6/30 (火) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 四爻


【運勢】

普段からしている細かい積み重ねを、大きく評価される。

自分に厳しく、やるべき事をこなして行けばとても良い。

どんな人にも、何かしら積み重ねはあるので良い一日になる。

【原文】

《卦辭》

升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。

彖に曰はく、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。

象に曰はく、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。

《爻辭》

六四。王用ゐて岐山に亨(とほ)す。吉にして咎(とが)め无(な)し。

象に曰はく、「王用ゐて岐山に亨す」とは、順にして事(つか)ふるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

升は登ること、二爻と五爻は相性が良く(應じる)、五爻が陰であり、王に厳しさはなく、賢人(二爻)を用いるので、賢人は階級が昇るのである。

下卦が巽(從順)であり、よく王に従う。

南征とは、大変良いことが起こることを指す。

君子は小さなことを積み重ねて、大きなことをなすべきである。

《爻辞》

四爻は大臣の爻で、ここでは文王が岐山に登って神を祭った象である。

大変有能であるが、王に服してよく仕える大臣である。

どんな徳の無い王でも、良い臣下の助けを得て天下は治まっている。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

升は升(のぼ)って進むという義がある。

昇と同じである。

三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。

地に陽木と陰木の芽が出ている。

それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。

元亨の元は震で、亨は兌である。

また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。

震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。

南に征くとは、南面の位に即くことをいう。

[彖伝]

太子は升るべき時を以て天子の位に升る。

皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。

内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。

心配には及ばない。

必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。

[象伝]

地の中に巽と震の卦がある。

木が次第に上の方に進んで伸びて往く。

君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。

巽は『説卦伝』に「高し」とある。

《爻辞》

岐山は西の山である。

兌は西であり、岐山において祭る。

即ち皇太子が天子に代わって天を祭る。

そこで吉であり、咎が無い。

[象伝]

従順にして能く天に事(つか)う所がある。

皇太子が天子に代わって祭るのは、やはり順なる所である。

6/29 (月) ䷋ 天地否(てんちひ) 上爻

【運勢】

道理に合わない物事が多くなり、世の中が欲で乱れてしまう。

徳を重んじる考えは理解されづらく、更に非難を浴びる可能性すらある。

志高い者達が否を正して行く事で、最後には平和を取り戻すだろう。

【原文】
《卦辭》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞によろしからず。大は往き、小は來る。

彖に曰はく、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。

象に曰はく、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。

《爻辭》
上九。否を傾く。先には否にして後には喜ぶ。象に曰はく、否終はるときは則ち傾く。何ぞ長かるべきや。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辞》
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。

天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。

世の中が乱れる時である。

君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。

悪人が栄え、有徳者は德を隠す。

このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。

《爻辞》
長く世が乱れていたが、漸く否の時が終わりそうである。

始めは傾いているが、後には通じて喜びにかわる。

否の時は長続きしないものである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
否は塞がるの義である。

天地陰陽の気が塞がっている。

これは地天泰と反対である。

こうした隔絶をつくったのは匪人である。

匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。

君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。

このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。

大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。

[彖伝]
天の気が上にあり下に降ってこない。

地の気は下に滞って上に騰がっていかない。

天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。

上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。

君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。

外卦は陽爻で内卦は陰爻である。

これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。

朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。

世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。

それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。

[象伝]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。

君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。

徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。

そこで営するに禄をもってすべからず。

後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。

《爻辞》
人が否を傾け泰平にする。

先には否であるが、後には喜びが出る。

[象伝]
否が終わるのは自然に終わるのではなく、人の力で傾けたのである。

乱れた天下を志あるものが力を合わせて治めなければいけない。

6/28 (日) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 五爻

【運勢】

無理をせず、自然に身を任せる事で、あるべき成果を得られるだろう。

見方を変える事で、何気ない日常を、より大切に感じられる。

これは、相手の気持ちに寄り添う事に繋がり、周りから信頼されるだろう。

【原文】

《卦辭》

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。

《爻辭》

六五。富まずその鄰を以てす。侵伐に用ゐるによろし。よろしからざることなし。

象に曰はく、「侵伐に用ゐるよろし」とは、服せざるを征するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

