7/11 (土) ䷖ 山地剥(さんちはく) 三爻

【運勢】

世の中は、酷く衰弱し、耐え難い時にある。

道理に従う事で、正常化の兆しが見えてくるだろう。

慌てず平常心を持ち、普段の生活を維持する事が大切である。

【原文】

《卦辭》

剝は往く攸有るに利しからず。

彖に曰く、剝は剝なり。柔剛を變ずるなり。

往く攸有るに利しからずとは、小人長ずるなり。順にして之を止む。象を觀るなり。君子は消息盈虚を尚ぶ。天の行なり。

象に曰く、山、地に附く剝。上以て下を厚うし宅を安ず。

《爻辭》

六三、之を剝す。咎めなし。

象に曰く、之を剝すに咎めなしとは、上下失へばなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

剝は割くの意󠄃である。

下から陰が侵食し、最後に上爻だけに陽が残っている。

これは徳の無い者がはびこり、有徳者が衰退している時である。

このような時は何か事を起こす時ではないと、強く戒めるべきである。

《爻辭》

三爻は上爻と応じていて、陰爻の中でも唯一要陽を助ける存在である。

割いていく中で、この爻は問題が無い。

陰の中にあるが、有徳者を助けるものである。

だから周りの陰とは交わらないのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

剝は刀で削り取っていくという意味である。

徳の無い者が削り取りながら有徳者にせまっていくところである。

このような時には有徳者は遁れておくのが良いのである。

〔彖傳〕

剝にはものを破る、落とすという義もあるが、この場合は削り落とすの意󠄃である。

小人が世の中の隅々にはびこっているので、君子たるものはどこにも行かない方が良い。

そして正しい行いをつづけていかなければならない。

今はすべてが陰になろうとしているが、固く道徳を守り、一陽来復に備えておくべきである。

〔象傳〕

地の上に山がある。

地は民であり、山は君主である。

地が厚ければ山は盤石であるように、民の生活基盤が盤石であってこそ、君主は盤石なのである。

卦の形は牀のようである。

牀とは今の机のことで、一番上の上爻が机で、五爻までの陰爻が足である。

《爻辭》

陰爻の中でこの爻だけが上爻と應じているので害をなさない。

〔象傳〕

三爻は上爻と応じているから、二爻とも四爻ともくみしない。

だから、三爻は孤独だが、害を受けない。

7/10 (金) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 四爻

【運勢】

自分の内面をより良くしたいが、指針となるものは見つからないだろう。

なので、指針を見つけるより先に、自分の良識に従って、内面を変えていく必要がある。

良識を得るには学びが大切である。

【原文】

《卦辭》

蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。

彖に曰はく、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。

象に曰はく、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。蒙に困(くるし)む。吝なり。

象に曰はく、蒙に困(くるし)むの吝は、獨り實に遠ざかるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。

山の下に泉があるが、山のせいで流れない。

どんな子供でも継続して学べば大成できる。

我とは二爻、童蒙は五爻である。

五爻が二爻に学びを求めている。

二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。

筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。

《爻辭》

四爻は陽爻に一番遠いところにあり、啓蒙の恩恵を受けられない。

陰に挟まれていて、進󠄃むには勇気がいるが、四爻は陰柔であり弱い。

なかなか陽(實、賢者)に会えないでいる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

蒙は未だ智慧が無い状態のため、師を建てるという義である。

善良なるものが外から覆われており、それを取り除くには学問をもってするしかない。

また教えるという象もある。

天子が皇太子を教えるのが主となっている。

能く教えて道徳を十分に発達させる必要がある。

しかし、皇太子の方から教えを受けたいと求めなければいけないのであり、我が方から求めるのではない。

先生は二爻で、童蒙は五爻である。

筮は神に誠を以て物を伺い問うのであり、二度三度と占えば、初めの心が穢れてしまうため、正しい所は告げられない。

[彖伝]

山の下に河があり、進んで往けず止まる。

また学問が無ければ世の中に出ることは出来ない。

しかし元来亨るだけのものがあるので、覆っている包みを取り除けば良い。

童蒙の方に志があり求める所があれば、それに応じて教える。

もし志が穢れていれば告げない。

心が潔く誠が無ければいけない。

[象伝]

山は内側に水を蓄えている。

堀り鑿(うが)てば中から水が湧いてくる。

人の善性は、学問を以て外側の覆いを取ることで発達してくる。

これが蒙の卦である。

二・三・四爻は震で、善き行いであり、遂げるという義がある。

《爻辞》

一生蒙に困(くる)しむ。

九二の師から離れ、陰爻に挟まれてもいる。

故に蒙に困しむ。

[象伝]

