窮まるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


《爻辭》
[四爻 優先]
下は剛健で進む。憂慮すべきことがあろう。陽で陰に居る。行きて謙に違わず、壮を失わない。だから正しくしていれば吉で悔いがなくなるのである。すでに壮であり、上は陰で己の進󠄃む道󠄃ははっきり見える。
[初爻]
夫れ大壯を得る者、必ず能く自ら終へ成すなり。未だ物に陵ぎ犯さるる有らずして、其の壯なるを終ふるを得る者なり。下に在りて壯なり。故に趾に壯なりと曰ふなり。下に居りて剛壯なるを用ふ。斯を以て進めば、窮まりて凶なること必すべきなり。故に征けば凶、孚有りと曰ふなり。
其の信窮まると言ふ。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は大壮にあり、陽なのに陰に居る。悔いることもあろうが、必ず正しくあれば後に吉となるのである。咸の四爻と同じで、三がが昇ってきて陽を承けると、進行に妨害が入る。四爻の上は二陰がある。進んでも害はない。雄羊が柵が開いて逃げて角を矯めない。上爻を承ける。だから羊とは言わない。乾爲天の四爻に龍が居ないのと同じである。陽であり五爻の陰を承ける。これが輿のようで、よく大任にたえられる。剛壮な人が智略を用いて早く進めば悔いを残す。終に志を遂げることが出来ない。だから正しければ吉と忠告しているのである。昇進するときは注意が必要である。
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四は震の卦の主爻であり、正しくする所で後悔が無くなる。併し四爻目から先は陰爻であり、先が開けているから、大いなる途と取る。然るに雷の如くに動いて進んで往く。
[象傳]
藩根は眼の前に無く、羸(つか)れる気遣いは不要である。最早動くべき時であるから、往く所を尚ぶ。四爻目は丁度旧暦の二月に當って居り、雷の鳴る時節であるから、時を得ている。雷が進めば、萬物が生まれ花も咲く。
華と云う字は震の卦の象である。
[初爻]

4/4(月) ䷖ 山地剥(さんちはく) 初爻

4/4(月) 山地剥(さんちはく) 初爻


【運勢】
悪人が多く蔓延り力を増す。物事を前に進めるのが困難な時。
正しさは内に秘めておくと良い。
何事も、土台が不安定では上手く行かない。
弱みにつけ込まれる事のない様に、冷静に己を俯瞰し、土台を固める事が大切である。


【原文】
《卦辭》
剝は往く攸有るに利しからず。
彖に曰く、剝は剝なり。柔剛を變ずるなり。
往く攸有るに利しからずとは、小人長ずるなり。順にして之を止む。象を觀るなり。君子は消息盈虚を尚ぶ。天の行なり。
象に曰く、山、地に附く剝。上以て下を厚うし宅を安ず。


《爻辭》
初六。牀を剥するに足を以てす。貞を蔑にす、凶。
象に曰く、牀を剥するに足を以てすとは、以て下を滅するなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
剝は割くの意󠄃である。下から陰が侵食し、最後に上爻だけに陽が残っている。これは徳の無い者がはびこり、有徳者が衰退している時である。このような時は何か事を起こす時ではないと、強く戒めるべきである。


《爻辭》
牀は、人の安んずる所以なり。牀を剥するに足を以てす、猶ほ牀の足を剥ぐと云ふがごときなり。蔑は猶ほ削るがごときなり。牀の足を剥ぐ、下を滅する道なり。下道始めて滅べば、剛隕ち柔長ず。則ち正削られて凶來たるなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
剝は刀で削り取っていくという意味である。徳の無い者が削り取りながら有徳者にせまっていくところである。このような時には有徳者は遁れておくのが良いのである。
[彖傳]
剝にはものを破る、落とすという義もあるが、この場合は削り落とすの意󠄃である。小人が世の中の隅々にはびこっているので、君子たるものはどこにも行かない方が良い。そして正しい行いをつづけていかなければならない。今はすべてが陰になろうとしているが、固く道徳を守り、一陽来復に備えておくべきである。
[象傳]
地の上に山がある。地は民であり、山は君主である。地が厚ければ山は盤石であるように、民の生活基盤が盤石であってこそ、君主は盤石なのである。卦の形は牀のようである。牀とは今の机のことで、一番上の上爻が机で、五爻までの陰爻が足である。
《爻辭》

4/3(日) ䷹ 兌爲澤(だゐたく) 四爻三爻

4/3(日) 兌爲澤(だゐたく) 四爻三爻


【運勢】
喜びを分かち合うのに良い時。
自分本位な考え方は身を滅ぼす。初めに意志の弱さを克服しなければならない。
真心で支え合える関係を育む事が大切である。
心を込めて恩に報いる事が出来れば、何事も上手く行くだろう。