これを有終の美という。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

《爻辞》

五爻は王位であるが、富を持たないので、人を使役できず、仲間である二爻から上爻までの陰爻と共に行動するしかないとする。

遠方の服従しないものを討つのに好機である。

なぜなら、味方はその謙譲の美徳に従ってくれ、敵は服するからである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。

我が身が小さくなって人の下に降って居る。

古くは言偏の無い「兼」の字であった。

小さいために一つで足らず合わせるという義である。

他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。

口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。

小さいというのが本来の義である。

卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。

二・三・四爻目に坎がある。

水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。

これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。

しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。

[彖伝]

天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。

元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。

光明は三爻目に降りて来た陽爻である。

また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。

元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。

上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。

我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。

卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。

そうして君子は終を遂げる所となる。

[象伝]

上卦が地で下卦が山である。

地の広い方から見れば山が小さい。

天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。

そこで多い方から取って、少ない方へ益す。

政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。

政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。

《爻辞》

富まずというのは、天子が己を空虚にして邪の無いことである。

其の鄰を以ゆというのは、九三の賢人をはじめ周囲の人を能く用いることである。

侵伐は容易に出来るものでなく、謙遜の徳に天下皆服しているから勝利を得られる。

しかし是は外国を討つことが本義ではない。

[象伝]

若し国内に服することがなく、乱を起こす様な者があれば之を討つのが良い。

6/27 (土) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 五爻

【運勢】

この不安定な世の中で、珍しく穏やかに過ごす事が出来る。

こだわりを持ち過ぎては、周囲の環境に気が立ち過ぎてしまい、良くないだろう。

難しく考えず、自然の流れに身を任せて過ごす事が大切である。

【原文】

《卦辭》

節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。

彖(たん)に曰はく、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。

「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。

象に曰はく、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。

《爻辭》

九五。甘節󠄄す。吉。往けば尚(くは)ふること有り。

象に曰はく、甘節󠄄の吉は、位に居て中するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

節󠄄とはほどほどであることである。

この卦は陰陽の數が等しく調和がとれている。

また節目である。

物事には節目を設けて区切る必要がある。

自然界には四季があり、物には度量衡が設けられている。

陰陽が均等にあり、上卦下卦ともに陽が中をえている。

よろこび☱を以て難󠄄☵に当たるとうまく行く。

《爻辞》

五爻は剛健中正であり、ほどほどの節度があり、苦痛でない。

このまま行動していけば、良い結果が得られるだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

節は竹の節に由来する。

中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。

上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。

総ての事は竹の節の様に分限がある。

天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。

しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。

孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。

しかしそれでは生きていくことは出来ない。

我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。

[彖伝]

下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。

上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。

剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。

「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。

陳仲子の様に窮することになる。

[象伝]

沢の上に水が流れる。

沢は四方に堤防があって水を溜めている。

これが節である。

程好い所に止まっている。

君子は節に則って政を行う。

《爻辞》

九五の天子は明君である。

節は十分に倹約して、程好き所を苦しまずに甘んじ楽しんで行う。

後世で言うなら漢の文帝である。

文帝は物見櫓を作るのに大工に見積もらせた所、百金掛かると言われ、人民の負担を考えて作るのをやめた。

また女の服は一尺も二尺も裾を下へ曳くものであるが、下を曳くだけの物は無用であるといって皇后の召物迄も短くした。

宮中の女は皇后に習い、皆男の着物のように短くした。

文帝は倹約を第一とし、それを甘んじて楽しんだ。

[象伝]

甘節の吉は天子の位に居って如何にも中庸の所を行うのである。

6/26 (金) ䷪ 澤天夬(たくてんかい) 初爻


【運勢】

自分の心持ちに何かやましい、不誠実な所がある。

この心があるから、誠実であろうと考えていても、一向に変える事が出来ない。

先ずはやるべき事を一つづつこなしていき、心の余裕を持つ事が大切である。

【原文】

《卦辭》

夬は王庭に揚ぐ。孚(まこと)有りて號ぶあやふきこと有り。吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、夬は決なり。

剛、柔を決するなり。健にして說󠄁(よろこ)ぶ。決して和す。「王庭に揚ぐ」とは、柔五剛に乘ずればなり。「孚有りて號ぶ、あやうきこと有り」とは、それ危めば乃ち光るなり。

「吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず」とは、尚ぶ所󠄃乃ち窮まるなり。「往くところ有るによろし」とは、剛長じて乃ち終るなり。

象に曰はく、澤、天に上るは夬。君子以て禄を施して下に及ぼす。德に居りて則ち忌む。

《爻辭》

初九。趾を前󠄃(すす)むるに壮なり。往くも勝たず。咎めと爲す。

象に曰はく、勝たずして往く。咎めあるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

夬は決める、引き裂くの意󠄃味である。

形は䷖剝の反対である。

君子が勢いを持ち、徳のないもの(上爻)を征伐する象である。

五陽に一陰が載っている。

危うい状態に耐えきったら大きな功をなす。

徳の無い者と戦うときはただ武力のみに頼るのでなく、誠実さを以て臨むべきである。

終には徳の無い者は除かれ、平和になる。

《爻辞》

初爻は卦の中で足に当たる。

上爻の徳の無い者を倒そうと力んでいるが、四爻との相性が悪く(応じていない)、結束力が無いので勝てない。

このままでは良い結果は望めない。

まずは策を明󠄃らかにして、計画性を持つべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

夬は円(まる)い物を欠いて割るという義である。

上六の陰爻は大奸物(だいかんぶつ:悪知恵のはたらく心のひねくれた人間)である。

それが九五の天子に近接している。

巧言令色をもって諂って居るのが、段々と蔓延(はびこ)って害を為す。

必ず上六を撃たねばならない。

「揚于王庭」とは、この大臣の悪を明らかにして皆に告げる所である。

「孚号」は、大臣を除くにあたり誠心をもって協力を呼び掛けるのに号(さけ)ぶ所である。

天下はこれを信じ、協力は得られる。

しかし兵を挙げて撃つのではない。

早まってはいけない。

[彖伝]

密接している悪を斬って除く。

一番上の陰爻を切り離す。

剛が柔を決する。

柔の小人は五人の賢人君子の上に上がって権勢を専らにしているので、その罪を揚げるのである。

厲(あやう)い所があるから容易に手を出してはならない。

危ぶみ慎しんで、人民が騒がしくならないように能く鎮撫する。

孚(まこと)を尊び、時を見て動かなければならない。

早く往き過ぎると却って窮する所が出てくる。

剛が次第に長じてくる所であるから、終(つい)には事を終え遂げることが出来る。

[象伝]

沢の水の気が、乾の天の上にあり、水気がまた下に戻ってくる。

君子は恩沢を下々の方まで汎く施す。

恩沢を上の方で置き蓄えて、吝(おし)み下へ及ぼさないのは君子にとって忌み嫌う所である。

《爻辞》

初九は草莽の者で、悪い大臣を一日も早く撃とうと烈しい所がある。

しかし未だ大臣の方に隙が無い。

勝つ見込みのない所に仕掛けて往くのは咎である。

孫子の兵法にも「総て能く戦に勝つ所の兵は戦わざる前(さ)きに先ず勝って其の上に戦いを求める」と軍形篇にある。

[象伝]

勝算の無いのに無暗に往くのは咎である。

初九は草莽間の血気盛んな若い者ばかりで、勇に逸(はや)る所である。

6/25 (木) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 五爻

【運勢】

心を清らかにする事で、行くべき道を観る事が出来る。

先の人生を見渡して、誠心誠意生きる事を決意すると良い。

行動を起こす際には、周りの人々の理解を得られるかどうかが大切である。

【原文】

《卦辭》

觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。

彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。

順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。

象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。

《爻辭》

九五。我が生を觀る。君子は咎めなし。

象に曰はく、「我が生を觀る」とは民を觀るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

観は見ること、見られることである。

全体として艮☶の形であり、これは宗廟を表す。

宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。

手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。

その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。

神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。

偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。

《爻辞》

五爻は君主の卦である。

自分の行いを見直し、有徳者と言える行いであるなら問題ない。

民が自分を慕っているかで判断するとよい。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

「観」は大いに観るという義である。

高い所から遍く四方を観廻す所である。  

『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。

「視」は常の事を詳らかに見ることである。

一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。

『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。

冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。

卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。

天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。

また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。

天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。

鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。

上卦が巽で、巽は香気である。

鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。

巽は潔さの象でもある。

顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。

[彖伝]

