1/7(金) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 四爻三爻

1/7(金) 雷水解(らいすいかい) 四爻三爻


【運勢】
実績の無い者が、新たに何かを始める時、分不相応だと言われるのは仕方の無い事である。
困難の前に、立ち止まってはいけない。
否定的な考えを断ち切り、意欲を持って臨めば、志を同じくする仲間を得られるだろう。


【結果】
䷧◎⚪︎
雷水解(らいすいかい) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。而(なんぢ)の拇を解く。朋至りて斯に孚あり。
象に曰く、而の拇を解くとは、未だ位に當らざるなり。
[三爻]
六三。負ひて且つ乘る。寇の至るを致す。貞なれども吝。
象に曰く、負ひて且つ乘るとは、亦た醜かるべきなり。我自り戎を致す。又、誰をか咎めんなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


《爻辭》
[四爻 優先]
位を失い、正しくない。
三爻と比の関係であり、三爻は親指である。
三爻を重んずると初爻の應を失う。
だから親指を解けば、友である初爻が來るのである。
[三爻]
處るに其の位に非ず、履むに其の正に非ず。以て四に附き、夫の柔邪なるを用て、以て自ら媚ぶ者なり。二に乘りて四を負ひ、以て其の身を容る。寇の來るなり、自己の致す所なり。幸ひにして免ると雖も、正の賤しむ所なり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。


《爻辭》
[四爻 優先]
拇は足の親指である。
初爻を指す。陽剛で外卦にいる。
下は初爻と応じ、兩方とも位を得ない。
これは交わりを道によってしないものである。
陽で動に居り、よく私情を抑え公義に從う。
そうすれば道を同じくする君子が集まってきて共に信じあえる。
自分の過ちを悟り、改めないことはよくない。
四爻ははじめは小人でも、それが良くないことが分かり、そこから解放される。
難しいことであるが、そうすることで善人が自然に集まってくるのである。
[三爻]
負は小人の任。乗は君子の事。此爻は解在りて、陰柔は不中。下の上に居り、上九を興し應ず。此の小人、時を得て位を致す。其の任、勝らぬ者なり。衆心服せず。必ず寇する敵を招く。勉め正を爲すと雖も。亦た吝しむべきなり。故に、負ひて且つ乘ると云ふ。寇の至るを致す。貞すれば吝。蓋を解く者は君子なり。解き見る者は小人なり。解き見る者にして、解く者の位は處る。宜しく其の寇する兵を來侵すべし。君の側に清く欲すなり。小忠なれば細謹す、何ぞ貴き足かな。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。西南は坤の卦で、地の象である。地に五穀を植立てて、以て人民を養う。天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。漸次人民を養えば宜しい。若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖傳]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象傳]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四は大臣で、六三に屈っ接いている。
而(なんじ)の母は親指の事で、九四を指す。上卦は震の卦で足の象である。
その下に屈っ接いている陰爻は足の指にあたり、小人の首である。
其所で親指を切り断って棄てよと云う事である。
即ち六三を取り除くのが宜しい。
初六は六三の朋である。
この同類の者が来たならば、道徳を以て悪を悛(あらた)める様にするのが宜しい。
[象傳]
九四は六三の小人に取り付かれて、是を引き挙げたが宜しくない。
大臣の位に見合った者ではない。
[三爻]

1/6(木) ䷲ 震爲雷(しんゐらい) 三爻

1/6(木) 震爲雷(しんゐらい) 三爻


【運勢】
成果の出ない時は、焦らず心を落ち着かせると良い。
周りを奮い立たせる事は大切だが、独りよがりに進めれば、かえって不安を与えてしまい、思う様には進まない。
誠実な対応を心掛けて、地道に信頼を得る事が大切である。


【結果】
䷲◎
震爲雷(しんゐらい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。


《爻辭》
六三。震蘇蘇たり。震して行へば眚なし。
象に曰く、震蘇蘇とは、位當らざればなり。
〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辭》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。


