1/26(水) ䷹ 兌爲澤(だゐたく) 上爻五爻

1/26(水) 兌爲澤(だゐたく) 上爻五爻


【運勢】
自らの発言に責任を持ち、軽率な行動を慎むと良い。
支える者の負担が少なく、支えられる者が、多くの恩恵を受けられる状態を維持する事が大切である。
真に仲間の幸せを願えば、共に喜びを分かち合う事が出来るだろう。


【結果】
䷹◎⚪︎
兌爲澤(だゐたく) 上爻五爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][五爻]


【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖(たん)に曰はく、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて
以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。
象に曰はく、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。引いて兌ぶ。
象に曰く、上六。引いて兌ぶとは、いまだ光ならざるなり。
[五爻]
九五。剥に孚あれば、厲きこと有り。
象に曰く、剥に孚ありとは、位正に當るなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。
この卦は
が二つ重なってできている。
は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。
内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。
喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。


《爻辭》
“王弼”
[上爻 優先]
夫の陰質を以て、最も説の後ろに處り。静かにして退く者なり。故に必ず引く。然る後に乃ち説ぶなり。
[五爻]
上六に比す。與に相得て、尊正の位に處り。陽に信あるを説ばずして、陰に信あるを説ぶ。剥に孚あるの義なり。剥の義爲るや、小人の道長ずるの謂なり。
“東涯”
[上爻 優先]
[五爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
兌は喜びである。
自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。
立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。
彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。
上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。
互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。
『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。
中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。
あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。
そこで「貞利」なのである。
[彖傳]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。
「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。
「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。
それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。
この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。
「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。
また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。
己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。
上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。
[象傳]
兌の卦を澤と言う。
澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。
『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。
これが麗澤である。


《爻辭》
[上爻 優先]
[五爻]

1/25(火) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 上爻四爻

1/25(火) 雷地豫(らいちよ) 上爻四爻


【運勢】
減り張りのある生活が大切である。
緩慢さが過ぎると、やるべき事にも力が入らず、取り返しのつかない結果を生んでしまう。
心を入れ替え、志を同じくする仲間と協力して、慎重に進めて行けば、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷏◎⚪︎
雷地豫(らいちよ) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰く、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰く、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。冥豫す。成るも渝ることあり。咎めなし。
象に曰く、冥豫上に在り。何ぞ長かるべきや。
[四爻]
九四。由豫す。大いに得ること有り。疑ふこと勿(なか)れ。朋盍簪す。
象に曰く、由豫す。大いに得ること有りとは、志大いに行はるゝなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。
四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。
上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。
統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。
そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
上爻は過剰に楽しみがあるので、人々の締まりがなくなってしまった状態である。
早く頭を切り替えるべきである。
[四爻]
“王弼”
豫の時に居て、動きの始めに居る。
一つだけの陽爻である。
澤山の他の陰が従う。
ものが信でなければ疑いが生じる。
だから疑うことが無くなったら、朋が集まってくる。
“東涯”
由豫は己によって豫であるということである。
友人が集まってくると解釋される。
豫にあって、一つの陽であり澤山の陰の主である。
だから、君の傍に居ても、陰陽相求め、其の志は上に行く。
陽剛の才で、中陰の王に仕え、衆を下に得る。
危うく疑われやすい地位である。
だが其の志は名誉や権利にない。
これは周󠄃公が民の流言を恐れた所以である。
至誠であれば最後は良くなる。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
豫は象の中の最も大きなものをいう。
豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。
そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。
一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。
上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。
天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖傳]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。
また長子でもあり、大臣にもなる。
この四爻目の剛に天下悉く応じる。
震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。
日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。
三・四・五爻目の坎は法律の義がある。
法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。
国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象傳]
豫は萬物皆悦ぶという義である。
この象を用いて作ったのは音楽である。
歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。
そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。
殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。
黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。
上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。


《爻辭》
[上爻 優先]
無し
[四爻]
天下は悉く九四の大臣を用い、その徳に由(よ)って天下は安楽となる。
権力が甚だしければ、周公旦の様に流言の禍を受ける様にもなるが、この場合は天下の朋友が自然と九四の徳に集まってきたのだから、疑うことは無い。
「朋」の字は他の陰爻のことで、これが残らず九四の元に集まって来る。
「盍」の字は合うという字で、「戠」の字は集まると云う義である。
一本の簪(かんざし)が多くの髪の毛を括るように、九四は天下の人民を集める。
[象傳]
無し