明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。

順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。

また坤は乾に順う。

天子は中正を以て天下を観る。

中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。

下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。

天子は天下を観る計りではない。

天の神道をも観る。

これは神仏の神ではない。

『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。

乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。

これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。

「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。

日本における神道とは異なる。

[象伝]

地上一面に風が吹き渡る。

風は万物を育て、巡々と吹く。

天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。

方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。

《爻辞》

九五は名君であり、能く我が身の行いを省みる。

道徳に沿い、賢人を用い、咎を得る所は無い。

[象伝]

天子は民が服しているか服していないかを見て我が行いの善悪を判断する。

6/24 (水) ䷢ 火地晋(かちしん) 三爻


【運勢】

努力が実り、良い事が沢山起こる。

自分の努力が評価され、それに感化された、周りの人の徳も高まるだろう。

互いに切磋琢磨して進む事で、道を大きくひらく事が出来る。

【原文】

《卦辭》

晋は康侯用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。

彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く、柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。

象に曰はく、明󠄃地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照らす。

《爻辭》

六三。衆允(まこと)とす。悔い亡ぶ。

象に曰はく、衆之を允(まこと)とする。志上行するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

晋は進󠄃むである。

地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。

陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。

これは名君に人々が仕える象である。

そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。

三陰は柔順の徳がある。

柔順とは迎合のことではない。

君子の徳を明󠄃らかにする人のことである。

《爻辞》

現状は不安定であるが、志は下の二つの陰に押されて上を目指す。

上昇志向の下の者に信頼されて進めば後悔することはない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の離は日であり、下卦の坤は地である。

つまり地上に日が初めて出た所の象である。

晋は日が出て万物が進むという義である。

『説文解字』に「日出萬物進也」とあるように、太陽の働きで万物は育ち伸びてゆく。

二・三・四爻目に艮がある。

艮は東北の間であるから、将に日が出んとする所である。

康侯は、諸侯の職分が民を康(やす)んずる所にあることに由来する。

諸侯は天子に朝するに三度御目通りをするので「昼日三接」という。

その時に諸侯は自国の名馬を献ずる。

馬十匹を献ずることを錫(たま)うという。

錫という字は古くは上下の区別なく、下から上へ差上げるのにも錫うという。

『書経』にも「衆錫帝」とある。

これが上から下に与える意味に限られるようになるのは、始皇帝の時からである。

下から上へ差上げる時には、献ずる、奉るというようになる。

蕃庶は馬十匹で多いことによる。

[彖伝]

日が出て万物が段々進んで来る、即ち天子が上に在って諸侯が進んで拝謁する所の象である。

明は離の卦の象である。

「大明に麗(つ)く」というのは、大明=乾の卦の真ん中に陰爻が麗いて離の卦になることである。

天は大明、離は明である。

「柔進みて上行す」というのは、元これは真っ暗の夜の象である地火明夷の卦であったことによる。

五爻目の陰爻が二爻目にあり、それが上行して五爻目まで往く象である。

[象伝]

日が地の下にある真っ暗な状態は、欲に覆われて徳が明らかにならない状態である。

君子は欲を取り払って、明徳を明らかにして四方を照らす。

《爻辞》

六三は六二と一緒になって君の為に尽くす所がある。

そこで衆は之を允(まこと)として信用しているから、悔は亡ぶ。

六三は陰を以て陽の位にあるので悔が出るべき所であるが、誠の深い所を以て悔は亡ぶ。

[象伝]

六三の志はどこまでも六五の為に尽くす所があるので上行する。

六二と力を合わせて君の為に尽くすのである。

6/23 (火) ䷙ 山天大畜(さんてんたいちく) 四爻

【運勢】

知見を広げるのに、とても良い日である。

新しい考え方を知り、世界を広く見る事が出来る。

成長の実感があるので、意欲も高まるだろう。

焦ってはいけない、良く学び、知識を付けてから、次に進むべきである。

【原文】

《卦辭》

大畜は貞に利(よろ)し。家食󠄃せざる吉。大川を渉るによろし。

彖に曰はく。大畜は剛健篤實輝光。日にその德を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。能く健を止むるは大正なり。家食󠄃せずして吉。賢を養ふなり。大川を渉るによろしとは、天に應ずるなり。

