3/17(木) ䷦ 水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻

3/17(木) 水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻


【運勢】
どの道を選んでも厳しい時。
積極的な行動は裏目に出る。解決に適した時期が来るのを待つべきである。
今は焦らず修身斉家を心掛け、力を蓄えると良い。
為せば成る。最後まで諦めず公の為に尽くす事が大切である。


【結果】
䷦◎三⚪︎二
水山蹇(すいさんけん) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。
彖に曰く、蹇は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。
象に曰く、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三。往けば蹇み來り反る。
象に曰く、往けば蹇み來り反るとは、内之れを喜ぶなり。
[二爻]
六二。王臣蹇蹇す、躬の故に匪ず。
象に曰く、王臣蹇蹇すとは、終に尤なきなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は地であり、東北は山である。難󠄄しい平地を行けば解決は難しい。難󠄄しい山地を行けば道󠄃が窮まる。爻は全部位に当たっている。正しきを履んでいるのが、邦を正す道である。ただし、難に遇うと正を失う。それは良くない。小人には対処できない。難󠄄を除くには德を高めるしかない。


《爻辭》
[三爻 優先]
進めば則ち險に入り、來れば則ち位を得。故に往けば蹇み來り反ると曰ふ。下卦の主爲りて、是れ内の恃む所なり。
[二爻]
難の時に處り、履むに其の位に當る。居に中を失はず、以て五に應ず。五、難の中に在るを以てせず。私の身害を遠ざけ、心を執りて回らず。志、王室を匡す者なり。故に王臣蹇蹇す、躬の故に匪ずと曰ふ。中を履みて義を行ひ、以て其の上を存す。蹇に處るに此を以てすれば、未だ其の尤を見ざるなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
蹇は難である。進むことができない。前に難があり進めず、険難があるので止まる。蹇が変わると解になる。解の二爻が外卦の五爻に行って中を得る。だから、西南がよく、止まりて進まない。東北に利なし。五爻は位に当たって中正。君を得て、國を正すことが出來る。だから賢人に遇う時であるという。世が乱れているので、蹇に遇えば身を滅ぼす。時を待って行動せよ。我が身を反省して、德を修めよ。
《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
蹇は歩行が難󠄄しい状況である。西南がよい、上卦が
であるが、上に在る時は月󠄃である。二三四爻の互卦にもがある。これは三日月を表す。旧暦の三日に西南から現れ、東北になくなる。又西南は坤である。草莽にいてどこまでも学問をして學藝を磨くのかよい。何の能力もなく朝廷に出ようとしてはならない。艮は朝󠄃廷を表す。学問を修めたのなら、賢人に遇って、天下を経営するのに良い。
[彖傳]
の卦は大水であり、行けばおぼれてしまう。は止まるであるから、大水に行かずにとどまった。目の前に大水があるので、進めない。止まるべきところで止まるのが知である。西南に於いて学問を修めから、東北に行けば賢人に遇って、明君を得ることになる。今は無学であるから、進んでも利なし。険難の時代に生まれても大いに活躍できるのである。
[象傳]
君子は険難の時代には、良いことをしようとしてもうまく行かない。そこで、己を正しくして、だんだんと德を修めると二爻から上爻までは正しい位にいるが、初爻だけは陽の位に陰でいる。始めが正しくないといけない。だから君子はまず自分の修身から始めるのである。
《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]

3/16(水) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 四爻

3/16(水) 風地觀(ふうちかん) 四爻


【運勢】
過去から学び、今を見つめ直すのに良い時。
事の是非は見方により変化する。
相手の言葉を表面で捉えてはいけない。真意を推察する事が大切である。
敬いの心を持ち、謙虚に己の役割を果たす事で道は大きく開けるだろう。


【結果】
䷓◎
風地觀(ふうちかん) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。
彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。
象に曰く、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《爻辭》
六四。國の光を觀る。王に賓たるに用ふるに利し。
象に曰く、國の光を觀るとは、尚びて賓とするなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


