6/26 (金) ䷪ 澤天夬(たくてんかい) 初爻


【運勢】

自分の心持ちに何かやましい、不誠実な所がある。

この心があるから、誠実であろうと考えていても、一向に変える事が出来ない。

先ずはやるべき事を一つづつこなしていき、心の余裕を持つ事が大切である。

【原文】

《卦辭》

夬は王庭に揚ぐ。孚(まこと)有りて號ぶあやふきこと有り。吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、夬は決なり。

剛、柔を決するなり。健にして說󠄁(よろこ)ぶ。決して和す。「王庭に揚ぐ」とは、柔五剛に乘ずればなり。「孚有りて號ぶ、あやうきこと有り」とは、それ危めば乃ち光るなり。

「吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず」とは、尚ぶ所󠄃乃ち窮まるなり。「往くところ有るによろし」とは、剛長じて乃ち終るなり。

象に曰はく、澤、天に上るは夬。君子以て禄を施して下に及ぼす。德に居りて則ち忌む。

《爻辭》

初九。趾を前󠄃(すす)むるに壮なり。往くも勝たず。咎めと爲す。

象に曰はく、勝たずして往く。咎めあるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

夬は決める、引き裂くの意󠄃味である。

形は䷖剝の反対である。

君子が勢いを持ち、徳のないもの(上爻)を征伐する象である。

五陽に一陰が載っている。

危うい状態に耐えきったら大きな功をなす。

徳の無い者と戦うときはただ武力のみに頼るのでなく、誠実さを以て臨むべきである。

終には徳の無い者は除かれ、平和になる。

《爻辞》

初爻は卦の中で足に当たる。

上爻の徳の無い者を倒そうと力んでいるが、四爻との相性が悪く(応じていない)、結束力が無いので勝てない。

このままでは良い結果は望めない。

まずは策を明󠄃らかにして、計画性を持つべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

夬は円(まる)い物を欠いて割るという義である。

上六の陰爻は大奸物(だいかんぶつ:悪知恵のはたらく心のひねくれた人間)である。

それが九五の天子に近接している。

巧言令色をもって諂って居るのが、段々と蔓延(はびこ)って害を為す。

必ず上六を撃たねばならない。

「揚于王庭」とは、この大臣の悪を明らかにして皆に告げる所である。

「孚号」は、大臣を除くにあたり誠心をもって協力を呼び掛けるのに号(さけ)ぶ所である。

天下はこれを信じ、協力は得られる。

しかし兵を挙げて撃つのではない。

早まってはいけない。

[彖伝]

密接している悪を斬って除く。

一番上の陰爻を切り離す。

剛が柔を決する。

柔の小人は五人の賢人君子の上に上がって権勢を専らにしているので、その罪を揚げるのである。

厲(あやう)い所があるから容易に手を出してはならない。

危ぶみ慎しんで、人民が騒がしくならないように能く鎮撫する。

孚(まこと)を尊び、時を見て動かなければならない。

早く往き過ぎると却って窮する所が出てくる。

剛が次第に長じてくる所であるから、終(つい)には事を終え遂げることが出来る。

[象伝]

沢の水の気が、乾の天の上にあり、水気がまた下に戻ってくる。

君子は恩沢を下々の方まで汎く施す。

恩沢を上の方で置き蓄えて、吝(おし)み下へ及ぼさないのは君子にとって忌み嫌う所である。

《爻辞》

初九は草莽の者で、悪い大臣を一日も早く撃とうと烈しい所がある。

しかし未だ大臣の方に隙が無い。

勝つ見込みのない所に仕掛けて往くのは咎である。

孫子の兵法にも「総て能く戦に勝つ所の兵は戦わざる前(さ)きに先ず勝って其の上に戦いを求める」と軍形篇にある。

[象伝]

