12/10(金) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 四爻初爻

12/10(金) 水雷屯(すいらいちゅん) 四爻初爻


【運勢】
未来を見据え、堅実に行動する事が大切である。
先ずはしっかりと土台を固め、精力的な仲間を適材適所で活かすと良い。
様々な困難があり悩みは絶えないが、今を踏ん張れば、後には大きな成果を得られるだろう。


【結果】
䷂◎⚪︎
水雷屯(すいらいちゅん) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。馬に乘ること班如たり。婚媾(こんこう)を求めて往く。吉にして利しからざる无し。
象に曰はく、求めて往く。明󠄃成なるなり。
[初爻]
初九。磐桓(はんかん)す。貞(てい)に居るに利(よろ)し。侯(こう)を建つるに利し。象に曰はく、磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。貴を以て賤(いや)しきに下る、大いに民(たみ)を得ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。
なやんで通ずることが出来ない状況である。
ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。
そのためには、正しさを固く守らねばならない。
現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。
こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
[四爻 優先]
[王弼]
二爻は初爻と比の関係にあるが、正しさを守って初爻に従わない。
己の志を害さない者である。
好みの合う友を求めて往くと必ず受け容れてもらえる。
[東涯]
婚媾(こんこう)は初爻と応じていることを指し、四爻は陰柔であり屯に居る。
そして柔順にして正に居る。
智の德は従うべきところを知る。
初爻の応じるものに求めて往く。
人で屯に居る時は、自ら救済することが不可能であれが、よく応じる相手を探すことは出来、救済の力に頼り、可能なことも出てくる。


[初爻]
[王弼]
屯の初めにいる。動けば則ち難を生じるので進んではならない。故に磐桓である。此の時によって、其の利、安くにか在る。唯だ貞に居て、侯を建てることのみてまある。乱れを息めて静かにする。静を守って侯たり。民を安んじて正に在り、正を弘くして謙に在り。屯難の世、陰、陽を求むめる。弱は、強を求める。民は、其の主を思う時である。初、其の主爻でまた、下である。爻、斯の義を備えている。宜しく其れ民を得るべきあるって、進むべきでない。故に磐桓するのである。宴安して成務を棄てるわけではない。故に磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。なのである。
[東涯]
磐は盤と同じであり、盤垣である。難に進もうとしている貌である。この爻は、屯の初めで陽を以って下にいる。苦しい時で卑しく、その才を用い得ていない。故に盤垣である。ただ、正しくいて詭計詐謀を用いてはならず、かわいがるのである。故に貞に利し。陽剛の才を持って緖陰の下にいる。民衆は、服従して、その心を得ている。故に「侯(こう)を建つるに利し。」なのである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。
下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。
水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。
天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖傳]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。
険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。
初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。
この人が進んで遂に侯になる所の卦である。
雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。
真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。
服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。
世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象傳]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。
また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。
綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。
この雲雷の象によって世の中を治める。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四と初九は位が応じて居る。
そこで六四は初九の方へ往こうと思って馬に乗ったが、隣の九五から頻りに招かれ仕方なく一時馬を還した。
しかし初九の方から婚媾を求めて来る。
初九は天下に君たるべき存在であるから、其処へ往くのが吉である。
[象傳]
今は九五が権力が盛んであっても、後には良くない。
初九から求めて来たのであれば、其方へ往くのが良いのは、明らかなる所である。
[初爻]

12/9(木) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 上爻

12/9(木) 地澤臨(ちたくりん) 上爻


【運勢】
思いやりの心を大切にし、根気強く相手と向き合うと良い。
邪な考えに惑わされず、正しさをしっかりと守る事が大切である。
目標を達成するまで熱意を内に持ち続ければ、選択を悔いる事は無くなり何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷒◎
地澤臨(ちたくりん) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。


《爻辭》
上六。敦臨す。吉にして咎なし。
象に曰く、敦臨の吉は志内に在るなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。また、上から下を見下ろす余裕がある。今はとても運気が良い。しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。


《爻辭》
坤の極に處り、敦を以てして臨む者なり。志賢を助くるに在りて、敦きを以て德をなす。剛の長ずる在りと雖も、剛の厚きを害はず。故に咎なきなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の坤は岸である。岸の高い所から、下の水に臨んでいる。臨は望とは違う。望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。
[彖傳]
初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。続いて二陽になって此の臨となる。さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。そこで大いに亨る。明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。
[象傳]
地の上の高い所から下を俯瞰する。君子は思慮深くして物を教える。深く考えるのが兌の象である。教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。萬物を生じるのに窮まりが無い。坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。
《爻辭》

