11/7(日) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 五爻

11/7(日) 澤水困(たくすいこん) 五爻

【運勢】
言葉巧みに物事を進めようとしても、内実が伴わなければ信頼はされない。
着飾ろうとせず、成果の出ない時は寡黙に努力し誠実さを体現すると良い。
消極的、悲観的な物の見方を改め、賢人の助言を受ける事が大切である。


【結果】
䷮◎
澤水困(たくすいこん) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。象に曰はく、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《爻辭》
九五。劓られ、刖られ。赤紱に困しむ。乃ち徐にして說󠄁び有り。用て祭祀するに利ろし。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
[王弼]
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。
[東涯]
正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《爻辭》
五爻は為政者の爻である。鼻を切られ、足を切られる困難な状況である。そこで赤紱という礼服を着て賢者を待つがまだ来てくれない。しかし急がずゆっくりとしていれば、志を遂げることができ、喜びも訪れる。必ず賢者が来てくれて、共に祭祀を行うことで、福をえよう。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《爻辭》

11/6(土) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 二爻

【運勢】
何事も一貫した姿勢で取り組み、皆の信頼を得ると良い。
大事を行うのに良い時である、内実がしっかり伴えば、多少見栄えが悪くても誠意は伝わるだろう。
順調な時こそ慢心せず、謙虚な心で土台を固める事が大切である。


【結果】
䷭◎
地風升(ちふうしょう) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。彖に曰はく、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。象に曰はく、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。


《爻辭》
九二。孚あれば乃ち禴を用ふるによろし。咎なし。
象に曰く、九二の孚とは、喜び有るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
巽順で以て上るべし。陽爻が尊󠄄位に当たらない。厳しい剛の正しさがないので憂えを免れない。大人にあうのに用いる。憂うるなかれ。柔で南に行けば、大きな明󠄃につく。柔は時により上ることを得られる。純柔であれば自分で上ることが出来ない。剛が思いあがれば人は従わない。旣に時であり上った。また巽順である。剛中で応じている。だから大いにとおるのである。巽順で上った。大きな明に至る。志が通ったことを言う。


《爻辭》
五を興し應ずるため、往けば必ず任ぜ見る。夫の剛徳を體して、進みて寵を求めず。邪を閑ぎ誠を存し、志大業に在り。故に乃ち約を神明に納るるを用ふるに利あるなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
升は変じて萃と通う。萃の内卦の三爻の陰が昇って外卦に行った。だから升という。内が巽で外が順。柔巽で人の心に從う。二爻は剛中で五爻と応じている。これは賢人が君を得た象である。その得失を憂うるなかれ。西南は坤
であり、上卦にある。だから前進して南に遠征する。進み上って吉である。君臣が遇うことは古來難󠄄しい。巽順の德を身につけ、柔中の君(五爻)に遇󠄄う。剛中の逸材(二爻)を重用して、賢人を好む時、進んで為すことがある。地中に木が生ずる象であるから、地道は木に敏感である。時に昇進する。もしその養いを得れば、長く続かないものはない。君子はこれを体してその徳に從う。次々に重ねて高明󠄃廣大となる。漸次進む。


《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
升は升(のぼ)って進むという義がある。昇と同じである。三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。地に陽木と陰木の芽が出ている。それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。元亨の元は震で、亨は兌である。また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。南に征くとは、南面の位に即くことをいう。
[彖傳]
太子は升るべき時を以て天子の位に升る。皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。心配には及ばない。必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。
[象傳]
地の中に巽と震の卦がある。木が次第に上の方に進んで伸びて往く。君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。巽は『説卦伝』に「高し」とある。


《爻辭》

11/5(金) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻

11/5(金) 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻


【運勢】
自己管理を徹底し、心に余裕を持ち、相手を思いやる事が大切である。
我を通さず、謙虚堅実に相手と向き合えば、何事も上手く行くだろう。
正しいと思う事を率先して行えば、災いを未然に防げるだろう。


【結果】
䷘◎
天雷无妄(てんらいむまう) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。
象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。
《爻辭》
九四。貞(てい)すべし。咎(とが)无(な)し。
象に曰く、貞すべし。咎无しとは、固(かた)く之れを有するなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
[王弼]
動いて健とは震のことをいう。
雷動して乾健である。
剛中というのは五爻を言う。
剛が外からきて、内卦の主爻となる。
動いていよいよ健である。
剛中で応じている。
私欲が行われない。
妄動することはない。
无妄の道ができ、大吉。
剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。
動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。
剛中にして応じれば斉明の德が通る。
天の教命である。
もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。
茂は盛んなことである。
物は皆あえて妄でない。
その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。
時に対して物は育つ。
是より盛んなことはない。
[東涯]
妄(もう)は、望と音に相近し。
无妄は、希望することがない。
『史記』では无望󠄇とかく。
この卦をさかさにすると
山天大畜になる。
主爻は初九である。
无妄は予期せずに来るものである。
卦体は震が動くで、乾が健やかである。
五爻と二爻は応じている。
まさに天命である。
逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。
舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


