9/22(水) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 上爻初爻


【運勢】
物事の本質を見極めるには、何事も誠心誠意取り組む事が大切である。
身の回りに溢れる善行の機会を最大限に活かすと良い。
身近で困っている人を助ける事が精神的な支えとなり、天下泰平を維持する事に繋がるだろう。


【結果】
䷓◎⚪︎
風地觀(ふうちかん) 上爻初爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[上爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。
彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。                  象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。其の生を觀る。君子は咎なし。象に曰はく、其の生を觀るとは、志未だ平らかならざるなり。
[初爻]
初六。童觀す。小人は咎なし。君子は吝なり。象に曰はく、初六の童觀は、小人の道なり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
観は見ること、見られることである。全体として艮
の形であり、これは宗廟を表す。宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
我が生を觀るとは、自ら其の道を觀る者である。其の生を觀るとは、民の觀る所となる者である。位に在らずして、最も上極にいる。其の志を高く尚び。天下の觀る所となる者である。天下の觀る所の地にいるため、愼まないわけがない。故に君子の德みえ、咎无きを得る。生は動き出すように特に異なる地にいて、衆の觀る所となる。平易をなさず、光を和げ流通する。故に志未だ平らかならざるなり。
[初爻]
観る時にいて、最も朝美から遠い。陰柔で、自ら進む事ができない。手本となるところがない。幼い者が観ている。順に趣くのみ。なせるとこなくして、小人の道である。故に、小人は咎なし。君子は大観の時の処だと。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「観」は大いに観るという義である。高い所から遍く四方を観廻す所である。『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。「視」は常の事を詳らかに見ることである。一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。上卦が巽で、巽は香気である。鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。巽は潔さの象でもある。顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。
[彖伝]
明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。また坤は乾に順う。天子は中正を以て天下を観る。中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。天子は天下を観る計りではない。天の神道をも観る。これは神仏の神ではない。『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。日本における神道とは異なる。
[象伝]
地上一面に風が吹き渡る。風は万物を育て、巡々と吹く。天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。
《爻辭》
[上爻 優先]
[初爻]

9/21(火) ䷁ 坤爲地(こんゐち) 上爻


【運勢】
慣例や秩序に対し敬意を払い、従順さを示す事が大切である。
権力や名声に固執し無慮に突出する事は、秩序の崩壊に繋がる。
順徳を踏み行うのに不必要な力は持つべきでない。
一人で事を進めず周りと役割を分担すると良い。


【結果】
䷁◎
坤爲地(こんゐち) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
坤は元(おほ)いに亨(とほ)る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところ有り。先(さきだ)つときは迷ひ、後るるときは主を得るに利あり。西南には朋を得る。東北には朋を失ふ。安貞にして吉。彖に曰はく、至れるかな坤元。萬物、資(よ)りて生ず。乃ち順にして天を承(う)く。坤、厚くして物を載す。德无疆に合ふ。含弘光大にして品物、咸(ことごと)く亨る。牝馬は地類。地を行くこと疆なし。柔順利貞は君子の行ふところ。先だつときは迷ひて道󠄃を失ひ、後るるときは順にして常を得る。西南には朋を得る。乃はち類と行く。東北には朋を喪ふ。すなはち終に慶有り。安貞の吉は地の无疆に應ず。象に曰はく、地勢は坤。君子以て厚德者物を載す。


《爻辭》
上六は、龍野に戰ふ。其の血玄黄。象に曰く、龍野に戰ふとは、其の道窮まれば也。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
坤は貞によろしい。牝馬によい。馬下にあって行く。牝馬は柔順の至りである。柔順を尽くして後にうまく行く。牝馬の正しいものによろしい。西南は人を養う地である。坤の方角である。だから友を得る。東北は西南の逆である。友を失う。乾は龍を以て天を御し、坤は馬を以て地を行く。地は形の名である。坤は地を用いるものである。両雄は並び立たない。二人主が居るのは危うい。剛健と對をなす。長く領土を保つことが出来ない。順を致していない、地勢が順わない。その勢は順。