12/8(水) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 二爻

12/8(水) 艮爲山(ごんゐさん) 二爻


【運勢】
何事も、堂々とした姿勢で成果が出るまで堅実に続ける事が大切である。
思う様にいかない事があっても、焦ってあれこれ手を出す様ではいけない。
長い目で見て状況を判断し、失敗を最小限に成功を確実なものにすると良い。


【結果】
䷳◎
艮爲山(ごんいさん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
六二。其の腓に艮まる。拯(すく)はずして、其れ随ふ。其の心快(こころよ)からず。
象に曰く、拯(すく)はずして、其れ随ふとは、未だ退いて聴かざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
隨とは趾を謂ふなり。其の腓に止まる。故に其の趾拯はれざるなり。腓は躁を體して止まるに處り。而して其の隨を拯ふを得ず、又た退き聽きて安靜すること能はず。故に其の心快からざるなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。
《爻辭》

12/7(火) ䷰ 澤火革(たくかかく) 上爻

12/7(火) 澤火革(たくかかく) 上爻


【運勢】
重要な選択を迫られた時は、自ら考え行動する事が大切である。
正しさを固く守れば、世の中が乱れ変革の時を迎えても対処出来るだろう。
予想以上に順調な事があっても、油断せず私利私欲に惑わされず堅実に進めると良い。


【結果】
䷰◎
澤火革(たくかかく) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
革は已る日乃ち孚あり。元いに亨る。貞に利し。悔い亡ぶ。
彖に曰はく、革は水火相ひ息し。二女同居して、其の志相得ざるを革と曰ふ。已る日にして乃ち孚あり。革めて之れを信にす。文明にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。大いに亨るに正を以てす。革(あらた)めて當る。其の悔い乃ち亡ぶ。天地革りて四時成る。湯武革命。天に順ひて人に應ず。革の時大なるかな。
象に曰はく、澤中に火有るは革。君子以て歷を治めて時を明󠄃にす。


《爻辭》
上六。君子は豹變す。小人は面を革む。征けば凶。貞に居れば吉。
象に曰く、君子は豹變すとは、其の文蔚たるなり。小人面はを革むとは、順にして以て君に從ふなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
民は常識を学ぶことを共にすることが可能であるが、変動に共に適応していくことは難しい。
共に成功を喜ぶことは出来るが、共に事業を始めることを考えるのは難しい。
だから革の道は、即日は誠なく、日が終わる時には誠がある。
誠があって元亨利貞で悔いが滅ぶのである。
日が終わるころに誠が無ければ革に当たらない。
後悔が生じるのである。
変動を生じるものである。
革めて其の悔いに当たれば、悔いを無くせる。
不合に變が生じ、変が生じるところに不合が生じる。
だから不合は革である。
息とは變を生じることである。
火は上に昇ろうとし、澤は下に降りようとする。
水と火が戦い、その後に變が生じる。
二女が同居している。
水と火が近くにあって互いに適合しない。革めるところとなり信があれば、文明の喜びである。
正しいことを履み行う。
そして改める。
天に應じ民に遵う。
大成功する正しいものである。
革めて大成功する。
必ず正しさを失ってはいけない。


《爻辭》
變の終はりに居り、變の道已に成る。君子は之に處り、能く其の文を成す。小人は成るを樂しめば、則ち面を變じて以て上に順ふなり。
命を改め制を創る。變の道已に成る。功成れば則ち事損し、事損すれば則ち爲すなし。故に居れば則ち正を得て吉なり。征けば則ち躁擾にして凶なり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
革は変革である。
已日は事を終える日のことである。
澤は水である。
火と水が互いに消しあっている。
中女が下に居て、少女が上に居る。
同居して志を一緒にしない。
変革の兆候である。
内は明るく外は喜びである。
智があってよく和す。
其れで革のはじめに居て、疑いを免れないが、最後まで達成できる。
よく互いを信じることが出來、妨害や滞りがない。
その正しさを失わない。
革めて当を得ている。
悔いは亡くなろう。
非常の初めに在り、革の初めである。
人々は旧習に安んじ、疑いや讒謗が生じる。
非常の事をして、人心を察せず、軽挙妄動してはいけない。
初めは疑われるが最後には信を得て悔いはなくなる。


《爻辭》
[上爻]


〔根本通明の解釋〕
無し

12/6(月) ䷉ 天澤履(てんたくり) 変爻無し

12/6(月) 天澤履(てんたくり) 変爻無し


【運勢】‬
安請け合いをしてはいけない。
志ばかり高く実力が伴わないと、かえって事態を悪化させてしまう。
有言実行。自らの発言に責任を持ち、誠実に生きる事が大切である。
心に余裕を持てる範囲で出来る事を進めると良い。