1/24(月) ䷄ 水天需(すいてんじゆ) 初爻

1/24(月) 水天需(すいてんじゆ) 初爻


【運勢】
自然の巡りは不変であり、晴れが続けば後には必ず雨が降る。
今は冷静に時期を待ち、危険や困難に遭わぬよう注意すると良い。
変化に対して右往左往せず、寛大な心を持ち、成果が出るまで中正を堅く守る事が大切である。


【結果】
䷄◎
水天需(すいてんじゆ) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
需孚有り。光に亨る。貞にして吉。大川を渉るに利し。彖に曰はく、需は須なり。險前󠄃に在るなり。剛健にして陥らず。其の義、困窮せず。需は孚有り。光に亨る。貞吉とは、天位に位して以て中正なるなり。大川を渉るに利しとは、往きて功有るなり。
象に曰はく、雲、天に上るは需。君子以て飲食宴樂す。


《爻辭》
初九。郊に需つ。恒を用ふるに利し。咎なし。
象に曰く、郊に需つとは、難を犯して行かざるなり。恆を用ふるに利し、咎なしとは、未だ常を失はざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
天位に居るとは五爻のことである。中正。そして物を待つ。之が需道である。乾德で進めば亨る。童蒙は旣に德を持つ。


《爻辭》
需の時に居り、最も難に遠し。能く其の進むを抑へ、以て險に遠くして時を待つ。幾に應ぜずと雖も、以て常を保つべきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
需は待つべきであるという卦である。下卦の陽は進もうとする。然し前には険難がある。我慢して待てば険難に陥らない。五爻が主爻である。五爻は剛中の才がある。能く待ってから進むことが出來る。心が弱い人は待つことができないで冒険して失敗し困窮する。忍耐は大切である。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下卦の乾は三爻共に陽爻で賢人の象である。上卦の五爻目は陽爻を以て陽位にあり、明君である。しかしながら上卦の坎は水であり、天下が水に溺れる象がある。これは三四五爻目に離の卦があり、主爻となる六四の大臣が、火が物を害する様に天下の人民を苦しめている象である。其所で此の禍の元凶である大臣を、天下の賢人が撃ち拂わければならない。需と云うのは、須(ま)つと云う事である。上卦では力を盡したいと云う賢人を需(ま)ち、下卦では明君が賢人を求める所を需って居る。天子に孚が有り、賢人が国家の為に盡す時には、危険を冒してでも往く所に宜しき所がある。
[彖傳]
需は「須つ」と訓み、「待つ」とは違って、暫く控えると云う義である。険難を前に大事を行おうと思っても、速やかには行われない。天下の賢人は遠く慮る所があり、無理に川を渉って危険に陥らない。九五の天子は天位に居り、何処迄も正しく中庸である。其所で遂に孚の亨る所がある。
[象傳]
雲が天に上り十分に集まった所で雨が降る。即ち需つの象である。下に居る賢人は、時を需って居る間、飲食を以て身を養い、宴楽を以て心を養う。そして時が到れば雷の如くに進んで往くのである。
《爻辭》

1/23(日) ䷣ 地火明󠄃夷(ちかめいい) 三爻初爻

1/23(日) 地火明󠄃夷(ちかめいい) 三爻初爻


【運勢】‬
些細な事に惑わされない、芯の強さを持つと良い。
進むべき道は理解している。
考え過ぎると、かえって的外れになってしまう。
焦らず静かに機会を待ち、辛い時も正しさを守り続ければ、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷣◎⚪︎
地火明󠄃夷(ちかめいい) 三爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
明󠄃夷は艱貞によろし。
彖(たん)に曰はく、明󠄃、地中に入るは明󠄃夷。内文明にして外柔順。以て大難を蒙る。文王これを以てす。「艱貞によろし」とは、その明󠄃を晦すなり。内艱にして能くその志を正す。箕子之を以てす。
象に曰はく、明󠄃地中に入るは明󠄃夷なり。君子以て衆に莅(のぞ)みて晦を用ゐて明󠄃なり。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三。南狩に明夷る、其の大首を得たり。疾く貞にすべからず。
象に曰く、南狩の志は、乃ち大に得るなり。
[初爻]
初九。明夷る、于に飛びて其の翼を垂る。君子于き行く、三日食はず。往く攸有れば、主人言有り。
象に曰く、君子于き行くとは、義、食はざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
衆に莅むは顯明にして、百姓を蔽ひ僞る者なり。故に蒙を以て正を養ひ、明夷を以て衆に莅む。
明を内に藏めれば、乃ち明を得るなり。明を外に顯かにすれば、乃ち辟くる所なり。


