6/16 (火) ䷐ 澤雷隨 三爻

【運勢】

先人の教えを学び、先ずは、その通りに行動をしてみると良い。

自分の目標が、先人の居る道の先にあるので、歩み方を学ばなければならない。

学ぶ事は、自分の為だけでは無く、後人に正しい道を教え、導く事にも繋がる。

【原文】
《卦辭》
隨(ずい)は元(おほ)いに亨(とほ)る。貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮ひて入りて宴息す。

《爻辭》
六三。丈夫に係(かかは)りて小子を失ふ。隨ひて求むる有れば得。貞に居るによろし。象に曰はく、「丈夫に係る」とは志下を舎つるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
隨はしたがうの意󠄃味である。

内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。

君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。

人々は時機にしたがい行動する。

《爻辞》
三爻はすぐ上の四爻の陽にしたがい、徳のない初爻から離れたので、願い事はかなう。

常に正しくあるべきである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「随」の字は後ろに随って行くことである。

「従」の字は左に附いても右に附いても従うという意味だが、「随」の字は後ろに附いて行く意味である。

前の人が止まれば、後ろも止まる。

何でも前の人に附いていくのである。

卦でいえば初九は六二に随い、六二は六三に随い、六三は九四に随い、九四は九五に随い、九五は上六に随う。

ただし何でも随うのではいけない。

仁義礼智に外れないのが大切で、そうすれば咎がない。

[彖伝]
「随剛来而下柔」は初爻目の陽爻が二・三爻目の陰爻に随うことを云う。

陰=柔である。

下卦の雷が動き、前にある上卦の兌は喜ぶ。

「大亨貞无咎」は、正しさをもって人に随えば必ず上手くいくことを云う。

仁義礼智の徳を具え、「時」に応じて行うことが大切である。

二・三・四爻目の艮に時の象がある。

時は最も重要で、天下は皆悉く時に随うのである。

[象伝]
上卦の兌は季節でいえば秋に相当し、下卦の雷は春である。

雷は春に動いて出で、秋に声を収めて沢中に潜む。

出づべき時に出で、入るべき時に入る。

これは時に随うの義である。

君子は日の出る所で事を執り、日の入る所で休息する。

《爻辭》
六三は九四に係る。

つまり九四の丈夫(じょうふ)に係って、六二の小子を失う。

九四は大臣で天子の信用を受け、天下の権利を握っている。

そこで六三は九四につながって離れずにいれば、求める所は必ず得られるようになる。

ただし頻りに求めていけない。

貞しき所に居り、安易に求めないのが宜しい。

[象伝]
九四の大臣の方へ深く繋がることで、志の低い六二の方を捨てる義である。

6/15 (月) ䷹ 兌爲澤 五爻

【運勢】

とても順調に物事が進む。

周りの協力に対して、感謝や喜びの気持ちを、言葉にして伝えると良い。

順調に進み過ぎるが故に、妬み嫉みを持つ者もいる。

危険ではあるが、ただ排除するのでは無く、真心で接し、改心を求めるとなお良い。

【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖(たん)に曰はく、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて
以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰はく、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。

《爻辭》
九五。剝にまことあれば、あやふきこと有り。象に曰はく、「剝にまこと有り」とは、位正に當たるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。