勝算の無いのに無暗に往くのは咎である。

初九は草莽間の血気盛んな若い者ばかりで、勇に逸(はや)る所である。

6/25 (木) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 五爻

【運勢】

心を清らかにする事で、行くべき道を観る事が出来る。

先の人生を見渡して、誠心誠意生きる事を決意すると良い。

行動を起こす際には、周りの人々の理解を得られるかどうかが大切である。

【原文】

《卦辭》

觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。

彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。

順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。

象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。

《爻辭》

九五。我が生を觀る。君子は咎めなし。

象に曰はく、「我が生を觀る」とは民を觀るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

観は見ること、見られることである。

全体として艮☶の形であり、これは宗廟を表す。

宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。

手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。

その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。

神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。

偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。

《爻辞》

五爻は君主の卦である。

自分の行いを見直し、有徳者と言える行いであるなら問題ない。

民が自分を慕っているかで判断するとよい。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

「観」は大いに観るという義である。

高い所から遍く四方を観廻す所である。  

『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。

「視」は常の事を詳らかに見ることである。

一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。

『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。

冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。

卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。

天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。

また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。

天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。

鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。

上卦が巽で、巽は香気である。

鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。

巽は潔さの象でもある。

顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。

[彖伝]

明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。

順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。

また坤は乾に順う。

天子は中正を以て天下を観る。

中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。

下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。

天子は天下を観る計りではない。

天の神道をも観る。

これは神仏の神ではない。

『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。

乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。

これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。

「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。

日本における神道とは異なる。

[象伝]

地上一面に風が吹き渡る。

風は万物を育て、巡々と吹く。

天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。

方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。

《爻辞》

九五は名君であり、能く我が身の行いを省みる。

道徳に沿い、賢人を用い、咎を得る所は無い。

[象伝]

天子は民が服しているか服していないかを見て我が行いの善悪を判断する。

6/24 (水) ䷢ 火地晋(かちしん) 三爻


【運勢】

努力が実り、良い事が沢山起こる。

自分の努力が評価され、それに感化された、周りの人の徳も高まるだろう。

互いに切磋琢磨して進む事で、道を大きくひらく事が出来る。

【原文】

《卦辭》

晋は康侯用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。

彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く、柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。

象に曰はく、明󠄃地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照らす。

《爻辭》

六三。衆允(まこと)とす。悔い亡ぶ。

象に曰はく、衆之を允(まこと)とする。志上行するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

晋は進󠄃むである。

地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。

陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。

これは名君に人々が仕える象である。

そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。

三陰は柔順の徳がある。

柔順とは迎合のことではない。

君子の徳を明󠄃らかにする人のことである。

《爻辞》

現状は不安定であるが、志は下の二つの陰に押されて上を目指す。

上昇志向の下の者に信頼されて進めば後悔することはない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の離は日であり、下卦の坤は地である。

つまり地上に日が初めて出た所の象である。

晋は日が出て万物が進むという義である。

『説文解字』に「日出萬物進也」とあるように、太陽の働きで万物は育ち伸びてゆく。

二・三・四爻目に艮がある。

艮は東北の間であるから、将に日が出んとする所である。

康侯は、諸侯の職分が民を康(やす)んずる所にあることに由来する。

諸侯は天子に朝するに三度御目通りをするので「昼日三接」という。

その時に諸侯は自国の名馬を献ずる。

馬十匹を献ずることを錫(たま)うという。

錫という字は古くは上下の区別なく、下から上へ差上げるのにも錫うという。

『書経』にも「衆錫帝」とある。

これが上から下に与える意味に限られるようになるのは、始皇帝の時からである。

下から上へ差上げる時には、献ずる、奉るというようになる。

蕃庶は馬十匹で多いことによる。

[彖伝]

日が出て万物が段々進んで来る、即ち天子が上に在って諸侯が進んで拝謁する所の象である。

明は離の卦の象である。

「大明に麗(つ)く」というのは、大明=乾の卦の真ん中に陰爻が麗いて離の卦になることである。

天は大明、離は明である。

「柔進みて上行す」というのは、元これは真っ暗の夜の象である地火明夷の卦であったことによる。

五爻目の陰爻が二爻目にあり、それが上行して五爻目まで往く象である。

[象伝]