《爻辭》
[三爻 優先]
下體の上に處り、文明の極に居り。上は晦き爲るに至り、地に入るの物なり。故に其の明を夷り、以て南狩するを獲、大首を得るなり。南狩とは、其の明を發するなり。旣に其の主を誅し、將に其の民を正さんとす。民の迷ひなり。其の日固より已に久しきなり。化するに宜しく漸なるを以てすべし。正を速やかにすべからず。故に疾く貞にすべからずと曰ふ。
闇主を去るなり。
[初爻]
明夷の主、上六に在り。上六、闇きに至ると爲る者なり。初、卦の始めに處り、最も難に遠ざかるなり。難に遠ざかること甚しきに過ぎ、明夷れて遠く遯る。跡を絶ち形を匿し、軌路に由らず。故に明夷る、于に飛ぶと曰ふ。懷懼して行き、行きて敢へて顯はれず。故に其の翼を垂ると曰ふなり。義を尚びて行く。故に君子于き行くと曰ふなり。急なるを行くに志し、飢へて食ふに遑あらず。故に三日食はずと曰ふなり。類に殊なること甚しきに過ぐ。斯を以て人に適けば、人必ず之を疑ふ。故に往く攸有れば、主人言有りと曰ふ。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
明󠄃夷は目をくらますことである。心の中では聡明で大きな徳を有しているが、外面は柔順である人、例えば文王のような人である。箕子は紂の親戚で國内にいたが、難󠄄に会い、内に志を正した。


《爻辭》
[三爻 優先]
南の方に狩りに行き、大物を得た。
あまり急いでは失敗する。
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
明らかなるものが傷ついて夷(や)ぶる。内卦の離は明らかなるもので、外卦の坤は欲である。前の卦の火地晋の明徳が欲のために夷ぶれ亡びようとする所の卦である。
[彖傳]
明らかなるものは地の底に這入って悉く失われる。明徳を身に懐いていながら、その明徳を外に現さずに巽順にして能く仕えている。その結果、柔順なる聖人は大難を蒙る。ちょうど文王と殷の紂王の無道なる時に該当する。
[象傳]
明らかなるものが地の中に這って真っ暗に為った所が明夷である。君子は万民の上に立って晦を用いる。天子は余り世間の事を細かい所まで見るようではいけない。


《爻辭》
[三爻 優先]
九三は離の卦の最後である。
離は南の象とともに、火で物を害する所があるから兵の象がある。
つまり南において狩りして大首を得るとは、ちょうど殷の紂王を伐ったことにあたる。
しかし是は堪えに堪え、抑えに抑えても、止めることが出来ないために已むを得ず撃ったのである。
[象傳]
南狩の志とは、多いに人民を得たことである。
[初爻]

1/22(土) ䷇ 水地比(すゐちひ) 三爻初爻

1/22(土) 水地比(すゐちひ) 三爻初爻


【運勢】
周りに対して親しみの心を持ち、助け合いの精神を大切にすると良い。
新たに何かを興すなら、やる気のある者を重用すると良い。
己の熱意を内に秘め、誠実に努力を惜しまなければ、思いがけない幸運に巡り会えるだろう。


【結果】
䷇◎⚪︎
水地比(すゐちひ) 三爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[三爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。彖(たん)に曰はく、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。象に曰はく、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。之を比す、人に匪ず。象に曰く、之に比す人に匪ずとは、また傷しからずや。
[初爻]
初六。孚有りて之を比すれば、咎なし。孚有りて缶に盈つれば、終に来りて他の吉あり。
象に曰く、比の初六は、他の吉有るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
比の時にあり、筮によって咎なきを求めようとしている。元永貞であろうか。人が群れて互いに親しみ、元永貞で無ければ、凶邪の道である。もし主に遇わなければ、永貞といえども咎を免れることが出来ない。永貞で咎なき者は、ただ五爻のみであろう。上下に五爻以外に陽がない。すべて五爻に帰す。親しみ安心する。後れるものは凶である。


