6/6日 ䷂ 水雷屯 五爻

《運勢》

様々な悩みが生まれて、現状に不満を覚えてしまう。

しかし、これは統率者に力が無いからではなく、今の時期が不安定で難しいからである。

現状を最善に導く事は難しいので、打開のために改革を断行するのでは無く、出来ることを一つずつ行っていれば、悩みはいずれ解決するだろう。

《原文解釈》

屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。

なやんで通ずることが出来ない状況である。

ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。

そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。

こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。

五爻は、辛い時代に望臨む君主である。

君主は賢臣の正しい助言が欲しいけれども、悪い臣下に邪魔される。

小さな改革を行うのは良いが、大改革をしようとすると、悲惨な結果となる。

《原文》

屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。九五。その膏(あぶら)を屯す。小貞は吉。大貞は凶。象に曰はく、その膏(あぶら)を屯すとは施すこと未だ光ならず。

6/5日 ䷴ 風山漸 四爻

《運勢》

大きな志を立てて邁進していく事は大切である。

しかし、無理をして、急ぎ過ぎては挫折してしまうだろう。

志を達成する為には、手順を踏みながら、小さな事を一つずつ実現する事が大切である。

今はまだ不安定であるが、この調子で進める事が出来たなら、最後には安定し、志を達成する事が出来る。

《原文解釈》

漸はようやく済むことや、順序良く進むことを言う。

上卦は木德であり、下卦は山であるから山の上に木があり、順序正しい。

また上卦は長女であり、下卦は小男であり、やはり順序が守られている。

人生で最も重要な儀礼の一つが婚姻であり、順序正しく進めていくことが極めて重要である。

秩序正しくあることが吉である。

四爻は、鴻がようやく進んで木に止まることが出来た事を表す。

しかし、木の枝にとまることは水鳥にとっては安全なことではない。

さらに進んで、建物の垂木にとどまる事が出来たなら問題ない。

《原文》

漸は女歸いで吉。貞によろし。彖に曰はく、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。象に曰はく、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。六四。鴻木に漸む。或はその桷(えだ)を得る。咎めなし。象に曰はく、或はその桷(えだ)を得るとは順にして以て巽(したが)ふ。

原文から始まると、分かりづらいとのご指摘があったので《運勢》《原文解釈》《原文》
の順に変更しました。

今後も徐々に改善していこうと思います。

気になる点がありましたら是非ご連絡下さい。

6/4日 ䷏ 雷地豫 上爻

豫は侯を建て師を行るによろし。彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。 上六。冥豫す。成るも渝ることあり。咎めなし。象に曰はく、冥豫上に在り。何ぞ長かるべきや。

豫はあらかじめすることや、楽しくことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

上爻は過剰に楽しみがあるので、人々の締まりがなくなってしまった状態である。

早く頭を切り替えるべきである。

気が緩み過ぎてしまうと、物事の善悪の判断が出来なくなってしまう。

そうなると、もう現状維持は出来ないので、このまま歓楽に溺れて凋落するか、目を覚まして心を入れ替えるかしなければならない。

今、どう転換するかで今後の運命が変わる。

6/3日 ䷤ 風火家人 三爻

家人は女の貞によろし。彖に曰はく、家人女位を内に正し、男位を外に正(ただ)す。男女正しきは天地の大義なり。家人に嚴君(げんくん)有りとは、父母の謂(い)ひなり。父は父たり。子は子たり。兄は兄たり。弟は弟なり。夫は夫なり。婦は婦なり。而して家道󠄃正し。家を正しくして、天下定まる。象に曰はく、風火より出づるは家人。君子以て言物有りて行恒あり。九三。家人嗃嗃(こうこう)す。厲(あや)うきを悔(く)ゆるも吉。婦子嬉嬉(きき)たれば、終ひに吝なり。象に曰はく、家人嗃嗃すとは、未だ失はざるなり。婦子嬉嬉すとは、家節󠄄を失ふなり。