日が地の下にある真っ暗な状態は、欲に覆われて徳が明らかにならない状態である。

君子は欲を取り払って、明徳を明らかにして四方を照らす。

《爻辞》

六三は六二と一緒になって君の為に尽くす所がある。

そこで衆は之を允(まこと)として信用しているから、悔は亡ぶ。

六三は陰を以て陽の位にあるので悔が出るべき所であるが、誠の深い所を以て悔は亡ぶ。

[象伝]

六三の志はどこまでも六五の為に尽くす所があるので上行する。

六二と力を合わせて君の為に尽くすのである。

6/23 (火) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 四爻

【運勢】

知見を広げるのに、とても良い日である。

新しい考え方を知り、世界を広く見る事が出来る。

成長の実感があるので、意欲も高まるだろう。

焦ってはいけない、良く学び、知識を付けてから、次に進むべきである。

【原文】

《卦辭》

大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。

彖に曰はく。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。

象に曰はく、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。童牛の牿(こく)。元吉。

象に曰はく、六四の元吉は喜(よろこび)有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

大畜は大きく蓄へる、とどむることである。

剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。

剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。

賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。

吉である。

大事業をするのに良い時である。

《爻辞》

童牛とはまだ角が生えきっていない牛のことである。

初爻が童牛である。

四爻は初爻と相性が良い(応じている)。

牿(こく、四爻)は牛の角を抑える横木のことで、牛がまだ若いので抑えることはたやすい。

よくとどめておくことができるので、喜びがあるのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

大畜は、君が臣を止めて畜(やしな)う卦である。

大は君のことである。

大畜とは反対に小畜という卦がある。

小畜は、臣の方が君を止めるという卦である。

小は臣のことである。

上卦の艮は身体である。

三・四・五爻目の震は仁である。

また二・三・四爻目に兌は義である。

つまり仁義の徳を身の内に具えていることになる。

畜の字は、止めるというだけでなく、之を育てて善くするという義がある。

徳を十分に養はねばならない。

君は、臣の早く出世を求める心を抑えて、十分に学問を以て徳を養わせるのである。

また養われる側も、貞所を守るのが良いので、「利貞」という。

「不家食吉」とは、学問道徳のある人物は君に用いられ、禄を以て養われる所となる。

そのため賢人は家に居って食することは無い。

朝廷に招かれた賢人は、危険なことがあっても之を踏み越えて往くのが良い。

そこで「利渉大川」という。

[彖伝]

天子に剛健なる徳が具わっている。

政務を執っても疲れることがなく、篤実である。

篤実は艮の卦の象である。

また艮の陽爻が上にあり、光輝く所がある。

「日新」というのは、乾の卦で象で、日々昇り沈んでいく太陽である。

「其徳剛上」は、上九を指していう。

上九は剛にして一番上に居る。

[象伝]

上卦の艮は山、其の山の中に天がある。

山中には天の元気が十分に満ちている。

火気と水気の働きで草木が良く生じ、禽獣も繁殖する。

これが大畜である。

「前言」は震の象である。

また震は行くという事もある。

《爻辞》

六四は大臣の位で、陰を以て陰に居る。

この正しい所の大臣が、賢人を留めて養う。

「童牛之告」は、牛が角を人に突き立てることが無い様に、体が小さな頃から角に木を結んで物に当たるのを防ぐのをいう。

下卦の乾は陽の卦であるから、強くて剛である。

その剛なる所を以て人へ突きあてるようではいけないので、子供の内からこれを引き留めて程よくする。

そこで「元吉」である。

[象伝]