《爻辭》
陰の四爻に陽であるので、謙順を失いがちである。
至尊󠄄の五爻に近いので、正しいものをつけるべきである。
初爻と応じていない。
何もしようとせず、正しさを守っていればよい。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
无妄は欲がないということである。
無望の意味である。
『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。
ただ誠にのみ志すのである。
志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。
五爻と二爻が応じており、上下心が通う。
天命を受けることを表す。
その天命に従うのがよい。
それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。
人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。
先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。
春夏秋冬、天に従った生き方をした。


《爻辭》
四爻は陰の位に陽がきているので、正しくあるべきと戒めている。
[象傳]
四爻は、仁の徳を初爻と共に大切に育めば問題ない。

11/4(木) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 四爻

11/4(木) 水雷屯(すいらいちゅん) 四爻

【運勢】
目先の利益に惑わされず、未来を見据え堅実に行動する事が大切である。
新たに何かを始める時は、精力的な仲間を集めると良い。
様々な困難があり悩みは絶えないが、今を踏ん張れば、後に大きな成果を得られるだろう。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
六四。馬に乘ること班如たり。婚媾(こんこう)を求めて往く。吉にして利しからざる无し。
象に曰はく、求めて往く。明󠄃成なるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。
なやんで通ずることが出来ない状況である。
ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。
そのためには、正しさを固く守らねばならない。
現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。
こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
[王弼]
二爻は初爻と比の関係にあるが、正しさを守って初爻に従わない。
己の志を害さない者である。
好みの合う友を求めて往くと必ず受け容れてもらえる。
[東涯]
婚媾(こんこう)は初爻と応じていることを指し、四爻は陰柔であり屯に居る。
そして柔順にして正に居る。
智の德は従うべきところを知る。
初爻の応じるものに求めて往く。
人で屯に居る時は、自ら救済することが不可能であれが、よく応じる相手を探すことは出来、救済の力に頼り、可能なことも出てくる。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。
下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。
水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。
天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖傳]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。
険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。
初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。
この人が進んで遂に侯になる所の卦である。
雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。
真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。
服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。
世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象傳]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。
また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。
綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。
この雲雷の象によって世の中を治める。


《爻辭》
六四と初九は位が応じて居る。
そこで六四は初九の方へ往こうと思って馬に乗ったが、隣の九五から頻りに招かれ仕方なく一時馬を還した。
しかし初九の方から婚媾を求めて来る。
初九は天下に君たるべき存在であるから、其処へ往くのが吉である。
[象傳]
今は九五が権力が盛んであっても、後には良くない。
初九から求めて来たのであれば、其方へ往くのが良いのは、明らかなる所である。

11/3(水) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 初爻

11/3(水) 艮爲山(ごんゐさん) 初爻

【運勢】
精力的なのは良い事だが、大事を行うには時期尚早である。
先ずは一人で出来る事を地道に行い、地位を盤石にする事が大切である。
周りに過度な期待をしてはいけない。
自らの力を信じれば、悔いの無い結果を得るだろう。


【結果】
䷳◎
艮爲山(ごんゐさん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
初六。その趾(あと)に艮(とどま)る。咎めなし。永貞によろし。象に曰はく、その趾に艮(とどま)るとは、未だ正を失はざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
[王弼]
初爻はどこにも行かず、今の位置に留まることがよい。
初爻は最下位であり、上昇したい気持ちもあるが現状を維持して問題ない。
また長く正しくあろうとすべきである。
[東涯]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。


《爻辭》
「趾」は前に向かうもので卦の一番下にあるので趾(あし)にあたる。艮の卦は人の身体に象を取っている。外へ往くために最初に動くのは足である。足を止めて世間へ出ないから咎を受けることがない。貞しい所に居るのが宜しい。
[象傳]
「其趾ヲ艮スル」とある。「艮スル」とは止めるという意味であり、正しさを失ったわけではない。三・四・五爻目の震の卦になれば動く所となるが、初爻・二爻目では動くべきでない。言ってみれば、九三(三爻目)は正しさを失って居るが、初爻はそれと反対であるから正しさを失ってはいないのである。

11/2(火) ䷑ 山風蠱(さんぷうこ) 五爻三爻

11/2(火) 山風蠱(さんぷうこ) 五爻三爻

【運勢】
風が山に阻まれて淀んでしまう様に、進まず留まれば、何事も腐敗が進んでしまう。
取り返しの付かなくなる前に、悪しき習慣を改め、良い習慣を取り入れる事が大切である。
信頼する相手と協力して物事を進めると良い。