家人とは家族のことで、特に婦人を指す。

家族円満、一家の繁栄を示している。

嚴君はとても威厳がある父母のことで、父母は子をいつくしみ、子は父母に孝行し、兄弟は友情を大切にし、夫婦は力を合わせなければならない。

家族それぞれが正しい行いをすれば、家はまとまり、家がまとまれば国が治まり、国が治まれば天下が治まる。

三爻は家主が厳しすぎて、家族の和が乱されているさまである。

それでもまだ治まっているからよい。

逆に寛大にしすぎると、家族の絆が緩み、それぞれの素行が悪くなる。

そして恥ずべきことが起こってしまう。

家や職場などで、決まりを厳格に守る人は、部下や後輩などから疎まれる事がある。

しかし反対に寛容であって、内の人間が、一日中気が緩んでいる様では、最後には恥ずべき事になる。

なので、家や職場を治める時は寛容であるよりも、やや厳しい方が良い。

6/2日 ䷁ 坤爲地 四爻

坤は元(おほ)いに亨(とほ)る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところ有り。先(さきだ)つときは迷ひ、後るるときは主を得るに利あり。西南には朋を得る。東北には朋を失ふ。安貞にして吉。彖に曰はく、至れるかな坤元。萬物資(よ)りて生ず。乃ち順にして天を承く。坤厚くして物を載す。德无疆に合ふ。含弘光大にして品物咸(ことごと)く亨る。牝馬は地類。地を行くこと疆なし。柔順利貞は君子の行ふところ。先だつときは迷ひて道󠄃を失ひ、後るるときは順にして常を得る。西南には朋を得る。乃はち類と行く。東北には朋を喪ふ。すなはち終に慶有り。安貞の吉は地の无疆に應ず。象に曰はく、地勢は坤。君子以て厚德者物を載す。六四。嚢を括る。咎もなく、譽れもなし。象に曰はく、嚢を括る。咎もなく、譽れもなしとは、慎めば害あらざるなり。

坤は地、臣、妻等の象である。

牝馬は柔順で無限にどこまでも走る。

坤德を有する有徳の賢臣が大志を抱いている。

臣下は何事も王命を待って行動するものである。

西南は陰の方角であり、友を得ることができる。

一方、東北は陽の方角で陰の友を失ふが、最終的には良い。

常に穏やかに正しくあれば吉である。

四爻は賢い宰相である。

物を袋に納めておくように、自分の能力を隠しているので、華々しい功績は得られないが、過ちもおかさない。

不安や迷いがある時、進むべきか止まるべきか選択を迫られる。

今は、世の中全体が不安定であるので進むべき時ではない。

そうすれば、褒められることもないが、災いも起きないだろう。

6/1日 ䷫ 天風姤 二爻

姤は女壮なり。女を取るに用ゐることなかれ。彖に曰はく、姤は遇なり。柔剛に遇ふなり。女を取るにもちゐる勿れ。與に長かるべからず。天地相ひ遇(あ)ひて、品物咸(ことごと)く章なり。剛中正に遇ひて、天下大いに行はる。姤の時義大なるかな。象に曰はく、天の下に風有るは姤。后以て命を施して四方につぐ。九二。包むに魚あり。咎めなし。賓によろしからず。象に曰はく、包むに魚有りとは、義賓(ひん)に及ばざるなり。

姤は遇ふことである。

乾䷀がようやく初爻から陰爻に成り始めたところであり、陰がはじめて陽にあう時である。

女壮とは、とても増長した女性のことで、陽ばかりのところに一人入っていく度胸のある陰である。

ここまで强い女性を妻にするのは要注意である。

また、このような臣下(陰)も登用すべきでない。

この卦は陰陽の気が交わるはじめである。

二爻は初爻の陰爻に一番近いところにある。

陰爻は袋や風呂敷に包んでおくのが良く、討伐しようとしてはならない。

この包んだ陰爻は魚にたとえられる。

客人が来た時にその魚を出してはならない。

なぜならその魚には毒があるかもしれないからである。

包んだままにしておくのがよい。

自分の興味を惹く物事がある。

そう言った時、其れを得ようと考えるのではなく、一度考え直した方が良い。

思いがけぬ所に、問題が存在する。

5/31日 ䷎ 地山謙 初爻

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。初六。謙謙す。君子大川を涉るに用ゐれば吉。象に曰はく、「謙謙す。君子」とは卑くして以て自ら牧するなり。