《爻辭》
觀の時に居り、最も至尊に近し。國の光を觀る者なり。近きに居りて位を得。國儀を明習する者なり。故に「王に賓たるに用ふるに利し」と曰ふなり。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。
《爻辭》

3/15(火) ䷉ 天澤履(てんたくり) 五爻

3/15(火) 天澤履(てんたくり) 五爻


【運勢】‬
才能に溢れ正しい決断を下せる者でも、礼節を軽んじて大成する事は無い。
相手を敬い、考えを尊重し、柔軟な姿勢で共に力を合わせる事が大切である。
過去を省みると良い。
経験は、評価整理して初めて活かす事ができる。


【結果】
䷉◎
天澤履(てんたくり) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。
彖に曰く、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。
象に曰く、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
九五。夬して履む。貞なれども厲し。
象に曰く、夬して履む、貞なれども厲しとは、位正に當ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
位を得て尊に處り、剛を以て正を決す。故に夬して履む、貞なれども厲しと曰ふなり。履道盈つるを惡む。而して五、實なるに處る。是を以て危ふし。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖傳]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象傳]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。
《爻辭》

3/14(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう)→䷩ 風雷益(ふうらいえき)

3/14(月) 雷天大壯(らいてんたいそう)→ 風雷益(ふうらいえき)


【運勢】
些細な事であっても正しさを失えば、勢いは衰え破滅へと向かう。
選り好みせず、皆の気持ちに寄り添う事で、視野は大きく広がるだろう。
正しい事は積極的に倣い、過ちは素直に改めると良い。


【結果】

本卦:雷天大壯(らいてんたいそう)
之卦:風雷益(ふうらいえき)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陰][四爻 老陽]
[三爻 老陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][四爻][三爻][二爻]


【原文】
《本卦:
雷天大壯》
大壯は貞に利し。
彖に曰く、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《之卦:
風雷益》
益(えき)は、往く攸(ところ)有るによろし。大川を涉るに利し。彖に曰く、益は上を損して下を益す。民說󠄁(よろこ)ぶこと疆(かぎ)りなし、上より下に下る。其道󠄃大に光なり。往く攸(ところ)有るに利(よ)しとは、中正(ちうせい)にして慶(けい)有り。大川を涉るに利しとは、木道(もくどう)乃ち行く。益は動いてしかして巽(したが)ふ、日に進むこと疆(かぎ)りなし。天施し地生(しょう)ず。其益方(かた)なし。凡そ益の道󠄃は、時と偕(とも)に行ふ。象に曰く、風雷は益。君子以て善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやまち)有れば則ち改む。


【解釋】
《本卦:
雷天大壯》
〔王弼の解釋〕
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


〔東涯の解釋〕
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


〔根本通明の解釋〕
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。


《之卦:
風雷益》
〔王弼、東涯の解釋〕
益は増すこと、増やすことである。
否の上卦の四爻が陽から陰となり、下爻の初爻が陰から陽になっているので、上が損をして下が得をした象である。上の者が損をして、下の者󠄃を助けることはとても良いことで、また二爻が陰、五爻が陽で、中正であるので、大事業をするのに好機である。上の者が動けば(震)、下の者が従う(巽)象である。