【結果】 ䷹◎四⚪︎三
兌爲澤(だゐたく) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖に曰く、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰く、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。商(はか)りて兌(よろこ)ぶ。未だ寧(やす)からず。介として疾めば喜び有り。
象に曰く、九四の喜は慶有るなり。
[三爻]
六三。來りて兌(よろこ)ぶ。凶。象に曰く、來りて兌ぶの凶は位当たらざればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。この卦は
が二つ重なってできている。は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。


《爻辭》
[王弼]
商は量る、裁く、制するの意󠄃である。介は隔てるの意󠄃。三爻はおもねりの喜びを用い、至尊󠄄の五爻に近づく。だから四爻が剛德を以て裁き、三爻を隔てる。内を正し、外を制す。だから未だ寧(やす)からずである。危機に近づき、邪を遠ざけ、疾病を隔てる。喜びがある。
[東涯]
四爻は兌にあって、上は五爻で中正である。三爻の陰柔に比の関係(相性が良い)で、從うところを考えている。取捨して未だ決まらない。だから心が安定しない。そして質は本来は陽剛、よく正しさを守る。邪悪を遠ざければ、喜びがある。前󠄃に從えば上り、惡に從えば崩れる。君子は親しみにくく、小人は付き合いやすい。剛德を大切にすれば喜びを得る。
[三爻]
陰柔の質で履むのはその位でない。来たりて喜びを求めるものである。正しくないのに喜びを求める。邪な佞人である。外を行くのを往とし、内を行くのを來とする。内に居て喜びを求める。陰柔で不中正。上に応じる者がいない。内卦の二つの陽について喜びを求める。間違っている。下に行って喜びを求めるようでは凶。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
兌は喜びである。自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。彖傳が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。そこで「貞利」なのである。
[彖傳]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。
[象傳]
兌の卦を澤と言う。澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。これが麗澤である。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四は名君の九五を輔ける大臣である。しかし傍らにいる巧言令色な小人の六三に迷わされる。九四は說び親しむ所を考えて未だ心が定まらない。其所で邪なる所の疾(六三)を隔てたなら喜びが出て来る。
[象傳]
九四の大臣に目出度き所の喜びが出て来ると共に、国家の大いなる慶びが出てくる。「慶」の字は一人の慶びでなく、大いなる慶びである。
[三爻]

4/2(土) ䷮ 澤水困(たくすいこん)→䷦ 水山蹇(すいさんけん)

4/2(土) 澤水困(たくすいこん)→ 水山蹇(すいさんけん)


【運勢】
努力しても内実が伴わない。
前進するのが困難な時。
好機はいずれ訪れる。今は修身斉家を心掛け、力を蓄える事が大切である。
困難な時にこそ、その者の真価が問われる。
正しさを堅く守ると良い。


【結果】

本卦:澤水困(たくすいこん)
之卦:水山蹇(すいさんけん)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻][三爻][二爻]


【原文】
《本卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《之卦:
水山蹇》
蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。
彖に曰く、蹇は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。
象に曰く、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。


【解釋】
《本卦:
澤水困》
〔王弼、東涯の解釋〕
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


〔根本通明の解釋〕
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《之卦:
水山蹇》
〔王弼の解釋〕
西南は地であり、東北は山である。難󠄄しい平地を行けば解決は難しい。難󠄄しい山地を行けば道󠄃が窮まる。爻は全部位に当たっている。正しきを履んでいるのが、邦を正す道である。ただし、難に遇うと正を失う。それは良くない。小人には対処できない。難󠄄を除くには德を高めるしかない。


〔東涯の解釋〕
蹇は難である。進むことができない。前に難があり進めず、険難があるので止まる。蹇が変わると解になる。解の二爻が外卦の五爻に行って中を得る。だから、西南がよく、止まりて進まない。東北に利なし。五爻は位に当たって中正。君を得て、國を正すことが出來る。だから賢人に遇う時であるという。世が乱れているので、蹇に遇えば身を滅ぼす。時を待って行動せよ。我が身を反省して、德を修めよ。


〔根本通明の解釋〕
蹇は歩行が難󠄄しい状況である。西南がよい、上卦が
であるが、上に在る時は月󠄃である。二三四爻の互卦にもがある。これは三日月を表す。旧暦の三日に西南から現れ、東北になくなる。又西南は坤である。草莽にいてどこまでも学問をして學藝を磨くのかよい。何の能力もなく朝廷に出ようとしてはならない。艮は朝󠄃廷を表す。学問を修めたのなら、賢人に遇って、天下を経営するのに良い。
[彖傳]
の卦は大水であり、行けばおぼれてしまう。は止まるであるから、大水に行かずにとどまった。目の前に大水があるので、進めない。止まるべきところで止まるのが知である。西南に於いて学問を修めから、東北に行けば賢人に遇って、明君を得ることになる。今は無学であるから、進んでも利なし。険難の時代に生まれても大いに活躍できるのである。
[象傳]
君子は険難の時代には、良いことをしようとしてもうまく行かない。そこで、己を正しくして、だんだんと德を修めると二爻から上爻までは正しい位にいるが、初爻だけは陽の位に陰でいる。始めが正しくないといけない。だから君子はまず自分の修身から始めるのである。