《爻辭》
[三爻 優先]
四、外自り比する。二、五を應と爲す。近くして相得ず、遠ければ應ずる則ちなし。與に比する所の者、皆己の親に非ず。故に之に比すること人に匪ずと曰ふ。
[初爻]
初爻は人に親しむはじめであるから、特に誠実にしなければならない。水器に並々と盛られたように誠があれば、予想外の吉を得られるだろう。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
比は相附き比することである。九五が位を得ている。そしてほかの五陰がつき従う。多くのものが一人を助けている。吉である。元永貞の後に郡陰に当たれば咎めがない。まだ安住の地に居ないものがいる。どんな剛強の者でも咎を免れない。柔弱󠄃であれば猶更である。


《爻辭》
[三爻 優先]
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
比は親密なる所である。比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。上卦は水、下卦は地である。水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。五爻目は陽爻で天子にあたる。天子は人民と密着しており離れることが無い。ちょうど水と土の関係のようである。これは吉である。「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。転じて、賢明なる天子の称のようなものである。「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。
[彖傳]
比は吉である。また互いに相輔けることである。「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。
[象傳]
地の上に水があるのが比である。地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。君と民は親密な関係であり、離れようもない。こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。


《爻辭》
[三爻 優先]
[初爻]
「孚」は坎の卦の象である。
坎の卦は、上卦なら月、下卦なら水となる。
「有孚」は九五の天子に孚が有ることである。
初六は人民の中でも最下層の者に相当するが、天子は丁重に取り扱い親しく交わる。
であるから初六が君を犯すということはなく、咎は無い。
天下に溢れる天子の孚は、甕の中の水が一杯に為っているようなものである。
甕は坤の卦の象である。
[象傳]
比は初六=下賤の身であるから、天子の方から親しんでくれるのは、思いの外なる所である。
予想外の吉となる。

1/21(金) ䷅ 天水訟(てんすいしょう)→䷳ 艮爲山(ごんゐさん)

1/21(金) 天水訟(てんすいしょう)→ 艮爲山(ごんゐさん)


【運勢】
些細な事に惑わされない、寛容な心を持つと良い。
負の感情に流されて争いに執着すれば、お互いに禍根が残る結果となるだろう。
周りに多くを望まず、一人で出来る事を地道に続ける事が大切である。


【結果】

本卦:天水訟(てんすいしょう)
之卦:艮爲山(ごんゐさん)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][三爻][二爻]


【原文】
《本卦:
天水訟》
訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。


《之卦:
艮爲山》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
《本卦:
天水訟》
〔王弼の解釋〕
訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。


〔東涯の解釋〕
五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。大川とは内卦の
を表す。訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。やらない方が良い。


〔根本通明の解釋〕
天水訟の前の卦の需は飲食の道である。飲食の次に生じるのは、慾による争いである。そこで訟の卦となる。『説文解字』によれば、訟は争である。鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。つまり孚(まこと)が無ければならない。孚は坎の象で水である。水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。また水は危険なものという象でもある。窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。剛情にして遂げ終えるのは凶である。
[彖傳]
訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。
[象傳]
天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。


《之卦:
艮爲山》
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

1/20(木) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 変爻無し

1/20(木) 山水蒙(さんすいもう) 変爻無し


【運勢】
聳え立つ山々に霧が立ち込める様に、志は高いが、先を見通せていない。
先行きも分からないのに、その道を歩み続ければ、かえって仇となり、更には己の慢心に繋がる。
初心に返り、先人の教えを受け、学びを深めると良い。


【結果】

山水蒙(さんすいもう) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。
彖に曰く、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。
象に曰く、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。山の下に泉があるが、山のせいで流れない。どんな子供でも継続して学べば大成できる。我とは二爻、童蒙は五爻である。五爻が二爻に学びを求めている。二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。


