6/20 (土) ䷩ 風雷益(ふうらいえき) 三爻

【運勢】

最善の方法ではないが、協力して成果を上げる事が出来る。

目に見えて成果が上がるので、士気が高まるだろう。

備えを常にしておく事で、災害が起こった時に冷静に対処する事が出来る。

【原文】
《卦辭》
益(えき)は、往く攸(ところ)有るによろし。大川を涉るに利し。

彖に曰く、益は上を損して下を益す。民說󠄁(よろこ)ぶこと疆(かぎ)りなし、上より下に下る。其道󠄃大に光なり。

往く攸(ところ)有るに利(よ)しとは、中正(ちうせい)にして慶(けい)有り。大川を涉るに利しとは、木道(もくどう)乃ち行く。益は動いてしかして巽(したが)ふ、日に進むこと疆(かぎ)りなし。天施し地生(しょう)ず。其益方(かた)なし。凡そ益の道󠄃は、時と偕(とも)に行ふ。

象に曰く、風雷は益。君子以て善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやまち)有れば則ち改む。

《爻辭》
六三。之れを益すに凶事を用てす。孚(まこと)有りて中行すれば、公(おほやけ)に吿して圭を用ふ。

象に曰く、「益すに凶事を用てす」とは固く之を有するなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
益は増すこと、増やすことである。

䷋否の上卦の四爻が陽から陰となり、下爻の初爻が陰から陽になっているので、上が損をして下が得をした象である。

上の者が損をして、下の者󠄃を助けることはとても良いことで、また二爻が陰、五爻が陽で、中正であるので、大事業をするのに好機である。

上の者が動けば(震)、下の者が従う(巽)象である。

《爻辞》
凶事とは『通解』によると戦いや葬式である。

三爻は正しいものとは言えないが、上爻の陽と應爻の関係であるから、上爻の援助をうけて特に問題もなく成功する。

その場合、誠の心を以て中道を守って行動する必要がある。

公とは王に次ぐ存在であり、その者に誠心誠意尽くせば、王に見える恩恵を得る。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
この卦は、前の卦の山沢損と反対である。