大臣たるものは、人材を養うにあたりその人の剛なる所を程よく引きとめる。

後に、その人は立派な賢人になって国家の用を為すことになる。

そこで喜ぶ所となり、喜びは後に出てくるのである。

6/22 (月) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 二爻

【運勢】

見える形で成果が出ないので、評価されず、辛い思いをする。

諦めずに続けていれば、最後には評価されるので、今は耐える時期である。

協力者は自ら探すのでは無く、自然と現れるのを待つと良い。

【原文】

《卦辭》

困は亨る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚べば乃ち窮まるなり。

九五。劓られ、刖られ。赤紱に困しむ。乃ち徐にして說󠄁び有り。用て祭祀するに利ろし。

《爻辭》

九二、酒食(しゆしよく)に困(くるし)む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利(よろ)し。征けば凶。咎めなし。

象に曰く、「酒食(しゆしよく)に困(くるし)む」とは、中、慶有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

困は苦しむことである。

しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。

正しく生きるということは元々困難なものである。

それでも正しいことを続けていかなければならない。

徳のない人にはできないことである。

口だけ立派なことを言っているだけでは駄目である。

行動が伴わないと信用されない。

《爻辞》

二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。

☵水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。

遠方から人が来る。

自分から行こうとしてはならない。

留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。

他方、下卦の坎は流れる水である。

つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。

す即ち水不足による困となる。

『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。

しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。

其れで大いに亨る所がある。

孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。

九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。

つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。

もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。

ここで君子は争わずに時を待たねばならない。

[彖伝]

「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。

「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。

「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。

それで言わない方が良いのである。

[象伝]

水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。

何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

《爻辞》

九二は賢人である。

初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。

食貧は『論語』にも『詩経』にもある。

「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。

天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。

三顧の礼と同じである。

この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。

「征くは凶」である。

しかし咎が有るわけではない。

道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。

「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。

つまり夏の祀りである。

夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。

[象伝]

酒食に困する中にして喜びがある。

やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。

中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。

6/21 (日) ䷺ 風水渙(ふうすいかん) 二爻

【運勢】

正しい生き方をしようと、一人一人が努力するので、足並みを揃える事が出来る。

とても難しい問題を抱えるが、時期が良いので解決出来るだろう。

これは、問題を先送りにすると、解決出来ないという事でもある。

【原文】

《卦辭》

渙は、亨る。王有廟に假(いた)る。大川を涉るに利(よろ)し。貞に利(よろ)し。

彖に曰(いは)く、渙は亨(とほ)る。剛來(きた)りて窮(きはまら)ず。柔、位を外に得て上同す。「王有廟に假(いた)る」とは、王乃ち中に在るなり。「大川を涉るに利(よろ)し」とは、木に乘じて功有るなり。

象に曰(いは)く、風、水上を行くは渙。先王以て帝に亨して廟を立つ。

《爻辭》

九二、渙するとき其机に奔(はし)る。悔い亡ぶ。

象に曰く、渙するとき其机に奔(はし)るとは、願ひを得るなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

渙とは散ること、問題が解決することである。

王が散らばっている民心をまとめて、混乱を収拾し、宗廟(そうびょう)に先祖を祭り、天下を統一したことを表す。

☴は木であり、☵水の上に木があるから、舟が水に浮いている様を表すので、大きな川を渡るによいというのである。

つまり大きな難題を解決できるのである。

その時、常に正しさを守るべきである。

《爻辞》

二爻は五爻と応じないので、はじめは拠り所が無い。

しかし、下の初爻に寄りかかることで、最終的に安心できる。

初爻に支えられて願いを成就する。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

渙は四方の水が散じて往く所の義である。下卦の坎は季節では冬、方位では北にあたり、水は冰(こお)る。氷は陰の固まりである。

二・三・四爻目は震の卦で、春の真ん中(旧暦二月)であり、その時期には雷が鳴り氷が砕ける。

『詩経』には、妻を娶るなら氷の泮(と)けないうちに娶れとある。

妻を娶るのは陰を迎えることだからである。

よって氷の融けた後には妻を迎えない。

これは古からの礼である。氷が砕けて泮けるのは、渙の字と同じ義である。

普通、陽は正しい方に取り、陰は悪い方に取るが、渙は悪い物を融かし砕いて正しい所にする。

小人の悪い物が摧(くじ)けて無くなり、道徳の方が亨る所となる。

[彖伝]

