8/11 (火) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 二爻

‪8/11 (火) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 二爻‬

‪【運勢】‬

‪自身の環境が大きく変化する。‬

‪不安に感じる事も多いが、心配は要らない。‬

‪進んで来た道は正しいので良い変化である。‬

‪正直で思いやりある人に付き従うと良い。‬

‪過ちをおかした時、指摘してくれるだろう。‬

【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。

象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。

《爻辭》
六二。休復す。吉。

象に曰はく、休復の吉は以て仁に下ればなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辞》
復はかえるの意󠄃味である。

ひとつ前の䷖剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。

一陽来復、また盛んになろうとしている。

陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。

〔王弼の爻辞〕
位を得て中に当たる。

最も初爻に近く相和し、上に陽爻がない。

だからその親を疑い、陽を仁行となす。

初爻の上に在って、初爻に付き従う。

それを仁を下すというのである。

それでも中位にいて、仁に親しみ、隣と良好である。

復の大変良いところである。

〔伊藤東涯の爻辞〕
休は美である。

この爻は複があり、柔順中正である。

初爻の剛健な賢人と親和性があり、下を志す。

これは複の美である。

人は偽りのない正直な人を友にすれば、自分の過ちを指摘してもらえる。

二爻はよく賢人に親しみ、これに順う。

すばらしいことである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
復は本の所に反(かえ)るという意である。

一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。

天の気が地の底に来ることで万物は生じる。

この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。

前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。

果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。

「其道」とは、万物を生成する所の道である。

「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。

雷気が往くに従って万物が発生する。

また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。

それで「利有攸往」なのである。

[彖伝]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。

上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。

つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。

七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。

「天地之心」は万物の生成である。

[象伝]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。

陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。

そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。

天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

《爻辞》
五爻目は上卦の中を得ている。

坤は順にして厚い。

情が敦(あつ)い所に、仁が復して来るので悔が無い。

[象伝]
中庸の徳があり、自らその徳を修めて往く。

「考」は成すという義で読まなければいけない。

8/10 (月) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 二爻

【運勢】

普段通りの活動を大切にすると良い。

力を込める必要は無いが、小事に目を配る事が大切である。

物事が上手く進むのは、役割が定まっているからなので、調和を崩す様な事は避けなければいけない。

【原文】
《卦辭》
小過は亨る。貞に利ろし。小事に可にして、大事に可ならず。飛鳥之れが音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。

彖に曰はく、小過は小なる者󠄃過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞に利し。時とともに行ふなり。柔、中を得たり。是を以て小事に吉なり。剛、位を失ひて不中。是を以て大事に可ならざりなり。飛鳥の象有り。飛鳥之が音をのこす。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉とは、上るは逆にして下るは順なるなり。

象に曰はく、山上に雷有るは小過。君子以て行は恭に過ぎ、喪は哀に過󠄃ぐ。用は儉に過ぐ。

《爻辭》
其の祖󠄃を過ぎて其の妣に遇ふ。其の君に及ばずして其の臣に遇ふ。咎(とが)无(な)し。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
飛ぶ鳥がその声を残して、悲しみながら場所󠄃を求める。

上には適当な場所がなく、降れば安住できる。

上に行けば行くほど悪くなる。

飛ぶ鳥と同じである。

小過の小はおよそ小事全般を言う。

小事を過ぎて、うまく行く。

過ぎれば正しくしていればよい。

時宜にかなうのである。

恭しく儉約󠄃していればよい。

大事をなすは必ず剛がいる。

柔で大を犯すのは、剝の道である。

上に昇ってはならず、降るのが良い。

これは飛ぶ鳥の象である。

《爻辭》
過ぎて遇うことができる。

小過があって位に当たる。

過ぎて遇󠄄うことが出來るのである。

祖󠄃は初めである。

妣は内に居て中を履む善いものである(二爻)。

初爻を過ぎて二爻に居る。

だからその祖󠄃(初爻)をすぎて、妣(二爻)にいるというのである。

過󠄃ぎるけれども僭越には至らない。

臣位を尽くすのみである。

だからその君に及ばず、その君に遇󠄄うのは咎めがないというのである。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
陽は大であり、陰は小である。