【結果】
䷑◎⚪︎
山風蠱(さんぷうこ) 五爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
蠱は元いに亨る。大川を渉るに利し。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。
彖に曰はく、蠱は剛上りて柔は下る。巽にして止まるは蠱。蠱は元いに亨る。而して天下治まるなり。大川を渉るに利しとは、往きて事有るなり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日とは、終はる時は則ち始め有り。天の行なり。
象に曰はく、山の下に風有るは蠱。君子以て民を振し、德を育(やしな)ふ。

《爻辭》
[五爻 優先]
六五。父の蠱を幹す。用ゐて譽(ほまれ)あり。
象に曰はく、父に幹す、用ゐて譽ありとは、承くるに德を以てするなり。
[三爻]
九三。父の蠱を幹す。小しく悔有り。大なる咎なし。
象に曰く、父の蠱を幹すとは、終に咎なきなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
下の剛は制を断じ、上の柔は令を施すべし。
旣に巽また止まり、競争しない。
事有りて競争の煩いがない。
だから為すことがある。
為すことがあれば大いにうまく行く。
天下を治める。
蠱は事有りて、能力のあるものを待つ時である。物は喜び従う。
德を進めて業を修めればうまく行く。
甲とは創制の令である。
古いものを以てしてはならない。
甲に先立つこと三日、甲に後れること三日、治めさせて後、誅するのである。
事によって令を述べる。
終われば始まる。
天の運行は四季のようである。

《爻辭》
[五爻 優先]
柔が尊󠄄位に居る。
中を用いて應ず。
先代を承けるのに中を用いれば譽を受ける。
柔が中にあるので威力を用いない。
[三爻]
剛を以て事を幹す、其れ應ずるなし。故に悔有るなり。其の位を得るを履み、正を以て父に幹す。小しく悔有りと雖も、終に大なる咎なし。

〔東涯の解釋〕
《卦辭》
蠱は壊、腐敗のことである。
この卦は變じて隨となる。
隨の初爻が上って上爻となり、隨の上爻が下って初爻となる。
だから、剛が上って柔が下るというのである。
強者が弱者をしのぎ、衆寡敵せず、終に蠱壊を招く。
内は巽順であり、よく物を止める。
天に十日有り。
甲に始まり癸で終わる。
甲は事の始めである。
甲に先んじるとは辛壬癸であり、統治が極まり乱れる。
前󠄃の事が終わろうとする。
腐敗を致す道である。
甲に後れるとは乙丙丁である。
乱が極まり治まるころである。
腐敗を治める道である。
治乱盛衰何度も反復するものであり、日が昇り暮れ、月󠄃が満ち欠け、寒暑が往来するようなものである。
上下がうまく意思疎通しないと腐敗するので、巽順の道がこれを防がねばならない。
そうすればうまく行くのである。


《爻辭》
[五爻 優先]
腐敗がある時に柔であり、尊󠄄位にある。
二爻と応じてゐる。
柔中の君は、剛陽の臣下を任命することが出来る。
そしてその祖業を輝かせる。
自分自身の才能が腐敗を治めるに足らないならば、良く治めることが出来るものに頼るべきである。
君は衆と力を合わせて腐敗に対応すべきである。
[三爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
政が大いに乱れた状態で天子が崩御し、位に即いた太子はこれを悉く一新し、天下を新たにするという卦である。
蠱は器物の様な物や米などが、古くなって壊れて来る所を云う。
三・四・五爻目に震の卦がある。
これは長子、即ち皇太子である。
上爻が父親で、初六は子であり、即ち父親は終わり子が始まるの象である。
[彖傳]
陽爻が一番上になって居るのを剛上る、陰爻が一番下になって居るのを柔下ると云う。
巽は弱く姑息で敗れる。
晩年の天子の周りでは、大臣の悪人が天下を紊し、朝廷には小人ばかりで、手の付けようが無い。
そこで姑息にして放置して居り敗れたのが蠱である。
元亨而治まるとは、新たに始めることで震の卦の象である。
皇太子が即位して政を改め天下を治める。
先甲は旧いものが終わり新しく始まって往くことである。
後甲は辛壬癸が終わり、甲乙丙で始まっていくことである。
[象傳]
旧いものを悉く洗い除く。
ニ・三・四爻目に兌の卦がある。
兌は秋で、枯れた葉が山下からの風で吹き落される。
これは旧弊の政事を除く義である。
三・四・五爻目は震の卦である。
震は春で、新しい芽がまた出てくる。

《爻辭》
[五爻 優先]
皇太子が天子の位に即いて政を改める所である。
これは重大な事であるから、一人で行えない。
五爻目に応じるのは二爻目で、九二の賢人を用いる。
そうして天下を斉へた所から誉を得る。
[象傳]
親の後を承け継ぎ、道徳に則った政を行う。
[三爻]