【結果】

天澤履(てんたくり) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。

〔根本通明の解釋〕
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖傳]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象傳]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。

12/5(日) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 三爻

12/5(日) 坎爲水(かんゐすい) 三爻


【運勢】
どんなに辛い状況であっても、自らの芯を曲げない事が大切である。
あれこれ心配して思い悩んでも、状況が好転する事は無い。
失敗を犯さない様よく注意して普段通りの生活を送り、時が過ぎるのを静かに待つと良いだろう。


【結果】
䷜◎
坎爲水(かんゐすい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。
彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。
象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


《爻辭》
六三。來るも之くも坎坎たり。險にして且つ枕ふ。坎窞に入る。用ふることなかれ。
象に曰く、來るも之くも坎坎たりとは、終に功なきなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


《爻辭》
旣に履むに其の位に非ずして、而も亦た兩坎の間に處り。出づれば則ち坎に之き、居れば則ち亦た坎なり。故に來るも之くも坎坎たりと曰ふなり。枕は、枝へて安んぜざるの謂ふなり。出づれば則ち之くなく、處れば則ち安んずるなし。故に險にして且つ枕なりと曰ふなり。來るも之くも皆坎なり。之を用ふる所なし。徒らに勞する而已。

12/4(土) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 上爻初爻

12/4(土) 雷水解(らいすいかい) 上爻初爻


【運勢】
積極的に新しい物事を進めると良い。
志を同じくする仲間と、公の場で正しい行いを続ければ、社会から信用を得られる。
問題の解決が困難な時は、立ち止まり悩むのでは無く、先ずは力強く行動する事が大切である。


【結果】
䷧◎⚪︎
雷水解(らいすいかい) 上爻初爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[上爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。公用ひて隼を高墉の上に射る。これを獲てよろしからざることなし。
象に曰く、公用ひて隼を射るとは、以て悖を解くなり。
[初爻]
初六。咎なし。
象に曰く、剛柔の際、義咎なきなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


《爻辭》
[上爻 優先]
初は四の應となり、二は五の應となる。三は上に應ぜず、位を失ひて負ひて乘り、下體の上に處る。故に高墉と曰ふ。墉とは、隼の處る所に非ず、高とは、三の履む所に非ず。上六は、動の上に居り、解の極なり。將に荒れ悖るるを解きて、穢れ亂るるを除かんとする者なり。故に用て之を射る。極まりて後に動き、成りて後に擧ぐ。故に必ず之を獲て、利あらざるなきなり。
[初爻]
解者、解くなり。屯難磐り結びて、是に於いて解くなり。蹇難の始、解の初めに處り、剛柔始めて散るの際に在り。將に罪厄を赦さんとし、以て其の險を夷らぐ。此の時に處り、位に煩はずして、咎なきなり。
或ひは過咎有るも、其の理に非ざるなり。義も猶ほ理のごときなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。


《爻辭》
[上爻 優先]
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。西南は坤の卦で、地の象である。地に五穀を植立てて、以て人民を養う。天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。漸次人民を養えば宜しい。若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖傳]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象傳]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。


《爻辭》
[上爻 優先]
[初爻]

12/3(金) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻二爻

12/3(金) 地雷復(ちらいふく) 三爻二爻


【運勢】
一陽来復、何事も低迷が長く続いた後には必ず良い事がある。
失敗を繰り返しても、その度に反省し心を入れ替える様であれば、大きな失敗を犯す事は無い。
心に余裕を持ち、身近な人の助言は素直に聞く事が大切である。


【結果】

地雷復(ちらいふく) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 老陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。
彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。
象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。頻(ひん)に復す。厲(あやふ)けれども咎め无(な)し。
象に曰はく、頻復の厲(れい)は、義咎(とが)め无(な)きなり。


[二爻]
六二。休復す。吉。
象に曰はく、休復の吉は以て仁に下ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
復はかえるの意󠄃味である。
ひとつ前の
剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。
一陽来復、また盛んになろうとしている。
陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。


《爻辭》
[三爻 優先]
[王弼]
三爻は迷いやすく心が動きやすいので、危険なことが多くある。
しかし、それでも正しい道に戻ることが出来る。
正しい道に戻れたのならば、問題はない。
[東涯]


[二爻]
[王弼]
位を得て中に当たる。
最も初爻に近く相和し、上に陽爻がない。
だからその親を疑い、陽を仁行となす。
初爻の上に在って、初爻に付き従う。
それを仁を下すというのである。
それでも中位にいて、仁に親しみ、隣と良好である。
復の大変良いところである。


