7/15 (水) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 二爻

【運勢】

何かしらの貴重な機会を得るので、大切にすると良い。

自分を偽らずに過ごす事で、仲間と心を一つにする事が出来る。

賑やかである事は問題無いが、気を抜き過ぎると危険である。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。

「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

六二。引いて吉。咎なし。孚(まこと)有れば乃(すなは)ち禴(やく)をもちうるによろし。

象に曰はく、「引いて吉。咎なし。」とは、中未だ變ぜざるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

二爻は初爻三爻と共に五爻に従おうとしている。

中の徳が失われていないからである。

それは良いことで、王は祭祀に彼らを用いるの良い。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

萃の下に亨の字があるのは間違いである。

萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。

地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。

王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。

そして、豚羊牛で祭るのが良い。

そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。

[彖傳]

萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。

天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。

天命にしたがうというのは、☴巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。

天子の恩沢に人々は集まるのである。

[象傳]

人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。

そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。

《爻辭》

二爻は陰の位に陰でいるから正しい。

そして五爻の王の許に初爻、三爻を率いていく。

禴(やく)という夏の祭に登用すべきである。

何故なら夏はお供え物が腐りやすく、澤山は供えられない。

そんな時は、物ではなく、真心をもった二爻のような者󠄃を祭員として、神に誠をつくすのが良い。

[象傳]

他の者が四爻に気を取られていても、二爻だけは五爻の王だけを慕っている。

あくまで五爻に集まるのである。

7/14 (火) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 五爻


【運勢】

皆の利益になる事を思い付き、其れを行うが、公平さを指摘される。

理不尽に感じたとしても、争いを避ける事が何より大切である。

正しいか間違えているかに関わらず、争いを始めると、徳を失うだろう。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒(ふさ)がる。惕(おそ)れ中するは吉。終(を)はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險(じょうごうかけん)。險にして、健なるは訟。「訟孚有り。窒り、惕れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。

「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

九五。訟、元吉。

象に曰はく、「訟、元吉」とは、中正を以てなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である。

徳の無い人(二爻)は訴訟を好む。

行き詰って、結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

君子は訴訟が起こらないように初めから考えている。

《爻辭》

尊󠄄位であり、訟の卦の主爻である。

中正の考えに基づいて曲直を判断すれば、誤ることはない。

公正であれば偏ることなく、邪になることもない。

だから、大いに吉である。

強すぎれば過酷過ぎ、弱すぎればいい加減になる。

中正が第一である。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辭》

この五爻の天子は中正である。

大いに吉。

[象傳]

天子がどこまでも中世の正しき所を以てするのである。

それで中正なりという。

7/13 (月) ䷢ 火地晋(かちしん) 上爻


【運勢】

徳のある人間は評価され、欲がある人間は評価されない。

徳を見定める事は難しいので、人は欲があるかないかを見て評価する。

道を大きくひらく事が出来るが、何事も行き過ぎない事が大切である。

【原文】

《卦辭》

晋は康侯(しょうこう)用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。

彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く。柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。

象に曰はく、明󠄃、地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照(あきらか)にす。

《爻辭》

上九。其の角に晋(すす)む。これ用ゐて邑(むら)を伐(う)つ。厲(あや)ふけれども吉なり。咎なし。貞なれども吝なり。

象に曰はく、「これ用ゐて邑を伐つ」とは、道󠄃未だ光らざるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

晋は進󠄃むである。

地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。

陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。

これは名君に人々が仕える象である。

そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。

三陰は柔順の徳がある。

君子は德を明らかにし、天下あまねくその恩恵を受ける。

《爻辭》

上爻は進む所が極まったわけであるが、今も上爻は陽であり中庸でない。

このような状況では反逆者を討とうとしてもそこまで人々はついて来ないので、小さな村単位の反逆者を倒せるほどである。

勢いがない。

吉であり、問題はないが、後悔することも多い。

聖人が言うように中庸が大切である。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

上卦は日を表し、下卦は地を表す。

太陽が昇ったばかりを象っている。

萬物も誕生すると、太陽と同じように進んでいく。

萬物は日の力を借りて生長するのである。

『説文解字』に「日出でて萬物進󠄃むなり」とあるのは、そういうことである。

康侯とは「国を平和にする臣下」の意味である。

そして、自分の国を平󠄃安に治める諸侯は、国情を君主に報告するために朝廷に來る。

一日に三回報告することになっていて、自分の国で生まれた名馬を献上するのである。

[彖傳]

太陽が地上に出て、大地をあまねく照らす様を表す。

天子が上に在って、諸侯が拝謁する所󠄃を表す。☲離は明󠄃である。

大明󠄃は☰乾であり、その真ん中の爻が下の☷地に影響されて陰になっているので、「順にして大明󠄃に麗く」というのである。

[象傳]

