8/31 (月) ䷑ 山風蠱(さんぷうこ) 上爻

【運勢】
一つの時代が終わりを迎えるが、いつまでも時代に縛られて居てはいけない。

広い視野を持つ事で、潔く終わりの時を迎える事が出来るだろう。

今後は社会の良心として、次なる時代の手本となる事が大切である。

【結果】 ䷑◎上
山風蠱(さんぷうこ) 上爻

《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]

《爻辭》
[上爻]

【原文】
《卦辭》
蠱は元いに亨る。大川を渉るに利し。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。

彖に曰はく、蠱は剛上りて柔は下る。巽にして止まるは蠱。蠱は元いに亨る。而して天下治まるなり。大川を渉るに利しとは、往きて事有るなり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日とは、終はる時は則ち始め有り。天の行なり。

象に曰はく、山の下に風有るは蠱。君子以て民を振し、德を育(やしな)ふ。

《爻辭》
上九。王侯に事(つか)へず。其の事を高尚にす。

象に曰はく、王侯に事へずとは、志則るべきなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
下の剛は制を断じ、上の柔は令を施すべし。

旣に巽また止まり、競争しない。

事有りて競争の煩いがない。

だから為すことがある。

為すことがあれば大いにうまく行く。

天下を治める。

蠱は事有りて、能力のあるものを待つ時である。物は喜び従う。

德を進めて業を修めればうまく行く。

甲とは創制の令である。

古いものを以てしてはならない。

甲に先立つこと三日、甲に後れること三日、治めさせて後、誅するのである。

事によって令を述べる。

終われば始まる。

天の運行は四季のようである。

《爻辭》
最上位にゐて位に縛られない。

王侯に仕えない。

その事を高尚とするのである。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
蠱は壊、腐敗のことである。

この卦は變じて隨となる。

隨の初爻が上って上爻となり、隨の上爻が下って初爻となる。

だから、剛が上って柔が下るというのである。

強者が弱者をしのぎ、衆寡敵せず、終に蠱壊を招く。

内は巽順であり、よく物を止める。

天に十日有り。

甲に始まり癸で終わる。

甲は事の始めである。

甲に先んじるとは辛壬癸であり、統治が極まり乱れる。

前󠄃の事が終わろうとする。

腐敗を致す道である。

甲に後れるとは乙丙丁である。

乱が極まり治まるころである。

腐敗を治める道である。

治乱盛衰何度も反復するものであり、日が昇り暮れ、月󠄃が満ち欠け、寒暑が往来するようなものである。

上下がうまく意思疎通しないと腐敗するので、巽順の道がこれを防がねばならない。

そうすればうまく行くのである。

《爻辭》
蠱にあり、陽剛の才で無位の地位に居る。

そして下に応じるものがない。

この賢者、事に当たる時、仕えることをしない。

其の志を降ろさず、吉凶に無干渉である。

治まるべきことがあり、おさめる能力を持っている者󠄃は進み躍り出る。

時に自分を知る者がいない。

ただ一人のみをおさめ、務めには出ない。

その抱負は悪くない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
政が大いに乱れた状態で天子が崩御し、位に即いた太子はこれを悉く一新し、天下を新たにするという卦である。

蠱は器物の様な物や米などが、古くなって壊れて来る所を云う。

三・四・五爻目に震の卦がある。

これは長子、即ち皇太子である。

上爻が父親で、初六は子であり、即ち父親は終わり子が始まるの象である。

[彖伝]
陽爻が一番上になって居るのを剛上る、陰爻が一番下になって居るのを柔下ると云う。

巽は弱く姑息で敗れる。

晩年の天子の周りでは、大臣の悪人が天下を紊し、朝廷には小人ばかりで、手の付けようが無い。

そこで姑息にして放置して居り敗れたのが蠱である。

元亨而治まるとは、新たに始めることで震の卦の象である。

皇太子が即位して政を改め天下を治める。

先甲は旧いものが終わり新しく始まって往くことである。

後甲は辛壬癸が終わり、甲乙丙で始まっていくことである。

[象伝]
旧いものを悉く洗い除く。

ニ・三・四爻目に兌の卦がある。

兌は秋で、枯れた葉が山下からの風で吹き落される。

これは旧弊の政事を除く義である。

三・四・五爻目は震の卦である。

震は春で、新しい芽がまた出てくる。

《爻辞》
上九は道徳の高い賢人である。

王侯には事えず、世を離れている。

山澤の間に遁れて居り、傍らから道徳を振起する。

[象伝]
親の晩年になって政の敗れた時から世を避けて、幾ら朝廷に出よと命じられても出ない。

上卦は艮で高さ、下卦は巽で潔さの象がある。

道徳が高く潔白な志は、後世まで手本として行うべき所である。

8/30 (日) ䷛ 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 五爻二爻


【運勢】

世を正す為に大事を行わなければならない時である。

しかし、物事の支えが軟弱なので大事を行うには難しい時であり、雁字搦めになっている。

衰退の流れに抗う事で、大いに苦しむ事になるだろう。

【結果】 ䷛◎五⚪︎二

澤風大過󠄃(たくふうたいか) 五爻二爻

《卦辭》

[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]

