8/21 (金) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 四爻


【運勢】

様々な困難があり悩みは絶えないが、逃げずに耐える事で、平安を保つ事が出来る。

自尊心から、周りに教えてもらう事を躊躇ってはいけない。

素直に聞くことが出来れば、周りは応じてくれるだろう。

【原文】

《卦辭》

屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。

《爻辭》

六四。馬に乘ること班如たり。婚媾(こんこう)を求めて往く。吉にして利しからざる无し。

象に曰はく、求めて往く。明󠄃成なるなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。

なやんで通ずることが出来ない状況である。

ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。

そのためには、正しさを固く守らねばならない。

現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。

こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。

〔王弼の爻辭〕

二爻は初爻と比の関係にあるが、正しさを守って初爻に従わない。

己の志を害さない者である。

好みの合う友を求めて往くと必ず受け容れてもらえる。

〔伊藤東涯の爻辭〕

婚媾(こんこう)は初爻と応じていることを指し、四爻は陰柔であり屯に居る。

そして柔順にして正に居る。

智の德は従うべきところを知る。

初爻の応じるものに求めて往く。

人で屯に居る時は、自ら救済することが不可能であれが、よく応じる相手を探すことは出来、救済の力に頼り、可能なことも出てくる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

屯は止まり艱(なや)むという義である。

下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。

水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。

天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。

[彖伝]

震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。

険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。

初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。

この人が進んで遂に侯になる所の卦である。

雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。

真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。

服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。

世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。

[象伝]

経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。

また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。

綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。

この雲雷の象によって世の中を治める。

《爻辞》

六四と初九は位が応じて居る。

そこで六四は初九の方へ往こうと思って馬に乗ったが、隣の九五から頻りに招かれ仕方なく一時馬を還した。

しかし初九の方から婚媾を求めて来る。

初九は天下に君たるべき存在であるから、其処へ往くのが吉である。

[象伝]

今は九五が権力が盛んであっても、後には良くない。

初九から求めて来たのであれば、其方へ往くのが良いのは、明らかなる所である。

8/20 (木) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 四爻

【運勢】

志を同じくする仲間が協力してくれるので、物事は順調に進むだろう。

順調に進んでいる時ほど、段階を踏むという慎重さが大切になる。

信頼されて今の地位を得ているのだから、周りを疑う様な不義をしてはいけない。

【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。

彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。

象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。

《爻辭》
九四。由豫す。大いに得ること有り。疑ふこと勿(なか)れ。朋盍簪す。

象に曰はく、由豫す。大いに得ること有りとは、志大いに行はるゝなり。

【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

〔王弼の爻辭〕
豫の時に居て、動きの始めに居る。

一つだけの陽爻である。

澤山の他の陰が従う。

ものが信でなければ疑いが生じる。

だから疑うことが無くなったら、朋が集まってくる。

〔伊藤東涯の爻辭〕
由豫は己によって豫であるということである。

友人が集まってくると解釋される。

豫にあって、一つの陽であり澤山の陰の主である。

だから、君の傍に居ても、陰陽相求め、其の志は上に行く。

陽剛の才で、中陰の王に仕え、衆を下に得る。

危うく疑われやすい地位である。

だが其の志は名誉や権利にない。

これは周󠄃公が民の流言を恐れた所以である。

至誠であれば最後は良くなる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
豫は象の中の最も大きなものをいう。

豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。

そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。

一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。

上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。

天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。

[彖伝]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。

また長子でもあり、大臣にもなる。

この四爻目の剛に天下悉く応じる。

震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。

日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。

三・四・五爻目の坎は法律の義がある。

法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。

国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。

[象伝]
豫は萬物皆悦ぶという義である。

この象を用いて作ったのは音楽である。

歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。

そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。

殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。

黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。

上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。

《爻辞》
天下は悉く九四の大臣を用い、その徳に由(よ)って天下は安楽となる。

権力が甚だしければ、周公旦の様に流言の禍を受ける様にもなるが、この場合は天下の朋友が自然と九四の徳に集まってきたのだから、疑うことは無い。

「朋」の字は他の陰爻のことで、これが残らず九四の元に集まって来る。

「盍」の字は合うという字で、「戠」の字は集まると云う義である。

一本の簪(かんざし)が多くの髪の毛を括るように、九四は天下の人民を集める。

[象伝]
無し

8/19 (水) ䷊ 地天泰(ちてんたい) 三爻


‪【運勢】‬

‪思うように物事が進むので、事業を起こせば成功するだろう。‬

‪素直な事が大切である。‬

‪誠意が有れば、周りとの関係を良好に保てるので良い。‬

‪良い状態を維持するには、欲を抑え、理性的に生きる必要がある。‬

【原文】

《卦辭》

泰は小往き、大來る。吉にして亨る。

彖に曰はく、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。

象に曰はく、天地交はるは泰。后以て天地の道󠄃を財成󠄃し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右す。

《爻辭》

平󠄃にして陂(かたむ)かざるは无く、往きて復らざるは无し。艱貞にして咎无し。其の孚(まこと)を恤(うれ)ふることなかれ。食󠄃において福有り。

象に曰はく、往きて復らざること无しとは、天地の際なり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

泰は物が大いに通る時である。

上下がよく通じれば、物はその節󠄄を失う。

《爻辭》

乾は上に基づき、坤は下に基づくので、泰を得たら、下りて升に与するのである。

三爻は天地の際に居り、まさに元の場所に帰ろうとしてゐる。

元ある場所に帰ると、上はその尊さを守り、下はその卑しさを守る。

だから行けば戻らないのである。

天地の閉じようとし、平らな道が坂になろうとする所󠄃で、時は大きく変わろうとする。

世は大きく変わろうとしているが、それでも正しさを守る。

動いても応じているものを失わない。

難でも正しくある。

正義を失わない。

だから問題はない。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

泰は通󠄃るという意味である。

卦は否と逆である。

否の三爻の陰が外卦に行き、三陽が下に来たのである。

陽は大であり、陰は小である。

天気が下降して地気が上昇したのである。

陰陽がよく通じているのである。

人は世の中で、人と交際しながら生きていく。

上は下をおさめ、下のものは上のものを助ける。

君臣上下から親戚や町の仲間にまで言えることである。

そして天下は治まるのである。

よく通るので吉である。

《爻辭》

陂は平らでないことである。

難を知りながら正しくある。

三爻は泰の時にあり、内卦の上に在る。

まさに中間を過ぎようとしている。

予防の道󠄃をいうのである。

平󠄃らで歩きやすい道もいつかは坂道になるし、行ってしまったものも最後には戻るのである。

もし難󠄄を知って正しくいれば問題ない。

期待する所󠄃の得失をとわず、自ずから福禄をえる。

これが開物成務の道である。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

泰の字は滑らかという義で、天地陰陽の気が流動して滞らず、能く万物を成長させる。

太、代、世も皆通じる意味である。

外卦が坤で、内卦が乾であるから、小は外の方に往き、大は内の方に来る。

地の底で陽が三つになって、盛んになる。

一ヶ年で考えれば、丁度旧暦の正月にあたる。

旧暦の十一月に一陽来復するため、初爻目が十一月、二爻目が十二月、三爻目が正月となる。

この卦は天の元気が地に十分に充ちて居る所の卦である。

世の中で譬えてみれば、天子の恩沢が人民の間に一杯に溢れて居り、下々の者もそれに随って上の方に事(つか)え、上下相交わる所の卦である。

その為、是より吉なる所の卦は無い。 

[彖伝]

天の気が下に降り、地の気が上に昇り、天地の気の交わった所で、万物が発生する。

地の中に陽気が十分に充ちており、陽気に随って陰気が外の方に昇っていく所である。

一人の人にしてみれば、乾は心が十分に剛く、且つ外の行いは順従で人に抵抗しない。

又世の中で譬えてみれば、内に在って事を用いるのは君子、外へ出て君子に使われているのは皆小人である。

又世の道徳上の事にとってみれば、君子たる所の仁義の道が段々と盛んになって行き、小人の方の道は段々と滅びる所となる。

[象伝]