四つの陰が外に在り、二陽が内に在る。

陰が陽に勝っているので小過という。

陽が陰に勝るのが道理であるが、陰が勝って問題ない時もある。

二五は柔が中を得て、三四は剛であり、中でない。

卦の形は鳥が翼を広げているようである。

上に向って鳴くので、下には聞こえない。

下は順調で容易であるが、上昇は逆行するので難しい。

任務にも大小があり、位にも上下がある。

人の才分もそれぞれ違う。

柔は下位にあって小事を治めるのが良い。

それが分からなかった人が多く失敗してきたのである。

易は中に適うことを尊ぶ。

《爻辭》
三爻は陽で上に在るので父である。

四爻はその上に在るから祖󠄃である。

五爻は陰で祖󠄃の上に在るから祖󠄃妣である。

君は五を指し、臣は四を指す。

二爻は小過があり、三を過ぎて五に行く。

しかし、陰と陰で応じない。

そこで五爻まで行かずに四爻までにすれば陰陽が相性よく、咎めなし。

陰が過ぎる時にあるので、戒めなければならない。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
小過の卦は全体でみると☵の卦になっている。

三爻と四爻が鳥の体であり、一二、五六が翼である。

何の鳥かといえば鶏である。

二三四爻に☴がある。

これが鶏である。

この卦は陰が過ぎる卦である。

陽は君で陰は臣下である。

君が鳥の体で、臣が鳥の翼である。

陰が過ぎるとは臣下が調子に乗っていることである。

だから小事は行われ、大事は行われない。

鶏が高く飛べる道理はない。

声だけ高く上がっても、体は高く上がらない筈である。

この場合、鷹に咥えられたとするとよい。

飛び去ってしまい悲しむ声だけが残るのである。

上に行かれてはもうどうしようもないが、下にいるのなら人でも何とか救出できるかもしれない。

[彖傳]
祭祀に於いて祭式の起居進退は小事であり、道徳は大事である。

しかし、小なることを徹底して、良くなることもある。

この卦は陰が多すぎる。

二爻も五爻も陰である。

だから大事をするには不利である。

君は常に民と共にあらねばならない。

[象傳]
大いなる山を、小なる雷が過ぎて行く。

君子はこの卦をもとに行いを恭しくする。

《爻辭》
二爻は臣たるものの正しい位置である。

君を拝するときはまずはじめに宗廟に参る。

☶艮は宗廟を表す。

君にすぐにあうのは憚られることであり、まずは付近にいる臣下に仕えるべきである。

[象傳]
臣たるものが君以上ではいけない。

それを戒めているのである。

8/9 (日) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 二爻


【運勢】

常に誠意を持って行動し、物事の本質を見失ってはならない。

自分を慕って集まってくる人々と心を通わせて団結し、正しい道を進んで行くべきである。

この様な機会は、望んでも得られない運命的なものなので、大切にすると良い。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。

「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

六二。引いて吉。咎なし。孚(まこと)有れば乃(すなは)ち禴(やく)をもちうるによろし。

象に曰はく、「引いて吉。咎なし。」とは、中未だ變ぜざるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

二爻は初爻三爻と共に五爻に従おうとしている。

中の徳が失われていないからである。

それは良いことで、王は祭祀に彼らを用いると良い。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

萃の下に亨の字があるのは間違いである。

萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。

地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。

王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。

そして、豚羊牛で祭るのが良い。

そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。

[彖傳]

萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。

天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。

天命にしたがうというのは、☴巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。

天子の恩沢に人々は集まるのである。

[象傳]

人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。

そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。

《爻辭》

二爻は陰の位に陰でいるから正しい。

そして五爻の王の許に初爻、三爻を率いていく。

禴(やく)という夏の祭に登用すべきである。

何故なら夏はお供え物が腐りやすく、澤山は供えられない。

そんな時は、物ではなく、真心をもった二爻のような者󠄃を祭員として、神に誠をつくすのが良い。

[象傳]

他の者が四爻に気を取られていても、二爻だけは五爻の王だけを慕っている。

あくまで五爻に集まるのである。

8/8 (土) ䷑ 山風蠱(さんぷうこ) 五爻

【運勢】

大きく物事が動く時なので、この機に目的を持ち、行動すると良い。

悪しき習慣を改めて、良い習慣を取り入れる事が大切である。

様々な事を断ち切るのは難しいので、周りの協力が必要になるだろう。

【原文】
《卦辭》
蠱は元いに亨る。大川を渉るに利し。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。