《爻辭》
其の位に當らず、位處る所に非ず。故に懼れて蘇蘇なり。剛に乘るの逆なし。故に以て懼れて行へば眚なかるべきなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦は火風鼎である。
鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。
皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。
そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。
こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。
『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。
この震は皇太子の象である。
皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。
震は剛(つよ)いから亨る。
また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。
卦全体の主になるのは初爻目である。
虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。
激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。
『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。
大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。
天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。
艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。
「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。
「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。
匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。
鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。
この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。
このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。
身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。
「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。
雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。
乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。
つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。
二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。
君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。
《爻辭》

1/5(水) ䷚ 山雷頤(さんらいい) 四爻

1/5(水) 山雷頤(さんらいい) 四爻


【運勢】
不用意な発言は危険である。
皆の期待を一身に背負う様な状況では、特に注意しなければならない。
言葉の力は長期に渡り影響を及ぼす。
機会をしっかりと見計らい、正しく活用出来れば、物事の成就に大きく近づくだろう。


【結果】
䷚◎
山雷頤(さんらいい) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
頤は貞吉。頤を觀て自ら口實を求む。
彖に曰はく、頤は貞吉とは養正しきときは則ち吉なるなり。頤を觀るとは其の養ふ所󠄃を觀るなり。天地は万物を養ひ聖人は賢を養ひて、以て萬民に及ぼす。頤の時大なるかな。
象に曰はく、山下に雷有るは頤。君子以て言語を慎み、飲食を節󠄄す。


《爻辭》
六四。顛に頤はる。吉。虎視眈眈。其の欲逐逐。咎なし。
象に曰く、顛に頤はるるの吉は、上の施し光なるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
言語飲食慎み節󠄄すべし。そのほかは言うまでもない。


《爻辭》
體、上體に屬し、居に其の位を得。而して初に應じ、上なるを以て下を養ふ。頤ふの義を得。故に顛に頤はる、吉と曰ふなり。下に交はりて以て涜すべからず。故に虎視眈眈。威にして猛からず、惡まずして嚴かなり。徳を養ひ賢に施す、何ぞ利有るべき。故に其の欲逐逐。篤實なるを尚ぶなり。此の二者を脩む。然る後に乃ち其の吉を全うするを得て咎なし。其の自ら養ふを觀れば、則ち正を履み。其の養ふ所を察れば、則ち陽を養ふ。頤爻の貴きは、斯く盛爲り。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
頤はおとがいである。口実は食󠄃のことである。卦全体でみると初爻と上爻に陽がある。中は四つの陰である。人のあごを象る。あごは飲食をするところ。そして身を養う。だから養いの道󠄃である。正道であれば吉。食󠄃は人を養うものである。正道でなければ最終的には禍󠄃に苦しむ。質素なものを食すのが良い。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
頤は養うと云い、「オトガヒ」と訓む。丁度人の頤(あご)の象があり、
は口を開いた貌である。人の飲食する時に、上顎が動かず下顎が動くように、上卦の艮は動かず下卦の震が上の方に上がる。飲食を以て身体を養う。不正なことを以て飲食を得てはいけないが、正しき所を以てするので吉である。自分の求める所の物の、正と不正を能く観なければいけない。口の中に入れる物を皆口實と云う。艮は身体で、震は道徳である。
[彖傳]
正しき所を以て、身体ばかりではなく、道徳を養っていけば、吉である。不正の禄を受けてはいけない。天地は万物を養い、天子は賢人を養う。そして賢人の力を用いて万民を養う。天子は自身も学問を修め賢人の徳を備えて、是を以てあまねく万民を養う方法を心掛けなければいけない。
[象傳]
山下に雷気があり、是で以て万物を養う。君子は言語を慎んで徳を育う。人と話をするにも、道に背くこと、仁に違うことを言ってはいけない。言おうとする時に、控えて稽えるのが慎むことである。口に任せて言えば、後で信用を失うことになる。又飲食を節にするのは、身を養うことである。飲食は過ぎれば害を為す。
《爻辭》

1/4(火) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻三爻

1/4(火) 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻三爻


【運勢】
礼節を重んじ、周りと信頼関係を築く事で、大事を成せるだろう。
急がば回れ。逸る気持ちを抑えて、堅実に正しさを守る事が大切である。
自らの力を弁えず、勢いに身を任せれば、進退窮まる結果となるだろう。