〔根本通明の解釋〕
この卦は、前の卦の山沢損と反対である。山沢損は地天泰より来た。そして地天泰は天地否から来た。天地否は、上卦は乾、下卦は坤である。坤は空しさの象で、人民の困窮する卦である。そこで九四の陽爻が下りて、初六の陰爻が上る。これで風雷益の卦になる。これが下を益するという義である。上卦の震は、農業の卦である。人民を富ますのは農業であり、これは何処までも推奨される。それで「利有攸往」である。こうして人民が富んでいれば、如何なる大難が起こっても踏み越えて往く所となる。よって「利渉大川」である。
[彖傳]
「損上益下」とは、天地否の九四の陽爻を一つ損(へ)らして、代わりに初六の陰爻を益すことである。そこで民が説(よろこ)ぶ。陽が段々進んで往けば兌の卦になる。農事が盛んになればなるほど、人民は利益を得る。天の気が地の底に下って万物が生じる。出で来たものは大きくなって花が咲き草木に光を生じる。よって「其道光大」となる。「中正にして慶(よろこ)び有り」とは、中正(二爻が陰、五爻が陽で、爻が定位通りであること)の五爻目の天子に、同じく中正の二爻目が応じることである。いわば名君と忠臣が相助けて人民を生育する所に、慶びが出で来る。「木道乃行」とは、震と巽に対応する五行が双方とも木であり、万物が盛んになることである。
[象傳]
上卦が巽=風で、下卦は震=雷である。雷が起こると、風はこれを助ける。また巽は外卦であり、修飾して能(よ)く齊(ととの)えるという所がある。つまり外の人が行いを修めて行く所を見れば、周囲の者も自ずから其の方へ従って遷って往く。そして過ちがあれば速やかに改める。震には過ぎるという象があり、もし往き過ぎれば、物を害してしまう。雷山小過は霆(激しい雷)である。雷は下から上に昇るが、霆は上から打ってくる。これは往き過ぎである。善い事も過ぎると害を為すから、これを改めなければいけない。

3/13(日) ䷴ 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し

3/13(日) 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し


【運勢】
細かく目標を立て、堅実に取り組むのに良い時である。
基礎を疎かにしてはいけない。
過程を省けば、何処かで行き詰まり、かえって苦労する事になるだろう。
功を焦らず、地道に正しさを守り続ける事が大切である。


【結果】

風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
漸は女歸いで吉。貞によろし。
彖に曰く、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。
象に曰く、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
漸は漸進の卦である。止まりて巽。だから適度に進む。巽に留まるから進󠄃む。だから女嫁いで吉なのである。進んで正しいものを用いる。進んで位を得るとは五爻を指す。この卦は進むことを主る。漸進して位を得る。


〔東涯の解釋〕
漸は次順番通りに進むことである。巽は長女、進んで上に在る。進めることをゆつくりしなければならないのは、女が嫁ぐ時である。五爻が位を得て、剛が中にある。家を正し、功があるだろう。君子が仕えるときは、進󠄃むに礼を以てし、退󠄃くに義を以てする。五爻剛中の徳がある。


〔根本通明の解釋〕
漸は、小さな木が次第に成長して大木になるように、順序を立てて進んで往く意である。この卦は鴻雁(こうがん)の象を取っている。雁は水鳥で、陰鳥であるから、陽に能く従う。そのため婚礼の時には、雁を以て礼を行う。即ち、女が夫に従う義を取ったのである。また臣たるものは、必ず君に従う。国に生まれた者は、皆君に仕えなければならないと云う義も示している。
[彖傳]
女の嫁入りは、速やかにするものではない。六礼といって、六つの段に分かれており、順次進んで往って婚礼が成る。また天子は天下を治めるのに、先ず我が身を正しくする。正しい所を以て、国家を正しくすることが出来る。
[象傳]
山の上に木がある。君子はこの義を用いて、賢徳ある人物を高い所に据え、賢人の徳を以て社会風俗の悪い所を能く直して行く。

3/12(土) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻

3/12(土) 巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻


【運勢】
悩んでも答えは出ない。信頼できる人の意見を仰ぎ、好機を活かすと良い。
感謝の気持ちを忘れてはならない。厳しい指摘も素直に受け止め、聞き従う事が大切である。
相手の意見を尊重する人は、相手からも尊重される。