この卦は☱が二つ重なってできている。

☱は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。

内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。

喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。

《爻辞》
一つ上の上爻は徳のない人物で、外面は温和で親しみやすいが、心の中では人を害そうとしている。

そのような人に騙されてはいけない。

危険である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
兌は喜びである。

自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。

立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。

彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。

上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。

互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。

『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。

中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。

あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。

そこで「貞利」なのである。

[彖伝]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。

「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。

「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。

それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。

この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。

「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。

また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。

己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。

上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。

[象伝]
兌の卦を澤と言う。

澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。

『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。

これが麗澤である。

《爻辞》
兌は四季で言えば秋(七・八・九月)にあたる。

すると初爻目は七月、二爻目が八月、三爻目が九月である。

九月は秋の末でちょうど山地剥の卦になる。

剥は君子を害する小人である。

九五の天子は名君で小人を撃退することは容易いが、それよりは徳を以て小人を感化するのである。

しかし危険な所もあるので「有厲」という。

[象伝]
天子は大徳を有しており、小人を殺すのは好む所ではない。

徳を以てこれを感化することに眼を着けるのである。

6/14 (日) ䷲ 震爲雷 四爻

【運勢】
とても驚くべき事が起こり、それは、自分を律する事に繋がる。

残念な事に、周りの人々には響かないので、意識の違いを感じ、苦しい思いをするだろう。

苦しい思いを耐えて、律する事を貫けば、最後には、報われる。

人の上に立つ者は、積極的に行動して、皆の手本となるべきである。

【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。 

《爻辭》
九四。震して遂󠄅に泥(なづ)む。象に曰はく、「震して遂󠄅に泥む」とは、未だ光らざるなり。 

〔王弼の解釈〕
《卦辞》
震は雷鳴を表す。

上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。

人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。

雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。

〔根本通明の解釋〕

《爻辞》
四爻は上下の四つの陰の中心に位置する。

であるから、振動することが出来ず、陰静になずんでいる。

四爻は大臣の爻であるが、このように人に恐れられない大臣は光輝を放つ存在とは言えない。

《卦辞》
前の卦は火風鼎である。

鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。

皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。

そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。

こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。

『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。

故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。

この震は皇太子の象である。

皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。

震は剛(つよ)いから亨る。

また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。

卦全体の主になるのは初爻目である。

虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。

激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。

『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。

大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。

天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。

艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。

「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。

「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。

匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。

鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。

この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。

このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。

身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。

[彖伝]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。

「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。

雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。

乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。

つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。

[象伝]
この卦は震が二つある。

二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。

君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。

《爻辞》
雷が震(ふる)って泥の中に墜ちる。

三・四・五爻目に坎がある。

坎は水である。

又その下の二爻目は陰爻であるから地である。

水と土だから泥となる。

四爻目は雷の主爻である。

また大臣に相当するが、陰の位にあるため、気力が弱い。

これは雷が泥の中に墜ちて、震うことが出来ない状態を意味する。

奮発する気力が無く、安楽に耽ってしまう。

「遂」という字は「墜ちる」という字と通じる。

皇太子においても安楽に導かれ、学問を離れ、慎みも無くなれば、皇太子の位を失うことになる。

古くは側近の役人に第一等の人間を選んでいたが、役人が悪ければ皇太子を安楽な方向へと導いていくだろう。

そうなれば雷が泥の中に陥ったようになり、再び発奮する気力もなくなるのである。

6/13日 ䷨ 山澤損 上爻

【運勢】

自分が損をする事なく、周りの役に立つ事が出来る。

自分の財産を減らして、周りの役に立つ事には限界がある。

しかしこれは、良い考えや新しい価値を作り上げる事で、双方とも上手く行くだろう。

正しく生きる事を心がけていれば、困った時に助けてくれる仲間を得られる。

【原文】

《卦辭》

損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。

《爻辭》

上九。損せずして之を益す。咎めなし。貞にして吉。往くところ有るによろし。臣を得て家なし。象に曰はく、損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。

〔王弼の解釋〕 

《卦辭》

損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。

下が損して上が益する様である。

天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。

損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。

あくまで正しくあろうとすべきである。

二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。

損益は時に應じておこなわれるとよい。

《爻辞》

上爻は損の最上位に在り、悔いあることが多いが、陽の徳を大切にしているので、應爻の三爻が助けてくれて、損をすることはない。

三爻は自分の家を失っても尽くしてくれる忠臣である。

あくまで正しくあろうとすべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

この卦は「損」を意味する。損とは有る物を失って不足になることである。前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。解ければ人の心が緩む。緩めば損を生じる。この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。つまり人民が富んでいる。初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。そこで余りを以て上に献ずる。そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。上の方ではこれを止(と)める。上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。兌の卦は喜びを意味している。こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。しかし、是も程良い所でなければいけない。そこで貞が大切である。乾は満ちているから、奢りが生じる。余剰は御祭用に献上するのが良い。多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。

[彖伝]

損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。下を損らして、上を益すのである。下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。豊年で献上物が多ければ、益すこともある。下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。凶年の時には上から下へ益して来ることもある。損すべき時には損し、益すべき時には益す。満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。これも其の時節に従って時と共に行うのである。

[象伝]