陰爻の真ん中に居り、真正が無い。

陰は佞人(ねいじん)の象があり、虚であるから、朋友として居るのは誠実な者でない。

7/9 (木) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 初爻

【運勢】

物事が順調に進んでいるので、成果があったと感じるだろう。

順調に進んでいる時ほど、段階を踏むという、慎重さが大切になる。

成果を前提にして、色々考える事は、物事の道理からずれているので危険である。

【原文】

《卦辭》

豫は侯を建て師を行るによろし。

彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。

象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。

《爻辭》

初六。鳴豫す。凶。

象に曰はく、初六の鳴豫は、志窮まりて凶きなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

《爻辭》

初爻は四爻と応じており、喜びがあふれてしまい、周りの人に自分の喜びを言いふらしてしまう。

それは、正常でないし、災いを招くことになるであらう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

豫は象の中の最も大きなものをいう。

豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。

そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。

一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。

上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。

天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。

[彖伝]

四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。

また長子でもあり、大臣にもなる。

この四爻目の剛に天下悉く応じる。

震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。

日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。

三・四・五爻目の坎は法律の義がある。

法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。

国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。

[象伝]

豫は萬物皆悦ぶという義である。

この象を用いて作ったのは音楽である。

歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。

そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。

殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。

黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。

上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。

《爻辞》

初六は九四と応じて居る。

この卦の主である九四を力として、それに感じて悦び楽しんでいるのは良くない。

必ずを禍を得る。

九四は初六に気が向かなくなる。

震は上の方へ昇り、下には向かない。

[象伝]

初六は悦び楽しんでいるが、志が後に窮する所が出てくるから凶である。

7/8 (水) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ) 初爻

【運勢】

先人の教えを学び、行動に移すと良い。

純粋な気持ちで学ぶ事で、偏った考え方に囚われず、自由でいられるだろう。

責任を持つようになると、自由でいる事が難しくなるので、今が大切である。

【原文】
《卦辭》
隨(ずゐ)は元(おほ)いに亨(とほ)る。

貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨(ずゐ)。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮(むか)ひて入りて宴息(えんそく)す。

《爻辭》
初九。官渝(かは)ることあり。貞なれば吉。門を出でて交はれば功有り。

象に曰はく、官渝(か)はることあり。正に從(したが)へば吉なり。「門を出でて交はれば功有り」とは、失はざるなり。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
隨はしたがうの意󠄃味である。

内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。

君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。

人々は時機にしたがい行動する。

《爻辭》
官職が変わることがある。

四爻と応じていないので、正門から出て公明正大に人と付き合えばよい。

そうすれば道を失わない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
随は後ろに随って行く義である。

同じ「したがう」でも、従の字は左に付いても右に付いても従うだが、随の字は後ろに附いて行くという義である。

初九はニに随う。

二は三に随う。

三は四に随い、四は五に随い、五は六に随う。

先の方に随うという象があるが、何でも随へば良いわけではない。

仁義礼智に外れないようにすれば咎が無い。

[彖伝]
初九の陽爻が二・三爻目に随っているので、剛柔に随う。

下卦の震は雷なので動く。

動いた先の兌が說ぶ。

随うには正しき所をもってすれば、必ず大いに亨る。

二・三・四爻目の艮は時の象がある。

時は重要で、必ず随わなければならない。

[象伝]
兌は秋、雷は春である。

春に雷が出で、秋に沢中に潜む。

これは時に随うの義である。

君子は晦に嚮(むか)う。

晦は日の暮れる所である。

《爻辞》
震は司るという象があり、官の義である。

官という役職に就いた者は、其処に坐って動かないものだが、時に依っては渝(か)わる所も出てくる。

門を出で、外の人と交わって行く所で功がある。

[象伝]
官が渝わるのは、正しい所に随うので吉である。

交わるべき者を失わない。

7/7 (火) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 初爻

【運勢】

理不尽を感じ、周りを非難するが、短絡的であるので、共感は得られない。

争いを続ければ、徳を失う。

誠意的に生きて初めて共感を得られるが、そのように生きるならば、自身の咎も分かるだろう。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

初六。事とする所を永うせず。小(すこ)し言有り。終に吉。

象に曰く、「事とする所を永うせず」とは、訟は長うすべからざればなり。小し言有りと雖も、其の辨、明󠄃らかなるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。