〔根本通明の解釋〕
蒙は未だ智慧が無い状態のため、師を建てるという義である。善良なるものが外から覆われており、それを取り除くには学問をもってするしかない。また教えるという象もある。天子が皇太子を教えるのが主となっている。能く教えて道徳を十分に発達させる必要がある。しかし、皇太子の方から教えを受けたいと求めなければいけないのであり、我が方から求めるのではない。先生は二爻で、童蒙は五爻である。筮は神に誠を以て物を伺い問うのであり、二度三度と占えば、初めの心が穢れてしまうため、正しい所は告げられない。
[彖傳]
山の下に河があり、進んで往けず止まる。また学問が無ければ世の中に出ることは出来ない。しかし元来亨るだけのものがあるので、覆っている包みを取り除けば良い。童蒙の方に志があり求める所があれば、それに応じて教える。もし志が穢れていれば告げない。心が潔く誠が無ければいけない。
[象傳]
山は内側に水を蓄えている。堀り鑿(うが)てば中から水が湧いてくる。人の善性は、学問を以て外側の覆いを取ることで発達してくる。これが蒙の卦である。二・三・四爻は震で、善き行いであり、遂げるという義がある。

1/19(水) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 五爻

1/19(水) 雷地豫(らいちよ) 五爻


【運勢】
堂々とした姿勢で、皆を牽引して行く事が大切である。
どうしようもない事で、不自由を感じたり、不快な気持ちになった時、心を煩わせても、良い事は一つも無い。
己が無力をありのまま受け入れて、出来る事を進めると良い。


【結果】
䷏◎
雷地豫(らいちよ) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰く、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰く、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。


《爻辭》
六五。貞にして疾す。恒に死せず。
象に曰く、六五の貞疾は、剛に乘ずるなり。恒に死せずとは、中、未だ亡びざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。
四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。
上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。
統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。
そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。


《爻辭》
四は剛動を以て、豫の主に爲る。權を專らにして制を執る。己の乘る所に非ず。故に敢へて四と權を爭はず。而して又た中に居り尊に處る。未だ亡びを得るべからず。是を以て必常、貞疾に至り、恒に死せざるのみ。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
豫は象の中の最も大きなものをいう。
豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。
そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。
一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。
上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。
天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖傳]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。
また長子でもあり、大臣にもなる。
この四爻目の剛に天下悉く応じる。
震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。
日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。
三・四・五爻目の坎は法律の義がある。
法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。
国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象傳]
豫は萬物皆悦ぶという義である。
この象を用いて作ったのは音楽である。
歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。
そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。
殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。
黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。
上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。
《爻辭》

1/18(火) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 五爻初爻

1/18(火) 雷水解(らいすいかい) 五爻初爻


【運勢】
困難に直面した時は、立ち止まり悩むのではなく、力強く行動する事が大切である。
迅速に解決出来れば、その分、足取りは軽くなる。
外寛内明を心掛けて、堂々とした姿勢で正しさを守れば、周りも感化されるだろう。


【結果】
䷧◎⚪︎
雷水解(らいすいかい) 五爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。君子維(こ)れ解くことあり。吉。小人に孚有り。象に曰く、君子解くこと有りとは、小人退󠄃くなり。
[初爻]
初六。咎なし。象に曰く、剛柔の際、義咎なきなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


《爻辭》
[五爻 優先]
五爻は尊󠄄位であり中である。また二爻の剛と応じている。解決することがあり、吉である。君子の道󠄃を以て難󠄄を解き、險を解決する。小人は暗いが、この君子に服して問題がないことを知っている。
[初爻]
解は解くなり。屯難磐り結びて、是に於いて解くなり。蹇難の始、解の初めに處り、剛柔始めて散るの際に在り。將に罪厄を赦さんとし、以て其の險を夷らぐ。此の時に處り、位に煩はずして、咎なきなり。或ひは過咎有るも、其の理に非ざるなり。義も猶ほ理のごときなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。


《爻辭》
[五爻 優先]
柔順中正であり、尊󠄄位に居る。下は二爻に応じている。徳のある君が位に居て、小人は自ずから遠ざかる。解けることがあれば、吉であり小人の去る効果がある。古より國の小人を除くには、大きければ兵を動かす。小さければ刑罰を用いる。力を費やさなければならない。有徳の君子であれば、物事は自然に変化し、小人は刑罰を用いなくても自然に退散する。
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。西南は坤の卦で、地の象である。地に五穀を植立てて、以て人民を養う。天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。漸次人民を養えば宜しい。若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖傳]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象傳]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五の君子は、小人を解き放して天下を治める所があり、是は吉である。又小人だからと云って悉く殺す様な事は無く、其の徳を以て是迄の悪い所を改悛させて服せしめる。
[象傳]
君子の方で小人を解き放して棄てれば、小人は皆退いて遁れて往く。其所で天下は後に治まる。
[初爻]