彖に曰はく、蠱は剛上りて柔は下る。巽にして止まるは蠱。蠱は元いに亨る。而して天下治まるなり。大川を渉るに利しとは、往きて事有るなり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日とは、終はる時は則ち始め有り。天の行なり。

象に曰はく、山の下に風有るは蠱。君子以て民を振し、德を育(やしな)ふ。

《爻辭》
六五。父の蠱を幹す。用ゐて譽(ほまれ)あり。

象に曰はく、父に幹す、用ゐて譽ありとは、承くるに德を以てするなり。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
下の剛は制を断じ、上の柔は令を施すべし。

旣に巽また止まり、競争しない。

事有りて競争の煩いがない。

だから為すことがある。

為すことがあれば大いにうまく行く。

天下を治める。

蠱は事有りて、能力のあるものを待つ時である。物は喜び従う。

德を進めて業を修めればうまく行く。

甲とは創制の令である。

古いものを以てしてはならない。

甲に先立つこと三日、甲に後れること三日、治めさせて後、誅するのである。

事によって令を述べる。

終われば始まる。

天の運行は四季のようである。

《爻辭》
柔が尊󠄄位に居る。

中を用いて應ず。

先代を承けるのに中を用いれば譽を受ける。

柔が中にあるので威力を用いない。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
蠱は壊、腐敗のことである。

この卦は變じて隨となる。

隨の初爻が上って上爻となり、隨の上爻が下って初爻となる。

だから、剛が上って柔が下るというのである。

強者が弱者をしのぎ、衆寡敵せず、終に蠱壊を招く。

内は巽順であり、よく物を止める。

天に十日有り。

甲に始まり癸で終わる。

甲は事の始めである。

甲に先んじるとは辛壬癸であり、統治が極まり乱れる。

前󠄃の事が終わろうとする。

腐敗を致す道である。

甲に後れるとは乙丙丁である。

乱が極まり治まるころである。

腐敗を治める道である。

治乱盛衰何度も反復するものであり、日が昇り暮れ、月󠄃が満ち欠け、寒暑が往来するようなものである。

上下がうまく意思疎通しないと腐敗するので、巽順の道がこれを防がねばならない。

そうすればうまく行くのである。

《爻辭》
腐敗がある時に柔であり、尊󠄄位にある。

二爻と応じてゐる。

柔中の君は、剛陽の臣下を任命することが出来る。

そしてその祖業を輝かせる。

自分自身の才能が腐敗を治めるに足らないならば、良く治めることが出来るものに頼るべきである。

君は衆と力を合わせて腐敗に対応すべきである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
政が大いに乱れた状態で天子が崩御し、位に即いた太子はこれを悉く一新し、天下を新たにするという卦である。

蠱は器物の様な物や米などが、古くなって壊れて来る所を云う。

三・四・五爻目に震の卦がある。

これは長子、即ち皇太子である。

上爻が父親で、初六は子であり、即ち父親は終わり子が始まるの象である。

[彖伝]
陽爻が一番上になって居るのを剛上る、陰爻が一番下になって居るのを柔下ると云う。

巽は弱く姑息で敗れる。

晩年の天子の周りでは、大臣の悪人が天下を紊し、朝廷には小人ばかりで、手の付けようが無い。

そこで姑息にして放置して居り敗れたのが蠱である。

元亨而治まるとは、新たに始めることで震の卦の象である。

皇太子が即位して政を改め天下を治める。

先甲は旧いものが終わり新しく始まって往くことである。

後甲は辛壬癸が終わり、甲乙丙で始まっていくことである。

[象伝]
旧いものを悉く洗い除く。

ニ・三・四爻目に兌の卦がある。

兌は秋で、枯れた葉が山下からの風で吹き落される。

これは旧弊の政事を除く義である。

三・四・五爻目は震の卦である。

震は春で、新しい芽がまた出てくる。

《爻辞》
皇太子が天子の位に即いて政を改める所である。

これは重大な事であるから、一人で行えない。

五爻目に応じるのは二爻目で、九二の賢人を用いる。

そうして天下を斉へた所から誉を得る。

[象伝]
親の後を承け継ぎ、道徳に則った政を行う。

8/7 (金) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 三爻

8/7 (金) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 三爻 

【運勢】

とても勢いがあるので、どんな事でも上手く行くだろう。

こう言った好機は長く続かないので、備えておく必要がある。

はっきりと自分の意見を言う事で、その事を堅く守ることが出来る。

【原文】
《卦辭》
臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。

說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。

《爻辭》
六三。甘臨(かんりん)す。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。旣に之を憂ふ。咎(とが)无(な)し。