結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

《爻辭》

初爻は訴訟が始まったところである。

陰爻であり訴訟を戦う意思は弱い。

中途で終わるであろう。

少々の紛争は免れないが、それも問題なく、最後はうまく弁明することができる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辞》

訟の始まりの卦である。

一旦は争う所となったが、永くせずに止める。

少々物を言うだけの理由はあるが、考えて見れば自身にも疚しい所がある。

[象伝]

訟は長くなるべきものでない。

こちらに理があるのに訟を止めて、身内から小言が出たとしても先ず止める方が正しい。

二・三・四爻目に離の卦があり、其の辨が明らかという所がある。

内卦の坎は法律と取る。

道徳が衰えてくると法律が貴ばれ、天子の権は衰えてくる。

法律上から見れば、天子と雖も悪ければ訟えなければならないという様になって来るのである。

7/6 (月) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 上爻


【運勢】

様々な困難があり悩みが絶えないが、そこから逃げてはいけない。

解決するには進むしかない。

良く考え、悩み、進む事で、新しい道が見えて来るだろう。

【原文】

《卦辭》

屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。

《爻辭》

上六、馬に乘ること班如(はんじょ)たり。泣血漣如たり。

象に曰く、泣血漣如たり。何ぞ長かるべきなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。

なやんで通ずることが出来ない状況である。

ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。

そのためには、正しさを固く守らねばならない。

現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。

こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。

《爻辞》

上爻は険難の極みであり、煩わしいことが多い。

助けてくれる人もなく、泣くほかない。

憐れであるが、どうしようもない。

その位に留まることも、長くはない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

屯は止まり艱(なや)むという義である。

下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。

水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。

天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。

[彖伝]

震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。

険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。

初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。

この人が進んで遂に侯になる所の卦である。雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。

真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。

服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。

世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。

[象伝]

経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。

また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。

綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。

この雲雷の象によって世の中を治める。

《爻辞》

上六は尊い位を失ってしまった所で、遁(に)げようとするが往く所が無い。

そこで復た馬を回(か)えして唯立って泣いているより他ない。

涙が尽きて血を流して泣いている。

[象伝]

ここに至って婦女子の如く唯泣いて居た所で仕方が無い。

ここで一つ考えをもって気力を振るって為す所が無ければいけない。

其処で何ぞ長うすべきという。

7/5 (日) ䷜ 坎爲水(かんいすい) 上爻


【運勢】

社会の秩序が自然の力によって破壊される、困難な日になるだろう。

困難の中耐え、生き延びる事が大切である。

自然の法則を理解し、従う事で徳を得る事もできる。

【原文】

《卦辭》

習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。

彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。

水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。

象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。

《爻辭》

上六、係(つな)くに、徽纏(きてん)を用ひて、叢棘に眞く。三歳得ず、凶。

象に曰く、上六道󠄃を失ふ。凶なること三歳なり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

☵坎(水)は険難の卦である。

それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。

この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。

どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。

《爻辞》

上爻は陰惡の小人である。

小人は縄で縛られ牢屋に入れられて、三年たっても抜け出すことができない。

険難の最後(上爻)まで抗い続け、正しい心を持てないとこうなるのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

危険なるものの上に危険なるものが重なり、険難の象である。

しかし如何に危険な状況にあっても孚(まこと)を失ってはいけない。

たとえ禍のために僵(たお)れても、その行いの尊ぶべき所は死後も人から称される。

この孚が水から出てくるのは、潮汐は時を間違えず、月は旧暦十五日に必ず満月になる。

この間違いの無い所から孚の象がある。

[彖伝]

習坎は陰を重ねたもので、これは習の字を釋(と)いたものである。

水は常に流れ続け、塞がる所が無ければ、盈ちて溢れることが無い。

水の流れは岩にぶつかったり、流路が屈曲したり困難な所があるが、潮が上り潮が下るという所においては間違いが無い。

このように人は如何なる危険な所にあっても、如何なる苦しみに遭っても、信を失ってはいけない。

信を失わず進んでゆくのが功である。

二爻と五爻の陽爻は剛にして中正であり、中庸の徳を持っている。

山川丘陵の険しく侵し難い所を、王公は外国からの護りに用いる。

また小人が跋扈し君子が難に遭い苦しみを受ける世の中である。

[象伝]