[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]

《爻辭》

[五爻 優先][二爻]

【原文】

《卦辭》

大過は棟(むね)撓(たわ)む。往くところ有るによろし。亨(とほ)る。

彖に曰はく、大過は大なるものは過󠄃ぐるなり。棟撓むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。

象に曰はく、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。

《爻辭》

[五爻 優先]

九五。枯楊華を生ず。老婦其の士夫を得る。咎无(な)く、譽无(な)し。

象に曰はく、枯楊華を生ず。何ぞ久しかるべきなり。老婦の士夫は亦醜かるべきなり。

[二爻]

九二。枯楊稊を生ず。老夫其の女妻を得る。利しからざることなし。

象に曰はく、老夫女妻は過ぎて以て相與するなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

大なるものはよく過ぎることが出來るものである。

初爻が本であり、上爻が末である。

初爻は陰に居て過ぎるのである。

二爻は中。

弱󠄃の極みであり、衰を興す。

それでも中を失わない。

巽順で喜び行く。

だから難󠄄を逃れる。

君子は為すことがある時である。

大過は普通では及ぶところではない。

《爻辭》

[五爻 優先]

尊󠄄位に居て、陽が陽に居る。

まだ危機を救うことが出来ない。

尊󠄄位を得て、まだ撓むことがないので、華を咲かせることが出来るが、稊を生ずることは出来ない。

夫を得られるが、妻は得られない。

棟が撓む世に咎なく譽もないものでは、長たりえない。

華を生じて久しくない。

[二爻]

稊は楊の優れたものである。

陽で陰に居る。

その本を過ぎることが出来て、其の弱きを助けるものである。

上に応じるものがなく、心に特に吝がない。

過ぎるのはこれによる。

衰えが収まることはない。

老いた男がさらに若い妻を得る。

弱きを救い衰退したものを再興する。

二爻が一番良い。

老が過ぎれば枯れてしまい、少し過ぎれば稚い。

老が少を分れば稚は長じ、稚が老を分れば枯れたものが栄える。

大きく過ぎれば衰えてしまって、至壮が至衰を輔ける。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

陽大であり、陰は小である。

大過は大なる者が過󠄃ぎる。

四つの陽が中心に集まって、二つの陰が外に居る。

陽が過剰に盛んになる。

棟の中心が太く、端が細く弱くなっている。

二爻と五爻が陽剛の才があり、中に居る。

巽順であり、喜びゆく。

うまくいく。

憂虞(ゆうぐ)の時にあれば、陽剛の才が必要である。

或いは厳しすぎ、失うこともある。

棟が撓む時に当たり、剛にして中に居る。

人心が服すのを嫌うと、行きて利なし。

《爻辭》

[五爻 優先]

老婦で、行き過ぎた陰とは上爻である。

士夫とは五爻である。

五爻は大過にあり、陽剛中正である。

下は応じず、上に一陰あるが、生育の功はない。

この老婆と結婚して罪ではないが、褒められたものでない。

人が共に行動するとき、相手を選ばねばならない。

[二爻]

楊は水の傍に生える木である。

巽は木であり、喜びであり、澤の象である。

陽が過ぎる時にあるので、枯れるという。

稊は荑(つばな)ともいう。

幼い木である。老夫は二爻のことで、女妻とは初爻のことである。

大過の時に剛中の才があり、上に応じるものがなく、下は初爻と比の関係である。

陽が過ぎるといっても、つき従うものがある。

生育の功がある。

不利はない。

剛が過ぎる人は人と上手く行かず、物事を成就できない。

二爻は剛が過ぎるが中である。

時を得ないといっても、不利はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上下の陰爻の間に陽爻が四つ連なっており、剛の方が多いため大に過ぎる。

下卦の巽は五行では陰木である。

堅く丈夫な陽木に対して、陰木は柔らかで弱い。

棟ばかり多くても、受ける方の木が弱ければ、棟も撓んで来る。

また兌の卦は水である。

上の水が下に流れて来て、天下の人は皆水中に居るが如くに苦しむ。

此れを救わなければいけない。

進んで往けば志を遂げられる。

[彖伝]

君や役人が大なる事を好んで贅沢が過ぎて居り、其れを受ける方の人民が弱って居る。

陽爻が多く剛が過ぎるが、二爻目も五爻目も中を得て居り、丁度世の中を治めるのに宜しき所がある。

上卦の兌は悦びの象があり、和して人と共に行う。

其処で人の助ける所があり、往く所あって宜しきを得る。

上下共に奢り盛大なる方に過ぎる世であるから、遂に人民は奢りのために倒れるようになる。

此の時に志あるものは大いに為すべき所がある。

[象伝]

楊(やなぎ)が水中に潜って居る。

楊は陰木で水を好むが、過ぎれば害を為す。

上下の陰爻に陽爻が包まれている。

陰爻に挟まれた内側の陽爻を一つと見れば、坎(☵)の卦の似体である。

坎の卦は小人であり、洪水の如き世の中である。

しかし君子は我れ一人独立し懼れることは無い。

世を遯れても非望を抱かない。

《爻辞》

[五爻 優先]