地の下に日があると真っ暗なように、陽の上に陰があると暗い。

陰は人の心の欲である。

欲があると徳が輝かないので、君子は自らの明徳を示すためにこの卦を参考にする。

『大学』で「大学の道󠄃は明徳を明󠄃らかにするに在り」とはこのことである。

《爻辭》

上爻は☲離の卦の一番上であり、離は兵の象である。

陽爻であるから、過剰に陽が强い。

角は先がとがった固いもので、要󠄃は兵器である。

討伐する相手は外国でなく、邑、これが実は大臣のことである。

大臣が国内で悪政を敷いているので、君主は討伐しなければならない。

それは危険なことであるが、国政にとっては吉である。

それは恥ずべきことである。

何故なら、君主が有徳者なら本來、大臣を討伐するようなことにはならないからである。

[象傳]

君主が大臣を討たなければならなくなったのは、まだ君主の徳が足りないからである。

7/12 (日) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻

【運勢】

予期せずして、世の中を変える出来事が起こるだろう。

心の内に秘めている欲があるが、それに従わず、穏やかであれば良い。

今日、「やるべき事」がある人は、正しさを守り、行う事が大切である。

【原文】

《卦辭》

无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。

彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。

象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。

《爻辭》

九四。貞(てい)すべし。咎(とが)无(な)し。

象に曰く、貞すべし。咎无しとは、固(かた)く之れを有するなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

妄(もう)は、望と音に相近し。

无妄は、希望することがない。

『史記』では无望󠄇とかく。

この卦をさかさにすると䷙山天大畜になる。

主爻は初九である。

无妄は予期せずに来るものである。

卦体は震が動くで、乾が健やかである。

五爻と二爻は応じている。

まさに天命である。

逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。

舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。

《爻辭》

陰の四爻に陽であるので、謙順を失いがちである。

至尊󠄄の五爻に近いので、正しいものをつけるべきである。

初爻と応じていない。

何もしようとせず、正しさを守っていればよい。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

无妄は欲がないということである。

無望の意味である。

『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。

ただ誠にのみ志すのである。

志が正しくなければ、災いがおこる。

[彖伝]

外卦が天で、内卦が雷である。

五爻と二爻が応じており、上下心が通う。

天命を受けることを表す。

その天命に従うのがよい。

それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。

[象伝]

天の下に雷があるのが无妄である。

人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。

先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。

春夏秋冬、天に従った生き方をした。

《爻辞》

四爻は陰の位に陽がきているので、正しくあるべきと戒めている。

[象伝]