4/1(金) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 三爻

4/1(金) 澤山咸(たくざんかん) 三爻


【運勢】
主体性を持って行動すべき時。
軽はずみな行動を慎み、誠実に正しさを守る事が大切である。
一刻千金。周りに流されて、無為に時を過ごしてはいけない。
献身的な努力が実を結ぶ。
初心にかえり、気を引き締めると良い。


【結果】
䷞◎
澤山咸(たくざんかん) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。
彖に曰く、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《爻辭》
九三。其の股に咸ず。執りて其れ隨ふ。往くは吝なり。
象に曰く、其の股に咸ずとは、また處らざるなり。志、人に隨ふに在り。執る所下なればなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。天地万物の樣は感ずるところに現れる。同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。下に在って初めて吉である。虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


《爻辭》
股の物爲るや、足に隨ふ者なり。進めば動くを制すること能はず、退けば靜に處ること能はず。感ずる所股に在るは、志、人に隨ふに在る者なり。志人に隨ふに在るは、執る所もまた賎しきを以てす。斯を用ひて以て往けば、吝なること其れ宜なり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。反転すると
雷風恒になる。恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。つまり、柔が昇って剛が下りている。陰陽二気が通じ合っているのである。内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。艮の少男を兌の少女に下す。皆和順している。物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。兌は少女、艮は小男である。上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖傳]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。情欲の私があってはいけない。天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象傳]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。我が満ちていてはいけない。
《爻辭》

3/31(木) ䷯ 水風井(すいふうせい) 初爻

3/31(木) 水風井(すいふうせい) 初爻


【運勢】
普段よりも邪な心を持ちやすい時。
不遇な時でも変わらず正しさを守り、地道に努力を続ける事が大切である。
至誠通天。綺麗な飲み水と同様に誠実な者の善行は万人から受け入れられる。
真心が生活を豊かにするだろう。


【結果】
䷯◎
水風井(すいふうせい) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
井は邑を改めて井を改めず。喪ふことなく得ることなし。往来井を井とす。汔(ほとん)ど至らんとして亦た未だ井に繘(ゐつ)せず。其の瓶を羸(やぶ)る凶。彖に曰く、水に巽れて水を上ぐるは井。井は養ひて窮まらず。邑を改めて井を改めざるは乃ち剛中をっ以てなり。汔(ほとん)ど至らんとして未だ井に繘(ゐつ)せずとは、未だ功有らざるなり。其の瓶を羸(やぶ)る、是を以て凶なるなり。象に曰く、木の上に水あるは井。君子以て民を勞し、勧め相(たす)く。


《爻辭》
初六。井泥にして食はれず。舊井に禽なし。
象に曰く、井泥にして食はれずとは、下なればなり。舊井に禽なしとは、時舍つるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
井は不変の徳がある。常にあり、変化しない。ほぼ到達するのに井の水が出てこない。井は水が出なければ意味がない。至る直前でこぼしてしまったら、汲まないのと同じである。剛中である。だからよくその場にとどまり、変わらない。