【結果】
䷸◎四⚪︎二
巽爲風(そんゐふう) 四爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
巽は小(すこ)し亨(とほ)る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
彖に曰く、重巽以て命を申(かさ)ね、剛、中正に巽して志行はる。柔皆剛に順ふ。是を以て小し亨る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
象に曰く、隨風は巽。君子以て命を申(かさ)ね、事を行ふ。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。悔亡ぶ。田して三品を獲たり。
象に曰く、田して三品を獲とは、功有るなり。
[二爻]
九二。巽して牀下に在り。史巫を用ふること紛若たり。吉にして咎なし。
象に曰く、紛若の吉は中を得るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
巽の德であるから、少しうまく行く。上下ともに巽。令に違わず命が行われる。だから命が重なり、事が行われる時、上下ともに巽なのである。巽はよく仕えて行くことである。拒むものはない。大人は巽を用いて道がいよいよ盛んになる。剛が巽を用いる。中正に居るのは譲られたのである。明󠄃は間違えることがない。だから少しうまく行くのである。


《爻辭》
[四爻 優先]
剛に乘りて悔ゆるなり。然るに位を得て五を承く。卑にして奉ずる所を得。柔を以て剛を御すると雖も、尊に依りて正を履む。斯を以て命を行へば、必ず能く強暴なるを獲、不仁なる者を遠ざくるなり。獲て益有るは、三品より善きはなし。故に悔亡ぶ、田して三品を獲と曰ふ。一に曰く乾豆、二に曰く賓客、三に曰く君の庖に充つ。
[二爻]
巽の中心にいて、すでに下位にいる。
陽なのに陰位にいる。
譲るにしても甚だしい。
だから床の下に居るというのである。
下にとどまり続け正しさを失えば、咎や過ちがおこる。
よく中に居て神に対する慎みを尽くして、威勢を用いないでいるならば、吉に至り過ちもなくなる。
だから神明に仕えて居れば、混乱の中、吉を得て問題ないというのである。
〔東涯の解釋〕
《卦辭》
巽は順である。一陰が二陽の下に居て陽に順っている。また、入るという意味もある。風、木、命令を意味する。五爻は剛で中正である。大人の象である。命令に重複がある。初爻と四爻は陰であり、陽に順う。大きなことは出来ないにしても、小さなことは出来る。命令は、剛が過ぎれば厳しすぎて民が従えず、乱れてしまう。柔が過ぎれば緩くなり、秩序が乱れてしまう。剛中の君に柔が順う状況なら、大きな成功は見れなくても、官職について君に仕えるのに支障はない。


《爻辭》
[四爻 優先]
[二爻]
史巫は神に仕えるものであり、紛若は多いことである。
下に居て位を得ず、上に應ずるものなし。
下位に下がって上たるを知らないものである。
巽に過ぎるのである。
だから床下に居るという。
しかし、剛中の徳は失われない。
叮嚀に上と心を通わせようと求めることが、丁度神職が神明に仕えるようであれば、吉であり、問題ない。
卑巽に下に居れば、その志は徳の実践を伴わなくなるが、剛中の徳で誠意を持っていれば、人を動かすに足る。
憂いなし。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
巽は四爻目の陰爻と初爻目の陰爻が卦の主である。
陰爻は、上に重なる陽爻に順っていけば能く亨り、進んで事を行う所に宜しきを得る。
この卦はもとは山風蠱から変わったものである。
天子の晩年に政治が乱れ、崩御後に太子が即位した。
そして朝廷に入り込んだ小人を除きさり、天下を斉(ととの)えた所の象である。
古代、堯が隠居して舜に政を斉えさせたのは、まさに此の卦の義である。
[彖傳]
なし
[象傳]
巽は重ねて命令を下し、能く下へ諭す。
是までの政の弊害を悉く除いた後で命令を下す。
剛は五爻目で、中正の所に坐っており、思う通りに志が行われて往く。
柔は初爻目で二・三爻目に順う。
四爻目も五・上爻目に順う。
そこで小人は大人を見て順い事を行うのが宜しい。