山沢損は地天泰より来た。

そして地天泰は天地否から来た。

天地否は、上卦は乾、下卦は坤である。

坤は空しさの象で、人民の困窮する卦である。

そこで九四の陽爻が下りて、初六の陰爻が上る。

これで風雷益の卦になる。

これが下を益するという義である。

上卦の震は、農業の卦である。

人民を富ますのは農業であり、これは何処までも推奨される。

それで「利有攸往」である。

こうして人民が富んでいれば、如何なる大難が起こっても踏み越えて往く所となる。

よって「利渉大川」である。

[彖伝]
「損上益下」とは、天地否の九四の陽爻を一つ損(へ)らして、代わりに初六の陰爻を益すことである。

そこで民が説(よろこ)ぶ。

陽が段々進んで往けば兌の卦になる。

農事が盛んになればなるほど、人民は利益を得る。天の気が地の底に下って万物が生じる。

出で来たものは大きくなって花が咲き草木に光を生じる。

よって「其道光大」となる。

「中正にして慶(よろこ)び有り」とは、中正(二爻が陰、五爻が陽で、爻が定位通りであること)の五爻目の天子に、同じく中正の二爻目が応じることである。

いわば名君と忠臣が相助けて人民を生育する所に、慶びが出で来る。

「木道乃行」とは、震と巽に対応する五行が双方とも木であり、万物が盛んになることである。

〔象伝〕
上卦が巽=風で、下卦は震=雷である。雷が起こると、風はこれを助ける。

また巽は外卦であり、修飾して能(よ)く齊(ととの)えるという所がある。

つまり外の人が行いを修めて行く所を見れば、周囲の者も自ずから其の方へ従って遷って往く。

そして過ちがあれば速やかに改める。

震には過ぎるという象があり、もし往き過ぎれば、物を害してしまう。

雷山小過は霆(激しい雷)である。

雷は下から上に昇るが、霆は上から打ってくる。

これは往き過ぎである。

善い事も過ぎると害を為すから、これを改めなければいけない。

《爻辞》
「凶事」は飢饉のことである。

震の卦から巽の卦に移る間がちょうど麦の熟する所となる。

三爻目は震の卦の終わりで、春の終わりで夏に移った所となる。

そこへ雷雨が起こり大風が吹けば、麦の方へ害が来る。

すなわち飢饉が起これば、上の方が救わなければいけない。

「有孚」は、二・三・四爻に坤=地があり、これは孚という所がある。

「中行」は過不足の無い中庸の行いで、丁度良い加減で官より米を給わる。

これは国家の大事であり、神前に圭(けい:先端が三角になった玉器)を供えて「公に告ぐ」のである。

[象伝]
官に貯えられた御蔵米は皆人民の方から差上げたもので、固(もと)より人民の有する所の物である。

よって「固有之也」という。

戦争や飢饉に備え、官において九ヵ年分を貯えると定まっている。

6/19 (金) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻

【運勢】

自身の環境が大きく変化。

進んで来た道は正しいので良い変化である。

不安に感じる事も多いが、心配は要らない。

初心にかえり、また道を歩む事で、志強く、勢いを増す事になるだろう。

【原文】

《卦辭》

復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。

象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。

《爻辭》

六三。頻(ひん)に復す。厲(あやふ)けれども咎め无(な)し。

象に曰はく、頻復の厲(れい)は、義咎(とが)め无(な)きなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

復はかえるの意󠄃味である。

ひとつ前の䷖剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。

一陽来復、また盛んになろうとしている。

陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。

《爻辞》

三爻は迷いやすく心が動きやすいので、危険なことが多くある。

しかし、それでも正しい道に戻ることが出来る。

正しい道に戻れたのならば、問題はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

復は本の所に反(かえ)るという意である。

一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。

天の気が地の底に来ることで万物は生じる。

この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。

前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。

果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。

「其道」とは、万物を生成する所の道である。

「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。

雷気が往くに従って万物が発生する。

また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。

それで「利有攸往」なのである。

[彖伝]

「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。

上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。

つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。

七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。

「天地之心」は万物の生成である。

[象伝]

雷が地中に来たって居ることが「復」である。

陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。

そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。

天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

《爻辞》

震の卦徳は動であり、変化が生じる。

『論語』で言えば、子路・子貢の様な、復(ふく)したり変わったり、また復したりする様なことである。

『論語』雍也第六に「子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ」とある(顔回は三ヶ月もの間、仁から離れることがなかったが、その他の者は日に一度か月に一度仁に復するのがせいぜいであった)。

このように頻(しき)りに復するから厲(あや)うい。

しかし厲ういけれども咎が無いのは、仁に始終復するからである。

[象伝]

過っても繰り返し仁に復するから咎が無いのである。

6/18 (木) ䷇ 水地比(すゐちひ) 初爻

【運勢】

新しい物事を始める場合、協力を仰ぎ、一丸となって取組むと良い。

その結果、予想外な人と、良い関係を築けるかもしれない。

また、協力を求められた時は、快く引き受けると良い。

【原文】
《卦辭》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。

彖(たん)に曰はく、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。

象に曰はく、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。

《爻辭》
初六。まことありてこれを比すれば、咎めなし。まこと有りて缶に盈つれば終ひに來たりて他の吉あり。

象に曰はく、比の初六は、他の吉有るなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
比は親しむ、たすけるの意󠄃である。

五爻の王だけが陽であり、他はすべて陰爻で王にしたがっている。

筮に基づいて大変長く正しさを守っている人を選べば問題ない。

五爻に親しむ機会を失ったものはよくない。人と親しもうとすべきである。

《爻辞》
初爻は人に親しむはじめであるから、特に誠実にしなければならない。

水器に並々と盛られたように誠があれば、予想外の吉を得られるだろう。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
比は親密なる所である。