象に曰はく、甘臨(甘臨)すとは、位、當(あた)らざるなり。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辞》
臨は下を見下ろすこと、臨むことである。

下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。

また、上から下を見下ろす余裕がある。

今はとても運気が良い。

しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。

《王弼の爻辭》
甘は佞邪であり、媚びることである。

正しくないことである。

その位になく、剛の長の世にいて、邪説を利用してものに臨む。

それでは良いことはない。

もしそれが危険だと憂うことが出來たなら、道を修正することが出来る。

剛は正を害さない。

だから、その咎めは長くない。

《伊藤東涯の爻辭》
甘臨は甘を以て臨むことである。

この爻は臨の時に在り、陰柔で不中正である。

甘い言葉で人に臨む。

利はない。

ただしその志は剛を尊ぶので、自ずからその誤りに気付く。

憂えて改めれば問題ない。

人の上に立つ道は、剛でなければ物を鎮めることが出来ない。

正しくなければ、人を服させることは出来ない。

苟も剛正を失い、徒に温和な老婆の柔らかい態度で人心を籠絡しようなど考えたら、大変である。

速やかに反省し、咎めが無いようにすべきである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
上卦の坤は岸である。

岸の高い所から、下の水に臨んでいる。

臨は望とは違う。

望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。

天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。

一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。

九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。

次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。

つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。

[彖伝]
初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。

続いて二陽になって此の臨となる。

さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。

順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。

剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。

そこで大いに亨る。

明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。

八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。

[象伝]
地の上の高い所から下を俯瞰する。

君子は思慮深くして物を教える。

深く考えるのが兌の象である。

教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。

萬物を生じるのに窮まりが無い。

坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。

その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。

《爻辞》
六三は兌が主爻である。

兌は巧言令色の象があり、口先で人を說(よろこ)ばせて立身した。

しかしこれは長く続かない。

これを憂え改めるならば咎は無い。

[象伝]
三爻目は陰爻でありながら陽位に在り不中正である。

その位に在るべき人でないが、巧言令色を以て昇った。

これを憂うなら、咎は長くは続かない。

8/6 (火) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 初爻

【運勢】

理不尽を感じたとしても、争いを起こしてはいけない。

争いを行えば、共感は得られず、最後には徳を失うだろう。

誠意的に生きる事で自身の咎が分かるので、自尊心を抑え、過ちを認める事が大切である。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

初六。事とする所を永うせず。小(すこ)し言有り。終に吉。

象に曰く、「事とする所を永うせず」とは、訟は長うすべからざればなり。小し言有りと雖も、其の辨、明󠄃らかなるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。

結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

《爻辭》

初爻は訴訟が始まったところである。

陰爻であり訴訟を戦う意思は弱い。

中途で終わるであろう。

少々の紛争は免れないが、それも問題なく、最後はうまく弁明することができる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辞》

訟の始まりの卦である。

一旦は争う所となったが、永くせずに止める。

少々物を言うだけの理由はあるが、考えて見れば自身にも疚しい所がある。

[象伝]

訟は長くなるべきものでない。

こちらに理があるのに訟を止めて、身内から小言が出たとしても先ず止める方が正しい。

二・三・四爻目に離の卦があり、其の辨が明らかという所がある。

内卦の坎は法律と取る。

道徳が衰えてくると法律が貴ばれ、天子の権は衰えてくる。

法律上から見れば、天子と雖も悪ければ訟えなければならないという様になって来るのである。

8/5 (水) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 二爻

8/5 (水) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) 二爻

【運勢】

厳しく指摘された時、よく聞き従うと良い。

反対に、反感を持ち従わないのは良くない。

正しさを守るには、常に周りの声に耳を傾ける必要がある。

慎みの気持ちが有れば、悪く転ずる事はないだろう。

【原文】

《卦辭》

巽は小(すこ)し亨(とほ)る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。

彖に曰はく、重巽以て命を申(かさ)ね、剛、中正に巽して志行はる。柔皆剛に順ふ。是を以て小し亨る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。