天地が交わり万物の生成が盛んになる。

しかし人間がこれを輔けなければ、天地の造化は昌(さか)んになる様なものではない。

天地があり、人間というものがあって、天地を輔けるから天地人、これを三才という。

即ち君と書かずに后(きみ)の字を書いたのは、天地を承けてこれを相(たす)けるためである。

財の字は裁に通じ、物を計って余計な所は裁り、少ない所はこれを補う。

天子が天下を治め人民を取り扱うのは、我が家に生まれた赤子を養育する様な物で、倒れない様に右からも左からも手を引いて輔ける。

そうして民を左右するのである。

《爻辞》

九三は乾の卦の終わりで、平らかな状況も陂(かたむ)き、一変する所がある。

油断が出来ない。

内に居た坤の小人が外へ出たのが、復た帰って来ないという道理は無く、必ず来るのが自然の理である。

しかし苦しんでも正しい所を何処までも行って往けば、陂むかんとする所を持ち直すことが出来る。

九三は下卦の一番上で大臣である。

太平が長く続いて、人の心に怠りや奢りが生じ弊害が盛んになって来ても、誠を以て行っていけば大臣は大臣だけの食禄を得る所に於いては差し支えが無い。

[象伝]

天地が交わり、下にあるべき地が上の方へ往ったのであるから、傾いて下に落ちてこないという道理は無いと云う戒めである。

これを耐えて太平を長く保って往くには、上たる者は己を虚しくして、下の賢人に能く下らなければいけない。

8/18 (火) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 三爻

【運勢】

見方を変える事で、何気ない日常を、より大切に感じられる。

謙の心が有れば、自然と相手を尊敬し、相手の心に寄り添えるので、信頼されるだろう。

自分の行動に責任を負い、最後まで謙を貫くと良い。

【原文】

《卦辭》

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。

《爻辭》

九三。勞謙す。君子、終有りて吉。

象に曰はく、勞謙す。君子とは、萬民服するなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

これを有終の美という。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

〔王弼の爻辭〕

三爻は下卦の極みにある。

進んでその位を得た。

上下陽がないから、その民を上下に分ける。

澤山の陰が三爻を宗源とする。

尊さでこれに勝るものはない。

謙の世に在っては尊󠄄に安んずることが出来ない。

上は下を承けて安らかになる。

ひたすら謙に努めることは怠りではない。

だから吉である。

〔伊藤東涯の爻辭〕

勞謙とは労あって謙であることである。

三爻は謙の時にあって、剛であり下卦の最上に居る。

上下にある五つの陰が三爻を宗とする。

三爻は上下の陰に勲功があって謙譲の美徳を有する。

小人がこの爻に居たら功を誇って自ら腐敗していく。

君子だけがよく最後まで謙譲を守り吉である。

これは卦の主爻である。

世の中、人に誇る功労がない人でも人の上に行きたがるが、天下国家に大勲功があったのに謙譲の態度を崩さないで下に留まる。

だから萬民が宗源とするのである。

克己して礼に復す。天下は仁に帰す。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。

我が身が小さくなって人の下に降って居る。

古くは言偏の無い「兼」の字であった。

小さいために一つで足らず合わせるという義である。

他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。

口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。

小さいというのが本来の義である。

卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。

二・三・四爻目に坎がある。

水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。

これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。

しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。

[彖伝]

天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。

元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。

光明は三爻目に降りて来た陽爻である。

また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。

元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。

上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。

我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。

卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。

そうして君子は終を遂げる所となる。

[象伝]

上卦が地で下卦が山である。

地の広い方から見れば山が小さい。

天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。

そこで多い方から取って、少ない方へ益す。

政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。

政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。

《爻辞》

九三は賢人で天下の為に功労があっても深く謙遜する。

君子は孚の大業を遂げても、初めの頃と変わることなく能く謙遜する。

終りと云うのは艮の卦が終わる象である。

[象伝]