《爻辭》
陰の道爲るや、卑く順なりて盈たず。乃ち其の美盛なるを全うして已まず。陽の地を固むれども、陽の堪へざる所なり。故に野に戦ふ。


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
坤の爻はすべて陰。順の至りである。牝馬は柔であり強く行く。この卦は柔にして健である。主に遇うとは、陽に遇うことである。西南は陰、東北は陽。順の至りでうまく行く。君子まず行くところがあれば迷い、後に主を得る。西南に行くと友を得て、東北に行くとその友は離れる。正しいことだけをしていれば吉。天の気を承け萬物を生ず。陽に先んじてはならず、陽の後に行けばよい。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
坤は乾と對であり、乾は天、坤は地である。牝馬の話が出るが、これは乾の方が牡馬であることをも示している。臣たるもの、必ず朝󠄃廷に行って君に仕えなければならない。しかし、無学では全く役に立たないから、そのためには朋(とも)をもって助け合わなければならない。西南は坤である。
巽の卦、離の卦、坤の卦、澤兌の卦は陰の卦である。そこで、西南に陰の友が集まっている。朋は友と違う。一緒に勉強するもののことを朋というのである。友とは朋の中でも特に親しいものである。朋の字は陰で、友の字は陽である。始めのうちは陰の友達が必要である。そこで西南が良いのである。また、東北は朝󠄃廷を意味する。乾の気で萬物は始まり、坤の気で萬物に形が備わる。坤の卦は地の上に地を重ねているから、地盤は盤石である。天の気がどこまでも拡大していくのに、陰の気はどこまでも従うのである。牝馬が牡馬に従うように、臣下は君主に仕えるのである。先に行こうとしてはいけない。常に後ろについていくべきである。臣下は朋友を失うことになるが、君主に仕えることでそれを克服するだけの喜びを得る。慶(ケイ、よろこ)びは高級な臣下の卿(ケイ)に通じる字である。上に鹿の字が附くが、昔は鹿の皮を以て喜びを述べた。人々が集まってくるのである。
[大象傳]
地が二つも重なっているので盤石である。物を載せても耐えられる。つまり様々なことを任されても耐えられる存在なのである。
《爻辭》

9/20(月) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し


【運勢】
高く聳え立つ澄んだ山々の様に、何事にも堂々とした姿勢で望み、嘘偽りの無い清らかな心を持つと良い。
大事を行うには、時期尚早である。
先ずは、自分一人で出来る事を地道に行い、地位を盤石にする事が大切である。


【結果】

艮爲山(ごんいさん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。
山である。
山が二つ重なるので兼山ともいう。
應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。
どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。
艮は人の身体でいえば背中に相当する。
動くものは前にあり、背中は動かないからである。
また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。
かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。
無欲であれば、我が身は無いのと同じである。
我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。
荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。
人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖伝]
艮は止まるとある。
三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。
止まる方にばかり偏ってはいけない。
また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。
動と静の双方を含んでいることになる。
つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。
初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。
よって「其ノ身ヲ獲」ない。
我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象伝]
「兼山ハ艮」とある。
山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。
君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

9/19(日) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 初爻


【運勢】
まず初めに、物事の秩序や根幹を整えなければならない。
混沌とした状態が続けば、お互いに疑心暗鬼となってしまい、対立を生んでしまう。
謙譲の美徳を持ち、相手を寛容に受け入れ、適材適所で活かす事が大切である。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
初九。磐桓(はんかん)す。貞(てい)に居るに利(よろ)し。侯(こう)を建つるに利し。象に曰はく、磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。貴を以て賤(いや)しきに下る、大いに民(たみ)を得ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
[王弼]
屯の初めにいる。動けば則ち難を生じるので進んではならない。故に磐桓である。此の時によって、其の利、安くにか在る。唯だ貞に居て、侯を建てることのみてまある。乱れを息めて静かにする。静を守って侯たり。民を安んじて正に在り、正を弘くして謙に在り。屯難の世、陰、陽を求むめる。弱は、強を求める。民は、其の主を思う時である。初、其の主爻でまた、下である。爻、斯の義を備えている。宜しく其れ民を得るべきあるって、進むべきでない。故に磐桓するのである。宴安して成務を棄てるわけではない。故に磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。なのである。
[東涯]
磐は盤と同じであり、盤垣である。難に進もうとしている貌である。この爻は、屯の初めで陽を以って下にいる。苦しい時で卑しく、その才を用い得ていない。故に盤垣である。ただ、正しくいて詭計詐謀を用いてはならず、かわいがるのである。故に貞に利し。陽剛の才を持って緖陰の下にいる。民衆は、服従して、その心を得ている。故に「侯(こう)を建つるに利し。」なのである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。
下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。
水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。
天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖伝]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。
険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。
初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。
この人が進んで遂に侯になる所の卦である。
雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。
真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。
服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。
世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象伝]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。
また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。
綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。
この雲雷の象によって世の中を治める。