剛は二爻目の陽爻である。

坎=水であり、能く流れて何処までも達する所があるので「不窮」という。

「柔」は四爻目の陰爻であり、これが巽の主爻である。

有廟を假にするとは、廟を大いに盛んにすることである。

天下の人は東西南北から集まり祭りを助ける。

[象伝]

風が水上を吹くのは、ちょうど二月である。氷が融けようとする時に風が吹き、氷は皆砕けて消えてしまう。

これは天下の難が解ける所の象である。

そこで先王は天を祭り、廟を立て、天下の諸侯皆集まって会するのである。

《爻辞》

難を解くにあたって、この九二の賢人は、九五の天子の所へ赴く。

そして天子の為に力を尽くして悔が亡びる。

机というのは天子のことを指す。

諸侯が天子に朝するときに天子は左右に机をおいて体をそれに倚り掛けている。

そこで机といえば天下の事になる。

[象伝]

「机得願也」とは、九五の天子が九二の賢人を用いて我が輔佐とすることである。

そこで願を得るなりという。

6/20 (土) ䷩ 風雷益(ふうらいえき) 三爻

【運勢】

最善の方法ではないが、協力して成果を上げる事が出来る。

目に見えて成果が上がるので、士気が高まるだろう。

備えを常にしておく事で、災害が起こった時に冷静に対処する事が出来る。

【原文】
《卦辭》
益(えき)は、往く攸(ところ)有るによろし。大川を涉るに利し。

彖に曰く、益は上を損して下を益す。民說󠄁(よろこ)ぶこと疆(かぎ)りなし、上より下に下る。其道󠄃大に光なり。

往く攸(ところ)有るに利(よ)しとは、中正(ちうせい)にして慶(けい)有り。大川を涉るに利しとは、木道(もくどう)乃ち行く。益は動いてしかして巽(したが)ふ、日に進むこと疆(かぎ)りなし。天施し地生(しょう)ず。其益方(かた)なし。凡そ益の道󠄃は、時と偕(とも)に行ふ。

象に曰く、風雷は益。君子以て善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやまち)有れば則ち改む。

《爻辭》
六三。之れを益すに凶事を用てす。孚(まこと)有りて中行すれば、公(おほやけ)に吿して圭を用ふ。

象に曰く、「益すに凶事を用てす」とは固く之を有するなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
益は増すこと、増やすことである。

䷋否の上卦の四爻が陽から陰となり、下爻の初爻が陰から陽になっているので、上が損をして下が得をした象である。

上の者が損をして、下の者󠄃を助けることはとても良いことで、また二爻が陰、五爻が陽で、中正であるので、大事業をするのに好機である。

上の者が動けば(震)、下の者が従う(巽)象である。

《爻辞》
凶事とは『通解』によると戦いや葬式である。

三爻は正しいものとは言えないが、上爻の陽と應爻の関係であるから、上爻の援助をうけて特に問題もなく成功する。

その場合、誠の心を以て中道を守って行動する必要がある。

公とは王に次ぐ存在であり、その者に誠心誠意尽くせば、王に見える恩恵を得る。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
この卦は、前の卦の山沢損と反対である。

