7/31(土) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻初爻

‪【運勢】‬
履は、踏むという意味をもっている。
先ず、今危うい場所にいることを自覚しなければならない。
無理をすれば、災いを被る。慎みを持った行動が大事である。


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。
彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。
象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
〈三爻〉
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。
象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。
人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。
〈初爻〉
初九。素履(そり)す。往くも咎无し。
象に曰はく、素履(そり)の往くは、獨り願いを行ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の卦辞〕
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


〈三爻〉
〔王弼の爻辞〕
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。すがめるものである。行動すれば跛である。その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。志剛健があるが、履むところを確認しない。武は人をあなどろうとする。大君と為り、進めば凶を免れない。志は五爻にある。頑ななこと甚だしい。


〔伊藤東涯の爻辞〕
眇は片目が小さいこと。跛は足が不自由なこと。虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。才がなく志が高い。成功したいと願っている。武人が大君と為り、志は强いが凶である。荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。往々にしてあることである。剛を履んでことを爲すことは出来ない。


〈初爻〉
〔王弼の解釈〕
履の初めにいて、履の始めである。履の道華をにくむ。故にその咎めはない。履にいるの一人でいて、なぜ従うのだろうか。必ず一人で行おうとする。

7/30(金) ䷸ 巽爲風(そんゐふう) ⇒䷍ 火天大有(かてんたいゆう)

【結果】
巽爲風(そんゐふう) 変爻:五爻、四爻、初爻
本卦:
巽爲風(そんゐふう)
之卦:
火天大有(かてんたいゆう)


【運勢】
従ってついていけば、ことを成し遂げることができる。
上からの指示が下まで行き届いている。
良い機会に出会えたのなら、挑戦することも大事。今なら時流に乗って、発展できる。


【原文】
《𢁉爲風》
巽は小(すこ)し亨(とほ)る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
彖に曰はく、重巽以て命を申(かさ)ね、剛、中正に巽して志行はる。柔皆剛に順ふ。是を以て小し亨る。往く攸(ところ)有るに利(よろ)し。大人を見るに利し。
象に曰はく、隨風は巽。君子以て命を申(かさ)ね、事を行ふ。


《火天大有》
大有は元(おほ)いに亨る。
彖に曰はく、大有は柔尊󠄄意位を得て、大中にして上下之に應ず。大有といふ。その徳剛健にして、文明。天に應じて、時に行く。是を以て元いに亨る。
象に曰はく、火、天上に在るは大有なり。君子以て、惡を遏(とど)め善を揚げ、天の休命に順ふ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《巽爲風》
巽の德であるから、少しうまく行く。上下ともに巽。令に違わず命が行われる。だから命が重なり、事が行われる時、上下ともに巽なのである。巽はよく仕えて行くことである。拒むものはない。大人は巽を用いて道がいよいよ盛んになる。剛が巽を用いる。中正に居るのは譲られたのである。明󠄃は間違えることがない。だから少しうまく行くのである。


《火天大有》
大いに通らない。どういう理由で大有を得られよう。大有ならば必ず大吉である。五爻は尊󠄄位に柔でいる。中に居るのは大である。陰が一つしかない。上下応じている。德が天に應ずれば、行くに時を失わない。剛健は滞らない。文明犯さず。天に応じれば大。時行きて違わない。だから大いに通る。大有は包容の象である。だから勧善懲悪が美しいのである。天德を順奉し。ものの命を休す。


〔伊藤東涯の解釋〕
《巽爲風》
巽は順である。一陰が二陽の下に居て陽に順っている。また、入るという意味もある。風、木、命令を意味する。五爻は剛で中正である。大人の象である。命令に重複がある。初爻と四爻は陰であり、陽に順う。大きなことは出来ないにしても、小さなことは出来る。命令は、剛が過ぎれば厳しすぎて民が従えず、乱れてしまう。柔が過ぎれば緩くなり、秩序が乱れてしまう。剛中の君に柔が順う状況なら、大きな成功は見れなくても、官職について君に仕えるのに支障はない。


《火天大有》
大有はそのあるところが大。五爻は柔中尊󠄄位にいる。上下の五つの陽がこれに応じている。盛大である。大とは陽のことで陽が沢山ある。五爻が二爻と応じている。これは智勇兼備である。五爻に澤山の賢人が集まり、天命も之を助ける。勝道󠄃というべきである。

7/29 (木) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 二爻初爻

【運勢】
謙は謙遜の美徳を説いた卦である。
常日頃から、謙虚でいることが大事である。
正しい行いを続け、謙虚で居続けることは、大変である。しかし、続けることによって大成することができる。


【原文】
《卦辭》
謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。
彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。


《爻辭》
[二爻]
六二。鳴謙(めいけん)す。貞にして吉。
象に曰く、鳴謙す、貞にして吉とは、中心得ればなり。
[初爻]
初六。謙謙す。君子大川を渉るに用ふれば吉。
象に曰はく、謙謙す。君子とは卑しうして以て自ら牧(やしな)ふなり。