折れようとする楊に華が生じる。

二爻目は下方だから根から芽を生じたが、五爻目は上方だから華である。

九五の天子は未だ若いが、小人の為に籠絡されて、枯れかかった楊の様に蠃(よわ)って居る。

しかし精気は十分に在るから華が生じて来るのである。

上六は老婦で年を取った小人で、年若い男を得て意の如くに引き廻して居る。

これは老朽の大臣で、天子は若い王子である。

事は挙がらないが、別に破れも出ない。

一時華が咲いた様でも長くは続かない。

[象伝]

枯れ掛かった楊に丁度華が咲いた様であるが、姑息な遣り方のため長く続かない。

老朽なる大臣が幼年の天子を我が意の如くに引き廻らして居るのは真に醜いものである。

[二爻]

枯れた様に見える楊の根から稊(ひこばえ)が生じる。

譬えれば老夫である。

九二の老夫は一家の事を埋めるには力が足りないが、初六の若い妻を得て一家の事を担当して貰う。

国家の事に取れば、国事の担当者が段々年を取って来て元の様な働きが出来ないため、之を輔ける若者を用いる。

[象伝]

老夫は自分が行き過ぎた年であるから、若い者を得て相互に親しくして其の輔けを受ける。

8/29 (土) ䷋ 天地否(てんちひ) 五爻

【運勢】
様々な不安から焦りを感じるが、事を急に進めてはいけない。

急に進めても、周りの理解を得られず、世の中に乱れが生じてしまうだろう。

何事も無理に理解を求めるのでは無く、慎ましくいる事が大切である。

【結果】 ䷋◎五
天地否(てんちひ) 五爻

《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]

《爻辭》
[五爻]

【原文】
《卦辭》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞によろしからず。大は往き、小は來る。

彖に曰はく、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。

象に曰はく、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。

《爻辭》
九五。否を休む。大人は吉。其れ亡びん亡びんと。苞桑(ひょうそう)に繫がる。

象に曰はく、大臣の吉は位正しく當るなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
無し

《爻辞》
尊󠄄位に居て位に当たる。

よく否の道を休める。

否を小人に施すのが否の休である。

ただ大人だけが後にもその様で居られる。

だから大人は吉という。

君子の道が消える時、己が尊󠄄位に居てどうして安心できようか。

心に危機感が生じる。

だから固まるをえるのである。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辞》
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。

天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。

世の中が乱れる時である。

君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。

悪人が栄え、有徳者は德を隠す。

このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。

《爻辞》
休は息(そく)であり、止まるである。

否を休める者とは時の否を止めるのである。

其れ亡ぶ其れ亡ぶとはそれ雨それ雨というように、言葉を重ねて警告しているのである。

苞は草が生い茂っている様、苞桑とは固く結ばれることの譬えである。

否の時にあり、陽で中正。

尊󠄄位に居て、剛陽の君である。

よく天下の否をおさめる。

否が旣に終息しても、まだ否を離れられない時がある。

だから安心して気を緩めてはならない。

深謀遠慮して、危険を警戒し、不動の体制が必要である。

動揺してはいけない。

痛みやかゆみが取れてもすぐに体が健康と言えないのと同じである。

否の時は徹底した警戒が必要である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
否は塞がるの義である。

天地陰陽の気が塞がっている。

これは地天泰と反対である。

こうした隔絶をつくったのは匪人である。

匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。

君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。

このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。

大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。

[彖伝]
天の気が上にあり下に降ってこない。

地の気は下に滞って上に騰がっていかない。

天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。

上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。

君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。

外卦は陽爻で内卦は陰爻である。

これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。

朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。

世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。

それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。

[象伝]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。

君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。

徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。

そこで営するに禄をもってすべからず。

後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。

《爻辞》
九五の天子は明君で、天下が大いに乱れていても、緩(ゆっ)くりと休息し時を見ている。

大事は急にすると却って大乱を起こす。

能く能く時期を見なければいけない。

九五の天子は六二の賢人を挙げて用いるが、天子は何時亡びるかと日夜惕(おそ)れ慎まれる。

そして遂に苞桑に繁る。

苞は集まるという義、桑は根が丈夫な物である。

つまり如何なる大風でも倒れることが無い大丈夫な所に、我が身を繋ぎ止めたのである。

これは堯の時代に天下が大いに乱れたが、鯀、共工、驩兜、三苗の悪人等を免職せず、舜を挙げて自身は緩くりとして居られた。

そして時が来たら是等の小人を皆刑戮し、天下が安泰と為った所である。

[象伝]
天子は明君で、賢人を挙げて天下の乱を平らげ、復た泰平の世に戻した。

世の中が乱れたり治まったりするのは天運であるが、仕方無いと手を拱(こまね)いて黙って見て居るべきものではない。

乱を引っ繰り返して泰平に引き戻すのは人間の道である。

8/28 (金) ䷟ 雷風恆(らいふうこう) 二爻

【運勢】

日常を振り返り、自分自身を見直す事が大切である。

日常には、変化する所しない所があり、変化しない所に正しさを持たなければならない。

常に変わらない正しさがあれば、環境の変化に惑わされない強さを得られるだろう。

【結果】 ䷟◎二

雷風恆(らいふうこう) 二爻

《卦辭》

[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]