《爻辭》

9/18(土) ䷯ 水風井(すいふうせい) 変爻無し


【運勢】
常に敬いの心を忘れず、冷静さを保ち秩序を守る事が大切である。
上に立つ者は民を養う責任を負い、下の者はこれに報いる。
この相互作用を維持する事が、万人の生活をより豊かにし、全ての成功の土台となるだろう。


【結果】

水風井(すいふうせい) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
井は邑を改めて井を改めず。喪ふことなく得ることなし。往来井を井とす。汔(ほとん)ど至らんとして亦た未だ井に繘(ゐつ)せず。其の瓶を羸(やぶ)る凶。
彖に曰はく、水に巽れて水を上ぐるは井。井は養ひて窮まらず。邑を改めて井を改めざるは乃ち剛中をっ以てなり。汔(ほとん)ど至らんとして未だ井に繘(ゐつ)せずとは、未だ功有らざるなり。其の瓶を羸(やぶ)る、是を以て凶なるなり。
象に曰はく、木の上に水あるは井。君子以て民を勞し、勧め相(たす)く。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
井は不変の徳がある。常にあり、変化しない。ほぼ到達するのに井の水が出てこない。井は水が出なければ意味がない。至る直前でこぼしてしまったら、汲まないのと同じである。剛中である。だからよくその場にとどまり、変わらない。


〔伊藤東涯の解釋〕
汔はほとんど、繘は井戸の水をくみ上げる綱、瓶は水を汲む器、羸は破れるの意󠄃。内卦は木、その徳は入る。外卦は水。木が水の下に入って水をくみ上げる。よく人を養い、極まることがないのである。二爻も五爻も剛中の才があり、常の徳がある。そして人々を養う。井の水は減りもしないし、増えもしない。往来の人々は、みなその恩恵にあずかる。また、井は水を汲んで初めて役に立つ。水をほとんどくみ上げたところで、綱が上まで来なかったり、器が壊れてしまっては、何の役にも立たない。君子が德を修め、世の中に不正がはびこっても常に一人正しさを守り、世の中にどんな禍󠄃があろうとも不易の道を進む。窮まったり、通ったりで増えも減りもしない。あまねく人々のためになる。終始励み、怠らない。そして成功をおさめるのである。其の志を挫くことは出来ない。


〔根本通明の解釋〕
此の井は、俗に言う井戸で、水を汲み上げて以て人を養う所である。井戸の水は人間の徳に譬えたものである。乃ち道徳である。邑が変わり、国が種々に変化しても、道徳は動かすべきものでない。井戸の水は幾ら汲んでも減じて無くなる事は無く、また汲まずに置いても溢れ出る事も無い。地の中に名水を掘り当て清水が湧出するのは、学問を修め仁義礼智の徳が湧き出でて来るが如くである。釣瓶縄を置かなければ之を汲み上げることが出来ないように、道徳ある人物を朝廷へ薦め挙げる人が無ければいけない。しかし、賢人を妬み釣瓶を壊す小人もあり、之は最も凶である。
[彖伝]
下卦の巽は五行では木の象である。其処で瓶に取る。上卦の水の中に瓶を入れる形である。井戸は、水を幾ら汲んで人を養っても尽きることは無い。賢人と云うものも道徳を以て多くの人に施し養うが、道徳は尽きることが無い。此の卦は二爻目と五爻目とも剛中を得ているから、中庸にして長く施して養う所がある。しかし折角井戸を掘っても繘(つるべ)が無い。学問道徳盛んな人があっても、朝廷において挙げて用いなければ養ったところの功が出て来ない。また釣瓶を蠃(や)ぶり、賢人を用いないように讒言を以て害する者がある。是を以て凶である。
[象伝]
木の上に水がある。即ち繘を井戸の中へ入れる形である。水は広く人を養うものであり、農業が最も盛んなるものである。君子は水を以て農民を良く励まし助ける所がある。