象に曰はく、天山中に在るは大畜。君子以て多く前言往行(わうこう)を識して、以てその德を畜(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。童牛の牿(こく)。元吉。

象に曰はく、六四の元吉は喜(よろこび)有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

大畜は大きく蓄へる、とどむることである。

剛健篤実でますます徳が高くなることを表す卦である。

剛い者が最上位に登り、賢者を尊んで賢者を養う。

賢者は家から出て朝廷に仕えはじめた。

吉である。

大事業をするのに良い時である。

《爻辞》

童牛とはまだ角が生えきっていない牛のことである。

初爻が童牛である。

四爻は初爻と相性が良い(応じている)。

牿(こく、四爻)は牛の角を抑える横木のことで、牛がまだ若いので抑えることはたやすい。

よくとどめておくことができるので、喜びがあるのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

大畜は、君が臣を止めて畜(やしな)う卦である。

大は君のことである。

大畜とは反対に小畜という卦がある。

小畜は、臣の方が君を止めるという卦である。

小は臣のことである。

上卦の艮は身体である。

三・四・五爻目の震は仁である。

また二・三・四爻目に兌は義である。

つまり仁義の徳を身の内に具えていることになる。

畜の字は、止めるというだけでなく、之を育てて善くするという義がある。

徳を十分に養はねばならない。

君は、臣の早く出世を求める心を抑えて、十分に学問を以て徳を養わせるのである。

また養われる側も、貞所を守るのが良いので、「利貞」という。

「不家食吉」とは、学問道徳のある人物は君に用いられ、禄を以て養われる所となる。

そのため賢人は家に居って食することは無い。

朝廷に招かれた賢人は、危険なことがあっても之を踏み越えて往くのが良い。

そこで「利渉大川」という。

[彖伝]

天子に剛健なる徳が具わっている。

政務を執っても疲れることがなく、篤実である。

篤実は艮の卦の象である。

また艮の陽爻が上にあり、光輝く所がある。

「日新」というのは、乾の卦で象で、日々昇り沈んでいく太陽である。

「其徳剛上」は、上九を指していう。

上九は剛にして一番上に居る。

[象伝]

上卦の艮は山、其の山の中に天がある。

山中には天の元気が十分に満ちている。

火気と水気の働きで草木が良く生じ、禽獣も繁殖する。

これが大畜である。

「前言」は震の象である。

また震は行くという事もある。

《爻辞》

六四は大臣の位で、陰を以て陰に居る。

この正しい所の大臣が、賢人を留めて養う。

「童牛之告」は、牛が角を人に突き立てることが無い様に、体が小さな頃から角に木を結んで物に当たるのを防ぐのをいう。

下卦の乾は陽の卦であるから、強くて剛である。

その剛なる所を以て人へ突きあてるようではいけないので、子供の内からこれを引き留めて程よくする。

そこで「元吉」である。

[象伝]

大臣たるものは、人材を養うにあたりその人の剛なる所を程よく引きとめる。

後に、その人は立派な賢人になって国家の用を為すことになる。

そこで喜ぶ所となり、喜びは後に出てくるのである。

6/22 (月) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 二爻

【運勢】

見える形で成果が出ないので、評価されず、辛い思いをする。

諦めずに続けていれば、最後には評価されるので、今は耐える時期である。

協力者は自ら探すのでは無く、自然と現れるのを待つと良い。

【原文】

《卦辭》

困は亨る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚べば乃ち窮まるなり。

九五。劓られ、刖られ。赤紱に困しむ。乃ち徐にして說󠄁び有り。用て祭祀するに利ろし。

《爻辭》

九二、酒食(しゆしよく)に困(くるし)む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利(よろ)し。征けば凶。咎めなし。

象に曰く、「酒食(しゆしよく)に困(くるし)む」とは、中、慶有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