山沢損は地天泰より来た。

そして地天泰は天地否から来た。

天地否は、上卦は乾、下卦は坤である。

坤は空しさの象で、人民の困窮する卦である。

そこで九四の陽爻が下りて、初六の陰爻が上る。

これで風雷益の卦になる。

これが下を益するという義である。

上卦の震は、農業の卦である。

人民を富ますのは農業であり、これは何処までも推奨される。

それで「利有攸往」である。

こうして人民が富んでいれば、如何なる大難が起こっても踏み越えて往く所となる。

よって「利渉大川」である。

[彖伝]
「損上益下」とは、天地否の九四の陽爻を一つ損(へ)らして、代わりに初六の陰爻を益すことである。

そこで民が説(よろこ)ぶ。

陽が段々進んで往けば兌の卦になる。

農事が盛んになればなるほど、人民は利益を得る。天の気が地の底に下って万物が生じる。

出で来たものは大きくなって花が咲き草木に光を生じる。

よって「其道光大」となる。

「中正にして慶(よろこ)び有り」とは、中正(二爻が陰、五爻が陽で、爻が定位通りであること)の五爻目の天子に、同じく中正の二爻目が応じることである。

いわば名君と忠臣が相助けて人民を生育する所に、慶びが出で来る。

「木道乃行」とは、震と巽に対応する五行が双方とも木であり、万物が盛んになることである。

〔象伝〕
上卦が巽=風で、下卦は震=雷である。雷が起こると、風はこれを助ける。

また巽は外卦であり、修飾して能(よ)く齊(ととの)えるという所がある。

つまり外の人が行いを修めて行く所を見れば、周囲の者も自ずから其の方へ従って遷って往く。

そして過ちがあれば速やかに改める。

震には過ぎるという象があり、もし往き過ぎれば、物を害してしまう。

雷山小過は霆(激しい雷)である。

雷は下から上に昇るが、霆は上から打ってくる。

これは往き過ぎである。

善い事も過ぎると害を為すから、これを改めなければいけない。

《爻辞》
「凶事」は飢饉のことである。

震の卦から巽の卦に移る間がちょうど麦の熟する所となる。

三爻目は震の卦の終わりで、春の終わりで夏に移った所となる。

そこへ雷雨が起こり大風が吹けば、麦の方へ害が来る。

すなわち飢饉が起これば、上の方が救わなければいけない。

「有孚」は、二・三・四爻に坤=地があり、これは孚という所がある。

「中行」は過不足の無い中庸の行いで、丁度良い加減で官より米を給わる。

これは国家の大事であり、神前に圭(けい:先端が三角になった玉器)を供えて「公に告ぐ」のである。

[象伝]
官に貯えられた御蔵米は皆人民の方から差上げたもので、固(もと)より人民の有する所の物である。

よって「固有之也」という。

戦争や飢饉に備え、官において九ヵ年分を貯えると定まっている。

6/19 (金) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻

【運勢】

自身の環境が大きく変化。

進んで来た道は正しいので良い変化である。

不安に感じる事も多いが、心配は要らない。

初心にかえり、また道を歩む事で、志強く、勢いを増す事になるだろう。

【原文】

《卦辭》

復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。

象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。

《爻辭》

六三。頻(ひん)に復す。厲(あやふ)けれども咎め无(な)し。

象に曰はく、頻復の厲(れい)は、義咎(とが)め无(な)きなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

復はかえるの意󠄃味である。

ひとつ前の䷖剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。

一陽来復、また盛んになろうとしている。

陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。

《爻辞》

三爻は迷いやすく心が動きやすいので、危険なことが多くある。

しかし、それでも正しい道に戻ることが出来る。

正しい道に戻れたのならば、問題はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

復は本の所に反(かえ)るという意である。

一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。

天の気が地の底に来ることで万物は生じる。

この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。

前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。

果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。

「其道」とは、万物を生成する所の道である。

「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。

雷気が往くに従って万物が発生する。

また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。

それで「利有攸往」なのである。

[彖伝]

「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。

上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。

つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。

七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。

「天地之心」は万物の生成である。

[象伝]

雷が地中に来たって居ることが「復」である。

陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。

そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。

天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

《爻辞》

震の卦徳は動であり、変化が生じる。

『論語』で言えば、子路・子貢の様な、復(ふく)したり変わったり、また復したりする様なことである。

『論語』雍也第六に「子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ」とある(顔回は三ヶ月もの間、仁から離れることがなかったが、その他の者は日に一度か月に一度仁に復するのがせいぜいであった)。

このように頻(しき)りに復するから厲(あや)うい。

しかし厲ういけれども咎が無いのは、仁に始終復するからである。

[象伝]