【結果】
䷡◎⚪︎
雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻三爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利しき攸なし。艱むときは則ち吉。
象に曰く、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、詳にせずるなり。艱むときは則ち吉とは、咎長かふざるなり。
[三爻]
九三。小人は壮(そう)を用ひ、君子は罔(もう)を用ふ。貞なれども厲し。羝羊(ていよう)藩に觸れて。其角を羸(くるしまし)む。象に曰く、小人は壮を用ひ、君子は罔なるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。
天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。
壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
三に應ずる有り。故に退くこと能はず。剛長ずることを懼る。故に遂ぐること能はず。疑ひを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱むときは則ち吉と曰ふ。
[三爻]
健の極みに處す。陽を以て陽に處す。其の壮を用ふる者なり。故に小人之を用ふるに以て壮と爲す。君子之を用ひ、以て己を羅(とら)うると爲す者なり。貞にして厲(あやう)し、以て壮。復た羝羊と雖も、之を以て藩に觸れる。能く羸(つか)れることなけんや。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


《爻辭》
[上爻 優先]
[三爻]
罔は蔑なり。羝は羖羊(黒羊)なり。剛壮、觸を喜ぶ。此の卦は兌に似たり。羊の象有り。藩は籬落(竹、柴などを編んで作った垣)なり。四を指して言ふ。羸(るい)は困弊の意なり。此の爻、大壮に在りて、陽剛乾體なり。下の卦の最上位に居て、小人在れば、則ち其の拳勇を奮ふ。郷曲を武斷す。(むらざとの軍隊)君子在れば則ち、其の權力に負ひて、衆人を凌蔑(りょうべつ)す。爲す所、正しと雖も。厲きを免れず、四は陽を以て前に當りて、進むこと能はず。強之を犯さんと欲すれば、則ち必ず困辱を取る。猶ほ羝羊の藩に觸れて、其の角を羸困(るいこん)するが如し。故に、詞に系て此の如し。蓋し人、徒らに勇を尚ぶを知りて、時宜を量らざれば、則ち爲す所正しと雖も、卒に厲きを免れず。況(いわん)や、其の爲す所、未だ必ずしも正しきを出でざれば、豈、其の終はり良きを得んや。夫子(孔子)曰く、君子勇有りて、義無ければ、則ち亂と爲る。小人勇有りて、義無ければ、則ち盗と爲る。正に此れを言うのみ。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。
《爻辭》
[上爻 優先][三爻]

1/3(月) ䷱ 火風鼎(かふうてい) 三爻

1/3(月) 火風鼎(かふうてい) 三爻


【運勢】
火を長く灯すには、常に新しい風を送り込む必要がある。
偏見や拘りを持たず、相手の意見を尊重し、協力する事が大切である。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
一つの事に入れ込み過ぎず、冷静に全体を俯瞰して見ると良い。


【結果】
䷱◎
火風鼎(かふうてい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
鼎は元(おほ)いに吉、亨(とほ)る。
彖に曰はく、鼎は象なり。木を以て火に巽れて、亨飪(かうじん)するなり。聖人亨(かう)して以て上帝を亨す。而して大いに亨して以て聖賢を養ふ。巽(そん)にして耳目(じもく)聡明(そうめい)。柔進みて上行す。中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る。
象に曰はく、木の上に火有るは鼎(てい)。君子以て位を正し、命を凝(あつ)む。