困は苦しむことである。

しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。

正しく生きるということは元々困難なものである。

それでも正しいことを続けていかなければならない。

徳のない人にはできないことである。

口だけ立派なことを言っているだけでは駄目である。

行動が伴わないと信用されない。

《爻辞》

二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。

☵水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。

遠方から人が来る。

自分から行こうとしてはならない。

留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。

他方、下卦の坎は流れる水である。

つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。

す即ち水不足による困となる。

『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。

しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。

其れで大いに亨る所がある。

孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。

九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。

つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。

もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。

ここで君子は争わずに時を待たねばならない。

[彖伝]

「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。

「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。

「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。

それで言わない方が良いのである。

[象伝]

水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。

何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

《爻辞》

九二は賢人である。

初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。

食貧は『論語』にも『詩経』にもある。

「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。

天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。

三顧の礼と同じである。

この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。

「征くは凶」である。

しかし咎が有るわけではない。

道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。

「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。

つまり夏の祀りである。

夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。

[象伝]

酒食に困する中にして喜びがある。

やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。

中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。

6/21 (日) ䷺ 風水渙(ふうすいかん) 二爻

【運勢】

正しい生き方をしようと、一人一人が努力するので、足並みを揃える事が出来る。

とても難しい問題を抱えるが、時期が良いので解決出来るだろう。

これは、問題を先送りにすると、解決出来ないという事でもある。

【原文】

《卦辭》

渙は、亨る。王有廟に假(いた)る。大川を涉るに利(よろ)し。貞に利(よろ)し。

彖に曰(いは)く、渙は亨(とほ)る。剛來(きた)りて窮(きはまら)ず。柔、位を外に得て上同す。「王有廟に假(いた)る」とは、王乃ち中に在るなり。「大川を涉るに利(よろ)し」とは、木に乘じて功有るなり。

象に曰(いは)く、風、水上を行くは渙。先王以て帝に亨して廟を立つ。

《爻辭》

九二、渙するとき其机に奔(はし)る。悔い亡ぶ。

象に曰く、渙するとき其机に奔(はし)るとは、願ひを得るなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

渙とは散ること、問題が解決することである。

王が散らばっている民心をまとめて、混乱を収拾し、宗廟(そうびょう)に先祖を祭り、天下を統一したことを表す。

☴は木であり、☵水の上に木があるから、舟が水に浮いている様を表すので、大きな川を渡るによいというのである。

つまり大きな難題を解決できるのである。

その時、常に正しさを守るべきである。

《爻辞》

二爻は五爻と応じないので、はじめは拠り所が無い。

しかし、下の初爻に寄りかかることで、最終的に安心できる。

初爻に支えられて願いを成就する。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

渙は四方の水が散じて往く所の義である。下卦の坎は季節では冬、方位では北にあたり、水は冰(こお)る。氷は陰の固まりである。

二・三・四爻目は震の卦で、春の真ん中(旧暦二月)であり、その時期には雷が鳴り氷が砕ける。

『詩経』には、妻を娶るなら氷の泮(と)けないうちに娶れとある。

妻を娶るのは陰を迎えることだからである。

よって氷の融けた後には妻を迎えない。

これは古からの礼である。氷が砕けて泮けるのは、渙の字と同じ義である。

普通、陽は正しい方に取り、陰は悪い方に取るが、渙は悪い物を融かし砕いて正しい所にする。

小人の悪い物が摧(くじ)けて無くなり、道徳の方が亨る所となる。

[彖伝]

剛は二爻目の陽爻である。

坎=水であり、能く流れて何処までも達する所があるので「不窮」という。

「柔」は四爻目の陰爻であり、これが巽の主爻である。

有廟を假にするとは、廟を大いに盛んにすることである。

天下の人は東西南北から集まり祭りを助ける。

[象伝]

風が水上を吹くのは、ちょうど二月である。氷が融けようとする時に風が吹き、氷は皆砕けて消えてしまう。

これは天下の難が解ける所の象である。

そこで先王は天を祭り、廟を立て、天下の諸侯皆集まって会するのである。

《爻辞》

難を解くにあたって、この九二の賢人は、九五の天子の所へ赴く。

そして天子の為に力を尽くして悔が亡びる。

机というのは天子のことを指す。

諸侯が天子に朝するときに天子は左右に机をおいて体をそれに倚り掛けている。

そこで机といえば天下の事になる。

[象伝]

「机得願也」とは、九五の天子が九二の賢人を用いて我が輔佐とすることである。

そこで願を得るなりという。