天下第一の功労道徳があっても、深く我が身を下して謙遜をして居り、その徳は普く天下に通じる。

8/17 (月) ䷲ 震爲雷(しんいらい) 初爻

【運勢】
予想外の事が起こっても、常に冷静に律儀でいれば、秩序を守る事が出来る。

人の上に立つ者が、人々の為に責任を負い続けているので、それに報いなければいけない。

恐れ敬う事を心掛ければ、幸せが訪れるだろう。

【原文】
《卦辭》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。 

《爻辭》
初九。震の來るとき虩虩たり。後に笑言啞啞たり。

象に曰はく、震の來るとき虩虩たりとは、恐れて福を致すなり。

笑言啞啞たりとは、後に則有るなり。

〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辞》
震は雷鳴を表す。

上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。

人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。

雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。

〔王弼の爻辞〕
剛の德である。

卦の最初にある。

よく恐懼し、その德を修めるのである。

〔伊藤東涯の爻辞〕
この爻震が有って陽で初爻に居る。

卦の主爻である。

この陽剛の才。

震するところにあってよく畏まっている。

その度を失わない。

陽剛であったなら天をあなどり、物に傲慢である。

柔で慎みあれば震に遇󠄄うと呆然自失する。

剛でありながらよく恐懼する。

法則を失わないのである。

そして福が來るのである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
前の卦は火風鼎である。

鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。

皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。

そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。

こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。

『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。

この震は皇太子の象である。

皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。

震は剛(つよ)いから亨る。

また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。

卦全体の主になるのは初爻目である。

虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。

激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。

『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。

大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。

天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。

艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。

「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。

「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。

匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。

鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。

この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。

このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。

身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。

[彖伝]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。

「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。

雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。

乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。

つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。

[象伝]
この卦は震が二つある。

二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。

君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。

《爻辞》
雷が震(ふる)って泥の中に墜ちる。

三・四・五爻目に坎がある。

坎は水である。

又その下の二爻目は陰爻であるから地である。

水と土だから泥となる。

四爻目は雷の主爻である。

また大臣に相当するが、陰の位にあるため、気力が弱い。

これは雷が泥の中に墜ちて、震うことが出来ない状態を意味する。

奮発する気力が無く、安楽に耽ってしまう。

「遂」という字は「墜ちる」という字と通じる。

皇太子においても安楽に導かれ、学問を離れ、慎みも無くなれば、皇太子の位を失うことになる。

古くは側近の役人に第一等の人間を選んでいたが、役人が悪ければ皇太子を安楽な方向へと導いていくだろう。

そうなれば雷が泥の中に陥ったようになり、再び発奮する気力もなくなるのである。

8/16 (日) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 上爻

【運勢】

何事も順調に進んでいたが、行き過ぎて大きく転じてしまい、力を失う事になる。

尊大であったので、周りからは妬み嫉みを受け、地位を失っても誰も助けてはくれない。

何故そうなってしまったのか、良く考え反省し、謙虚に人と接するしか道は無い。

【原文】
《卦辭》
旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。

彖に曰はく、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。

象に曰はく、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。

《爻辭》
上九。鳥、其の巢を焚く。旅人先には笑ひ、後には號咷(がうたう)す。牛を易に喪ふ。凶。

象に曰はく、旅を以て上に在り。其の義焚くなり。牛を易に喪ふとは、終に之を聞くこと莫きなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。

だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。

物がその主を失うと散る。

柔が剛に乘る。

五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。

陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。

小し亨る。

旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。

《爻辭》
高く危ないところに居て、そこを宅としている。

巣のことである。

家を出て高い位を得た。

だから始めは笑うのである。

旅して上の極みに居る。

民衆が嫉妬するところとなる。

周りに親しい人がいないので、嫉妬の害を免れるすべがない。

必ず凶である。

牛は稼穡の資である。

旅の上に居ると、民衆が皆嫉むところとなる。

そして牛を交易で失うことになり、険難の時に牛が存在せず、交換するものがない。

危ういし、助けがない。

〔伊藤東涯の解釋〕
旅は旅行である。

五爻は陰で、順の徳がある。

安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。

少しはうまく行くのである。

旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。

旅の時には、助けてくれる人も必要である。

信用できない人に頼ってはならない。

《爻辭》
易は埸(えき、境)のことである。

この爻は旅にあり、陽で上爻である。

離の極まるところにいる。

高い場所で慢心し災いを招く。

自分で安住の地を失う。

旅人でこのようでは、始めは思い上がっていても好き勝手に高笑いしていても、旣に安住の地を失っているのである。

終には大泣きをすることになる。

そうなっては、柔順の徳を教えても、その德を改めることは出来ない。

牛は柔順なものである。

他人のいうことを聞き入れず、その柔順の徳を失う。

豊かで勢力が盛んな時に在っても、思い上がってしまうと、陰柔の徳を以てしても凶を免れないのである。

それが旅先で順徳を失ったのなら、なおさらである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。

一つ前に䷶雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。

贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。

その後、旅に出る。

旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。

謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。

[彖傳]
この卦の五爻の陰爻は、元々は䷶雷火豐の時には、内卦にいた。

それが外に出たので、旅をするというのである。

旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。

そこで、上爻と四爻に依存している。

このようにただ縮こまっていてはいけない。

旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。

怪しい人間は避けた方が良い。

[象傳]
山は動かず、火は行き過ぎる。

この二つが同居しているのが旅である。

君子は刑罰を慎まねばならない。

なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。

それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。

君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。

慎重に刑罰を行うべきである。

《爻辞》
離の卦の極りである。

上の方へ上がる計りで終に禍を受ける。

高い所を好む鳥が巣を焚かれて居場所を失うように、旅人は最初奢り亢ぶっているが、後には家を喪い国を喪う。

そして牛に輓かせて持って来た我が財産を悉く失った。

人の和を得ない所から、遂にこれを奪われることになったのである。

[象伝]
旅人は上に立って人の和を得ない。

そのため人から害を受け、持っているだけの物を悉く奪われた。

残ったのは我が身だけで、居場所も金も無い。

自分の不幸を訴えても話を聞いてくれる者も無い。

8/15 (土) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 四爻

【運勢】

先入観を持たず、ありのままに周りの意見を聞き、受け入れると良い。

落ち着きを保ち、欲に惑わされ無い心を持てば、危険を避ける事が出来る。

心を明らかにして、周りに伝える誠実さが大切である。

【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。

彖に曰はく、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。

《爻辭》
九四。貞吉なれば、悔い亡ぶ。憧憧として往來すれば、朋(とも)、爾(なんぢ)の思ひに從ふ。

象に曰はく、「貞吉なれば悔い亡ぶ」とは、未だ感の害あらざるなり。「憧憧として往來す」とは、未だ光大ならざるなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。

天地万物の樣は感ずるところに現れる。

同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。

陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。

下に在って初めて吉である。

虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。

《爻辭》
上卦の初めである四爻にあって、下卦の始めである初爻に応じている。

体でいうと股の上にいる。

二つの卦が始めて交わり、感じる。

そしてその志が通じる。

心が通じ合うのである。

物が感じ始めたときに、正しい方向に行かないのであれば、害を生じる。

だから正しくあることに気をかけなければならない。

そうすることで吉を得る。

害があると感じていない。

今のうちに正しておけば後悔しない。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。

反転すると䷟雷風恒になる。

恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。

恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。

つまり、柔が昇って剛が下りている。

陰陽二気が通じ合っているのである。

内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。

☶艮の少男を☱兌の少女に下す。

皆和順している。

物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。

人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。

妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。

《爻辭》
憧憧とは往来が絶えないことである。

この爻は感じている。

股の上、背中の下に位置する。

陽でいて陰の位に居る。

初めて心が通じ合ったが、それは正しくなく後悔する。

正しさを失わず、私心なく有れば問題ない。

よく往来して人を訪ねて行けば、同類のものが心を通わせるようになるが、趣向が少し異なる。

ただ心が通じ合るからと言って何も考えないでいると、良い付き合いとならない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。

