9/4 (金) ䷛ 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 五爻二爻

【運勢】

世を正す為に大事を行うと良いが、物事の支えが軟弱であり、行うのは難しい。

この様な時は、変わらずに中正さを保ち続ける事が大切である。

衰退の流れに抗う事は大変だが、後悔はしないだろう。

【結果】 ䷛◎五⚪︎二

澤風大過󠄃(たくふうたいか) 五爻二爻

《卦辭》

[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]

[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]

《爻辭》

[五爻 優先][二爻]

【原文】

《卦辭》

大過は棟(むね)撓(たわ)む。往くところ有るによろし。亨(とほ)る。

彖に曰はく、大過は大なるものは過󠄃ぐるなり。棟撓むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。

象に曰はく、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。

《爻辭》

[五爻 優先]

九五。枯楊華を生ず。老婦其の士夫を得る。咎无(な)く、譽无(な)し。

象に曰はく、枯楊華を生ず。何ぞ久しかるべきなり。老婦の士夫は亦醜かるべきなり。

[二爻]

九二。枯楊稊を生ず。老夫其の女妻を得る。利しからざることなし。

象に曰はく、老夫女妻は過ぎて以て相與するなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

大なるものはよく過ぎることが出來るものである。

初爻が本であり、上爻が末である。

初爻は陰に居て過ぎるのである。

二爻は中。

弱󠄃の極みであり、衰を興す。

それでも中を失わない。

巽順で喜び行く。

だから難󠄄を逃れる。

君子は為すことがある時である。

大過は普通では及ぶところではない。

《爻辭》

[五爻 優先]

尊󠄄位に居て、陽が陽に居る。

まだ危機を救うことが出来ない。

尊󠄄位を得て、まだ撓むことがないので、華を咲かせることが出来るが、稊を生ずることは出来ない。

夫を得られるが、妻は得られない。

棟が撓む世に咎なく譽もないものでは、長たりえない。

華を生じて久しくない。

[二爻]

稊は楊の優れたものである。

陽で陰に居る。

その本を過ぎることが出来て、其の弱きを助けるものである。

上に応じるものがなく、心に特に吝がない。

過ぎるのはこれによる。

衰えが収まることはない。

老いた男がさらに若い妻を得る。

弱きを救い衰退したものを再興する。

二爻が一番良い。

老が過ぎれば枯れてしまい、少し過ぎれば稚い。

老が少を分れば稚は長じ、稚が老を分れば枯れたものが栄える。

大きく過ぎれば衰えてしまって、至壮が至衰を輔ける。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

陽大であり、陰は小である。

大過は大なる者が過󠄃ぎる。

四つの陽が中心に集まって、二つの陰が外に居る。

陽が過剰に盛んになる。

棟の中心が太く、端が細く弱くなっている。

二爻と五爻が陽剛の才があり、中に居る。

巽順であり、喜びゆく。

うまくいく。

憂虞(ゆうぐ)の時にあれば、陽剛の才が必要である。

或いは厳しすぎ、失うこともある。

棟が撓む時に当たり、剛にして中に居る。

人心が服すのを嫌うと、行きて利なし。

《爻辭》

[五爻 優先]

老婦で、行き過ぎた陰とは上爻である。

士夫とは五爻である。

五爻は大過にあり、陽剛中正である。

下は応じず、上に一陰あるが、生育の功はない。

この老婆と結婚して罪ではないが、褒められたものでない。

人が共に行動するとき、相手を選ばねばならない。

[二爻]

楊は水の傍に生える木である。

巽は木であり、喜びであり、澤の象である。

陽が過ぎる時にあるので、枯れるという。

稊は荑(つばな)ともいう。

幼い木である。老夫は二爻のことで、女妻とは初爻のことである。

大過の時に剛中の才があり、上に応じるものがなく、下は初爻と比の関係である。

陽が過ぎるといっても、つき従うものがある。

生育の功がある。

不利はない。

剛が過ぎる人は人と上手く行かず、物事を成就できない。

二爻は剛が過ぎるが中である。

時を得ないといっても、不利はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上下の陰爻の間に陽爻が四つ連なっており、剛の方が多いため大に過ぎる。

下卦の巽は五行では陰木である。

堅く丈夫な陽木に対して、陰木は柔らかで弱い。

棟ばかり多くても、受ける方の木が弱ければ、棟も撓んで来る。

また兌の卦は水である。

上の水が下に流れて来て、天下の人は皆水中に居るが如くに苦しむ。

此れを救わなければいけない。

進んで往けば志を遂げられる。

[彖伝]

君や役人が大なる事を好んで贅沢が過ぎて居り、其れを受ける方の人民が弱って居る。

陽爻が多く剛が過ぎるが、二爻目も五爻目も中を得て居り、丁度世の中を治めるのに宜しき所がある。

上卦の兌は悦びの象があり、和して人と共に行う。

其処で人の助ける所があり、往く所あって宜しきを得る。

上下共に奢り盛大なる方に過ぎる世であるから、遂に人民は奢りのために倒れるようになる。

此の時に志あるものは大いに為すべき所がある。

[象伝]

楊(やなぎ)が水中に潜って居る。

楊は陰木で水を好むが、過ぎれば害を為す。

上下の陰爻に陽爻が包まれている。

陰爻に挟まれた内側の陽爻を一つと見れば、坎(☵)の卦の似体である。

坎の卦は小人であり、洪水の如き世の中である。

しかし君子は我れ一人独立し懼れることは無い。

世を遯れても非望を抱かない。

《爻辞》

[五爻 優先]

