2/21(月) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 二爻
【運勢】
正道を守る事は大切だが、成果に期待してはいけない。
あるがままを受け入れると良い。
強い使命感を持ち、自らの役目を全うする事が大切である。
謙虚に人と向き合い、無心で努力すれば、何事も上手く行くだろう。
【結果】䷘◎二
天雷无妄(てんらいむまう) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]
【原文】
《卦辭》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。
《爻辭》
六二。耕さずして穫(か)り。菑せずして畬す。則ち往く攸有るに利し。
象に曰く、耕さずして穫る。未だ富まざるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
動いて健とは震のことをいう。雷動して乾健である。剛中というのは五爻を言う。剛が外からきて、内卦の主爻となる。動いていよいよ健である。剛中で応じている。私欲が行われない。妄動することはない。无妄の道ができ、大吉。剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。剛中にして応じれば斉明の德が通る。天の教命である。もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。茂は盛んなことである。物は皆あえて妄でない。その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。時に対して物は育つ。是より盛んなことはない。
《爻辭》
代りが終りにできてつくらない。その果実を独り占めしない。臣道を尽くす。
〔東涯の解釋〕
《卦辭》
妄(もう)は、望と音に相近し。无妄は、希望することがない。『史記』では无望󠄇とかく。この卦をさかさにすると䷙山天大畜になる。主爻は初九である。无妄は予期せずに来るものである。卦体は震が動くで、乾が健やかである。五爻と二爻は応じている。まさに天命である。逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。
《爻辭》
穫は刈り取りである。菑は一年目の田である。畬は三年目である。柔順中正であり、五爻が応じている。才があるが人と競わない。望みがかなう人材である。古代の人は天の評価を求め人の評価を求めなかった。人の評価など自然についてくるものである。
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
无妄は欲がないということである。無望の意味である。『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。ただ誠にのみ志すのである。志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。五爻と二爻が応じており、上下心が通う。天命を受けることを表す。その天命に従うのがよい。それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。春夏秋冬、天に従った生き方をした。
《爻辭》
六二は陰爻を以て陰位にあり、慾が無く正しい。震は東の卦で農の象がある。菑は神田地で、開墾した計りだから実りが悪く、利が無い。畬は二年目の田地で、聊か利を得る。農民が田地を拓くのは、自分の慾でなく、君の為国家のために耕さなければいけない。利の為にするのでなければ、何処へ往っても利がある。
[象傳]
民が皆耕さないのであれば、利を専らにして富む所までは行かない。富を欲するのでなく、義を以てするのである。