【解釋】
〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辞》
謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。これを有終の美という。謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。


〔王弼の爻辭〕
[二爻]
鳴は、名声が聞くことができる言われである。位を得て中に居て、謙にして正である。
[初爻]
謙の最下位に居て、謙の中の謙である。よく謙を体する謙である。それは君子のみである。大難を渡るに用いる。害はない。牧は養うである。

7/28(水) ䷢ 火地晋(かちしん) 五爻

【運勢】
晋は、進むという意味である。
堂々と行動して、人を信頼して仕事を任せるべきである。
あなたを、助けてくれるような人が沢山いる。自分の信じる道を進むべし。


【原文】
《卦辭》
晋は康侯(しょうこう)用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。
彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く。柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。
象に曰はく、明󠄃、地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照(あきらか)にす。


《爻辭》
六五。悔い亡ぶ。失得(しっとく)恤(うれ)ふる勿れ。往けば吉、利(よろ)しからざるなし。
象に曰く、失得恤ふる勿れとは、往きて慶び有るなり。


【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
晋は進󠄃むである。地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。これは名君に人々が仕える象である。そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。三陰は柔順の徳がある。君子は德を明らかにし、天下あまねくその恩恵を受ける。


〔王弼の解釈〕
《爻辭》
柔にして尊位を得ていて、陰、明主となる。察を用ひずに、代はらずして下任せることができる。故に位に当たっていなくとも、其の悔消せて、失得心配するな。各々其れ司る有り、すばやく行動していけば、利あらざるない。

7/27(火) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ) 二爻

【運勢】
随は、従うという意味ある。
付き合う人をしっかりと考える必要がある。目先に囚われて、近くに良い人がいるのに気づけていない。
周りからの受ける影響は大きい。だからこそ、しっかりする必要がある。


【原文】
《卦辭》
隨(ずゐ)は元(おほ)いに亨(とほ)る。
貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨(ずゐ)。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮(むか)ひて入りて宴息(えんそく)す。


《爻辭》
六二。小子に係れば、丈夫を失う。
象に曰く、小子に係るとは、兼ね与(くみ)せざるなり。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辭》
隨はしたがうの意󠄃味である。内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。人々は時機にしたがい行動する。


〔王弼の解釈〕
《爻辞》
陰にいて世に隨い、ひとり立つことができない。必ず係ること有る。隨の時に居て、柔弱である。夫の剛動なるに乗る。どうして志を乗らないか。近づく所に違い、此に隨って彼を失う。両方を取ることはできない。五爻は、己の上にいて、初爻は、己の下にいる。故に「小子に係りて丈夫を失ふ」という。

7/26 (月) ䷮ 澤水困(たくすいこん)三爻初爻

【運勢】
困は苦しむことである。
助けてくれる人がだれもいない。どうにもならない状態にいる。
今は、なにもしない方が良い時である。
運勢も、循環している。まだまだ、良くならないが、諦めてはならない。


【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰はく、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰はく、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《爻辭》
〈三爻〉
六三。石に困(くる)しみ、蒺藜(しつれい)に拠る。其の宮に入り、其の妻を見ず。凶。
象に曰く、蒺藜に拠るとは、剛に乗る也。其の宮に入り、其の妻を見ずとは、不祥なるなり。
〈初爻〉
初六。臀(とん)、株木(ちゅぼく)に困(くる)しむ。幽谷(ゆうこく)に入る。三歳、観ず。
象に曰く、幽谷に入るとは、幽(くら)くして明らかならざるなり。


【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辞》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。
正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《爻辞》
[王弼の解釈]
〈三爻〉
石の物であり、堅にして納れざる者である。四爻のことである。三爻は陰を以て陽に居り、志武き者である。四爻
は自ら初を納れ、己を受けいれてくれない。二爻は據る所ではなく、剛の乗る所でない。上でも苦しんで石に困しみ、下には蒺藜に據る。応じるところがなく、困に在りて斯に処れば、凶である。
〈初爻〉
最も底の下にいて、沈んで、卑しく困しむ。居るに安んずる所がない。故に臀、株木に困しむという。其の応ずるに之かんと欲すれども、二、其の路を隔つ。居れば則ち株木に困しみ、進めば助けてくれる人を獲ず、必ず隱れ逃れる者である。故に幽谷に入るという。困の道爲るや、数歳を過ぎざる者である。困を以て蔵しみ、困しみ解けば乃ち出づ。故に三歳まで覿ずという。