[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]

《爻辭》

[二爻]

【原文】

《卦辞》

恒は亨る。咎めなし。貞に利ろし。往く攸あるに利ろし。彖(たん)に曰はく。恒は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恒。恒は亨る。咎めなし。

貞によろしとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往くところあるによろしとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恒とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。

《爻辞》

九二。悔亡ぶ。

象に曰く、九二、悔亡ぶとは、能(よ)く中に久しきなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

恒であり享る。

恒の道は通り、咎めなく通る。

正しくしていれば良い。

常道を修めることが終われば、また始まりがある。

行って間違いはない。

剛が尊く柔が卑しいの順序が得られる。

長く陽で長く陰である。

互いに成就する。

動いて間違えることなく、よく連れ合い、長く続く。

窮まることがない。

《爻辞》

位を失ってもつねに中に居るので、悔いることはない。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辞》

恒は常、久しいの意である。

卦は変じて咸となる。

咸の三爻が上に行き四爻となった。

上爻が下って初爻となった。

剛が昇り柔が下る。

雷も風も共に鼓動する。

内外全て応じる。

だから久しく続き不易である。

咎めなく、正しくしておけば良い。

作為や粉飾は恒の道でない。

必ず駄目になり、長く続くことはない。

正しくなければ恒であっても善でない。

恒で善であれば何をしても良い。

伊尹が畝の中に居て堯舜の道を楽しんだことは、身を終えたことはまさに恒と言えよう。

《爻辞》

二爻は恒に居て、陽なのに陰に居る。

正を得ていない。

悔いがあるだろう。

しかし剛中で応じている。

そして恒を得ている。

だから悔いも無くなるのである。

人は時に位に当たらない場所に居なければならない事もある。

また時勢のどうしようもない事もある。

ただ中にあり、持久して不易であれば、悔いを免れるだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

「つね」は常と恒の二つがある。

「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。

しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが、幾万年経っても易わらない所が有る。

是は日月の象になり、常の字は日、恒の字は月である。

太陽は幾万年経っても大小変化せず、何時も変わらない。

しかし月は毎日形が変わって居る。

この卦は夫婦の卦である。

夫婦は一旦婚姻を結んだ上は何処までも全うすべきものである。

しかし人の身の上というものは毎日変わって往く。

初爻目は下卦の主であり、四爻目は上卦の主である。

また初爻目と四爻目は互いに相応じて居る。

其処で正しい所が良い。

夫婦力を合わせ心を同じくして事を為せば、一家は段々盛んになり先に進んで往く。

[彖伝]

この卦は元は地天泰で、一番下の陽爻が四爻目に上り、また四爻目の陰爻が一番下に下った。

其処で陰陽相交わり雷風恆の卦になった。

雷が鳴って動けば、風が従って雷を助ける。

雷と風は相離れず、互いに相與しめ、万物を生じさせる。

初爻目と四爻目、二爻目と五爻目、三爻目と上爻目、皆剛柔応じて居る。

男女の道は天地陰陽の道である。

[象伝]

雷が春に起こって風が是を助ける。

雷気の滞る所を風が一帯に吹き散らし、能く気が循環して万物が育つ所がある。

君子は陽が外、陰が内という在り方を易えない。

《爻辞》

九二は下卦の真ん中だから中庸の道を行って居る。

陽爻が陰位にあり、位が不正である。

しかしながら中庸の道を久しく能く行えば宜しい。

其処で悔いが滅びる。

[象伝]

中庸の道を易わらずに行うから宜しい。

8/27 (木) ䷶ 雷火豐(らいかほう) 三爻二爻

【運勢】

何事も上手く進み、成果が出るが、安心は出来ない。

何の心配もなく進んでいる様に見えるものほど、表に出ていない不安定さがあり、続かない事が多い。

満遍なく進んでいるという事は、全てが同じ段階にある事を意味しているので、崩れる時も一斉である。

【結果】 ䷶◎三⚪︎二
雷火豐(らいかほう) 三爻二爻

《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 少陽]

《爻辭》
[三爻 優先][二爻]

【原文】
《卦辭》
豐は亨る。王、之に假る。憂ふる勿れ。日中に宜し。

彖に曰はく、豐は大なり。明󠄃以て動く。故に豐なり。王、之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふる勿れ。日中に宜しとは、天下を照らす宜しきなり。

日中するときは則ち昃(かたむ)き、月󠄃盈(み)つるときは、則ち食󠄃す。天地の盈虚、時とともに消息す。而るを況や人に於いてをや。況や鬼神に於いてをや。

象に曰はく、雷電皆至るは豐。君子以て獄を折し刑を致す。

《爻辭》
[三爻 優先]
九三。其の沛(はい)を豐にす。日中沫(あわ)を見る。その右肱を折る。咎无し。

象に曰はく、其の沛(はい)を豐にすとは、大事に可ならざるをなり。その右肱を折るとは、終に用うべからざるなり。

[二爻]
六二。其の蔀を豐にす。日中斗を見る。往けば疑疾を得ん。孚有りて發若すれば吉。

象に曰はく、孚有りて發若すとは、信以て志を發するなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
豐の義はひろめる、ひらく、微細にするである。