四爻は、仁の徳を初爻と共に大切に育めば問題ない。

7/11 (土) ䷖ 山地剥(さんちはく) 三爻

【運勢】

世の中は、酷く衰弱し、耐え難い時にある。

道理に従う事で、正常化の兆しが見えてくるだろう。

慌てず平常心を持ち、普段の生活を維持する事が大切である。

【原文】

《卦辭》

剝は往く攸有るに利しからず。

彖に曰く、剝は剝なり。柔剛を變ずるなり。

往く攸有るに利しからずとは、小人長ずるなり。順にして之を止む。象を觀るなり。君子は消息盈虚を尚ぶ。天の行なり。

象に曰く、山、地に附く剝。上以て下を厚うし宅を安ず。

《爻辭》

六三、之を剝す。咎めなし。

象に曰く、之を剝すに咎めなしとは、上下失へばなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

剝は割くの意󠄃である。

下から陰が侵食し、最後に上爻だけに陽が残っている。

これは徳の無い者がはびこり、有徳者が衰退している時である。

このような時は何か事を起こす時ではないと、強く戒めるべきである。

《爻辭》

三爻は上爻と応じていて、陰爻の中でも唯一要陽を助ける存在である。

割いていく中で、この爻は問題が無い。

陰の中にあるが、有徳者を助けるものである。

だから周りの陰とは交わらないのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

剝は刀で削り取っていくという意味である。

徳の無い者が削り取りながら有徳者にせまっていくところである。

このような時には有徳者は遁れておくのが良いのである。

〔彖傳〕

剝にはものを破る、落とすという義もあるが、この場合は削り落とすの意󠄃である。

小人が世の中の隅々にはびこっているので、君子たるものはどこにも行かない方が良い。

そして正しい行いをつづけていかなければならない。

今はすべてが陰になろうとしているが、固く道徳を守り、一陽来復に備えておくべきである。

〔象傳〕

地の上に山がある。

地は民であり、山は君主である。

地が厚ければ山は盤石であるように、民の生活基盤が盤石であってこそ、君主は盤石なのである。

卦の形は牀のようである。

牀とは今の机のことで、一番上の上爻が机で、五爻までの陰爻が足である。

《爻辭》

陰爻の中でこの爻だけが上爻と應じているので害をなさない。

〔象傳〕

三爻は上爻と応じているから、二爻とも四爻ともくみしない。

だから、三爻は孤独だが、害を受けない。

7/10 (金) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 四爻

【運勢】

自分の内面をより良くしたいが、指針となるものは見つからないだろう。

なので、指針を見つけるより先に、自分の良識に従って、内面を変えていく必要がある。

良識を得るには学びが大切である。

【原文】

《卦辭》

蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。

彖に曰はく、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。

象に曰はく、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。蒙に困(くるし)む。吝なり。

象に曰はく、蒙に困(くるし)むの吝は、獨り實に遠ざかるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。

山の下に泉があるが、山のせいで流れない。

どんな子供でも継続して学べば大成できる。

我とは二爻、童蒙は五爻である。

五爻が二爻に学びを求めている。

二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。

筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。

《爻辭》

四爻は陽爻に一番遠いところにあり、啓蒙の恩恵を受けられない。

陰に挟まれていて、進󠄃むには勇気がいるが、四爻は陰柔であり弱い。

なかなか陽(實、賢者)に会えないでいる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

蒙は未だ智慧が無い状態のため、師を建てるという義である。

善良なるものが外から覆われており、それを取り除くには学問をもってするしかない。

また教えるという象もある。

天子が皇太子を教えるのが主となっている。

能く教えて道徳を十分に発達させる必要がある。

しかし、皇太子の方から教えを受けたいと求めなければいけないのであり、我が方から求めるのではない。

先生は二爻で、童蒙は五爻である。

筮は神に誠を以て物を伺い問うのであり、二度三度と占えば、初めの心が穢れてしまうため、正しい所は告げられない。

[彖伝]

山の下に河があり、進んで往けず止まる。

また学問が無ければ世の中に出ることは出来ない。

しかし元来亨るだけのものがあるので、覆っている包みを取り除けば良い。

童蒙の方に志があり求める所があれば、それに応じて教える。

もし志が穢れていれば告げない。

心が潔く誠が無ければいけない。

[象伝]

山は内側に水を蓄えている。

堀り鑿(うが)てば中から水が湧いてくる。

人の善性は、学問を以て外側の覆いを取ることで発達してくる。

これが蒙の卦である。

二・三・四爻は震で、善き行いであり、遂げるという義がある。

《爻辞》

一生蒙に困(くる)しむ。

九二の師から離れ、陰爻に挟まれてもいる。

故に蒙に困しむ。

[象伝]

陰爻の真ん中に居り、真正が無い。

陰は佞人(ねいじん)の象があり、虚であるから、朋友として居るのは誠実な者でない。

7/9 (木) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 初爻

【運勢】

物事が順調に進んでいるので、成果があったと感じるだろう。

順調に進んでいる時ほど、段階を踏むという、慎重さが大切になる。

成果を前提にして、色々考える事は、物事の道理からずれているので危険である。

【原文】

《卦辭》

豫は侯を建て師を行るによろし。

彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。

象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。

《爻辭》

初六。鳴豫す。凶。

象に曰はく、初六の鳴豫は、志窮まりて凶きなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

《爻辭》

初爻は四爻と応じており、喜びがあふれてしまい、周りの人に自分の喜びを言いふらしてしまう。

それは、正常でないし、災いを招くことになるであらう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

豫は象の中の最も大きなものをいう。

豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。

そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。

一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。

上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。

天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。

[彖伝]

四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。

また長子でもあり、大臣にもなる。

この四爻目の剛に天下悉く応じる。

震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。

日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。

三・四・五爻目の坎は法律の義がある。

法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。

国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。

[象伝]

豫は萬物皆悦ぶという義である。

この象を用いて作ったのは音楽である。

歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。

そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。

殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。

黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。

上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。

《爻辞》

初六は九四と応じて居る。

この卦の主である九四を力として、それに感じて悦び楽しんでいるのは良くない。

必ずを禍を得る。

九四は初六に気が向かなくなる。

震は上の方へ昇り、下には向かない。

[象伝]

初六は悦び楽しんでいるが、志が後に窮する所が出てくるから凶である。

7/8 (水) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ) 初爻

【運勢】

先人の教えを学び、行動に移すと良い。

純粋な気持ちで学ぶ事で、偏った考え方に囚われず、自由でいられるだろう。

責任を持つようになると、自由でいる事が難しくなるので、今が大切である。

【原文】
《卦辭》
隨(ずゐ)は元(おほ)いに亨(とほ)る。

貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨(ずゐ)。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮(むか)ひて入りて宴息(えんそく)す。