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

初爻は謙の卦の中の最下位であり、しかも陰爻なので徹底している。

謙の中の謙といえる。

このような人物を登用すれば、大事業も上手く行くであろう。

君子は下にいる時に、謙譲の美徳を大切にして人間形成に努めるのである。

謙虚さを常に持ち、どの様な立場にあっても、学びの姿勢を忘れない。

そういった姿勢であるから人望を集め、大事を成すことができる。

5/30日 ䷌ 天火同人 四爻

同人野に于てす。亨る。大川を渉るに利ろし。君子の貞に利ろし。彖に曰はく、同人は柔位を得、中を得る。而して乾に應ず。同人といふ。「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし。」とは、乾行くなり。文明にして以て健。中正にして應ず。君子の正なり。九四。其の墉に乗る。攻むる克(あた)はず。吉。象に曰はく、「其の墉に乘る」は、義あたはざるなり。其の吉はすなはち困みて則にかへるなり。

同人とは人が互いに心を同じくすること、共に同じ目標を有することである。

天(日)と火は同じ火の性である。

野は広い場所のことで、狭い集団での友情も大切であるが、より広い範囲で人と交流することが、大きなことを成し遂げる際には必要である。

そのためには正直で、正しい心を大切にしなければならない。

四爻は城の塀に登って五爻に攻めかかろうとしたが、この同人の卦の五爻は道理にかなって堂々としているから、攻撃を断念せざるを得なかった。

しかし、それがかえって良かった。

道理にかなった者を攻撃することは間違いである。

四爻は法則に遵う正しい在り方に戻ったのである。

新しい事を始める時、最初は勝手が分からないので、上手く進めるために、皆で協力して取り掛かる。

しかし、暫くして勝手が分かると、一人でできる様になる。

力を出し合っていた者達は、自分の能力が不要になったと思い、不安になるかもしれないが、案ずる事は無い。

5/29日 ☲☰ 火天大有 四爻

大有は元(おほ)いに亨る。彖に曰はく、大有は柔尊󠄄意位を得て、大中にして上下之に應ず。大有といふ。その徳剛健にして、文明。天に應じて、時に行く。是を以て元いに亨る。九四。其の彭たるに匪(あら)ざる、咎无し。象に曰はく、其の彭たるに匪ざる、咎なしとは、明󠄃辨晢(せつ)なり。

大有は多くを所有することであり、その徳は剛健であり、滞ることなく、天に応じて行動するので、大変良いという。

四爻は勢いが盛大すぎなければ問題ない。

四爻は大臣などの補佐役の爻で、陽である。

その下役の三爻も陽で上昇志向が強く、自然と四爻は勢いが盛んになりがちである。

しかし、君位の五爻は陰であり、控えめであるから、これ以上四爻が勢いを持つと、君臣の関係がおかしくなってしまう。

明󠄃ははっきりの意󠄃で、辨はわきまえる、晢はかがやくである。

はっきりと忠節をわきまえてこそ、人は輝くのである。

上司をたてることが大切ということである。

物事を進める際に、主導権を利用してはいけない。

常に控えめに進める事が賢明である。

そうすれば、力があるのに驕る事が無い、君子の道に相応しい人間になれるだろう。

5/28日 ☷☱ 地澤臨 五爻

臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。六五。知臨す。大君の宜。吉。象に曰はく、大君の宜とは、中を行ふの謂ひなり。

臨は下を見下ろすこと、臨むことである。

下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。

また、上から下を見下ろす余裕がある。

今はとても運気が良い。

しかし、八か月後には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。

五爻は君位の爻である。

よく世の中の事情を知り、賢者が誰かを把握し、登用しながら統治することは、君子のあるべき姿である。

それはとてもよいことで、国は自ずと良く治まる。

良い考えを思い付いた時、それを最善だと思ってはいけない。

自分の意見のみでは無く、周りの人達が考えた意見も広く纏めて挙げる事で、初めて最善であると言える。