折れようとする楊に華が生じる。

二爻目は下方だから根から芽を生じたが、五爻目は上方だから華である。

九五の天子は未だ若いが、小人の為に籠絡されて、枯れかかった楊の様に蠃(よわ)って居る。

しかし精気は十分に在るから華が生じて来るのである。

上六は老婦で年を取った小人で、年若い男を得て意の如くに引き廻して居る。

これは老朽の大臣で、天子は若い王子である。

事は挙がらないが、別に破れも出ない。

一時華が咲いた様でも長くは続かない。

[象伝]

枯れ掛かった楊に丁度華が咲いた様であるが、姑息な遣り方のため長く続かない。

老朽なる大臣が幼年の天子を我が意の如くに引き廻らして居るのは真に醜いものである。

[二爻]

枯れた様に見える楊の根から稊(ひこばえ)が生じる。

譬えれば老夫である。

九二の老夫は一家の事を埋めるには力が足りないが、初六の若い妻を得て一家の事を担当して貰う。

国家の事に取れば、国事の担当者が段々年を取って来て元の様な働きが出来ないため、之を輔ける若者を用いる。

[象伝]

老夫は自分が行き過ぎた年であるから、若い者を得て相互に親しくして其の輔けを受ける。

9/3 (木) ䷪ 澤天夬(たくてんかい) → ䷏ 雷地豫(らいちよ)

【運勢】
周りからの協力を得る為には、誠実さが必要である。

やるべき事を一つづつこなす事で、誠実さが伝わり、協力を得られ、物事が順調に進むだろう。

順調に進んでいる時は、足元を掬われやすいので、段階を踏む慎重さが大切になる。

【結果】 ䷪→䷏
『 澤天夬(たくてんかい)』から『雷地豫(らいちよ)』

《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 老陽][初爻 老陽]

《爻辭》
[五爻][三爻][二爻][初爻]

《之卦》
[雷地豫(らいちよ)]

【原文】
『澤天夬(たくてんかい)』
《卦辭》
夬は王庭に揚ぐ。孚(まこと)有りて號ぶあやふきこと有り。吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、夬は決なり。

剛、柔を決するなり。健にして說󠄁(よろこ)ぶ。決して和す。「王庭に揚ぐ」とは、柔五剛に乘ずればなり。「孚有りて號ぶ、あやうきこと有り」とは、それ危めば乃ち光るなり。

「吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず」とは、尚ぶ所󠄃乃ち窮まるなり。「往くところ有るによろし」とは、剛長じて乃ち終るなり。

象に曰はく、澤、天に上るは夬。君子以て禄を施して下に及ぼす。德に居りて則ち忌む。

『雷地豫(らいちよ)』
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。

彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。

象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。

【解釋】
『澤天夬(たくてんかい)』
〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辞》
夬は決める、引き裂くの意󠄃味である。

形は䷖剝の反対である。

君子が勢いを持ち、徳のないもの(上爻)を征伐する象である。

五陽に一陰が載っている。

危うい状態に耐えきったら大きな功をなす。

徳の無い者と戦うときはただ武力のみに頼るのでなく、誠実さを以て臨むべきである。

終には徳の無い者は除かれ、平和になる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
夬は円(まる)い物を欠いて割るという義である。

上六の陰爻は大奸物(だいかんぶつ:悪知恵のはたらく心のひねくれた人間)である。

それが九五の天子に近接している。

巧言令色をもって諂って居るのが、段々と蔓延(はびこ)って害を為す。

必ず上六を撃たねばならない。

「揚于王庭」とは、この大臣の悪を明らかにして皆に告げる所である。

「孚号」は、大臣を除くにあたり誠心をもって協力を呼び掛けるのに号(さけ)ぶ所である。

天下はこれを信じ、協力は得られる。

しかし兵を挙げて撃つのではない。

早まってはいけない。
 
[彖伝]
密接している悪を斬って除く。

一番上の陰爻を切り離す。

剛が柔を決する。

柔の小人は五人の賢人君子の上に上がって権勢を専らにしているので、その罪を揚げるのである。

厲(あやう)い所があるから容易に手を出してはならない。

危ぶみ慎しんで、人民が騒がしくならないように能く鎮撫する。

孚(まこと)を尊び、時を見て動かなければならない。

早く往き過ぎると却って窮する所が出てくる。

剛が次第に長じてくる所であるから、終(つい)には事を終え遂げることが出来る。

[象伝]
沢の水の気が、乾の天の上にあり、水気がまた下に戻ってくる。

君子は恩沢を下々の方まで汎く施す。

恩沢を上の方で置き蓄えて、吝(おし)み下へ及ぼさないのは君子にとって忌み嫌う所である。

『雷地豫(らいちよ)』
〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
豫は象の中の最も大きなものをいう。

豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。

そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。

一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。

上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。

天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。

[彖伝]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。

また長子でもあり、大臣にもなる。

この四爻目の剛に天下悉く応じる。

震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。

日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。

三・四・五爻目の坎は法律の義がある。

法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。

国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。

[象伝]
豫は萬物皆悦ぶという義である。

この象を用いて作ったのは音楽である。

歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。

そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。

殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。

黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。

上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。