9/12(日) ䷚ 山雷頤(さんらいい) 上爻

【運勢】
不用意な発言は身を滅ぼす要因となる。
皆の期待を一身に背負う様な状況では、特に注意しなければならない。
言葉の持つ力は不滅であり、後世にも影響を及ぼすので、正しく活用すれば、物事の成就に大きく近づくだろう。


【結果】
䷚◎
山雷頤(さんらいい) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
頤は貞吉。頤を觀て自ら口實を求む。
彖に曰はく、頤は貞吉とは養正しきときは則ち吉なるなり。頤を觀るとは其の養ふ所󠄃を觀るなり。天地は万物を養ひ聖人は賢を養ひて、以て萬民に及ぼす。頤の時大なるかな。
象に曰はく、山下に雷有るは頤。君子以て言語を慎み、飲食を節󠄄す。


《爻辭》
上九。由頤す、厲(あやう)けれども吉。大川を渉るに利し。
象に曰く、由頤す、厲けれども吉とは、大いに慶びあるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
言語飲食慎み節󠄄すべし。そのほかは言うまでもない。


《爻辭》
陽を以て上に處りて、四陰を履む。陰、獨りにして主とすること能(あた)はず、必ず陽を宗とするなり。故に之に由りて以て其の養はるるを得ざる莫し。故に由頤すと曰ふ。衆陰の主なり、涜すべからざるなり。故に厲けれども乃ち吉。家人悔厲の義似有り。貴くして位无し、是を以て厲きなり。高くして民有り、是を以て吉なり。養はるるの主なり、物の違ひ莫し。故に大川を渉るに利し。


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
頤はおとがいである。口実は食󠄃のことである。卦全体でみると初爻と上爻に陽がある。中は四つの陰である。人のあごを象る。あごは飲食をするところ。そして身を養う。だから養いの道󠄃である。正道であれば吉。食󠄃は人を養うものである。正道でなければ最終的には禍󠄃に苦しむ。質素なものを食すのが良い。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
頤は養うと云い、「オトガヒ」と訓む。丁度人の頤(あご)の象があり、
は口を開いた貌である。人の飲食する時に、上顎が動かず下顎が動くように、上卦の艮は動かず下卦の震が上の方に上がる。飲食を以て身体を養う。不正なことを以て飲食を得てはいけないが、正しき所を以てするので吉である。自分の求める所の物の、正と不正を能く観なければいけない。口の中に入れる物を皆口實と云う。艮は身体で、震は道徳である。
[彖伝]
正しき所を以て、身体ばかりではなく、道徳を養っていけば、吉である。不正の禄を受けてはいけない。天地は万物を養い、天子は賢人を養う。そして賢人の力を用いて万民を養う。天子は自身も学問を修め賢人の徳を備えて、是を以てあまねく万民を養う方法を心掛けなければいけない。
[象伝]
山下に雷気があり、是で以て万物を養う。君子は言語を慎んで徳を育う。人と話をするにも、道に背くこと、仁に違うことを言ってはいけない。言おうとする時に、控えて稽えるのが慎むことである。口に任せて言えば、後で信用を失うことになる。又飲食を節にするのは、身を養うことである。飲食は過ぎれば害を為す。
《爻辭》

9/11(土) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 四爻


【運勢】
精力的である事は、時に周りとの軋轢を生んでしまう。
順徳を固く守り、何事も一貫した姿勢で取り組み、皆の信頼を得る事が大切である。
積み重ねを大切にし、地道に進んだ者が、最後には君子に至るだろう。


【結果】
䷭◎
地風升(ちふうしょう) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。彖に曰はく、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。象に曰はく、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。


《爻辭》
六四。王用ゐて岐山に亨(とほ)す。吉にして咎(とが)め无(な)し。
象に曰はく、「王用ゐて岐山に亨す」とは、順にして事(つか)ふるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
巽順で以て上るべし。陽爻が尊󠄄位に当たらない。厳しい剛の正しさがないので憂えを免れない。大人にあうのに用いる。憂うるなかれ。柔で南に行けば、大きな明󠄃につく。柔は時により上ることを得られる。純柔であれば自分で上ることが出来ない。剛が思いあがれば人は従わない。旣に時であり上った。また巽順である。剛中で応じている。だから大いにとおるのである。巽順で上った。大きな明に至る。志が通ったことを言う。


《爻辭》
四爻は大臣の爻で、ここでは文王が岐山に登って神を祭った象である。
大変有能であるが、王に服してよく仕える大臣である。
どんな徳の無い王でも、良い臣下の助けを得て天下は治まっている。


〔東涯の解釋〕
《卦辞》
升は変じて萃と通う。萃の内卦の三爻の陰が昇って外卦に行った。だから升という。内が巽で外が順。柔巽で人の心に從う。二爻は剛中で五爻と応じている。これは賢人が君を得た象である。その得失を憂うるなかれ。西南は坤
であり、上卦にある。だから前進して南に遠征する。進み上って吉である。君臣が遇うことは古來難󠄄しい。巽順の德を身につけ、柔中の君(五爻)に遇󠄄う。剛中の逸材(二爻)を重用して、賢人を好む時、進んで為すことがある。地中に木が生ずる象であるから、地道は木に敏感である。時に昇進する。もしその養いを得れば、長く続かないものはない。君子はこれを体してその徳に從う。次々に重ねて高明󠄃廣大となる。漸次進む。
《爻辭》