洊(かさ)ねるという字は「再び」「仍る」と解くことができる。

水は如何なる危険な所を流れても常に失わない孚がある。

そこで徳の行いを常にする。

教育を重ね、徳を育てなければいけない。

《爻辞》

是は天下を紊(みだ)し危険を行う大臣の最悪の者である。

大臣と雖も最後は刑戮を加えなければいけない。

縄を以て是を捕縛し、牢へ入れて置く。

獄中に三年置いて教訓するが改心して善人になることはないだろう。

その為に獄から引き出して殺すことも已むを得ない。

[象伝]

上六は重罪を犯した者であるから凶である。

三年の間、悔い改める様に種々な教訓をするが、改心が得られない。

何処までも道を失っている。

三年経っても変わらなければ、是を殺さねばならない。

7/4 (土) ䷣ 地火明󠄃夷(ちかめいい) 三爻

【運勢】

進むべき道を理解しているので、些細な事に囚われないと良い。

良く考え行動する事は大切だが、考え過ぎると、かえって的外れになってしまう。

大事は上手く行くので、焦らない事が大切である。

【原文】

《卦辭》

明󠄃夷は艱貞によろし。

彖(たん)に曰はく、明󠄃、地中に入るは明󠄃夷。内文明にして外柔順。以て大難を蒙る。

文王これを以てす。「艱貞によろし」とは、その明󠄃を晦すなり。内艱にして能くその志を正す。箕子之を以てす。

象に曰はく、明󠄃地中に入るは明󠄃夷なり。君子以て衆に莅(のぞ)みて晦を用ゐて明󠄃なり。

《爻辭》

九三。明󠄃、南狩に夷る。其の大首を得たり。

疾く貞にすべからず。

象に曰はく、南狩の志は乃ち大いに得るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

明󠄃夷は目をくらますことである。

心の中では聡明で大きな徳を有しているが、外面は柔順である人、例えば文王のような人である。

箕子は紂の親戚で國内にいたが、難󠄄に会い、内に志を正した。

《爻辞》

南の方に狩りに行き、大物を得た。

あまり急いでは失敗する。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

明らかなるものが傷ついて夷(や)ぶる。

内卦の離は明らかなるもので、外卦の坤は欲である。

前の卦の火地晋の明徳が欲のために夷ぶれ亡びようとする所の卦である。

[彖伝]

明らかなるものは地の底に這入って悉く失われる。

明徳を身に懐いていながら、その明徳を外に現さずに巽順にして能く仕えている。

その結果、柔順なる聖人は大難を蒙る。

ちょうど文王と殷の紂王の無道なる時に該当する。

[象伝]

明らかなるものが地の中に這って真っ暗に為った所が明夷である。

君子は万民の上に立って晦を用いる。

天子は余り世間の事を細かい所まで見るようではいけない。

《爻辞》

九三は離の卦の最後である。

離は南の象とともに、火で物を害する所があるから兵の象がある。

つまり南において狩りして大首を得るとは、ちょうど殷の紂王を伐ったことにあたる。

しかし是は堪えに堪え、抑えに抑えても、止めることが出来ないために已むを得ず撃ったのである。

[象伝]

南狩之志とは、多いに人民を得たことである。

7/3 (金) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 四爻

【運勢】

とても勢いがあるので、どんな事でも上手く行くだろう。

何事にも、意欲的であると良い。

こう言った好機は長く続かないので、備えておく必要がある。

【原文】

《卦辭》

臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。

說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。

《爻辭》

六四。至臨す。咎めなし。

象に曰はく、「至臨す。咎めなし。」とは、位當たるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

臨は下を見下ろすこと、臨むことである。

下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。

また、上から下を見下ろす余裕がある。

今はとても運気が良い。

しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。

《爻辞》

四爻は懇切叮嚀な大臣であり、初爻と相性が良く(応じ)、問題はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の坤は岸である。

岸の高い所から、下の水に臨んでいる。

臨は望とは違う。

望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。

天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。

一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。

九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。

次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。

つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。

[彖伝]

初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。

続いて二陽になって此の臨となる。

さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。

順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。

剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。

そこで大いに亨る。

明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。

八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。

[象伝]

地の上の高い所から下を俯瞰する。

君子は思慮深くして物を教える。

深く考えるのが兌の象である。

教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。

萬物を生じるのに窮まりが無い。

坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。

その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。

《爻辞》

坤の地は厚く萬物を載せても破れない。

厚いのは摯(ねんご)ろという義がある。

至の字は摯の字と通じている。

親切で人情に篤い。

六四は大臣の位で、此の大臣が心底から親切で人情に篤い。

それで咎は無いのである。

[象伝]

陰を以て陰の位に在り、その位置が正当である。