象に曰はく、隨風は巽。君子以て命を申(かさ)ね、事を行ふ。

《爻辭》

九二。巽して牀下に在り。史巫を用うること紛若たり。吉にして咎无し。

象に曰はく、紛若の吉は中を得るなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

巽の德であるから、少しうまく行く。

上下ともに巽。

令に違わず命が行われる。

だから命が重なり、事が行われる時、上下ともに巽なのである。

巽はよく仕えて行くことである。

拒むものはない。

大人は巽を用いて道がいよいよ盛んになる。

剛が巽を用いる。

中正に居るのは譲られたのである。

明󠄃は間違えることがない。

だから少しうまく行くのである。

《爻辭》

巽の中心にいて、すでに下位にいる。

陽なのに陰位にいる。

譲るにしても甚だしい。

だから床の下に居るというのである。

下にとどまり続け正しさを失えば、咎や過ちがおこる。

よく中に居て神に対する慎みを尽くして、威勢を用いないでいるならば、吉に至り過ちもなくなる。

だから神明に仕えて居れば、混乱の中、吉を得て問題ないというのである。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

巽は順である。

一陰が二陽の下に居て陽に順っている。

また、入るという意味もある。

風、木、命令を意味する。

五爻は剛で中正である。

大人の象である。

命令に重複がある。

初爻と四爻は陰であり、陽に順う。

大きなことは出来ないにしても、小さなことは出来る。

命令は、剛が過ぎれば厳しすぎて民が従えず、乱れてしまう。

柔が過ぎれば緩くなり、秩序が乱れてしまう。

剛中の君に柔が順う状況なら、大きな成功は見れなくても、官職について君に仕えるのに支障はない。

《爻辭》

史巫は神に仕えるものであり、紛若は多いことである。

下に居て位を得ず、上に應ずるものなし。

下位に下がって上たるを知らないものである。

巽に過ぎるのである。

だから床下に居るという。

しかし、剛中の徳は失われない。

叮嚀に上と心を通わせようと求めることが、丁度神職が神明に仕えるようであれば、吉であり、問題ない。

卑巽に下に居れば、その志は徳の実践を伴わなくなるが、剛中の徳で誠意を持っていれば、人を動かすに足る。

憂いなし。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

巽は四爻目の陰爻と初爻目の陰爻が卦の主である。

陰爻は、上に重なる陽爻に順っていけば能く亨り、進んで事を行う所に宜しきを得る。

この卦はもとは山風蠱から変わったものである。

天子の晩年に政治が乱れ、崩御後に太子が即位した。

そして朝廷に入り込んだ小人を除きさり、天下を斉(ととの)えた所の象である。

古代、堯が隠居して舜に政を斉えさせたのは、まさに此の卦の義である。

[彖伝]

なし

[象伝]

巽は重ねて命令を下し、能く下へ諭す。

是までの政の弊害を悉く除いた後で命令を下す。

剛は五爻目で、中正の所に坐っており、思う通りに志が行われて往く。

柔は初爻目で二・三爻目に順う。

四爻目も五・上爻目に順う。

そこで小人は大人を見て順い事を行うのが宜しい。

《爻辞》

巽(☴)は牀の象がある。

二爻目は上卦の巽の下にあり牀下となる。

九二は陽で貴い身分だが傲らず、初六の陰爻にも交わる。

史は、祭りの文を書いて神に告げる官である。

巫は、舞を巧みにして神に能く事えるものである。

史も巫も孚を以て神の感じる様に能く事える。

九二は、史巫が神に事える如く、孚を以て初六へ交わる。

[象伝]

