8/18 (火) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 三爻

【運勢】

見方を変える事で、何気ない日常を、より大切に感じられる。

謙の心が有れば、自然と相手を尊敬し、相手の心に寄り添えるので、信頼されるだろう。

自分の行動に責任を負い、最後まで謙を貫くと良い。

【原文】

《卦辭》

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。

《爻辭》

九三。勞謙す。君子、終有りて吉。

象に曰はく、勞謙す。君子とは、萬民服するなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

これを有終の美という。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

〔王弼の爻辭〕

三爻は下卦の極みにある。

進んでその位を得た。

上下陽がないから、その民を上下に分ける。

澤山の陰が三爻を宗源とする。

尊さでこれに勝るものはない。

謙の世に在っては尊󠄄に安んずることが出来ない。

上は下を承けて安らかになる。

ひたすら謙に努めることは怠りではない。

だから吉である。

〔伊藤東涯の爻辭〕

勞謙とは労あって謙であることである。

三爻は謙の時にあって、剛であり下卦の最上に居る。

上下にある五つの陰が三爻を宗とする。

三爻は上下の陰に勲功があって謙譲の美徳を有する。

小人がこの爻に居たら功を誇って自ら腐敗していく。

君子だけがよく最後まで謙譲を守り吉である。

これは卦の主爻である。

世の中、人に誇る功労がない人でも人の上に行きたがるが、天下国家に大勲功があったのに謙譲の態度を崩さないで下に留まる。

だから萬民が宗源とするのである。

克己して礼に復す。天下は仁に帰す。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。

我が身が小さくなって人の下に降って居る。

古くは言偏の無い「兼」の字であった。

小さいために一つで足らず合わせるという義である。

他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。

口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。

小さいというのが本来の義である。

卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。

二・三・四爻目に坎がある。

水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。

これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。

しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。

[彖伝]

天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。

元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。

光明は三爻目に降りて来た陽爻である。

また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。

元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。

上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。

我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。

卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。

そうして君子は終を遂げる所となる。

[象伝]

上卦が地で下卦が山である。

地の広い方から見れば山が小さい。

天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。

そこで多い方から取って、少ない方へ益す。

政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。

政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。

《爻辞》

九三は賢人で天下の為に功労があっても深く謙遜する。

君子は孚の大業を遂げても、初めの頃と変わることなく能く謙遜する。

終りと云うのは艮の卦が終わる象である。

[象伝]

天下第一の功労道徳があっても、深く我が身を下して謙遜をして居り、その徳は普く天下に通じる。