《爻辭》
九三。鼎の耳革る。其の行塞る。雉の膏食はれず。方に雨ふらんとして悔を虧く。終に吉。
象に曰く、鼎の耳革るとは、其の義を失ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
古い制度が新しく刷新され、新しい制度が定着するので大吉である。
さらに、それが長くなる持続するので亨るという。
鼎(かなえ)は食べ物を煮炊きする器である。
程子はこの卦自体が鼎の形を象っているとする。
初爻が鼎の足で、二爻から四爻までが鼎の腹、五爻が口で、上爻が蓋であるとする。
下が木德であり、上が火德であるから、物の煮炊きに良いので、鼎とされるのである。
革の卦と対応しており、五爻と二爻が応じており、和順で聡明である。
だから、大吉なのである。
何かをする時に人の助けがあり、その人に任せられる。
君臣の心が通じ合っている。
おそらく、亨と烹は音が通じるので古代にはどちらも使われていたのであろう。
《爻辭》
鼎の義爲る。中を虚にして以て物を待つ者なり。而して三は下體の上に處りて、陽を以て陽に居り、實を守りて應ずるなく、納れ受くる所なし。耳とは宜しく空にして以て鉉を待つべくして、反りて其の實塞るを全くす。故に鼎の耳革る、其の行くこと塞ると曰ふ。雉の膏有ると雖も、終に食ふこと能はざるなり。雨とは、陰陽交はり和して亢に偏らざる者なり。陽爻を體すと雖も、陰卦を統屬す。若し全く剛の亢なるを任ぜざれば、務めは和し通ずるに在り。方に雨ふらんとすれば則ち悔虧く。終ふれば則ち吉なり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
鼎は三足の鍋で、天下の宝器であり、王の象徴である。
日本でいうところの三種の神器である。
鼎は五味を調和することが出來る。
だから肉であれ、魚であれ、釜で煮た後、最後は鼎に移して味を調えたのである。
天地宗廟の祭祀に用いる神饌は鼎で調理され、賓客への御馳走も鼎が用いられた。
伏羲の時代には、一つの鼎が宝器であった。
もとより天地万物は一つのものから生じたわけで、天地人の三才は鼎の三足、それが鼎により調和されるのである。
それが黄帝の時代に三つの鼎になった。
三才を表すためであるという。
堯舜までは三つであった。
その後、夏王朝初代の禹王の時代に九つになった。
なぜなら、九州(漢󠄃土全体は九つの國に分かれていた)を象徴するためである。
周代まで九つであった。
政治も料理と同じで、五味を調和して誰にとってもおいしいものでなければならない。
だから鼎が王の象徴なのである。
王を助けるのは宰相であるが、この宰の字は肉を盛って料理をこしらえるという意味である。
そして十翼に鼎を主るのは長子であるとする。
つまり、皇太子が皇統を継ぐべきであるというのである。
それでこそ元吉なのである。
[彖傳]
初爻が鼎の足、二から四までに
があるが、これは物が入る部分である。
五爻が耳、上爻が持ち運びのためのひもにあたる。五爻の耳に通すのである。
元来、鼎は門外で煮炊きするもので、宗廟の門外東である。
[象傳]
木の上に火がある。
火は物を煮炊きするのに必要であり、強すぎても弱すぎてもいけない。
火にも陰陽があり、陽の火は強すぎて、すぐにものが焦げてしまう。
逆に弱すぎると火が通らないで生のままである。
陰陽が程よい状態ではじめて煮炊きが可能である。
牛羊豚で鼎を分ける。
是を三鼎という。
三鼎は日月星を表す。
心は巽順で耳目がしっかりしている。
五爻の王は二爻の賢人を用いて大いに栄えるのである。
《爻辭》

1/2(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 二爻

1/2(日) 山澤損(さんたくそん) 二爻


【運勢】
自己犠牲の精神はかえって仇となる。
自他共に益する形でないのなら、極力避けるべきである。
正しさを守り、その上で不用意に動かない事が大切である。
油断禁物、心の緩みは大きな過ちに繋がる。道理に従い動くと良い。

【結果】䷨◎
山澤損(さんたくそん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。


《爻辭》
九二は、貞に利し、征けば凶。損せずして之を益す。
象に曰く、九二、貞に利しとは、中以て志と爲すなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。
陰は陽に順うものである。
陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。
下を損じて、上を益す。
上に上昇するということである。
損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。
不足を補うものではない。
君子の道を長ずるわけでもない。
損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。
だから元吉なのである。
剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。
下を損して上を益す。
それで上を満たして剛を損して邪をなさない。
自然にはそれぞれ分というものが決まっている。
短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。
損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。