山下に澤があるのは損である。君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。これは止める義であり、元は乾の卦である。乾は三畫とも剛である。強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。つまり喜ぶところとなる。また欲は坤の卦の象である。坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。上は坤の卦であるから、欲が盛んである。その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。

《爻辞》

これは己が既に益を得ているから、その分損をして他人を益することを言うのではなく、咎は無い。「貞吉、利有攸往」は、人民から上の方へ益してきたのである。上爻が五爻目へ行き、五爻目が上爻へ行くと、艮が坎に為る。艮の卦が無くなったから、家なしと言う。「臣を得る」というのは、坤の陰爻が来たからである。坤は險(僉の字源:「亼」は覆いの下に集める、「吅」+「从」で人々が集まる様)であるから人民のことである。人民は皆家をなくして臣となる。臣たるものは我が家を持たない。我が家は無くして、皆上の為にするから、「臣ヲ得テ家ナシ」と言うのである。

[象伝]

大いに志を得るというのは、元来人民の方を富ましたいという志を遂げることである。祀りは倹約を以て二簋で行い、下にとって難儀になる様なことはしない。「大得志也」という。

6/12日 ䷳ 艮爲山 初爻

【運勢】

周りの目的と、自分の目的が違うので、協力して、物事を進めるのは難しい。

これは自然な事なので、焦ってはいけない。

焦って、相手に自分の目的を押し付けようとすると、反感を買うだけである。

今日は、自分一人で出来る事を行って、正しく生きる事を心掛けると良い。

忘れてはいけないのは、物事を進める為に止まるのであって、今後、進むべき時に、進む気力は持っておくべきである。

【原文】

《卦辭》

その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。

《爻辭》

初六。その趾(あと)に艮(とどま)る。咎めなし。永貞によろし。象に曰はく、その趾に艮(とどま)るとは、未だ正を失はざるなり。

【原文解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

艮はとどまる意󠄃である。

山である。

山が二つ重なるので兼山ともいう。

應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。

どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。

《爻辭》

初爻はどこにも行かず、今の位置に留まることがよい。

初爻は最下位であり、上昇したい気持ちもあるが現状を維持して問題ない。

また長く正しくあろうとすべきである。

〔根本通明の解釈〕

《卦辭》

『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。

艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。

『彖伝』にも艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。
初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。

『象伝』には「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

《爻辭》

「趾」は前に向かうもので卦の一番下にあるので趾(あし)にあたる。艮の卦は人の身体に象を取っている。外へ往くために最初に動くのは足である。足を止めて世間へ出ないから咎を受けることがない。貞しい所に居るのが宜しい。

『象伝』には「其趾ヲ艮スル」とある。「艮スル」とは止めるという意味であり、正しさを失ったわけではない。三・四・五爻目の震の卦になれば動く所となるが、初爻・二爻目では動くべきでない。言ってみれば、九三(三爻目)は正しさを失って居るが、初爻はそれと反対であるから正しさを失ってはいないのである。

6/11日 ䷛ 澤風大過 四爻

《運勢》

周りから信頼される様になり、必要とされる。

多少の負担はあるが、一つずつこなしていく事が大切である。

志に於いては、内面が大切だが、上手く統率していく為には、外面を磨く必要がある。

《原文》

大過(たいくわ)は棟(むね)撓(たわ)む。往(ゆ)くところ有るによろし。亨(とほ)る。彖(たん)に曰(い)はく、大過は大なるもの過󠄃ぐるなり。棟撓(たわ)むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽(そん)にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。象に曰はく、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。九四。棟隆き吉なり。它(た)あれば吝(りん)。象に曰はく、棟隆きの吉は下に撓(たわ)まざるなり。

《原文解釈》

大過は大いに過󠄃ぎることである。

二爻から五爻までの陽爻を棟木と捉え、それを初爻と上爻の両端が支えることが出来ず、撓(たわ)んでいる。

しかし、大事を成し遂げるには勢いが必要である。

四つも陽があるので、大きなことをする機は熟しているといえる。

また、下卦が☴風であり、人々は柔順である。

四爻は高い位置にある棟木である。

人に例えると、高い位にある立派な大臣である。

相性の良い庶民(初爻)に惹(ひ)かれて、下を見ると撓(たわ)んでしまうので、常に高潔な態度で振舞わなければならない。

6/10日 ䷦ 水山蹇 上爻

《運勢》

今はとても苦しい状態にある。

どうにか変えようと、前を向いて見ても、険しい山(辛い道)が続いているので、このまま進むのであれば上手く行かないだろう。

一度来た道を戻り、良き協力者を得ることが重要である。

そうすれば新しい道が開ける。

《原文》

蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。彖に曰はく、蹇(けん)は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。象に曰はく、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。上六。往けば蹇(なや)み、來たれば碩(せき)なり。吉。大人を見るによろし。象に曰はく、「往けば蹇み、來たれば碩なり」とは、志内に在るなり。「大人を見るによろし」とは、以て貴に從ふなり。