《爻辭》
最も井の底に在り、上もまた應ずるなし。沈み滯りて滓穢る。故に井泥にして食はれずと曰ふなり。井泥にして食ふべからざれば、則ち是れ久井の渫治さ見ざる者なり。久井渫治さ見ざれば、禽すら嚮せざる所なり。而るに況んや人をや。一に時共に棄舍する所なり。井は、變はらざるの物にして、德の地に居る。恆德至賎なれば、物取るなきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
汔はほとんど、繘は井戸の水をくみ上げる綱、瓶は水を汲む器、羸は破れるの意󠄃。内卦は木、その徳は入る。外卦は水。木が水の下に入って水をくみ上げる。よく人を養い、極まることがないのである。二爻も五爻も剛中の才があり、常の徳がある。そして人々を養う。井の水は減りもしないし、増えもしない。往来の人々は、みなその恩恵にあずかる。また、井は水を汲んで初めて役に立つ。水をほとんどくみ上げたところで、綱が上まで来なかったり、器が壊れてしまっては、何の役にも立たない。君子が德を修め、世の中に不正がはびこっても常に一人正しさを守り、世の中にどんな禍󠄃があろうとも不易の道を進む。窮まったり、通ったりで増えも減りもしない。あまねく人々のためになる。終始励み、怠らない。そして成功をおさめるのである。其の志を挫くことは出来ない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
此の井は、俗に言う井戸で、水を汲み上げて以て人を養う所である。井戸の水は人間の徳に譬えたものである。乃ち道徳である。邑が変わり、国が種々に変化しても、道徳は動かすべきものでない。井戸の水は幾ら汲んでも減じて無くなる事は無く、また汲まずに置いても溢れ出る事も無い。地の中に名水を掘り当て清水が湧出するのは、学問を修め仁義礼智の徳が湧き出でて来るが如くである。釣瓶縄を置かなければ之を汲み上げることが出来ないように、道徳ある人物を朝廷へ薦め挙げる人が無ければいけない。しかし、賢人を妬み釣瓶を壊す小人もあり、之は最も凶である。
[彖傳]
下卦の巽は五行では木の象である。其処で瓶に取る。上卦の水の中に瓶を入れる形である。井戸は、水を幾ら汲んで人を養っても尽きることは無い。賢人と云うものも道徳を以て多くの人に施し養うが、道徳は尽きることが無い。此の卦は二爻目と五爻目とも剛中を得ているから、中庸にして長く施して養う所がある。しかし折角井戸を掘っても繘(つるべ)が無い。学問道徳盛んな人があっても、朝廷において挙げて用いなければ養ったところの功が出て来ない。また釣瓶を蠃(や)ぶり、賢人を用いないように讒言を以て害する者がある。是を以て凶である。
[象傳]
木の上に水がある。即ち繘を井戸の中へ入れる形である。水は広く人を養うものであり、農業が最も盛んなるものである。君子は水を以て農民を良く励まし助ける所がある。
《爻辭》

3/30(水) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

3/30(水) 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻


【運勢】
慎重な判断が求められる時。
行動前に、ひと呼吸置く習慣をつけると良い。
急がば回れ。逸る気持ちを抑え堅実に正しさを守る事が大切である。
自らの力を弁えず勢いに身を任せれば、進退窮まる結果となるだろう。

令和四年壬寅
春三月癸丑朔壬午


【結果】
䷡◎
雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《爻辭》
上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利しき攸なし。艱むときは則ち吉。象に曰く、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、詳にせずるなり。艱むときは則ち吉とは、咎長かふざるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


《爻辭》
三に應ずる有り。故に退くこと能はず。剛長ずることを懼る。故に遂ぐること能はず。疑ひを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱むときは則ち吉と曰ふ。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。
《爻辭》

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。
《爻辭》

3/29(火) ䷆ 地水師(ちすゐし) 変爻無し

3/29(火) 地水師(ちすゐし) 変爻無し


【運勢】
現実的な成果が求められる時。
いい加減な対応は、大きな失敗に繋がる。気を抜かない事が大切である。
皆を率いて大事を進める場合は、目標に無理がないか改めて確認すると良い。
自ら率先して取り組む事が大切である。


【結果】

地水師(ちすゐし) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
師は貞なり。丈人なれば咎无し。彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


〔東涯の解釋〕
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


〔根本通明の解釋〕
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。

3/28(月) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻

3/28(月) 澤地萃(たくちすい) 三爻


【運勢】
正しさを守り、物事を前に進めるのに良い時。
重要な場面で気を抜かない事が大切である。
積極的に誠意を持って取り組めば、何事も上手く行くだろう。
この様な機会は、望んでも得られないので、大切にすべきである。


【結果】
䷬◎
澤地萃(たくちすい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。
彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。


《爻辭》
六三。萃如、嗟如。利しき攸なし。往けば咎なし。小し吝。
象に曰く、往けば咎なしとは、上巽ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
萃は集まることである。物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。祭祀は大切にすべきである。古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。


《爻辭》
[王弼]
履むに其の位に非ず、以て四に比しむ。四もまた位を失ひ、正ならずして相聚まる。相聚まりて正ならざるは、患ひの生ずる所なり。人の應ずるに于いて、害の起く所なり。故に萃如、嗟如。利しき攸なきなり。上六もまた應ずるなくして、獨り立つ。極に處りて危ふきを憂ひ、援けを思ひて朋を求む。巽ひて以て物を待つ者なり。其の正しからざるに萃まる與りは、志を同じくするに之くに若かず。故に以て往くべくして、咎なきなり。二陰相合ふは、猶ほ一陰一陽の至るに若かざるがごとし。故に小しく吝有るなり。
位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。
[東涯]
陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
萃の下に亨の字があるのは間違いである。萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。そして、豚羊牛で祭るのが良い。そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。
[彖傳]
萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。天命にしたがうというのは、
巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。天子の恩沢に人々は集まるのである。
[象傳]
人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。


《爻辭》
九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。
[象傳]
六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。