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
升は升(のぼ)って進むという義がある。昇と同じである。三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。地に陽木と陰木の芽が出ている。それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。元亨の元は震で、亨は兌である。また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。南に征くとは、南面の位に即くことをいう。
[彖伝]
太子は升るべき時を以て天子の位に升る。皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。心配には及ばない。必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。
[象伝]
地の中に巽と震の卦がある。木が次第に上の方に進んで伸びて往く。君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。巽は『説卦伝』に「高し」とある。


《爻辭》
岐山は西の山である。
兌は西であり、岐山において祭る。
即ち皇太子が天子に代わって天を祭る。
そこで吉であり、咎が無い。
[象伝]
従順にして能く天に事(つか)う所がある。
皇太子が天子に代わって祭るのは、やはり順なる所である。

9/10(金) ䷆ 地水師(ちすゐし) 四爻三爻


【運勢】
有事の際は、より一層規律を重んじ統率を確実なものにしなければならない。
志操堅固な人が、民を正しい方向へ導くだろう。
積極的に革新を行うよりも、周りと協力した上で過去を反省し、地道な改善に取り組む方が良い。


【結果】
䷆◎⚪︎
地水師(ちすゐし) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎无し。
彖に曰はく、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰はく、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。師左次(さじ)す、咎なし。
象に曰く、左次す、咎なしとは、いまだ常を失わざるなり。
[三爻]
六三。師或いは尸を輿(を)ふ。凶。
象に曰はく、師或いは尸を輿ふとは大いに功无きなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


《爻辭》
[四爻 優先]
位を得れども應ずること无く、應ずること无ければ以て行くべからず。位を得れば則ち以て處るべし。故に之を左次す咎无きなり。師の法を行ふや、右に背ろ高からんと欲す。故に之を左次す。
[三爻]
陰で陽に居て柔で剛に乘る。進んでも応じる者がいない。守るところがない。これで軍隊を用いる。よろしくない。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


《爻辭》
[四爻 優先]
[三爻]
軍が敗れて戦死者を背負って帰る。陰柔の才があり、不中不正。下卦の上位に居て、才がなく志は大きい。人が頼りにすべきものでない。この人に軍を仕切らせたら必ず負ける。國の大事は祭祀と遠征である。才が称賛に値しないものは統治できない。志ばかりが高く自らの才能を客観的に評価できないのであれば、勝利はない。律は法である。行軍の規律である。一時的な勝利をおさめても最終的には敗北する。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖伝]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象伝]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。


《爻辭》
[四爻 優先]
[三爻]六三と六四は元帥を補佐する所の大将である。二三四爻目は震の卦であり、之は長子乃ち皇太子の象である。三四爻目の陰爻が二爻目の陽爻に随って居る。此の陽爻は大元帥で、二つの陰爻は左右の翼である。六三は坎の卦として見れば、最も危険な一番上にある。其所で元帥の命を受けずに無理な戦いを仕掛けて、大敗を為した。其所で凶である。
[象伝]六三は一通りの敗れ方ではない。是迄の功も、此の敗北の為に失ってしまった。

9/9(木) ䷮ 澤水困(たくすいこん)→䷄ 水天需(すいてんじゆ)


【運勢】
澤に溜まった水は地に吸い込まれ、川から海に流れやがて天に昇る。
壮大な自然の巡りに感謝し、身を委ねると良い。
無理に着飾ろうとせず、成果の出ない時は、寡黙に努力し誠実さを体現すべきである。


【結果】

本卦:澤水困(たくすいこん)
之卦:水天需(すいてんじゆ)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[四爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。象に曰はく、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《之卦:
水天需》
需孚有り。光に亨る。貞にして吉。大川を渉るに利し。彖に曰はく、需は須なり。險前󠄃に在るなり。剛健にして陥らず。其の義、困窮せず。需は孚有り。光に亨る。貞吉とは、天位に位して以て中正なるなり。大川を渉るに利しとは、往きて功有るなり。象に曰はく、雲、天に上るは需。君子以て飲食宴樂す。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《本卦:
澤水困》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。