9/17(金) ䷧ 雷水解(らいすいかい) 五爻


【運勢】
春の芽吹きが力強い様に、何事も始まりは精力的であると良い。
困難な問題は、公明正大に対応する事で解決出来るだろう。
刑罰等で相手を縛るのでは無く、その道の体現者として、自らの徳を以て教え諭す事が大切である。


【結果】
䷧◎
雷水解(らいすいかい) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。


《爻辭》
六五。君子維(こ)れ解くことあり。吉。小人に孚有り。
象に曰はく、君子解くこと有りとは、小人退󠄃くなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


《爻辭》
五爻は尊󠄄位であり中である。また二爻の剛と応じている。解決することがあり、吉である。君子の道󠄃を以て難󠄄を解き、險を解決する。小人は暗いが、この君子に服して問題がないことを知っている。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。


《爻辭》
柔順中正であり、尊󠄄位に居る。下は二爻に応じている。徳のある君が位に居て、小人は自ずから遠ざかる。解けることがあれば、吉であり小人の去る効果がある。古より國の小人を除くには、大きければ兵を動かす。小さければ刑罰を用いる。力を費やさなければならない。有徳の君子であれば、物事は自然に変化し、小人は刑罰を用いなくても自然に退散する。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。
長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。
西南は坤の卦で、地の象である。
地に五穀を植立てて、以て人民を養う。
天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。
漸次人民を養えば宜しい。
若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖伝]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。
西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。
大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。
既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。
往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象伝]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。
君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。
其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。
善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。
しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。


《爻辭》
六五の君子は、小人を解き放して天下を治める所があり、是は吉である。又小人だからと云って悉く殺す様な事は無く、其の徳を以て是迄の悪い所を改悛させて服せしめる。
[象伝]
君子の方で小人を解き放して棄てれば、小人は皆退いて遁れて往く。其所で天下は後に治まる。

9/16(木) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻


【運勢】‬
現状と其処に至るまでの経緯から、今後の展開を予測する事は、物事の基本である。
それが出来ない内は、どんな事も安請け合いしてはいけない。
志ばかり高く実力の伴わない者が指揮すれば、事態を悪化させてしまうだろう。


【結果】
䷉◎
天澤履(てんたくり) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
[王弼]
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。すがめるものである。行動すれば跛である。その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。志剛健があるが、履むところを確認しない。武は人をあなどろうとする。大君と為り、進めば凶を免れない。志は五爻にある。頑ななこと甚だしい。
[東涯]
眇は片目が小さいこと。跛は足が不自由なこと。虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。才がなく志が高い。成功したいと願っている。武人が大君と為り、志は强いが凶である。荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。往々にしてあることである。剛を履んでことを爲すことは出来ない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辭》
三爻目は虎の口である。至って剛情で、不正なる者である。目や足が片方しか無いのは、邪(よこしま)な心の譬えである。虎は君を犯して、大君となる勢いである。天子は油断できない。そこで虎の後ろに旋って、尾を履んで往く。
[象伝]
片目や片方の足では、明らかに見ることは出来ず、人に追いつくことも出来ない。六三は陰爻を以て陽位にあり、陽を犯す所の象がある。乱臣賊子の懼れるべき所を示す。

9/15(水) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 四爻


【運勢】
直く正しく誠の心を持ち、内実の伴う行動で誠意を示す。
そうして地道に得て来た信頼は、才ある者の力強さや勢いよりも遥かに堅固で素晴らしい。
より多くの期待に応える為、その信頼関係を生かす事が大切である。


【結果】
䷼◎
風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰はく、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰はく、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。


《爻辭》
六四。月望に幾(ちか)し。馬匹亡ぶ。咎なし。
象に曰く、馬匹亡ぶとは、類を絕ちて上るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
上四に徳があって初めて誠となる。
信立ちて初めて国が治まる。
柔が内に在り、剛が中を得ている。
剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。
喜んで従う。
競い合わない。
魚は虫の潜り隠れるものである。
豚は獣の卑しく弱いものである。
競い合う道󠄃はない。
中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。
木を船の空洞に用いればついに溺れない。