言葉の綾を盡しても、孚が乏しく外面を飾るだけではいけない。

そこで中を得ることを尚しとする。

二爻目は中を得ているから吉である。

8/4 (火) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 四爻

【運勢】

誠の心はあるが、未だ内面に未熟な所があるので、気をつけなければいけない。

物事の指針を決めるには、良識が必要である。

良識を得るには、すぐれた人から教えを受け、学びを深めると良い。

【原文】

《卦辭》

蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。

彖に曰はく、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。

象に曰はく、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。

《爻辭》

六四。蒙に困(くるし)む。吝なり。

象に曰はく、蒙に困(くるし)むの吝は、獨り實に遠ざかるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

筮は疑うところを決めるためにある。

童蒙が来て、我に教えを求める。

疑うところを決断するためである。

一つに定まらないと、何に従ってよいか分からない。

そうなればまた惑う。

だから初筮は告げるが、二三回とやると冒涜である。

蒙は、正しいことをしておけばよい。

明るいことは聖以上はない。

昧いことは蒙以上はない。

蒙が正しさを養うのは、聖の功である。

だから正を養うには明るさを以てする。

二爻は澤山の陰の主である。

剛が中でも決断できない。

《爻辭》

四爻は陽から遠い場所にいる。

二つの陰の間に居るので、暗闇を晴らせない。

だから蒙に苦しむというのである。

賢人と近づくことが出来ない。

だから吝というのである。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。

山の下に泉があるが、山のせいで流れない。

どんな子供でも継続して学べば大成できる。

我とは二爻、童蒙は五爻である。

五爻が二爻に学びを求めている。

二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。

筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。

《爻辭》

四爻は陽爻に一番遠いところにあり、啓蒙の恩恵を受けられない。

陰に挟まれていて、進󠄃むには勇気がいるが、四爻は陰柔であり弱い。

なかなか陽(實、賢者)に会えないでいる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

蒙は未だ智慧が無い状態のため、師を建てるという義である。

善良なるものが外から覆われており、それを取り除くには学問をもってするしかない。

また教えるという象もある。

天子が皇太子を教えるのが主となっている。

能く教えて道徳を十分に発達させる必要がある。

しかし、皇太子の方から教えを受けたいと求めなければいけないのであり、我が方から求めるのではない。

先生は二爻で、童蒙は五爻である。

筮は神に誠を以て物を伺い問うのであり、二度三度と占えば、初めの心が穢れてしまうため、正しい所は告げられない。

[彖伝]

山の下に河があり、進んで往けず止まる。

また学問が無ければ世の中に出ることは出来ない。

しかし元来亨るだけのものがあるので、覆っている包みを取り除けば良い。

童蒙の方に志があり求める所があれば、それに応じて教える。

もし志が穢れていれば告げない。

心が潔く誠が無ければいけない。

[象伝]

山は内側に水を蓄えている。

堀り鑿(うが)てば中から水が湧いてくる。

人の善性は、学問を以て外側の覆いを取ることで発達してくる。

これが蒙の卦である。

二・三・四爻は震で、善き行いであり、遂げるという義がある。

《爻辞》

一生蒙に困(くる)しむ。

九二の師から離れ、陰爻に挟まれてもいる。

故に蒙に困しむ。

[象伝]

陰爻の真ん中に居り、真正が無い。

陰は佞人(ねいじん)の象があり、虚であるから、朋友として居るのは誠実な者でない。

8/3 (月) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 三爻


【運勢】

道理に従うのなら、未だ動く時では無い。

物事の順序は、秩序を保つ為に重要なので、常に考える必要がある。

社会の秩序は、人間関係の秩序を守る事で、自然と強固なものになるだろう。

【原文】

《卦辞》

婦妹は征けば凶。利(よろ)しき攸(ところ)无し。

彖に曰はく、歸妹は天地の大義なり。天地交はらざれば萬物興らず。歸妹は人の終始なり。說󠄁(よろこ)びて以て動く。妹を歸く所󠄃なり。征けば凶とは位に当たらざるなり。利しき攸无しとは、柔、剛に乘ずればなり。