隠れ滞っているものを通して天下の主となって、微隱にはうまく行かない。

憂えは未だに収まっていない。

だから、豐は亨に至るのである。

そして憂えが無くなる。

豐亨憂えなきの德を用い、天中に居るべきである。そして天下を照らす。

《爻辭》
[三爻 優先]
沛は幡である。

盛んな光を御す所以である。

沫はかすかに暗い明りである。

上爻と応じる。

志陰にある。

陰が陰に居てもまだ闇を免れない。

日中沫を見ることをいう。

明かりを施せば沫をみれる。

用を施せば右ひじを折る。

だから自分で守らなければならない。

未だ用が足らない。

[二爻]
蔀は覆いである。

光を遮るものである。

明󠄃動の時に居て、自然に豐かにはなれない。

光大の德で内に居る。

陰で陰に居る。

豐かなところに蔀がある。

かすかにしてみえない。

日中は明󠄃の盛である。

北斗が見えるとは暗い事の極みである。

だから往くと疑いを招く。

そして中を履んで位に当たる。

暗い場所に居て邪にならない。

争うことがあれば、誠が大切である。

闇に苦しまない。

だから吉。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
豐は盛大である。

知有りて動く。

よくうまく行く。

王者が大事業を起こす時である。

火を日とし、下に在る。

その徳の光明、あまねく四方を照らせば、憂うことなく、自然と豊大である。

人は明󠄃がなければ物を照らすことできない。

動かなければ事業は出来ない。

明にしてよく動く。

昔は湯王の徳を慕っていった。

天が王に勇智を錫(たま)う。

《爻辭》
[三爻 優先]
旧本では沛を旆と書いた。

王弼は幡とした。

内を覆い、暗いことが甚だしい。

右腕を折ってしまうと行動できなくなる。

明の最上に居て、陽剛正を得て、上は上爻が陰。

治めることが出来ない。

二爻に比である。

二は陰であり、陽に順う。

暗い場所に居ても、上に頼るべき君主なし。

右手を折って用いることが出来ない。

位は正しい。

陰暗の世に居て、明正の功があり、問題ない。

[二爻]
蔀は覆いである。

北斗が暗いから見える。

この爻には豐があり、明の主爻である。

中正の徳がある。

五爻が応じる。

五爻は陰柔不正、よく動くことが出来ない。

才があっても上が応じない。

陰暗が甚だしくよく見えない。

日中の一番盛に北斗が見える。

五爻は柔暗、賢を下すことがきでない。

もし行きて求めれば、人々の猜疑心を引き起こす。

ただひたすら人に誠実にあるべきである。

大変な賢人と暗愚の君、誠実のみである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
「豊」は腆(あつ)いと云う義で、物が厚く充ち満ちて居ることである。

世の中で云えば、天子が名君で政事が能く行き届いて居り、天下が盛んで富んでいることである。

しかしながらどれだけ盛んであっても、衰える所も出て来る。

下卦の離は日である。

東に在る時は未だ日が低いが、日中になれば遍く東西南北を照らし届かない所は無い。

ただし日が昃(かたむ)くといけない。

[彖伝]
天子の明徳は宜しく四海天下を照らすべきで、暗い所が出て来てはいけない。

しかしながら日が南中すれば、やがては傾いて往く所がある。

月も満ちれば、欠けて来る。

天地の道は斯くの如きもので、いつまでも保つことは難しい。

人間の主でなって居る所の鬼神と雖も、神明なることもあれば、時には神明ならざることもある。

自然の勢いと云うものは、力を以て動かすことは出来ない。

[象伝]
雷と電が一書に来るのが豊の卦である。

天下が皆富んで、上下安楽の時である。

しかし安楽であると、自然と人の心には奢りが出て来るようになる。

其処で刑罰を厳重にしなければいけない。

《爻辞》
[三爻 優先]
六二は日中に北斗七星を見る程暗いが、九三に至っては小さな星まで見える程に愈々暗い。

小人が盛んになって、我が寵愛を専らにするために、君の明徳を塞ぐ。

九三は上六と応じて居る。

上六は君の側で大臣の地位にあるが、最も小人であり、是が君を惑わす甚だしい者である。

上六は豪傑で剛にして正しい所の九三を我が党派に引き込もうとするが、それを憂えた九三は自ら我が腕を折ってしまい、上六に対して用を為さないことを明らかにする。

従って咎は無い。

[象伝]
小人が権勢を専らにして居れば、大事を行ってはいけない。

右肱を折ると云うのは、誓って上六のための働きを為さないことを示す。

[二爻]
この卦は安楽の義が有り、小人が君に楽しみを勧め奢りを助長させる所がある。

蔀(しとみ)は遮り塞ぐ物で、君の明徳を蔽って塞ぐ所が甚だ盛んである。

六二は陰爻を以て陰位に在り、離の卦の主爻でもあるから、明徳ある賢人のことである。

賢人が往って君を輔けようとするが、讒言が多い為に往けば君から疑われる。

天子が惑いから覚めて、忠臣の精神に感じ入り、志を動かす様になれば吉である。

[象伝]
六二の信が六五の天子の志を動かす。

其処で信以発志也と云う。

8/26 (水) ䷋ 天地否(てんちひ) 三爻


【運勢】

不正の中で得たものに対し、恥を感じられ無い人は、欲に囚われていて危険である。

その様な人の周りには、不徳の人が集まっているので、変えようとしても理解されないだろう。

何事も無理に理解を求めるのでは無く、慎ましくいる事が大切である。

【結果】 ䷋◎三

天地否(てんちひ) 三爻

《卦辭》

[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]