比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。

上卦は水、下卦は地である。

水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。

五爻目は陽爻で天子にあたる。

天子は人民と密着しており離れることが無い。

ちょうど水と土の関係のようである。

これは吉である。

「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。

つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。

「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。

これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。

転じて、賢明なる天子の称のようなものである。

「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。

[彖伝]
比は吉である。

また互いに相輔けることである。

「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。

そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。

「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。

「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。

[象伝]
地の上に水があるのが比である。

地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。

君と民は親密な関係であり、離れようもない。

こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。

《爻辞》
「孚」は坎の卦の象である。

坎の卦は、上卦なら月、下卦なら水となる。

「有孚」は九五の天子に孚が有ることである。

初六は人民の中でも最下層の者に相当するが、天子は丁重に取り扱い親しく交わる。

であるから初六が君を犯すということはなく、咎は無い。

天下に溢れる天子の孚は、甕の中の水が一杯に為っているようなものである。

甕は坤の卦の象である。

[象伝]
比は初六=下賤の身であるから、天子の方から親しんでくれるのは、思いの外なる所である。

予想外の吉となる。

6/17 (水) ䷉ 天澤履(てんたくり) 四爻

【運勢】

目的と手段を間違えてはいけない。

柔軟な対応をして、時には、目的の為に重役を降りる事なども考えなければならない。

様々な要因によって、危ない状況に陥る可能性があるが、誠実に生きれば大丈夫である。

【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。

《爻辭》
九四。虎の尾を履む。愬愬(さくさく)たり。終(つひ)に吉なり。象に曰はく、「愬愬(さくさく)たり。終ひに吉なり」とは、志行はるるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
履は踏むことである。

上卦は人で、下卦は虎とされる。

下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。

人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。

喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。

《爻辞》
虎の尾を履むような恐ろしい状況であるが、常に恐れを持って行動している。

その慎しみが上に伝わり目的を達成できる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。

革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。

虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。

天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。

[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。

虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。

天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。

そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。

上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。

そのため九五に「夬履」と云っている。

沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。

これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。

[象伝]
上に天があり、下に沢がある。

沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。

二・三・四爻目に離がある。

離には礼儀の象意がある。

そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。

つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。

上下の別を辨じて民の志を定めるのである。

民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。

「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。

《爻辞》
九四は天子を輔ける者である。

乾は兌の下に旋(め)ぐる。

四爻目は初爻の下に、五爻目は旋ぐった四爻目の下に、上爻は旋ぐった五爻目の下に旋ぐる。

このように旋ぐると四爻目が虎の尾を履む位置となる。

虎である九三の大臣を撃つのに、九四が手を下す象になる。

危険な所であるから、懼れなければいけない。

「愬」には懼れるという意味がある。

しかし逆賊を除く所であるから、一旦懼れ慎みはするが、終(つい)には虎を撃つことになる。

そこで「終吉志行也」となるのである。

6/16 (火) ䷐ 澤雷隨 三爻

【運勢】

先人の教えを学び、先ずは、その通りに行動をしてみると良い。

自分の目標が、先人の居る道の先にあるので、歩み方を学ばなければならない。

学ぶ事は、自分の為だけでは無く、後人に正しい道を教え、導く事にも繋がる。

【原文】
《卦辭》
隨(ずい)は元(おほ)いに亨(とほ)る。貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮ひて入りて宴息す。

《爻辭》
六三。丈夫に係(かかは)りて小子を失ふ。隨ひて求むる有れば得。貞に居るによろし。象に曰はく、「丈夫に係る」とは志下を舎つるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
隨はしたがうの意󠄃味である。

内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。

君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。

人々は時機にしたがい行動する。

《爻辞》
三爻はすぐ上の四爻の陽にしたがい、徳のない初爻から離れたので、願い事はかなう。

常に正しくあるべきである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「随」の字は後ろに随って行くことである。