上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。

人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。

『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。

上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。

兌は少女、艮は小男である。

上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。

男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。

そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。

[彖伝]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。

情欲の私があってはいけない。

天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。

婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。

天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。

[象伝]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。

山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。

それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。

我が満ちていてはいけない。

《爻辭》
四爻から上卦である。

三爻が又であり、それより上であるから丁度心臓の邊りである。

心は咸にとって非常に重要である。

心が正しく動かない場合は物事はうまく行かない。

心が欲で動くことを戒めるべきである。

四爻は陰の位であるが、陽である。

正しくないところがある。

心が動きやすく、不安定であるから、正しさを守るように心掛けなければならない。

心は欲がないと動かず、欲があると動く。

二爻から四爻までが☴であり、一番欲が生じやすい位置なのである。

初爻と応じていて仲が良い、両者はよく往来する。

この卦は初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、すべてが応じていて往来が激しいのである。

そうすると同類が集まるが、心の悪い者達も集まり不正が起きやすいのである。

[象傳]
予め心を正しくしていて、悪いものを避ければ後悔しないのである。

心が揺れ動いていては心が明󠄃らかでない。

明󠄃らかでなく暗いので欲が生じ迷う。

未だ心が正大に至っていないことを戒めなければならない。

8/14 (金) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻

‪【運勢】‬

‪手段と目的を間違えてはいけない。‬

‪謙の徳が無いと、物事を素直に捉えられないので、注意が必要である。‬

‪様々な要因によって、危ない状況に陥る可能性があるが、誠実に生きれば大丈夫である。‬

【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。

《爻辭》
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。

象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。

人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の卦辞〕
履は踏むことである。

上卦は人で、下卦は虎とされる。

下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。

人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。

喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。

〔王弼の爻辞〕
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。

陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。

すがめるものである。

行動すれば跛である。

その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。

志剛健があるが、履むところを確認しない。

武は人をあなどろうとする。

大君と為り、進めば凶を免れない。

志は五爻にある。

頑ななこと甚だしい。

〔伊藤東涯の爻辞〕
眇は片目が小さいこと。

跛は足が不自由なこと。

虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。

才がなく志が高い。

成功したいと願っている。

武人が大君と為り、志は强いが凶である。

荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。

そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。

往々にしてあることである。

剛を履んでことを爲すことは出来ない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。

革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。

虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。

天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。

[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。

虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。

天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。

そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。

上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。

そのため九五に「夬履」と云っている。

沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。

これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。

[象伝]
上に天があり、下に沢がある。

沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。

二・三・四爻目に離がある。

離には礼儀の象意がある。

そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。

つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。

上下の別を辨じて民の志を定めるのである。

民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。

「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。

《爻辞》
三爻目は虎の口である。

至って剛情で、不正なる者である。

目や足が片方しか無いのは、邪(よこしま)な心の譬えである。

虎は君を犯して、大君となる勢いである。

天子は油断できない。

そこで虎の後ろに旋って、尾を履んで往く。

[象伝]
片目や片方の足では、明らかに見ることは出来ず、人に追いつくことも出来ない。