《爻辭》
初九。官渝(かは)ることあり。貞なれば吉。門を出でて交はれば功有り。

象に曰はく、官渝(か)はることあり。正に從(したが)へば吉なり。「門を出でて交はれば功有り」とは、失はざるなり。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
隨はしたがうの意󠄃味である。

内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。

君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。

人々は時機にしたがい行動する。

《爻辭》
官職が変わることがある。

四爻と応じていないので、正門から出て公明正大に人と付き合えばよい。

そうすれば道を失わない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
随は後ろに随って行く義である。

同じ「したがう」でも、従の字は左に付いても右に付いても従うだが、随の字は後ろに附いて行くという義である。

初九はニに随う。

二は三に随う。

三は四に随い、四は五に随い、五は六に随う。

先の方に随うという象があるが、何でも随へば良いわけではない。

仁義礼智に外れないようにすれば咎が無い。

[彖伝]
初九の陽爻が二・三爻目に随っているので、剛柔に随う。

下卦の震は雷なので動く。

動いた先の兌が說ぶ。

随うには正しき所をもってすれば、必ず大いに亨る。

二・三・四爻目の艮は時の象がある。

時は重要で、必ず随わなければならない。

[象伝]
兌は秋、雷は春である。

春に雷が出で、秋に沢中に潜む。

これは時に随うの義である。

君子は晦に嚮(むか)う。

晦は日の暮れる所である。

《爻辞》
震は司るという象があり、官の義である。

官という役職に就いた者は、其処に坐って動かないものだが、時に依っては渝(か)わる所も出てくる。

門を出で、外の人と交わって行く所で功がある。

[象伝]
官が渝わるのは、正しい所に随うので吉である。

交わるべき者を失わない。

7/7 (火) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 初爻

【運勢】

理不尽を感じ、周りを非難するが、短絡的であるので、共感は得られない。

争いを続ければ、徳を失う。

誠意的に生きて初めて共感を得られるが、そのように生きるならば、自身の咎も分かるだろう。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

初六。事とする所を永うせず。小(すこ)し言有り。終に吉。

象に曰く、「事とする所を永うせず」とは、訟は長うすべからざればなり。小し言有りと雖も、其の辨、明󠄃らかなるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。

結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

《爻辭》

初爻は訴訟が始まったところである。

陰爻であり訴訟を戦う意思は弱い。

中途で終わるであろう。

少々の紛争は免れないが、それも問題なく、最後はうまく弁明することができる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辞》

訟の始まりの卦である。

一旦は争う所となったが、永くせずに止める。

少々物を言うだけの理由はあるが、考えて見れば自身にも疚しい所がある。

[象伝]

訟は長くなるべきものでない。

こちらに理があるのに訟を止めて、身内から小言が出たとしても先ず止める方が正しい。

二・三・四爻目に離の卦があり、其の辨が明らかという所がある。

内卦の坎は法律と取る。

道徳が衰えてくると法律が貴ばれ、天子の権は衰えてくる。

法律上から見れば、天子と雖も悪ければ訟えなければならないという様になって来るのである。

7/6 (月) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻


【運勢】

様々な困難があり悩みが絶えないが、そこから逃げてはいけない。

解決するには進むしかない。

良く考え、悩み、進む事で、新しい道が見えて来るだろう。

【原文】

《卦辭》

屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。

《爻辭》

上六、馬に乘ること班如(はんじょ)たり。泣血漣如たり。

象に曰く、泣血漣如たり。何ぞ長かるべきなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。

なやんで通ずることが出来ない状況である。

ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。

そのためには、正しさを固く守らねばならない。

現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。

こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。

《爻辞》

上爻は険難の極みであり、煩わしいことが多い。

助けてくれる人もなく、泣くほかない。

憐れであるが、どうしようもない。

その位に留まることも、長くはない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

屯は止まり艱(なや)むという義である。

下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。

水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。

天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。

[彖伝]

震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。

険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。

初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。

この人が進んで遂に侯になる所の卦である。雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。

真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。

服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。

世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。

[象伝]

経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。

また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。

綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。

この雲雷の象によって世の中を治める。

《爻辞》

上六は尊い位を失ってしまった所で、遁(に)げようとするが往く所が無い。

そこで復た馬を回(か)えして唯立って泣いているより他ない。

涙が尽きて血を流して泣いている。

[象伝]

ここに至って婦女子の如く唯泣いて居た所で仕方が無い。

ここで一つ考えをもって気力を振るって為す所が無ければいけない。

其処で何ぞ長うすべきという。