《原文解釈》

蹇は悩みがあって前に進むことが出来ないさまである。

水は坎で難渋を意味し、山は動かないことを表すので、悩み先へ進めないことを意味するのである。

西南に平地が広がり、東北には山があるにで、西南を撰ぶ方が良い。

立派な人の力を借りて、正しくあろうと努力すべきである。

上爻は蹇の極みであるから、そのまま進んでも上手くいかない。

しかし、心配しなくてもよい。

助けてくれる人に既に心当たりがある。

その人と協力して貴人に会えたのなら、道が開ける。

(三爻)に既に心当たりがある。

その人と協力して貴人(五爻)に会えたのなら、道が開ける。

6/9日 ䷻ 水澤節󠄄 上爻

《運勢》

自尊心からか、周りの意見を聞かずに、考えを貫こうとする人がいる。

初めのうちに、その事に気が付いて対処出来るなら良いのだが、もう過ぎてしまった後なのでどうしようも無い。

今は、その物事に固執するのでは無く、次、同じ様な事があった時に、如何するべきか考える事が重要である。

《原文》

節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。彖(たん)に曰はく、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。苦節は貞すべからずとは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。象に曰はく、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。上六。苦節す。貞(てい)なれば凶。悔(く)い滅ぶ。象に曰はく、苦節、貞なれば凶とは、その道窮(きは)まるなり。

《原文解釈》

節󠄄とはほどほどであることである。

この卦は陰陽の數が等しく調和がとれている。

また節目である。

物事には節目を設けて区切る必要がある。

自然界には四季があり、物には度量衡が設けられている。

しかし、苦節がひどすぎると有害である。

上爻は苦節が行き過ぎている。

苦節に固執してはいけない。

しかし、極限まで行ったので、この苦節に堪えたなら、道が開けるだろう。

6/8日 ䷛ 澤風大過 四爻

《運勢》

重大な責任を任される。

確かに負担に感じることもあるが、周りに恵まれて、支えられているので大丈夫である。

しかし、責任を放棄すると、信頼を失ってしまい、後悔することになる。

《原文》

大過は棟(むね)撓(たわ)む。往くところ有るによろし。亨(とほ)る。彖に曰はく、大過は大なるものは過󠄃ぐるなり。棟撓むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。象に曰はく、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。九四。棟隆き吉なり。它(た)あれば吝(りん)。象に曰はく、棟隆きの吉は下に撓まざるなり。

《原文解釈》

大過は大いに過󠄃ぎることである。

二爻から五爻までの陽爻を棟木と捉え、それを初爻と上爻の陰が支えることが出来ず、撓(たわ)んでいる。

しかし、大事を成し遂げるには勢いが必要であるから、四つも陽があるので、大きなことをする機は熟している。

四爻は高い位置にある棟木である。

人に例えると、高い位にある立派な大臣である。

初爻の陰爻に惹かれて、下を見ると撓んでしまうので、高潔な態度を失ってはならない。

6/7日 ䷧ 雷水解 初爻

《運勢》

何かしら、疑いをかけられる事がある。

しかし、これを心配する必要はない。

今日は、物事の本来の性質が現れるので、善人が認められ、悪人は否定されるだろう。

《原文解釈》

解はとけること、西南の方角に行くと仲間を得られる。

西南でやることが無くなれば、東北に戻ればよい。

下卦の☵水は困難であり、それを脱するには行動すべきである。

しかも速やかに行動するのが良い。

初爻は咎めがない。険難は速やかに解決するであろう。

《原文》

解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險(けん)より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙(つと)にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作(おこ)りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。初六。咎めなし。象に曰はく、剛柔の際、義咎めなきなり。