《爻辭》
柔は益を全うすべからず、剛は削を全うすべからず、下は以て正しくなかるべからず。
初九は已に剛を損して以て柔に順ふ。
九二は中を履みて、復た己を損して以て柔を益す。
則ち剥の道成る。故に遄やかに往くべからずして、貞に利しなり。之を柔に進めば、則ち凶なり。故に往けば凶と曰ふなり。故に九二は損せずして益に務む。中を以て志と爲すなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
損は減少である。
は泰の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。
下が損して上が益する様である。
天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。
損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。
あくまで正しくあろうとすべきである。
二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。
損益は時に應じておこなわれるとよい。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は「損」を意味する。
損とは有る物を失って不足になることである。
前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。
解ければ人の心が緩む。
緩めば損を生じる。
この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。
地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。
つまり人民が富んでいる。
初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。
そこで余りを以て上に献ずる。
そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。
上の方ではこれを止(と)める。
上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。
兌の卦は喜びを意味している。
こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。
互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。
しかし、是も程良い所でなければいけない。
そこで貞が大切である。
乾は満ちているから、奢りが生じる。
余剰は御祭用に献上するのが良い。
多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。
八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。
孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。
[彖傳]
損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。
下を損らして、上を益すのである。
下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。
「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。
二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。
豊年で献上物が多ければ、益すこともある。
下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。
内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。
凶年の時には上から下へ益して来ることもある。
損すべき時には損し、益すべき時には益す。
満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。
これも其の時節に従って時と共に行うのである。
[象傳]
山下に澤があるのは損である。
君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。
この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。
これは止める義であり、元は乾の卦である。
乾は三畫とも剛である。
強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。
これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。
三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。
つまり喜ぶところとなる。
また欲は坤の卦の象である。
坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。
上は坤の卦であるから、欲が盛んである。
その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。
《爻辭》

1/1(土) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 二爻

1/1(土) 雷山小過(らいさんしょうか) 二爻


【運勢】
少し過ぎるくらいに準備をすれば、控え目に過ごして丁度良い状況を作る事が出来る。
時間の余裕は心の余裕、穏やかで優しい人の言葉には、周りも耳を傾ける。
慎みを持って過ごせば、間違いを犯す事は無いだろう。


【結果】
䷽◎
雷山小過(らいさんしょうか) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
小過は亨る。貞に利ろし。小事に可にして、大事に可ならず。飛鳥之れが音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。
彖に曰はく、小過は小なる者󠄃過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞に利し。時とともに行ふなり。柔、中を得たり。是を以て小事に吉なり。剛、位を失ひて不中。是を以て大事に可ならざりなり。飛鳥の象有り。飛鳥之が音をのこす。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉とは、上るは逆にして下るは順なるなり。
象に曰はく、山上に雷有るは小過。君子以て行は恭に過ぎ、喪は哀に過󠄃ぐ。用は儉に過ぐ。


《爻辭》
六二。其の祖󠄃を過ぎて其の妣に遇ふ。其の君に及ばずして其の臣に遇ふ。咎なし。
象に曰く、其の君に及ばずとは、臣過ぐるべからざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
飛ぶ鳥がその声を残して、悲しみながら場所󠄃を求める。上には適当な場所がなく、降れば安住できる。上に行けば行くほど悪くなる。
飛ぶ鳥と同じである。小過の小はおよそ小事全般を言う。小事を過ぎて、うまく行く。過ぎれば正しくしていればよい。時宜にかなうのである。恭しく儉約󠄃していればよい。大事をなすは必ず剛がいる。柔で大を犯すのは、剝の道である。上に昇ってはならず、降るのが良い。これは飛ぶ鳥の象である。


《爻辭》
過ぎて遇うことができる。小過があって位に当たる。過ぎて遇󠄄うことが出來るのである。祖󠄃は初めである。妣は内に居て中を履む善いものである(二爻)。初爻を過ぎて二爻に居る。だからその祖󠄃(初爻)をすぎて、妣(二爻)にいるというのである。過󠄃ぎるけれども僭越には至らない。臣位を尽くすのみである。だからその君に及ばず、その君に遇󠄄うのは咎めがないというのである。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陽は大であり、陰は小である。四つの陰が外に在り、二陽が内に在る。陰が陽に勝っているので小過という。
陽が陰に勝るのが道理であるが、陰が勝って問題ない時もある。
二五は柔が中を得て、三四は剛であり、中でない。卦の形は鳥が翼を広げているようである。
上に向って鳴くので、下には聞こえない。下は順調で容易であるが、上昇は逆行するので難しい。
任務にも大小があり、位にも上下がある。人の才分もそれぞれ違う。柔は下位にあって小事を治めるのが良い。それが分からなかった人が多く失敗してきたのである。易は中に適うことを尊ぶ。