[東涯]
休は美である。
この爻は複があり、柔順中正である。
初爻の剛健な賢人と親和性があり、下を志す。
これは複の美である。
人は偽りのない正直な人を友にすれば、自分の過ちを指摘してもらえる。
二爻はよく賢人に親しみ、これに順う。
すばらしいことである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
復は本の所に反(かえ)るという意である。
一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。
天の気が地の底に来ることで万物は生じる。
この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。
前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。
果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。
「其道」とは、万物を生成する所の道である。
「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。
雷気が往くに従って万物が発生する。
また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。
それで「利有攸往」なのである。
[彖傳]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。
上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。
つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。
七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。
「天地之心」は万物の生成である。
[象傳]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。
陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。
そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。
天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。


《爻辭》
[三爻 優先]
震の卦徳は動であり、変化が生じる。
『論語』で言えば、子路・子貢の様な、復(ふく)したり変わったり、また復したりする様なことである。
『論語』雍也第六に「子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ」とある(顔回は三ヶ月もの間、仁から離れることがなかったが、その他の者は日に一度か月に一度仁に復するのがせいぜいであった)。
このように頻(しき)りに復するから厲(あや)うい。
しかし厲ういけれども咎が無いのは、仁に始終復するからである。
[象傳]
過っても繰り返し仁に復するから咎が無いのである。


[二爻]
五爻目は上卦の中を得ている。
坤は順にして厚い。
情が敦(あつ)い所に、仁が復して来るので悔が無い。
[象傳]
中庸の徳があり、自らその徳を修めて往く。
「考」は成すという義で読まなければいけない。

12/2(木) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 変爻無し

12/2(木) 雷地豫(らいちよ) 変爻無し


【運勢】
志を同じくする仲間が協力してくれるので、物事は順調に進むだろう。
気を緩め過ぎると、正しい判断が出来なくなるので危険である。
順調に進んでいる時ほど、焦らず状況を整理し正確な選択をする、慎重さが求められる。


【結果】

雷地豫(らいちよ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。
四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。
上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。
統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。
そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。


〔根本通明の解釋〕
豫は象の中の最も大きなものをいう。
豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。
そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。
一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。
上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。
天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖傳]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。
また長子でもあり、大臣にもなる。
この四爻目の剛に天下悉く応じる。
震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。
日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。
三・四・五爻目の坎は法律の義がある。
法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。
国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象傳]
豫は萬物皆悦ぶという義である。
この象を用いて作ったのは音楽である。
歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。
そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。
殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。
黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。
上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。

12/1(水) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 五爻

12/1(水) 地山謙(ちさんけん) 五爻


【運勢】
何事も謙虚堅実な姿勢で望み、相手の気持ちに寄り添う事が大切である。
始めてみるまで結果は分からない、思い悩まず流れに身を任せると良い。
謙譲の美徳を蔑ろにする者は集団の不和を生むので、厳しく対処すべきである。


【結果】
䷎◎
地山謙(ちさんけん) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。


《爻辭》
六五。富まずその鄰を以てす。侵伐に用ゐるによろし。よろしからざることなし。
象に曰はく、「侵伐に用ゐるよろし」とは、服せざるを征するなり。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。
平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。
謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。
しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。
謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。
君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。
これを有終の美という。
謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。
また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。


《爻辭》
五爻は王位であるが、富を持たないので、人を使役できず、仲間である二爻から上爻までの陰爻と共に行動するしかないとする。
遠方の服従しないものを討つのに好機である。
なぜなら、味方はその謙譲の美徳に従ってくれ、敵は服するからである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。
我が身が小さくなって人の下に降って居る。
古くは言偏の無い「兼」の字であった。
小さいために一つで足らず合わせるという義である。
他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。
口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。
小さいというのが本来の義である。
卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。
二・三・四爻目に坎がある。
水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。
これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。
しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。
[彖傳]
天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。
元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。
光明は三爻目に降りて来た陽爻である。
また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。
元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。
上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。
我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。
卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。
そうして君子は終を遂げる所となる。
[象傳]
上卦が地で下卦が山である。
地の広い方から見れば山が小さい。
天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。
そこで多い方から取って、少ない方へ益す。
政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。
政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。


《爻辭》
富まずというのは、天子が己を空虚にして邪の無いことである。
其の鄰を以ゆというのは、九三の賢人をはじめ周囲の人を能く用いることである。
侵伐は容易に出来るものでなく、謙遜の徳に天下皆服しているから勝利を得られる。
しかし是は外国を討つことが本義ではない。
[象傳]
若し国内に服することがなく、乱を起こす様な者があれば之を討つのが良い。