「従」の字は左に附いても右に附いても従うという意味だが、「随」の字は後ろに附いて行く意味である。

前の人が止まれば、後ろも止まる。

何でも前の人に附いていくのである。

卦でいえば初九は六二に随い、六二は六三に随い、六三は九四に随い、九四は九五に随い、九五は上六に随う。

ただし何でも随うのではいけない。

仁義礼智に外れないのが大切で、そうすれば咎がない。

[彖伝]
「随剛来而下柔」は初爻目の陽爻が二・三爻目の陰爻に随うことを云う。

陰=柔である。

下卦の雷が動き、前にある上卦の兌は喜ぶ。

「大亨貞无咎」は、正しさをもって人に随えば必ず上手くいくことを云う。

仁義礼智の徳を具え、「時」に応じて行うことが大切である。

二・三・四爻目の艮に時の象がある。

時は最も重要で、天下は皆悉く時に随うのである。

[象伝]
上卦の兌は季節でいえば秋に相当し、下卦の雷は春である。

雷は春に動いて出で、秋に声を収めて沢中に潜む。

出づべき時に出で、入るべき時に入る。

これは時に随うの義である。

君子は日の出る所で事を執り、日の入る所で休息する。

《爻辭》
六三は九四に係る。

つまり九四の丈夫(じょうふ)に係って、六二の小子を失う。

九四は大臣で天子の信用を受け、天下の権利を握っている。

そこで六三は九四につながって離れずにいれば、求める所は必ず得られるようになる。

ただし頻りに求めていけない。

貞しき所に居り、安易に求めないのが宜しい。

[象伝]
九四の大臣の方へ深く繋がることで、志の低い六二の方を捨てる義である。

6/15 (月) ䷹ 兌爲澤 五爻

【運勢】

とても順調に物事が進む。

周りの協力に対して、感謝や喜びの気持ちを、言葉にして伝えると良い。

順調に進み過ぎるが故に、妬み嫉みを持つ者もいる。

危険ではあるが、ただ排除するのでは無く、真心で接し、改心を求めるとなお良い。

【原文】
《卦辭》
兌(だ)は亨(とほ)る。貞によろし。彖(たん)に曰はく、兌は說󠄁(よろこ)ぶなり。剛は中にして柔は外。說󠄁(よろこ)びて貞によろし。ここを以て天に順(したが)ひて人に應ず。說󠄁(よろこ)びて以て民に先(さきだ)てば、民その労をわする。よろこびて
以て難󠄄を犯せば、民その死をわする。說󠄁の大、民勧むかな。象に曰はく、麗澤(れいたく)は兌。君子以て朋友講習す。

《爻辭》
九五。剝にまことあれば、あやふきこと有り。象に曰はく、「剝にまこと有り」とは、位正に當たるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
兌は喜ぶこと、嬉しいことである。