《爻辭》
[四爻 優先]
[二爻]
巽(
)は牀の象がある。
二爻目は上卦の巽の下にあり牀下となる。
九二は陽で貴い身分だが傲らず、初六の陰爻にも交わる。
史は、祭りの文を書いて神に告げる官である。
巫は、舞を巧みにして神に能く事えるものである。
史も巫も孚を以て神の感じる様に能く事える。
九二は、史巫が神に事える如く、孚を以て初六へ交わる。
[象傳]
言葉の綾を盡しても、孚が乏しく外面を飾るだけではいけない。
そこで中を得ることを尚しとする。
二爻目は中を得ているから吉である。

3/11(金) ䷟ 雷風恆(らいふうこう) 初爻

3/11(金) 雷風恆(らいふうこう) 初爻


【運勢】
事なかれ主義では、大きな情勢の変化に対応出来ない。
目の前の問題を先延ばしにせず、堅実に正しさを守る事が大切である。
信頼関係は積み重ねから生まれる。
新たな関係を築くよりも、今ある関係を大切にすると良い。


【結果】
䷟◎
雷風恆(らいふうこう) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
恒は亨る。咎めなし。貞に利ろし。往く攸あるに利ろし。
彖に曰く。恒は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恒。恒は亨る。咎めなし。貞によろしとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往くところあるによろしとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恒とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷風は、恆なり。君子以て立ちて方を易へず。


《爻辭》
初六。浚を恆うす、貞凶。利しき攸なし。
象に曰く、浚を恆うするの凶は、始に求むること深ければなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
恒であり享る。
恒の道は通り、咎めなく通る。
正しくしていれば良い。
常道を修めることが終われば、また始まりがある。
行って間違いはない。
剛が尊く柔が卑しいの順序が得られる。
長く陽で長く陰である。
互いに成就する。
動いて間違えることなく、よく連れ合い、長く続く。
窮まることがない。


《爻辭》
恆の初に處り、最も卦の底に處る。始めより深きを求むる者なり。深きを求めて底を窮め、物をして餘蘊なからしむ。漸く以て此に至れば、物すら猶ほ堪へず、而して況んや始めより深きを求むる者をや。此を以て恆と爲せば、正なるを凶にし德を害ふ。絶へて利あるなきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
恒は常、久しいの意である。
卦は変じて咸となる。
咸の三爻が上に行き四爻となった。
上爻が下って初爻となった。
剛が昇り柔が下る。
雷も風も共に鼓動する。
内外全て応じる。
だから久しく続き不易である。
咎めなく、正しくしておけば良い。
作為や粉飾は恒の道でない。
必ず駄目になり、長く続くことはない。
正しくなければ恒であっても善でない。
恒で善であれば何をしても良い。
伊尹が畝の中に居て堯舜の道を楽しんだことは、身を終えたことはまさに恒と言えよう。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「つね」は常と恒の二つがある。
「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。
しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが、幾万年経っても易わらない所が有る。
是は日月の象になり、常の字は日、恒の字は月である。
太陽は幾万年経っても大小変化せず、何時も変わらない。
しかし月は毎日形が変わって居る。
この卦は夫婦の卦である。
夫婦は一旦婚姻を結んだ上は何処までも全うすべきものである。
しかし人の身の上というものは毎日変わって往く。
初爻目は下卦の主であり、四爻目は上卦の主である。
また初爻目と四爻目は互いに相応じて居る。
其処で正しい所が良い。
夫婦力を合わせ心を同じくして事を為せば、一家は段々盛んになり先に進んで往く。
[彖傳]
この卦は元は地天泰で、一番下の陽爻が四爻目に上り、また四爻目の陰爻が一番下に下った。
其処で陰陽相交わり雷風恆の卦になった。
雷が鳴って動けば、風が従って雷を助ける。
雷と風は相離れず、互いに相與しめ、万物を生じさせる。
初爻目と四爻目、二爻目と五爻目、三爻目と上爻目、皆剛柔応じて居る。
男女の道は天地陰陽の道である。
[象傳]
雷が春に起こって風が是を助ける。
雷気の滞る所を風が一帯に吹き散らし、能く気が循環して万物が育つ所がある。
君子は陽が外、陰が内という在り方を易えない。
《爻辭》

