1/11(火) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 五爻初爻
【運勢】
目に見える資産を失う事より、心を狭める事の方が人生を貧しくする。
懐疑心を持ち続けても、益する事は無い。
大らかな心を持ち、相手の益を自らの益と捉える事が大切である。
迅速な行動が、信頼に繋がるだろう。
【結果】䷨◎五⚪︎初
山澤損(さんたくそん) 五爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]
【原文】
《卦辭》
損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。
《爻辭》
[五爻 優先]
六五。或いは之を益す。十朋の龜も違ふことあたはず。元吉。
象に曰く、六五元吉は上より祐(たす)くるなり。
[初爻]
初九は、事を已めて遄に往く。咎なし。酌みて之を損す。
象に曰く、事を已めて遄に往くとは、尚りて志を合すなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。
陰は陽に順うものである。
陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。
下を損じて、上を益す。
上に上昇するということである。
損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。
不足を補うものではない。
君子の道を長ずるわけでもない。
損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。
だから元吉なのである。
剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。
下を損して上を益す。
それで上を満たして剛を損して邪をなさない。
自然にはそれぞれ分というものが決まっている。
短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。
損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。
《爻辭》
[五爻 優先]
陰が尊󠄄位に居る。
尊󠄄を履んで損なので、あるいは益になる。
亀は疑いを決める物である。
陰は先に唱えてはいけない。
柔は自分で任じることは出来ない。
尊󠄄にいて、その場を守る。
故に人はその力を用い、その功に尽くす。
才能を持ったものが集まってくる。
十朋の龜を得て、天人の助けを尽くす。
[初爻]
損の道爲る。下を損して上を益し、剛を損して柔を益し、以て其の時に應ずる者なり。下極に居り、剛を損して柔に奉ふれば、則ち以て逸すべからず、損の始めに處れば、則ち以て盈つべからず。事已めば則ち往き、宴安べからざれば、乃ち咎なきを獲るなり。剛、以て柔に奉ふれば、咎を免るると雖も、猶ほ未だ親しまざるがごときなり。故に旣に咎なきを獲れども、復た自ら酌みて損す。乃ち志を合するを得るなり。遄は速なり。
〔東涯の解釋〕
《卦辭》
損は減少である。
損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。
下が損して上が益する様である。
天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。
損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。
あくまで正しくあろうとすべきである。
二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。
損益は時に應じておこなわれるとよい。
《爻辭》
[五爻 優先]
昔は貝を貨幣としており、二つの貝を朋という単位にした。
十朋の龜とは澤山の宝石に相当するものである。
龜は大変貴重である。
比に損があるが、柔順中正である。
そして尊󠄄位に居る。
二爻の賢人と応じている。
五爻は賢人の言をきく。
其れは利益となる。
賢人と親しくなる益は、諸󠄃鬼神にただし、違うことはない。
民の順うところに天は従う。
神々も祝福するだろう。
[初爻]
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は「損」を意味する。
損とは有る物を失って不足になることである。
前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。
解ければ人の心が緩む。
緩めば損を生じる。
この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。
地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。
つまり人民が富んでいる。
初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。
そこで余りを以て上に献ずる。
そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。
上の方ではこれを止(と)める。
上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。
兌の卦は喜びを意味している。
こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。
互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。
しかし、是も程良い所でなければいけない。
そこで貞が大切である。
乾は満ちているから、奢りが生じる。
余剰は御祭用に献上するのが良い。
多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。
八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。
孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。
[彖傳]
損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。
下を損らして、上を益すのである。
下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。
「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。
二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。
豊年で献上物が多ければ、益すこともある。
下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。
内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。
凶年の時には上から下へ益して来ることもある。
損すべき時には損し、益すべき時には益す。
満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。
これも其の時節に従って時と共に行うのである。
[象傳]
山下に澤があるのは損である。
君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。
この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。
これは止める義であり、元は乾の卦である。
乾は三畫とも剛である。
強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。
これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。
三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。
つまり喜ぶところとなる。
また欲は坤の卦の象である。
坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。
上は坤の卦であるから、欲が盛んである。
その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。
《爻辭》
[五爻 優先]
六五と九二は互いに応じて居るが、二爻目は五爻目を益することが出来ない。
ここでは上九から益するので、「或いは之を益す」るのである。
上九が富んでいるのは、三爻目が六爻目を益したことによる。
人民(三爻目)からの献納物を上方(六爻目)で受け取り、これを天子(五爻目)に差上げた格好になる。
これは全く当然の事だから、「十朋の龜も違ふ能はず」なのである。
一朋は二百十六銭であるから、十朋は二千百六十銭となる。
それだけの価値がある上等な龜のことで、これは神霊である。
この龜の甲羅で占えば、必ず吉となるのである。
[象傳]
六五を上九が祐(たす)ける。
下からの献納物を上九が受けて、そこから天子の方へ廻っていく。
よって「上より祐くる也」と云う。
[初爻]