この卦は☱が二つ重なってできている。

☱は内に强い意志を持ち、外に対しては温和な態度で臨むので、人との付き合いはうまく行き、人間関係は良好である。

内に强い意志を持ち、外に対して温和な態度の人は、天道にも、人道にも逆らわない良い人である。

喜びを大切にすれば、他の人はどんな労力も厭わずに協力してくれる。

《爻辞》
一つ上の上爻は徳のない人物で、外面は温和で親しみやすいが、心の中では人を害そうとしている。

そのような人に騙されてはいけない。

危険である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
兌は喜びである。

自然と出る喜びが本当のもので、私心からの喜びは偽りである。

立心偏のない「兌」が本来のもので、立心偏を添えた「悅」や言偏を添えた「說」になるのは後の事である。

彖伝が「說」の字で書くのは、喜びを言葉で表すからである。

上卦下卦とも兌であるのは、己と他者が互いに喜ぶ象である。

互いに相助ける所があるので、何事も亨るのである。

『中庸』に「致中和天地位」とある。この中和が兌の卦にあたる。

中庸の道を行い、人がそれに服し、親しみ和合するなら、天地陰陽の気までも調和する。

あくまで作られた喜びでなく、正しい所が無ければいけない。

そこで「貞利」なのである。

[彖伝]
「兌悅也」というのは、沢山咸の「咸感也」と同様に、「心」の字の有無と同じである。

「剛中」は二爻目、五爻目が陽爻で、それぞれ上卦下卦の中を得ていることを云う。

「柔外」は三爻目、上爻が陰=柔らかであることを云う。つまり剛は明らかにして正しく、外の人には穏やかで柔らかに交わるのである。

それによって自他ともに喜ぶのであり、正しい所にあるのがよろしい。

この卦を天地人の三才に分けてみると、上の二爻が天、下の二爻が地、中の二爻が人となる。

「天に順い」というのは、五爻目は天の正しい位で、其れに上六が陰爻で順っていることである。

また「人に応ずる」は、人にあたる三爻目が陰爻で、地にあたる二爻目が陽爻であるから、人に応じているのである。

己が先ず喜びを起こすことで、民も喜び順う。

上下和順しているから、民は労苦を忘れて働き、戦争が起これば難を犯して戦ひ、死をも忘れて尽くすのである。

[象伝]
兌の卦を澤と言う。

澤は潤うという義で物に湿潤の気を含んでいる。

『国語』の「周語」に、澤は美(水)を鐘(あつ)めるとある。

これが麗澤である。

《爻辞》
兌は四季で言えば秋(七・八・九月)にあたる。

すると初爻目は七月、二爻目が八月、三爻目が九月である。

九月は秋の末でちょうど山地剥の卦になる。

剥は君子を害する小人である。

九五の天子は名君で小人を撃退することは容易いが、それよりは徳を以て小人を感化するのである。

しかし危険な所もあるので「有厲」という。

[象伝]
天子は大徳を有しており、小人を殺すのは好む所ではない。

徳を以てこれを感化することに眼を着けるのである。

6/14 (日) ䷲ 震爲雷 四爻

【運勢】
とても驚くべき事が起こり、それは、自分を律する事に繋がる。

残念な事に、周りの人々には響かないので、意識の違いを感じ、苦しい思いをするだろう。

苦しい思いを耐えて、律する事を貫けば、最後には、報われる。

人の上に立つ者は、積極的に行動して、皆の手本となるべきである。

【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。 

《爻辭》
九四。震して遂󠄅に泥(なづ)む。象に曰はく、「震して遂󠄅に泥む」とは、未だ光らざるなり。 

〔王弼の解釈〕
《卦辞》
震は雷鳴を表す。

上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。

人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。

雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。

〔根本通明の解釋〕

《爻辞》
四爻は上下の四つの陰の中心に位置する。

であるから、振動することが出来ず、陰静になずんでいる。

四爻は大臣の爻であるが、このように人に恐れられない大臣は光輝を放つ存在とは言えない。

《卦辞》
前の卦は火風鼎である。

鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。

皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。

そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。

こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。

『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。

故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。

この震は皇太子の象である。

皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。

震は剛(つよ)いから亨る。

また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。

卦全体の主になるのは初爻目である。

虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。

激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。

『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。

大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。

天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。

艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。

「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。

「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。

匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。

鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。

この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。

このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。

身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。

[彖伝]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。

「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。

雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。

乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。

つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。

[象伝]
この卦は震が二つある。

二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。

君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。

《爻辞》
雷が震(ふる)って泥の中に墜ちる。

三・四・五爻目に坎がある。

坎は水である。

又その下の二爻目は陰爻であるから地である。

水と土だから泥となる。

四爻目は雷の主爻である。

また大臣に相当するが、陰の位にあるため、気力が弱い。

これは雷が泥の中に墜ちて、震うことが出来ない状態を意味する。

奮発する気力が無く、安楽に耽ってしまう。

「遂」という字は「墜ちる」という字と通じる。

皇太子においても安楽に導かれ、学問を離れ、慎みも無くなれば、皇太子の位を失うことになる。

古くは側近の役人に第一等の人間を選んでいたが、役人が悪ければ皇太子を安楽な方向へと導いていくだろう。

そうなれば雷が泥の中に陥ったようになり、再び発奮する気力もなくなるのである。

6/13日 ䷨ 山澤損 上爻

【運勢】

自分が損をする事なく、周りの役に立つ事が出来る。

自分の財産を減らして、周りの役に立つ事には限界がある。

しかしこれは、良い考えや新しい価値を作り上げる事で、双方とも上手く行くだろう。

正しく生きる事を心がけていれば、困った時に助けてくれる仲間を得られる。

【原文】

《卦辭》

損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。

《爻辭》

上九。損せずして之を益す。咎めなし。貞にして吉。往くところ有るによろし。臣を得て家なし。象に曰はく、損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。

〔王弼の解釋〕 

《卦辭》

損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。

下が損して上が益する様である。

天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。

損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。

あくまで正しくあろうとすべきである。

二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。

損益は時に應じておこなわれるとよい。

《爻辞》

上爻は損の最上位に在り、悔いあることが多いが、陽の徳を大切にしているので、應爻の三爻が助けてくれて、損をすることはない。

三爻は自分の家を失っても尽くしてくれる忠臣である。

あくまで正しくあろうとすべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

この卦は「損」を意味する。損とは有る物を失って不足になることである。前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。解ければ人の心が緩む。緩めば損を生じる。この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。つまり人民が富んでいる。初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。そこで余りを以て上に献ずる。そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。上の方ではこれを止(と)める。上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。兌の卦は喜びを意味している。こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。しかし、是も程良い所でなければいけない。そこで貞が大切である。乾は満ちているから、奢りが生じる。余剰は御祭用に献上するのが良い。多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。

[彖伝]

損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。下を損らして、上を益すのである。下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。豊年で献上物が多ければ、益すこともある。下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。凶年の時には上から下へ益して来ることもある。損すべき時には損し、益すべき時には益す。満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。これも其の時節に従って時と共に行うのである。