[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]

《爻辭》

[三爻]

【原文】

《卦辭》

否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞によろしからず。大は往き、小は來る。

彖に曰はく、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。

象に曰はく、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。

《爻辭》

六三。羞(はぢ)を包む。

象に曰はく、羞を包むとは、位當らざるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

無し

《爻辞》

すべて小人の道を用いる。

上を承けて、位に当たらない。

恥をかく。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辞》

否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。

天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。

世の中が乱れる時である。

君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。

悪人が栄え、有徳者は德を隠す。

このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。

《爻辞》

否の時にあり、陰柔で不中正である。

陰なのに陽に居る。

下卦の最上にをり、また陽に包まれおもねり汚れる。

恥をかく。

無道の時に仕え、どんなに高位についてもその徳はほめられたものでない。

旣に時を計るのに暗く、又己の力量を量るのに短慮である。孔子は言はれた。

邦に道無く、富栄えるは恥である、と。

羞を包むとはそういうことである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

否は塞がるの義である。

天地陰陽の気が塞がっている。

これは地天泰と反対である。

こうした隔絶をつくったのは匪人である。

匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。

君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。

このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。

大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。

[彖伝]

天の気が上にあり下に降ってこない。

地の気は下に滞って上に騰がっていかない。

天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。

上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。

君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。

外卦は陽爻で内卦は陰爻である。

これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。

朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。

世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。

それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。

[象伝]

天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。

君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。

徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。

そこで営するに禄をもってすべからず。

後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。

《爻辞》

包羞は恥を知らない小人の事である。

六三において行う所は、羞の上に羞を重ねており、自分が利さえ得れば良いと思っている。

君子と小人の違いは此の廉恥の有無である。

[象伝]

六三は尊い大臣の位に在るが、大臣に為るべき身分でない。

羞を知る者ならば、自分から官を辞するであろうが、そのような事は無い。

世が乱れ、段々小人の世の中に為って来たが、人民の方で朝廷に在る悪い役人を罷免させ、君子に直接出てもらいたいと願う心が起こる。

8/25 (火) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 変爻無し


【運勢】

予期しない出来事が起こり、選択を迫られるだろう。

この様な時には、自分の役目を良く理解し、行動する事が大切である。

正しく堅実に物事を進める事で、災いを防ぐ事が出来る。

【結果】 ䷘

天雷无妄(てんらいむまう) 変爻無し

《卦辭》

[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]

[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]

《爻辭》

[変爻無し]

【原文】

《卦辭》

无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。

彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。

象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

動いて健とは震のことをいう。

雷動して乾健である。

剛中というのは五爻を言う。

剛が外からきて、内卦の主爻となる。

動いていよいよ健である。

剛中で応じている。

私欲が行われない。

妄動することはない。

无妄の道ができ、大吉。

剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。

動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。

剛中にして応じれば斉明の德が通る。

天の教命である。

もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。

茂は盛んなことである。

物は皆あえて妄でない。

その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。

時に対して物は育つ。

是より盛んなことはない。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

妄(もう)は、望と音に相近し。

无妄は、希望することがない。

『史記』では无望󠄇とかく。

この卦をさかさにすると䷙山天大畜になる。

主爻は初九である。

无妄は予期せずに来るものである。

卦体は震が動くで、乾が健やかである。

五爻と二爻は応じている。

まさに天命である。

逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。

舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

无妄は欲がないということである。

無望の意味である。

『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。

ただ誠にのみ志すのである。

志が正しくなければ、災いがおこる。

[彖伝]

外卦が天で、内卦が雷である。

五爻と二爻が応じており、上下心が通う。

天命を受けることを表す。

その天命に従うのがよい。

それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。

[象伝]

天の下に雷があるのが无妄である。

人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。

先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。

春夏秋冬、天に従った生き方をした。

8/24 (月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 四爻二爻

【運勢】
価値観が固まる時期にあるので、この事を強く意識して、背徳的な言動は慎まなければならない。

その上で、物事を大きく動かせば、周りも応じてくれるだろう。

正しい行いを続ければ後悔が無いので良い。

【結果】 ䷡◎四⚪︎二
雷天大壯(らいてんたいそう) 四爻二爻

《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陽]

《爻辭》
[四爻 優先][二爻]