3/10(木) ䷲ 震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻

3/10(木) 震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻


【運勢】
勢いだけではどうにもならない時。
冷静に状況を分析して、問題点を見つけると良い。
望んでいた成果が得られなくても、継続する事に意味がある。
最後までやり抜く覚悟が無ければ、周りを奮い立たせる事は出来ない。


【結果】
䷲◎四⚪︎三
震爲雷(しんゐらい) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰く、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰く、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。震して遂に泥む。
象に曰く、震して遂に泥むとは、未だ光ならざるなり。
[三爻]
六三。震蘇蘇たり。震して行へば眚なし。
象に曰く、震蘇蘇とは、位當らざればなり。

【解釋
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。


《爻辭》
[四爻 優先]
四陰の中に處り、恐懼するの時に居る。衆陰の主と爲りて、宜しく其の身を勇め、以て衆を安んずるべし。若し其れ震へば、遂に難に困しむ。夫の正しからざるを履み、恐れを除き、物をして己を安んぜ使むこと能はず。德未だ光ならざるなり。
[三爻]
其の位に當らず、位處る所に非ず。故に懼れて蘇蘇なり。剛に乘るの逆なし。故に以て懼れて行へば眚なかるべきなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦は火風鼎である。
鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。
皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。
そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。
こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。
『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。
この震は皇太子の象である。
皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。
震は剛(つよ)いから亨る。
また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。
卦全体の主になるのは初爻目である。
虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。
激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。
『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。
大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。
天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。
艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。
「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。
「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。
匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。
鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。
この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。
このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。
身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。
「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。
雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。
乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。
つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。
二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。
君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]

3/9(水) ䷓ 風地觀(ふうちかん)→䷮ 澤水困(たくすいこん)

3/9(水) 風地觀(ふうちかん)→ 澤水困(たくすいこん)


【運勢】
広い視野を持ち、謙虚に自らの役目を果たす事が大切である。
誠実な対応を心掛けると良い。
いくら言葉が巧みでも、内実が伴わなければ信頼は得られない。
成果が出るまでは、寡黙に努力すべきである。


【結果】

本卦:風地觀(ふうちかん)
之卦:澤水困(たくすいこん)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻][四爻][二爻]


【原文】
《本卦:
風地觀》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。                  象に曰く、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《之卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


【解釋】
《本卦:
風地觀》
〔王弼、東涯の解釋〕
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


〔根本通明の解釋〕
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。


《之卦:
澤水困》
〔王弼、東涯の解釋〕
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


〔根本通明の解釋〕
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

3/8(火) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻

3/8(火) 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻


【運勢】
様々な困難があり悩みは絶えないが、悲観する事は無い。
既に峠は越えている。
不安な気持ちをなるべく抑えて、冷静に結果を待つ事が大切である。
目標に向けて歩みを続ければ、時勢は良くなり、運気も回復するだろう。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。
彖に曰く、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。
象に曰く、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
上六。馬に乘ること班如たり。泣血漣如たり。
象に曰く、泣血漣如たり。何ぞ長かるべきなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
上爻は険難の極みであり、煩わしいことが多い。助けてくれる人もなく、泣くほかない。憐れであるが、どうしようもない。その位に留まることも、長くはない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖傳]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。この人が進んで遂に侯になる所の卦である。雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象傳]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。この雲雷の象によって世の中を治める。


《爻辭》
上六は尊い位を失ってしまった所で、遁げようとするが往く所が無い。そこで復た馬を回えして唯立って泣いているより他ない。涙が尽きて血を流して泣いている。
[象傳]
ここに至って婦女子の如く唯泣いて居た所で仕方が無い。ここで一つ考えをもって気力を振るって為す所が無ければいけない。其処で何ぞ長うすべきという。