《爻辭》
中孚の時に居り、巽の始めに處り、説の初に應ず。正に居りて順を履み、以て五を承く。内には元首を毘け、外には德化を宣ぶる者なり。陰德の盛に充つ。故に月望に幾しと曰ふ。馬匹亡ぶとは、羣類を棄つるなり。若し夫れ盛德の位に居りて、物と其れ競爭を校れば、則ち其の盛なる所以を失ふ。故に類を絶ちて上ると曰ふ。正を履みて尊を承け、三と爭はず。乃ち咎无きを得るなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
孚は信である。
豚魚は江豚である。
大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。
二陰が四陽の中にある。
二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。
だから中孚というのである。
己に信があれば物は必ず感じる。
木が澤の上に在る。
真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。
大難を過ごして、誠を守る。
誠があれば物は何でも動かせる。
まだ誠がない場合は物を動かせない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。
我が孚が豚魚の様であれば吉である。
豚魚は豕に似た魚の事である。
平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。
船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。
この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。
孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖伝]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。
下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。
其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。
我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象伝]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。
離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。
互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。
また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。
《爻辞》

9/14(火) ䷆ 地水師(ちすゐし) 三爻


【運勢】
芯の無い八方美人は、指導的立場に相応しく無い。
口先ばかりの者を信頼すれば、目的は達成出来ず、これまで積み重ねて来た成果も無に帰すだろう。
困難な時こそ、皆を正しい道へと導く、志操堅固な者が求められる。


【結果】
䷆◎
地水師(ちすゐし) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎无し。彖に曰はく、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。象に曰はく、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
六三。師或いは尸を輿(を)ふ。凶。
象に曰はく、師或いは尸を輿ふとは大いに功无きなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。

《爻辭》
陰で陽に居て柔で剛に乘る。進んでも応じる者がいない。守るところがない。これで軍隊を用いる。よろしくない。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


《爻辭》
軍が敗れて戦死者を背負って帰る。陰柔の才があり、不中不正。下卦の上位に居て、才がなく志は大きい。人が頼りにすべきものでない。この人に軍を仕切らせたら必ず負ける。國の大事は祭祀と遠征である。才が称賛に値しないものは統治できない。志ばかりが高く自らの才能を客観的に評価できないのであれば、勝利はない。律は法である。行軍の規律である。一時的な勝利をおさめても最終的には敗北する。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖伝]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象伝]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。


《爻辭》
六三と六四は元帥を補佐する所の大将である。二三四爻目は震の卦であり、之は長子乃ち皇太子の象である。三四爻目の陰爻が二爻目の陽爻に随って居る。此の陽爻は大元帥で、二つの陰爻は左右の翼である。六三は坎の卦として見れば、最も危険な一番上にある。其所で元帥の命を受けずに無理な戦いを仕掛けて、大敗を為した。其所で凶である。
[象伝]
六三は一通りの敗れ方ではない。是迄の功も、此の敗北の為に失ってしまった。

9/13(月) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 変爻無し


【運勢】
自信を持つ事は良い事だが、一人で何でも出来ると慢心し、人間関係を蔑ろにしてはいけない。
孤立を良しとせず、まずは謙虚に人と接し、信頼関係を築く事が大切である。
安定し秩序立った社会の恩恵に感謝すると良い。


【結果】

火山旅(かざんりょ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。
彖に曰はく、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。
象に曰はく、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。
だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。
物がその主を失うと散る。
柔が剛に乘る。
五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。
陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。
小し亨る。
旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。


〔伊藤東涯の解釋〕
旅は旅行である。
五爻は陰で、順の徳がある。
安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。
少しはうまく行くのである。
旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。
旅の時には、助けてくれる人も必要である。
信用できない人に頼ってはならない。


〔根本通明の解釋〕
この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。
一つ前に
雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。
贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。
その後、旅に出る。
旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。
謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。
[彖傳]
この卦の五爻の陰爻は、元々は
雷火豐の時には、内卦にいた。
それが外に出たので、旅をするというのである。
旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。
そこで、上爻と四爻に依存している。
このようにただ縮こまっていてはいけない。
旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。
怪しい人間は避けた方が良い。
[象傳]
山は動かず、火は行き過ぎる。
この二つが同居しているのが旅である。
君子は刑罰を慎まねばならない。
なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。
それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。
君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。
慎重に刑罰を行うべきである。