【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。

彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。

象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。

《爻辭》
[四爻 優先]
貞にして吉。悔い亡ぶ。藩決して羸(ちぢ)まず。大輿の輹(とこしばり)に壮なり。

象に曰はく、藩決して羸(ちぢ)まずとは、往くを尚(とうと)ぶ。

[二爻]
貞吉。
象に曰はく、九二の貞吉は中を以てなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。

小の道は亡ぼうとしている。

大は正を得る。

故に利貞である。

天地の情󠄃は正大である。

廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。

壮大で礼に違えば凶。

凶であると壮を失う。

だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。

《爻辭》
[四爻 優先]
下は剛健で進む。

憂慮すべきことがあろう。

陽で陰に居る。

行きて謙に違わず、壮を失わない。

だから正しくしていれば吉で悔いがなくなるのである。

すでに壮であり、上は陰で己の進󠄃む道󠄃ははっきり見える。

[二爻]
中位に居る。

陽が陰に居る。

謙譲を大切にして傲慢にならない。

だから吉である。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。

四つの陽が壮である。

二陰は徐々に薄れていく。

君子の道が長く続く時である。

其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。

人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。

陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。

四つの陽がみんな正しいわけではない。

私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。

盛大な時であるが、つまずくこともある。

君子は平素から礼法をまもる。

昔の人は天命を畏んだ。

雷ほど天威に似たものはない。

常に礼を大切にすべき時である。

《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は大壮にあり、陽なのに陰に居る。

悔いることもあろうが、必ず正しくあれば後に吉となるのである。

咸の四爻と同じで、三がが昇ってきて陽を承けると、進行に妨害が入る。

四爻の上は二陰がある。

進んでも害はない。

雄羊が柵が開いて逃げて角を矯めない。

上爻を承ける。

だから羊とは言わない。

乾爲天の四爻に龍が居ないのと同じである。

陽であり五爻の陰を承ける。

これが輿のようで、よく大任にたえられる。

剛壮な人が智略を用いて早く進めば悔いを残す。

終に志を遂げることが出来ない。

だから正しければ吉と忠告しているのである。

昇進するときは注意が必要である。

[二爻]
二爻は大壮にあり、陽が内に在る。

上は五爻に応じ、或いは壮を用いるを疑われる。

しかし、剛にして中。

吉を得られる。

二爻に居れば位は旣にはっきりしていて、応じるものがあり人は信用する。

誰かがその壮志を疑うようなことがあっても、剛で中なのでそんなことはおこらない。

聖人はどんなときも深謀遠慮を忘れないのである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。

また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。

人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。

剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。

[彖伝]
大なるものが極めて剛くなった。

卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。

従って、気力が強く動いて進む。

また天の気が動き、萬物を生じる。

人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。

[象伝]
雷の気は萬物を生じる所の気である。

君子は礼に非ざれば履まずと云う。

上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。

其処で礼に非ざる事であってはいけない。

《爻辞》
[四爻 優先]
九四は震の卦の主爻であり、正しくする所で後悔が無くなる。

併し四爻目から先は陰爻であり、先が開けているから、大いなる途と取る。

然るに雷の如くに動いて進んで往く。

[象伝]
藩根は眼の前に無く、羸(つか)れる気遣いは不要である。

最早動くべき時であるから、往く所を尚ぶ。四爻目は丁度旧暦の二月に當って居り、雷の鳴る時節であるから、時を得ている。

雷が進めば、萬物が生まれ花も咲く。

華と云う字は震の卦の象である。

[二爻]
是は乾の卦の真ん中であるから、剛に過ぎる所が無い。

正しく吉である。

[象伝]
中庸の道を用いて往くから、剛に過ぎる所が無く、正しい。

8/23 (日) ䷥ 火沢睽(かたくけい) 二爻

【運勢】

一人一人の考えが大きく異なっていて、未だ協力する段階に無い。

この様な時は、無理に考えを押し付けるのでは無く、同じ考えを持つ者と協力する事が大切である。

その様な者とは感性も近いので、自然体で付き合う事が出来る。

【原文】

《卦辭》

睽は小事吉。

彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。

象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。

《爻辭》

九二。主に巷に遇󠄄ふ。咎无し。

象に曰はく、主に巷に遇󠄄ふとは、未だ道を失はざるなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

睽は背くの意󠄃である。

小さな事には吉である。

二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。

よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。

〔王弼の爻辭〕

睽に居て位を失う。

安住の地がない。

五爻もまた位を失う。

そこで一緒に行動しようとする。

門を出て考えが似ていて、期せずして遇う。

睽に居て助けを得る。

その位を失っても、まだ道を失っていない。

〔伊藤東涯の爻辭〕

巷とは道󠄃の狭く曲がりくねったところである。

期せずして人に遇う。

五爻と応じている。

通常であれば遇うべきものであるが、睽の時はなかなか遇えない。

二爻は澤の喜びに居て剛中している。

しかし小道で遇うことが出来るので問題ない。

人の性行はほとんど同じでない。

もしその能力の明暗強弱によらず、己の好むところに従って斟酌しないでいると、聖人でさえ人を教化できない。

だから或いは激して危うい。

或いは裁いて不正を抑制する。

君臣では剛柔趣が大きく異なる。

もし手っ取り早く簡単に事をなそうと思うなら、その言が良くても、容易には受け入れられないのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

睽は互いに相反して和せざる所の卦である。

『説文解字』には互いに反目する貌とある。

上爻の離の卦は目である。

下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。

陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。

[彖伝]