1/17(月) ䷔ 火雷噬嗑(からいぜいごう) 上爻

1/17(月) 火雷噬嗑(からいぜいごう) 上爻


【運勢】
過ちて改めざる是を過ちという。
驕慢さが極まると、間違いを指摘されても、素直に聞く事が出来なくなってしまう。
そうなれば、反省の機会は失われ、最悪の結果を招くだろう。
悪事は早めに改める事が大切である。


‪【結果】
䷔◎
火雷噬嗑(からいぜいごう) 上爻

《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
噬嗑は亨(とほ)る。獄を用うるによろし。
彖(たん)に曰はく、頤(おとがひ)の中に物有るを噬嗑といふ。噬(か)み嗑(あは)して亨る。剛柔分かれ、動いて明󠄃なり。雷電合して章なり。柔、中を得て、上行す。位に當たらざると雖も、獄を用うるに利しなり。
象に曰はく、雷電は噬嗑。先王以て罰を明󠄃らかにし、法を勅ふ。


《爻辭》
上九。校(かせ)を何(にな)ひ、耳を滅する。凶。
象に曰く、校を何ひ、耳を滅するとは、聡明󠄃らかならざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
噬はかむこと。
嗑は合わせることである。
物は親しくなかったら、間を開けるものである。
物が整わず、過ちがある。
噛み砕いて合わせると通ずる。
噛まなければ通じない。
刑に服して改心するのは獄の利である。
剛柔が分かれて動けば乱れず、明らかである。
雷電が合わされば明るい。
獄に用いるべきである。
五爻が主爻である。
五爻は位に当たっていないが、獄に用いるのに良い。


《爻辭》
極刑に処す。
惡を積みて改めないものである。
いくら刑に服しても改めないので、絞首刑となり、耳を失う。
耳を失っても改めない。
これほどの凶はない。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
噬嗑は嚙合わせることである。
物が口の中に入っている。
これを嚙合わせるのである。
上下に二陽があるが、これが口である。
四爻の陽爻が口の中のものである。
内卦は動いて外卦は明󠄃るい。
この卦は賁から来ており、賁の二爻が上に昇って五爻に来ている。
位に当たっていないが、君位に居て柔順の德と勢いを失っていない。
刑罰を執行するによい。
剛と柔が卦の中を得ており、偏りがない。
《爻辭》
何は荷うである。
陽が最上に居る。
悪徳の限りを尽くしたので許されない。
かせのために耳を傷つけたということからも、凶であることが察せられよう。
初爻と上爻は受刑者であるが、初爻は足、上爻は耳である。
人は自らの過ちを聞けば、改めるものであるが、驕慢が行き過ぎると人に耳を貸さなくなってしまう。
耳を滅するの凶、恐るべし。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
噬は噛む、嗑は合わせるである。
口の中に物が一つある。
頤は上に動いて物をかむ。
上のあごは動かないものである。
飲食をする卦である。
堅いものが四爻に一つある。
骨である。
また、上と下とを通わせない悪人である。
悪人を取り締まるのが刑獄である。
刑獄を用いるによいというのは、そういうことである。
雷、火は造物者󠄃が天地の間の惡を砕くためにある。
[彖傳]
上は火で下は雷。
火は陰で雷は陽である。
雷は動く。
すると火が起こり、明るくなって、悪人がよく見えるようになる。
五爻は陰爻であり、位に当たっていないが、刑獄にはよい。
なぜなら、陽であったなら強すぎて苛烈な刑罰を下す。
それよりは陰の方が良い。
[象傳]
朱子学者は雷電を電雷にした方が良いという。
上が火で、これが電、下が雷というのである。
しかし其れは良くない。
文字に拘泥して道理に背いている。
この電は雷に発したものであるから、雷電で良いのである。
三四五爻に
がある。
是を法律とする。
世の中に悪人は絶えないものであるから、刑獄の必要性はなくならないのである。
《爻辭》
何度も何度も罪を犯したものなので、処刑するしかない。
刑罰の時は足と耳に器械をつけるので耳が隠れる。
在任が生きる道がない。凶。
[象傳]
罪を犯した者には教官が来て、悪事をしてはならないと教え諭す。
この者󠄃は何度も罪を犯しているので、もう教え諭しも耳に入らない。
聡明でない。