2/4(金) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 四爻二爻
【運勢】
言葉では無く、行動で示す事が信頼に繋がる。
着飾ろうとせず、成果の出ない時は、寡黙に誠実さを体現すべきである。
困難な時にこそ、その者の真価が問われる。
正しさを守り、努力を続ければ、必ず好機が訪れる。
【結果】䷮◎四⚪︎二
澤水困(たくすいこん) 四爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻 優先][二爻]
【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。
《爻辭》
[四爻 優先]
九四。來ること徐々。金車(きんしや)に困(くる)しむ。吝(りん)なれども終はり有り。
象に曰く、來ること徐々とは、志下に在るなり。位に當(あた)らずと雖(いへど)も、與(とも)有るなり。
[二爻]
九二。酒食(しゆしよく)に困む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利(よろ)し。征けば凶。咎なし。
象に曰く、酒食に困むとは、中、慶有るなり。
【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。
《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は初爻を志しているが、二爻の金車(堅い車)に邪魔されている。
金車とは二爻である。
陽爻で剛く、物を載せるのによい車である。
気の合う者󠄃がいても、間に障害があってなかなか会えないで困っている。
しかも、初爻と二爻とは相性が良い。
しかし、四爻は初爻と応じており、我慢すれば最終的には初爻と会うことが出來る。
[二爻]
二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。
☵水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。
遠方から人が来る。
自分から行こうとしてはならない。
留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。
《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は初爻と応じており、四爻は陽爻、初爻は陰爻で陰陽も応じていて、非常に相性が良い。しかし、初爻は小人である。徳が無い。
その諸初爻が助けを求めるので四爻は助けに向おうとするが、何分初爻は信用できないので、二の足を踏んでいる。
しかも、二爻の賢人が初爻のところに行ってはならないと教え諭す。
初爻を助けたいという気持ちに悩まされるが、二爻の諫めもあって、初爻のところに行かず小人と関わらずに済んだ。
[象傳]
志が下に在るというのは、四爻が初爻を助けようとすることである。
四爻は陰の位に陽でいるが、二爻の賢人の助けを得て、世の中を救うことが出來る。
[二爻]
九二は賢人である。
初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。
食貧は『論語』にも『詩経』にもある。
「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。
天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。
三顧の礼と同じである。
この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。
「征くは凶」である。
しかし咎が有るわけではない。
道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。
「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。
つまり夏の祀りである。
夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。
[象傳]
酒食に困する中にして喜びがある。
やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。
中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。