9/28(火) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう)→䷿ 火水未濟(かすいびせい)


【運勢】
自ら考え、行動する事が大切である。
いざと言う時、周りに判断を委ねる様では信頼を失うだろう。
皆が最善を尽くし、互いに助け合う事が出来る環境を作れば、如何なる難局も乗り越えられる。


【結果】
䷿
本卦:天雷无妄(てんらいむまう)
之卦:火水未濟(かすいびせい)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
天雷无妄》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。
象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。


《之卦:
䷿ 火水未濟》
未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。
彖に曰はく、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸无し」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。
象に曰はく、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。


【解釋】
《本卦:
天雷无妄》
〔王弼の解釋〕
動いて健とは震のことをいう。
雷動して乾健である。
剛中というのは五爻を言う。
剛が外からきて、内卦の主爻となる。
動いていよいよ健である。
剛中で応じている。
私欲が行われない。
妄動することはない。
无妄の道ができ、大吉。
剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。
動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。
剛中にして応じれば斉明の德が通る。
天の教命である。
もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。
茂は盛んなことである。
物は皆あえて妄でない。
その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。
時に対して物は育つ。
是より盛んなことはない。


〔東涯の解釋〕
妄(もう)は、望と音に相近し。
无妄は、希望することがない。
『史記』では无望󠄇とかく。
この卦をさかさにすると
山天大畜になる。
主爻は初九である。
无妄は予期せずに来るものである。
卦体は震が動くで、乾が健やかである。
五爻と二爻は応じている。
まさに天命である。
逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。
舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


〔根本通明の解釋〕
无妄は欲がないということである。
無望の意味である。
『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。
ただ誠にのみ志すのである。
志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。
五爻と二爻が応じており、上下心が通う。
天命を受けることを表す。
その天命に従うのがよい。
それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。
人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。
先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。
春夏秋冬、天に従った生き方をした。


《之卦:
䷿ 火水未濟》
〔王弼の解釋〕
柔が中にあり、剛に違わない。
よく剛健を納めるので、うまく行く。
小狐が大きな川を渡ることができない。
あと少しの所󠄃で実現できない。
剛健が難を抜き、その後に可能になる。
ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。
小狐渡れるだろうが、余力がない。
もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。
終わりまで続けられない。
今も険難の時である。
未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。
位に当たらないので未濟である。
剛柔が応ずれば済む。


〔東涯の解釋〕
未濟は事が成就しないことである。
火が上に在り、水が下に在る。
上下交わらない。
互いに用いないので未濟という。
五爻は柔で中にいる。
ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。
狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。
始めはうまく行く。
そして、下に止まっていればよいのである。
いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。
君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。
上が陽で下が陰である。
互いに妨害しない。


〔根本通明の解釋〕
下は水上は火である。
水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。
互いが作用しないので、萬物が創造されない。
しかし、両者あるべき場所に在る。
しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。
だから最終的には亨るのである。
坎は狐である。
この卦の場合、小さな狐である。
それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。
狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。
疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。
忍耐力が無いのである。
忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。
気力が無いと何事も達成できないのである。
[彖傳]
柔が中を得ている。
五爻のことである。これが主爻である。
また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。
この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。
陰は陽に居て、陽は陰に居る。
しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。
また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。
最終的にはうまくいくのである。
[象傳]
火は南に居り、水は北に居る。
自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。
何事もはっきりと分ける象である。
離はものを明󠄃らかにする。
それぞれが自分のいる場所にいることを示している。

9/25(土) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 三爻


【運勢】
高く聳え立つ澄んだ山々の様に、堂々とした姿勢で、嘘偽りの無い清らかな心を持つと良い。
一人で地道に進めても、大勢は変化しない。
頑なに心を閉ざすのではなく、周りの意見に耳を傾けて、妥協点を探る事が大切である。


【結果】
䷳◎
艮爲山(ごんゐさん) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
九三。其の限に艮る。其の夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(いさ)ぶ。
象に曰はく、其の限に艮まるとは、危ふくして心を薫ぶる也。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
[王弼]
限は身の中のことである。三は雨の象の中に当る。故に其の限に艮まるという。夤中脊の肉に当る。止まるを其の身に加へ、体を中して分く。故に其の夤を列きて、危ふきを憂ひ心を薫ぶるのである。艮の義爲るや、各々其の所に止む。上下相與せざれば、中に至りて則ち列く。列くこと其の夤に加ふれば、危きこと焉より甚しきは莫し。危亡之れ憂ふれば、乃ち其の心を薫灼する。止まるを体中に施せば、其の體焉を分く。體雨主に分かるれば、大器喪はる。
[東涯]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖伝]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象伝]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。
《爻辭》