[象伝]

山下に澤があるのは損である。君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。これは止める義であり、元は乾の卦である。乾は三畫とも剛である。強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。つまり喜ぶところとなる。また欲は坤の卦の象である。坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。上は坤の卦であるから、欲が盛んである。その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。

《爻辞》

これは己が既に益を得ているから、その分損をして他人を益することを言うのではなく、咎は無い。「貞吉、利有攸往」は、人民から上の方へ益してきたのである。上爻が五爻目へ行き、五爻目が上爻へ行くと、艮が坎に為る。艮の卦が無くなったから、家なしと言う。「臣を得る」というのは、坤の陰爻が来たからである。坤は險(僉の字源:「亼」は覆いの下に集める、「吅」+「从」で人々が集まる様)であるから人民のことである。人民は皆家をなくして臣となる。臣たるものは我が家を持たない。我が家は無くして、皆上の為にするから、「臣ヲ得テ家ナシ」と言うのである。

[象伝]

大いに志を得るというのは、元来人民の方を富ましたいという志を遂げることである。祀りは倹約を以て二簋で行い、下にとって難儀になる様なことはしない。「大得志也」という。

6/12日 ䷳ 艮爲山 初爻

【運勢】

周りの目的と、自分の目的が違うので、協力して、物事を進めるのは難しい。

これは自然な事なので、焦ってはいけない。

焦って、相手に自分の目的を押し付けようとすると、反感を買うだけである。

今日は、自分一人で出来る事を行って、正しく生きる事を心掛けると良い。

忘れてはいけないのは、物事を進める為に止まるのであって、今後、進むべき時に、進む気力は持っておくべきである。

【原文】

《卦辭》

その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。

《爻辭》

初六。その趾(あと)に艮(とどま)る。咎めなし。永貞によろし。象に曰はく、その趾に艮(とどま)るとは、未だ正を失はざるなり。

【原文解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

艮はとどまる意󠄃である。

山である。

山が二つ重なるので兼山ともいう。

應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。

どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。

《爻辭》

初爻はどこにも行かず、今の位置に留まることがよい。

初爻は最下位であり、上昇したい気持ちもあるが現状を維持して問題ない。

また長く正しくあろうとすべきである。

〔根本通明の解釈〕

《卦辭》

『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。

艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。

『彖伝』にも艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。
初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。

『象伝』には「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

《爻辭》

「趾」は前に向かうもので卦の一番下にあるので趾(あし)にあたる。艮の卦は人の身体に象を取っている。外へ往くために最初に動くのは足である。足を止めて世間へ出ないから咎を受けることがない。貞しい所に居るのが宜しい。

『象伝』には「其趾ヲ艮スル」とある。「艮スル」とは止めるという意味であり、正しさを失ったわけではない。三・四・五爻目の震の卦になれば動く所となるが、初爻・二爻目では動くべきでない。言ってみれば、九三(三爻目)は正しさを失って居るが、初爻はそれと反対であるから正しさを失ってはいないのである。

6/11日 ䷛ 澤風大過 四爻

《運勢》

周りから信頼される様になり、必要とされる。

多少の負担はあるが、一つずつこなしていく事が大切である。

志に於いては、内面が大切だが、上手く統率していく為には、外面を磨く必要がある。

《原文》

大過(たいくわ)は棟(むね)撓(たわ)む。往(ゆ)くところ有るによろし。亨(とほ)る。彖(たん)に曰(い)はく、大過は大なるもの過󠄃ぐるなり。棟撓(たわ)むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽(そん)にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。象に曰はく、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。九四。棟隆き吉なり。它(た)あれば吝(りん)。象に曰はく、棟隆きの吉は下に撓(たわ)まざるなり。

《原文解釈》

大過は大いに過󠄃ぎることである。

二爻から五爻までの陽爻を棟木と捉え、それを初爻と上爻の両端が支えることが出来ず、撓(たわ)んでいる。

しかし、大事を成し遂げるには勢いが必要である。

四つも陽があるので、大きなことをする機は熟しているといえる。

また、下卦が☴風であり、人々は柔順である。

四爻は高い位置にある棟木である。

人に例えると、高い位にある立派な大臣である。

相性の良い庶民(初爻)に惹(ひ)かれて、下を見ると撓(たわ)んでしまうので、常に高潔な態度で振舞わなければならない。