《爻辭》
三爻は陽で上に在るので父である。
四爻はその上に在るから祖󠄃である。
五爻は陰で祖󠄃の上に在るから祖󠄃妣である。
君は五を指し、臣は四を指す。二爻は小過があり、三を過ぎて五に行く。しかし、陰と陰で応じない。そこで五爻まで行かずに四爻までにすれば陰陽が相性よい。咎めなし。
陰が過ぎる時にあるので、戒めなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
小過の卦は全体でみると
の卦になっている。
三爻と四爻が鳥の体であり、一二、五六が翼である。何の鳥かといえば鶏である。
二三四爻に
がある。これが鶏である。
この卦は陰が過ぎる卦である。
陽は君で陰は臣下である。君が鳥の体で、臣が鳥の翼である。
陰が過ぎるとは臣下が調子に乗っていることである。
だから小事は行われ、大事は行われない。鶏が高く飛べる道理はない。
声だけ高く上がっても、体は高く上がらない筈である。
この場合、鷹に咥えられたとするとよい。飛び去ってしまい悲しむ声だけが残るのである。
上に行かれてはもうどうしようもないが、下にいるのなら人でも何とか救出できるかもしれない。
[彖傳]
祭祀に於いて祭式の起居進退は小事であり、道徳は大事である。
しかし、小なることを徹底して、良くなることもある。
この卦は陰が多すぎる。
二爻も五爻も陰である。
だから大事をするには不利である。
君は常に民と共にあらねばならない。
[象傳]
大いなる山を、小なる雷が過ぎて行く。
君子はこの卦をもとに行いを恭しくする。


《爻辭》
二爻は臣たるものの正しい位置である。
君を拝するときはまずはじめに宗廟に参る。
艮は宗廟を表す。
君にすぐにあうのは憚られることであり、まずは付近にいる臣下に仕えるべきである。
[象傳]
臣たるものが君以上ではいけない。
それを戒めているのである。

令和四年の運勢

【令和四年の運勢】 風地觀(ふうちかん) 初爻


【運勢】
風によって地上は吹き清められ、あるべき姿へと立ち返る。
風の様な身軽さで、身の回りに溢れる善行の機会を最大限に活かすと良い。
助け合いの精神が社会の支えとなり、天下泰平に繋がる。
学びを続け、視野を広げる事で、理想を現実に出来るだろう。


【結果】
䷓◎
風地觀(ふうちかん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。                  象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《爻辭》
初六。童觀す。小人は咎なし。君子は吝なり。
象に曰く、初六の童觀は、小人の道なり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


《爻辭》
觀の時に處りて、最も朝の美に遠し。陰柔を體して、自ら進むこと能はず。鑒見する所なし。故に童觀すと曰ふ。順ふに趣くのみにして、能く爲す所なし。小人の道なり。故に小人咎なしと曰ふ。君子大觀の時に處りて、童觀するを爲せば、亦た鄙ならずや。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖傳]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象傳]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。


《爻辭》

12/31(金) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し

12/31(金) 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し


【運勢】
思う様にいかない事があっても、焦ってあれこれ手を出す様ではいけない。
心の余裕を保ち、面倒事を避ければ、間違いを犯す事は無いだろう。
何事も、堂々とした姿勢で成果が出るまで堅実に続ける事が大切である。


【結果】

艮爲山(ごんいさん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

12/30(木) ䷝ 離爲火(りゐか) 五爻初爻

12/30(木) 離爲火(りゐか) 五爻初爻


【運勢】
上に立つ者が模範となり、皆が正しさを共有すれば、秩序は守られ、何事も上手く行くだろう。
悲しみや苦しみに苛まれている時は、己の弱さを知る良い機会である。
素直に自らを省みて、軽率な行動を慎む事が大切である。