火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。

また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。

人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。

兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。

少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。

兌にも毀折の象がある。

しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。

兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。

五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。

君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。

君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。

小事が吉である。

しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。

つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。

[象伝]

上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。

しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。

人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。

君子は是を用いて事を為す。

《爻辞》

九二は臣、九五は君の間柄である。

朝廷で面会する計りでは、両者は親密にならない。

其処で君の方から九二の居る所へ御出でになり面会する。

これは九二が甚だ尊大な様であるが、時勢已むを得ざる所であり、別に咎は無い。

[象伝]

君の方から我が方へ来るといっても、未だ臣たる所の道を失うということでは無い。

国家の大事を謀るには、君臣の間は是位親しくするので無ければならない。

8/22 (土) ䷍ 火天大有(かてんたいゆう) 四爻

【運勢】

皆が志高く居るので、何事も盛大になる。

この様な時には、流れに飲まれやすいので、控えめに進める事が賢明である。

これを固く守る事で、力を持ちながら驕る事が無い、君子に相応しい人間になれるだろう。

【原文】
《卦辭》
大有は元(おほ)いに亨る。

彖に曰はく、大有は柔尊󠄄意位を得て、大中にして上下之に應ず。大有といふ。その徳剛健にして、文明。天に應じて、時に行く。是を以て元いに亨る。

《爻辭》
九四。其の彭たるに匪(あら)ざる、咎无し。

象に曰はく、其の彭たるに匪ざる、咎なしとは、明󠄃辨晢(せつ)なり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大いに通らない。

どういう理由で大有を得られよう。

大有ならば必ず大吉である。

五爻は尊󠄄位に柔でいる。

中に居るのは大である。

陰が一つしかない。

上下応じている。

德が天に應ずれば、行くに時を失わない。

剛健は滞らない。

文明犯さず。

天に応じれば大。

時行きて違わない。

だから大いに通る。

大有は包容の象である。

だから勧善懲悪が美しいのである。

天德を順奉し。

ものの命を休す。

《爻辭》
旣にその位を失って、上は至尊の位に近い。

下は権力を分けた臣に比す。

その恐れをなすは危険というべきである。

ただ大変な知恵があれば、その咎をのがれられる。

三爻が一番勢いがあるといっても、五爻を捨てられない。

よくその数を弁え、専心五爻を承けて、三爻につかない。

彭は三爻のことである。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
大有はそのあるところが大。

五爻は柔中尊󠄄位にいる。

上下の五つの陽がこれに応じている。

盛大である。

大とは陽のことで陽が沢山ある。

五爻が二爻と応じている。

これは智勇兼備である。

五爻に澤山の賢人が集まり、天命も之を助ける。

勝道󠄃というべきである。

《爻辭》
人馬が大勢いる様である。

剛で君の傍にいる。

五爻は柔。

だから凌駕してしまう恐れがある。

火☲の中に居るので知能が優れている。

盛んなところに居ないので咎なし。

昔から主を脅かす勢いのある者は、必ず謗りを受ける。

免れるためには抑制が大切である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
この卦は、大なる物多しと云うのは、天下皆賢人と云う義である。

賢人が多ければ、何事も亨らないことが無い。

「有」の字は富むという義、また多いという義にもなる。

『詩経』の魚麗篇に「旨且有(うまくして、かつ、おおし)」とあり、多いという義である。

「大有」は、「大いにある」と読んでは駄目で、「大なる物が多い」という義である。

大なる物は五爻目以外の陽爻で、大人・君子・賢人のことである。

しかしその様な人才は容易に得難く、盛んなる世であった堯舜の時で臣五人、周の国で十人しかなかった。

[彖伝]
賢人が多く朝廷に出で来、君は能く賢人の言を用いる。

上に居る賢人も、下に居る賢人も、皆君に応じて来る。

大中は、上卦が元は乾だったのが、真ん中に陰爻が出来たことを云う。

この卦を一人の天子の徳で言えば、剛健であり、時に従って能く行う。

[象伝]
火気が地の底から十分に上に昇って居り、万物が盛んになる所である。

下卦は乾の卦であるから十分に充ちている。

天下は至って富んでおり、人民は生活に不足が無い。

しかし三、四、五爻目には、兌の卦があり、楽しみに流れる傾向がある。

其処で、盛んな時には悪い者を遏(とど)め、善を掲げる。

何時の世でも、名君の時でも、悪人を無くすのは難しい。

この卦では、九四が悪人である。

この大臣は、君に諂う所を以て立身した人で、表面上は君子のようで君子では無い。

《爻辞》
尫(あしなえ)の字は、説文に「跛(ちんば・びっこ)は曲脛也」とあって、不具のことである。

正しく歩いて行かれないのは、行いが正しく無いことである。

九四は才能と働きは有るが、行いが正しく無い。

其処で、尫に匪らざれば咎は無い。

行いが悪ければ咎を受ける。

[象伝]
この大臣は己の権力に誇って、上を冒す所があり、上下の辯を紊す。

其処で上下の辯を明らかにして、亢(たか)ぶらないで謙虚になり、我が身を曲げて節を折って、能く賢人に下れば宜しい。