7/25(日) ䷝ 離爲火(りゐか) 四爻三爻

【運勢】
火は明󠄃るいことを意味し、離は附くことを意味する。
軽挙妄動しようとしている。
戒めなければ凶。


【原文】
《卦辭》
離は貞に利(よろ)し。亨(とほ)る。牝牛を畜(やしな)へば吉。
彖に曰はく、離は麗なり。日月は天に麗(つ)き、百穀草木は地に麗き、重明󠄃以て正に麗く。乃(すなは)ち天下を化成す。柔、中正に麗く。故に亨る。是を以て牝牛を畜へば吉なり。
象に曰はく、明󠄃兩たび作るは離。大人以て明󠄃を繼ぎ、四方を照らす。


《爻辭》
〈四爻〉
九四。突如、其れ來如。焚如。死如。棄如。
象に曰はく、突如。其れ來如とは、容るる所󠄃无きなり。
〈三爻〉
九三。日昃の離。缶を皷して歌はざれば、則ち大耋(だいてつ)の嗟あり。凶。
象に曰はく、日昃の離は何ぞ久かるべけんや。


【王弼の解釋】
《卦辭》
離は柔であることが正しい。だから、必ず正しくして後にうまく行く。陰爻が卦の真ん中にある。外は強くて内は柔らかい。牛の善いものである。柔順を良しとする。凶暴な動物を飼ってはならない。牝牛を飼うのが良い。それぞれのものが、あるべき場所にあるのが良い。陰爻が真ん中に在ればうまく行く。吉。強暴な動物を飼うべきでない。


《爻辭》
〈四爻〉
明道が始めて変わるところである。黄昏になって始めて暁となり、日没になって始めて日の出となる。だから突如という。その明るさが始めて進み、炎がはじめて盛んになる。尊位の五爻に近接し、その位にない。盛んなところに進もうとする。その上を炎上させる。命は必ずしも終わらない。離の義に違い、応ずるものなく、承けるものもない。民衆が受け入れない。
〈三爻〉
嗟は憂い嘆くことである。下卦の終わりに位置し、明はまさに没しようとしている。明がまさに終わろうとしている。もし人で委縮せず志を養い、為すことが出来なかったら、年老いて嗟嘆するばかりである。


【伊藤東涯の解釋】
《卦辭》
離は附くということである。一陰が二陽の間についている。火であり、日であり、電気であり、德としては明󠄃である。皆柔順であることを知っている。明󠄃は正しくあるのに良い。世の中で明󠄃を用いれば、正を失いがちである。明󠄃が二つ重なる状態で正を忘れなければ、天下を化成することが可能である。坤では牝馬の貞によいとあったが、この離では牝牛である。柔順の徳というより、柔順な人に服するのが良い。智の至りである。明󠄃とは日のことである。前の日が没しても、次の日の出がある。君子はこれを体現し、前の王の明徳を継いでいくのである。
《爻辭》
〈四爻〉
四爻は不中正で応じるものがない。人心は服さないし、必ず災いあり。凶であることは言うまでもない。
〈三爻〉
昃は日が下ること。缶は瓦器である。素朴なものである。耋は八十歳。下卦の最上であり、中頃を過ぎて日没に達する。革易の時である。素朴に甘んじ満足すべきである。そうしないと嗟嘆することとなり、後悔する。中に及ばない場合はまだ望みがあるが、中を過ぎてしまうと衰退に向かう。

7/24 (土) ䷃ 山水蒙(さんすいもう) 変爻無し

【運勢】
蒙は、子供や愚か者のことを意味する。
未だ実力不足であり、実力をつける必要がある。
良い見本を見つけ、学び、吸収し、実践できるようになることが理想である。
自身に自惚れてはいけない。自ら学びにいく姿勢が大事。


【原文】
蒙は亨る。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求む。初筮すれば吿ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るるときは則ち吿ず。貞に利あり。
彖に曰はく、蒙は山の下に險あり。險にして止まるは蒙。蒙は亨る。亨を以て行く。時に中するなり。我れ童蒙に求むるにあらず。童蒙、我に求むとは、志、應ずるなり。初筮するときは吿ぐとは、剛中を以てなり。再三するときは瀆る。瀆るるときは則ち吿げずとは、蒙を瀆すなり。蒙以て正を養ふとは聖の功なり。
象に曰はく、山下に出づる泉あるは蒙。君子以て行を果たし德を育(やしな)ふ。


【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
蒙は子供や愚か者の意󠄃味である。山の下に泉があるが、山のせいで流れない。どんな子供でも継続して学べば大成できる。我とは二爻、童蒙は五爻である。五爻が二爻に学びを求めている。二爻と五爻とは応じていて、よく学べる。筮は最初には良く告げてくれるが、二回三回と繰り返せばそれは冒瀆であり、ちゃんとした答えは返ってこなくなる。

7/23(金) ䷳ 艮爲山(ごんいさん) 変爻なし

【運勢】
艮爲山の時は、停滞期である。
止まるべきときには、止まらなければならない。
確かに動かなければ、結果を得ることができないが、動かなければ、失敗した時の損失は小さい。
今は、止まって自分の力を蓄えるべき。


【原文】
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【原文解釋】
〔王弼と東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。