象に曰はく、澤上に雷有るは歸妹。君子以て終を永くし敝(へい)を知る。

《爻辭》

六三。妹を歸くに須を以てす。反り歸りて娣(いもうと)を以てす。

象に曰はく、妹を歸くに須を以てすとは、未だ当たらざるなり。

〔王弼の解釋〕

《卦辞》

妹は少女のことである。

兌は小陰で、震は長陽である。

小陰が長陽を承けるので、よろこんで動く。

妹を嫁がせる象である。

陰陽が既に合って長と少が交わった。

天地の大義、人倫の終始と言える。

少女を長男に嫁がせる。

少女は嬉しくない。

不正を犯し、それを喜んで動くのは邪道である。

終には敝を知る。

《爻辭》

主が居るのに進もうとする。

進󠄃むがまだ時に当たっていないので、待たなければならない。

だから帰って時を待つのである。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辞》

婦人のことを嫁とも歸ともいう。

兌は少女、震は長男である。

これは婦人が嫁ぐ時に礼を失している。

二爻から五爻まで位を得ていない。

三爻と五爻の陰爻が陽の上に居る。

これは陰として正しくない。

夫が先に声をかけて、それに妻は随うのである。

これは天地の大義である。

父母の命、媒酌の言を待ち、礼を尽くす。

その後にそれぞれがその道を尽くして家道󠄃がなる。

正しい道に由らないと、その夫婦は礼儀を乱し、制御できなくなる。

《爻辭》

須は卑しい妾のことである。

程子は須は待つである。

適したところがないという。

陰柔であり不中正。

下卦の一番上に居る。

また兌の主である。

この女は婦德を失っていて人のために取らないものである。

初爻の剛、妹で徳がある。

旣に嫁いだが帰る。

その徳が正しくないので帰るのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦は震で長男、下卦は兌で少女である。

兄たる六五の天子は、六三の我が妹を以て、諸侯に嫁がせる。

兌は巧言令色で、男子を玩ぶ象がある。

しかし婚姻は必ず男子の方から求めるべきものだから、女子の方から征くのは凶である。

[彖伝]

夫婦の道は、天地陰陽の道である。

陰陽が正しく交わって、萬物が生じる。

天地の大義は、人の大倫である。

孟子も、男女室に拠るは、人の大倫と云う。

兌は說び、震は動く。

これは妹が帰ぐ所の義にあたる。

三爻目の陰が、一・二爻目の陽の上に乗っており、柔が剛を凌ぐ所がある。

これは戒めなければならず、この女が征けば凶である。

[象伝]

澤上に雷がある。

雷が動けば、澤も随って動く。

これは男子が動いて事を行い、女子がこれに応じる象である。

婚姻を終生の永いものとするには、後々弊害が出ないように能く対策し、始めを慎まなければならない。

《爻辞》

天子は妹を縁付けるにあたり、衣服を飾り立てさせず、却って姪娣の方へ譲らせる。

君の袂は、婦人の袂のことを云ったのであり、その美しさは姪娣のそれに劣る。

衣服を飾って寵愛を専らにするようではいけない。

また天子の女であっても、皇后より一等下るようにするのが礼である。

[象伝]

六五の天子は中庸の徳があり、過ぎたことはしない。

そこで天子の女は、なるべく謙遜をして、衣服等を姪娣より劣るようにして嫁入りする。

8/2 (日) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻

【運勢】

予期していない出来事が起こり、大きく選択を迫られるだろう。

欲に従わず、自身の善性に従うと良い。

正しさを守り、誠実に物事を進める事で、災いを防ぐ事が出来る。

【原文】

《卦辭》

无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。

彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。

象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。

《爻辭》

九四。貞(てい)すべし。咎(とが)无(な)し。

象に曰く、貞すべし。咎无しとは、固(かた)く之れを有するなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

妄(もう)は、望と音に相近し。

无妄は、希望することがない。

『史記』では无望󠄇とかく。

この卦をさかさにすると䷙山天大畜になる。

主爻は初九である。

无妄は予期せずに来るものである。

卦体は震が動くで、乾が健やかである。

五爻と二爻は応じている。

まさに天命である。

逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。

舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。

《爻辭》

陰の四爻に陽であるので、謙順を失いがちである。

至尊󠄄の五爻に近いので、正しいものをつけるべきである。

初爻と応じていない。

何もしようとせず、正しさを守っていればよい。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

无妄は欲がないということである。

無望の意味である。

『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。

ただ誠にのみ志すのである。

志が正しくなければ、災いがおこる。

[彖伝]

外卦が天で、内卦が雷である。

五爻と二爻が応じており、上下心が通う。

天命を受けることを表す。

その天命に従うのがよい。

それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。

[象伝]

天の下に雷があるのが无妄である。

人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。

先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。

春夏秋冬、天に従った生き方をした。

《爻辞》

四爻は陰の位に陽がきているので、正しくあるべきと戒めている。

[象伝]

四爻は、仁の徳を初爻と共に大切に育めば問題ない。