過っても繰り返し仁に復するから咎が無いのである。

6/18 (木) ䷇ 水地比(すゐちひ) 初爻

【運勢】

新しい物事を始める場合、協力を仰ぎ、一丸となって取組むと良い。

その結果、予想外な人と、良い関係を築けるかもしれない。

また、協力を求められた時は、快く引き受けると良い。

【原文】
《卦辭》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。

彖(たん)に曰はく、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。

象に曰はく、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。

《爻辭》
初六。まことありてこれを比すれば、咎めなし。まこと有りて缶に盈つれば終ひに來たりて他の吉あり。

象に曰はく、比の初六は、他の吉有るなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
比は親しむ、たすけるの意󠄃である。

五爻の王だけが陽であり、他はすべて陰爻で王にしたがっている。

筮に基づいて大変長く正しさを守っている人を選べば問題ない。

五爻に親しむ機会を失ったものはよくない。人と親しもうとすべきである。

《爻辞》
初爻は人に親しむはじめであるから、特に誠実にしなければならない。

水器に並々と盛られたように誠があれば、予想外の吉を得られるだろう。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
比は親密なる所である。

比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。

上卦は水、下卦は地である。

水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。

五爻目は陽爻で天子にあたる。

天子は人民と密着しており離れることが無い。

ちょうど水と土の関係のようである。

これは吉である。

「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。

つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。

「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。

これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。

転じて、賢明なる天子の称のようなものである。

「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。

[彖伝]
比は吉である。

また互いに相輔けることである。

「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。

そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。

「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。

「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。

[象伝]
地の上に水があるのが比である。

地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。

君と民は親密な関係であり、離れようもない。

こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。

《爻辞》
「孚」は坎の卦の象である。

坎の卦は、上卦なら月、下卦なら水となる。

「有孚」は九五の天子に孚が有ることである。

初六は人民の中でも最下層の者に相当するが、天子は丁重に取り扱い親しく交わる。

であるから初六が君を犯すということはなく、咎は無い。

天下に溢れる天子の孚は、甕の中の水が一杯に為っているようなものである。

甕は坤の卦の象である。

[象伝]
比は初六=下賤の身であるから、天子の方から親しんでくれるのは、思いの外なる所である。

予想外の吉となる。

6/17 (水) ䷉ 天澤履(てんたくり) 四爻

【運勢】

目的と手段を間違えてはいけない。

柔軟な対応をして、時には、目的の為に重役を降りる事なども考えなければならない。

様々な要因によって、危ない状況に陥る可能性があるが、誠実に生きれば大丈夫である。

【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。

《爻辭》
九四。虎の尾を履む。愬愬(さくさく)たり。終(つひ)に吉なり。象に曰はく、「愬愬(さくさく)たり。終ひに吉なり」とは、志行はるるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
履は踏むことである。

上卦は人で、下卦は虎とされる。

下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。

人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。

喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。

《爻辞》
虎の尾を履むような恐ろしい状況であるが、常に恐れを持って行動している。

その慎しみが上に伝わり目的を達成できる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。

革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。

虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。

天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。

[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。

虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。

天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。

そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。

上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。

そのため九五に「夬履」と云っている。

沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。

これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。

[象伝]
上に天があり、下に沢がある。

沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。

二・三・四爻目に離がある。

離には礼儀の象意がある。

そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。

つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。

上下の別を辨じて民の志を定めるのである。

民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。

「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。

《爻辞》
九四は天子を輔ける者である。

乾は兌の下に旋(め)ぐる。

四爻目は初爻の下に、五爻目は旋ぐった四爻目の下に、上爻は旋ぐった五爻目の下に旋ぐる。

このように旋ぐると四爻目が虎の尾を履む位置となる。

虎である九三の大臣を撃つのに、九四が手を下す象になる。

危険な所であるから、懼れなければいけない。

「愬」には懼れるという意味がある。

しかし逆賊を除く所であるから、一旦懼れ慎みはするが、終(つい)には虎を撃つことになる。

そこで「終吉志行也」となるのである。