六三は陰爻を以て陽位にあり、陽を犯す所の象がある。

乱臣賊子の懼れるべき所を示す。

8/13 (木) ䷖ 山地剥(さんちはく) 二爻

【運勢】

世の中は、酷く衰弱し、耐え難い時にある。

道理に従い、正しさを主張しても良い方に転じないのでとても悪い。

徳のない者を相手にせず、正しさは内に秘めておくと良い。

【原文】
《卦辭》
剝は往く攸有るに利しからず。

彖に曰く、剝は剝なり。柔剛を變ずるなり。

往く攸有るに利しからずとは、小人長ずるなり。順にして之を止む。象を觀るなり。君子は消息盈虚を尚ぶ。天の行なり。

象に曰く、山、地に附く剝。上以て下を厚うし宅を安ず。

《爻辭》
牀(しょう)を剝(はく)するに辨(べん)を以てす。貞を蔑(ないがし)ろにす。凶。

象に曰はく、牀を剝するに辨を以てすとは、未だ與(とも)有らざるなり。

【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の卦辭〕
剝は割くの意󠄃である。

下から陰が侵食し、最後に上爻だけに陽が残っている。

これは徳の無い者がはびこり、有徳者が衰退している時である。

このような時は何か事を起こす時ではないと、強く戒めるべきである。

〔王弼の爻辞〕
蔑ろは極めて甚だしい言葉である。

辨は足の上である。

剝の道が深刻化している。

転じて物のあるところを滅そうとしている。

柔が長じて正を削る。

物が棄損される。

〔伊藤東涯の解釋〕
辨は牀の幹である。

上下を分辨する。

この爻は剝があって、内卦の中にある。

上に応じる爻がない。

陰が徐々に剝して上る。

進んで牀の幹に及んだ。

また、小人がどんどん盛んになる。

もし君子があって、ともに力を尽くし、志を同じくすれば、小人に勝てる。

その友が居ないので、正しくしていても悪くなる段階となる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
剝は刀で削り取っていくという意味である。

徳の無い者が削り取りながら有徳者にせまっていくところである。

このような時には有徳者は遁れておくのが良いのである。

[彖傳]
剝にはものを破る、落とすという義もあるが、この場合は削り落とすの意󠄃である。

小人が世の中の隅々にはびこっているので、君子たるものはどこにも行かない方が良い。

そして正しい行いをつづけていかなければならない。

今はすべてが陰になろうとしているが、固く道徳を守り、一陽来復に備えておくべきである。

[象傳]
地の上に山がある。

地は民であり、山は君主である。

地が厚ければ山は盤石であるように、民の生活基盤が盤石であってこそ、君主は盤石なのである。

卦の形は牀のようである。

牀とは今の机のことで、一番上の上爻が机で、五爻までの陰爻が足である。

《爻辞》
辨の字平の字と通じており、平らかな板は一番上の陽爻である。

その板までも段々と破って往く。

つまり正しい道を滅ぼして往くから、凶である。

[象伝]
牀(しょう:寝台)の上まで、害するものが上に昇って来るが、未だ正しい者を助けて呉れる者が無い。

其処で何処までも進んで害して往く。

8/12 (水) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 上爻

【運勢】

相手の心を考え行動する事で、思慮深く、秩序を守り生きる事が出来る。

心を理解したからと言って、言葉巧みに喜ばせようというだけでは良くない。

本心から相手を思う気持ちが有れば、行動に内実が伴い、信頼を得られるだろう。

【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。

彖に曰はく、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。

《爻辭》
上六。その輔、頬舌(けふぜつ)に咸ず。
象に曰く、その輔、頬舌(けふぜつ)に咸ずとは、口說󠄁に膝(あぐる)なり。

【解釋】
〔王弼の卦辭〕
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。

天地万物の樣は感ずるところに現れる。

同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。

陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。

下に在って初めて吉である。

虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。

〔伊藤東涯の卦辭〕
咸は感じることである。

反転すると䷟雷風恒になる。

恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。

恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。

つまり、柔が昇って剛が下りている。

陰陽二気が通じ合っているのである。

内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。

☶艮の少男を☱兌の少女に下す。

皆和順している。

物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。

人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。

妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。

《爻辞》
上爻は共感性が高く、好意的であることが行き過ぎてしまった爻である。

言葉巧みに人を喜ばせようとするが、内実が伴っていない。

これでは人はついて来ない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。

上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。

人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。

『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。

上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。

兌は少女、艮は小男である。

上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。

男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。

そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。

[彖伝]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。

情欲の私があってはいけない。

天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。

婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。

天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。

[象伝]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。

山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。

それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。

我が満ちていてはいけない。

《爻辞》
上六は人の顔にあたり、口の両脇の上を輔という。

また頬は鼻を挟んで両方に有る。

其れを以て人が說ぶのを説いたのである。

人が說ぶと、頬が必ず和らいで来る。

女は顔色口を巧みにする様ではいけない。

[象伝]
媵(よう)は婚姻の際に付添って往く女である。

これが口を以て人を說ばせ、万端のことを能く行うので、上六の婦人が自分から男の家に往って機嫌を取る様ではいけない。

また九三の男は止まるべき所は止まって時を待って迎えなければいけない。