【結果】
䷝◎⚪︎
離爲火(りゐか) 五爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
離は貞に利(よろ)し。亨(とほ)る。牝牛を畜(やしな)へば吉。彖に曰はく、離は麗なり。日月は天に麗(つ)き、百穀草木は地に麗き、重明󠄃以て正に麗く。乃(すなは)ち天下を化成す。柔、中正に麗く。故に亨る。是を以て牝牛を畜へば吉なり。象に曰はく、明󠄃兩たび作るは離。大人以て明󠄃を繼ぎ、四方を照らす。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。涕を出すこと沱若たり。戚嗟若たり。吉。
象に曰く、六五の吉は、王公に離けばなり。
[初爻]
初九。履むこと錯然たり。之れを敬して咎なし。
象に曰く、履錯の敬は、以て咎を辟くるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
離は柔であることが正しい。だから、必ず正しくして後にうまく行く。陰爻が卦の真ん中にある。牝の善いものである。外は強くて内は柔らかい。牛の善いものである。柔順を良しとする。凶暴な動物を飼ってはならない。牝牛を飼うのが良い。それぞれのものが、あるべき場所にあるのが良い。陰爻が真ん中に在ればうまく行く。吉。強暴な動物を飼うべきでない。


《爻辭》
[五爻 優先]
履むに其の位に非ず、履む所に勝へず。柔を以て剛に乘り、下を制すること能はず。下は剛にして進み、將に來りて己を害はんとす。憂ひ傷むの深きなり。沱し嗟くに至るなり。然るに麗く所尊に在り、四、逆に首となる。憂ひ傷むこと至深なり。衆の助くる所なり。故に乃ち沱し嗟きて、吉を獲るなり。
[初爻]
錯然は警戒し愼しむ樣である。離の初めで進むことが盛んである。然し未だ渡り切れていないので、行動は慎むべきである。敬を大切にすれば問題を回避できる。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
離は附くということである。一陰が二陽の間についている。火であり、日であり、電気であり、德としては明󠄃である。皆柔順であることを知っている。明󠄃は正しくあるのに良い。世の中で明󠄃を用いれば、正を失いがちである。明󠄃が二つ重なる状態で正を忘れなければ、天下を化成することが可能である。坤では牝馬の貞によいとあったが、この離では牝牛である。柔順の徳というより、柔順な人に服するのが良い。智の至りである。明󠄃とは日のことである。前の日が没しても、次の日の出がある。君子はこれを体現し、前の王の明徳を継いでいくのである。


《爻辭》
[五爻 優先]
[初爻]
錯然とは交錯したさまをいう。剛で下に居る。上に応じるものが無い。志は上を目指すが、進むことができない。慎んで敢えて進むべきでない。人は下に居ると上を目指してしまうものであるが、上に応援する人が居ない場合は成功しない。却って恥をかく。まずは慎むことである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
離はつくの意󠄃味である。正しくあればどこまでもよい。陰が陽爻二つの間についている。この陰爻は坤からきた。牝牛は柔順であり、温厚である。二爻と五爻が牝牛であるから、柔順の徳をやしなうべきである。
[彖傳]
乾の卦の二爻と五爻に陰爻がついたのである。日月は天について天下をあまねく照らす。また百穀草木は地に附いて盛んである。明󠄃の上に明󠄃が重なっているので、重明󠄃という。それが皆正しい位置についている。日月が天下を照らすように、君主も今日も明日も正しさを失わずにいれば、あまねく天下を化すことが出来る。中正なる所󠄃に居るのは二爻である。牝牛というのは二爻のことである。天子は每日明徳を以て政治をしなければならない。


《爻辭》
[五爻 優先]
[初爻]
初九は東から日が出ようとする所であり、未だ昧(くら)いから道が判然としない。此処で軽々しく進んで往けば、石に躓いたり穴に堕ちたりと云う様な事がある。其所で油断せずに、能々慎まなければいけない。是を人で解釈すると、未だ学問が明らかで無く、自身の行いに又疑いが起って来る。しかし十分に慎みを加えて往けば、咎を受ける事は無い。
[象傳]
足を履み進めて往く時には、紛らわしい所で道を過る事の無いように、慎しみが必要である。そうすれば咎を避ける事が出来る。