《之卦:
水天需》
天位に居るとは五爻のことである。中正。そして物を待つ。之が需道である。乾德で進めば亨る。童蒙は旣に德を持つ。


〔東涯の解釋〕
《本卦:
澤水困》
正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《之卦:
水天需》
需は待つべきであるという卦である。下卦の陽は進もうとする。然し前には険難がある。我慢して待てば険難に陥らない。五爻が主爻である。五爻は剛中の才がある。能く待ってから進むことが出來る。心が弱い人は待つことができないで冒険して失敗し困窮する。忍耐は大切である。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
澤水困》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖伝]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象伝]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《之卦:
水天需》
下卦の乾は三爻共に陽爻で賢人の象である。上卦の五爻目は陽爻を以て陽位にあり、明君である。しかしながら上卦の坎は水であり、天下が水に溺れる象がある。これは三四五爻目に離の卦があり、主爻となる六四の大臣が、火が物を害する様に天下の人民を苦しめている象である。其所で此の禍の元凶である大臣を、天下の賢人が撃ち拂わければならない。需と云うのは、須(ま)つと云う事である。上卦では力を盡したいと云う賢人を需(ま)ち、下卦では明君が賢人を求める所を需って居る。天子に孚が有り、賢人が国家の為に盡す時には、危険を冒してでも往く所に宜しき所がある。
[彖伝]
需は「須つ」と訓み、「待つ」とは違って、暫く控えると云う義である。険難を前に大事を行おうと思っても、速やかには行われない。天下の賢人は遠く慮る所があり、無理に川を渉って危険に陥らない。九五の天子は天位に居り、何処迄も正しく中庸である。其所で遂に孚の亨る所がある。
[象伝]
雲が天に上り十分に集まった所で雨が降る。即ち需つの象である。下に居る賢人は、時を需って居る間、飲食を以て身を養い、宴楽を以て心を養う。そして時が到れば雷の如くに進んで往くのである。

9/8(水) ䷉ 天澤履(てんたくり) 上爻四爻


【運勢】‬
順調な時、困難な時、様々な状況下での行いが自らの糧となっている。
これまでの行いを省みて、今後の判断に活かすと良い。
柔軟な対応が必要な時こそ、周りが信頼する、礼儀を弁えた誠実な人にならなければいけない。


【結果】
䷉◎⚪︎
天澤履(てんたくり) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。履を視て祥を考ふ。それ旋れば元吉なり。
象に曰く、元吉上に在りとは、大いに慶びあるなり。
[四爻]
九四。虎の尾を履む。愬愬(さくさく)たり。終(つひ)に吉なり。象に曰はく、「愬愬(さくさく)たり。終ひに吉なり」とは、志行はるるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
[上爻 優先]
禍福の祥、履む所に生ず。履の極に處り、履道成る。故に履を視て祥を考ふべきなり。極に居りて説くに應じ、高くして危ふからず。是れ其れ旋るなり。履道大いに成る。故に元吉なり。
[四爻]
虎の尾を履むような恐ろしい状況であるが、常に恐れを持って行動している。
その慎しみが上に伝わり目的を達成できる。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
無し


《爻辭》
[上爻 優先]
[四爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辭》
[上爻 優先][四爻]
九四は天子を輔ける者である。
乾は兌の下に旋(め)ぐる。
四爻目は初爻の下に、五爻目は旋ぐった四爻目の下に、上爻は旋ぐった五爻目の下に旋ぐる。
このように旋ぐると四爻目が虎の尾を履む位置となる。
虎である九三の大臣を撃つのに、九四が手を下す象になる。
危険な所であるから、懼れなければいけない。
「愬」には懼れるという意味がある。
しかし逆賊を除く所であるから、一旦懼れ慎みはするが、終(つい)には虎を撃つことになる。
そこで「終吉志行也」となるのである。

9/7(火) ䷴ 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し

【運勢】
大きな目標を掲げるだけでは、達成までの道筋が見えず、かえって土台を不安定にしてしまう。
困難な時ほど、細かく目標を立て、段階を踏み進めて行くと良い。
そうして、常に前へと皆の意識を向ける事が大切である。


【結果】

風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
漸は女歸いで吉。貞によろし。彖に曰はく、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。象に曰はく、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
漸は漸進の卦である。止まりて巽。だから適度に進む。巽に留まるから進󠄃む。だから女嫁いで吉なのである。進んで正しいものを用いる。進んで位を得るとは五爻を指す。この卦は進むことを主る。漸進して位を得る。


〔伊藤東涯の解釋〕
漸は次順番通りに進むことである。巽は長女、進んで上に在る。進めることをゆつくりしなければならないのは、女が嫁ぐ時である。五爻が位を得て、剛が中にある。家を正し、功があるだろう。君子が仕えるときは、進󠄃むに礼を以てし、退󠄃くに義を以てする。五爻剛中の徳がある。


〔根本通明の解釋〕
漸は、小さな木が次第に成長して大木になるように、順序を立てて進んで往く意である。この卦は鴻雁(こうがん)の象を取っている。雁は水鳥で、陰鳥であるから、陽に能く従う。そのため婚礼の時には、雁を以て礼を行う。即ち、女が夫に従う義を取ったのである。また臣たるものは、必ず君に従う。国に生まれた者は、皆君に仕えなければならないと云う義も示している。
[彖伝]
女の嫁入りは、速やかにするものではない。六礼といって、六つの段に分かれており、順次進んで往って婚礼が成る。また天子は天下を治めるのに、先ず我が身を正しくする。正しい所を以て、国家を正しくすることが出来る。
[象伝]
山の上に木がある。君子はこの義を用いて、賢徳ある人物を高い所に据え、賢人の徳を以て社会風俗の悪い所を能く直して行く。

9/6(月) ䷉ 天澤履(てんたくり)→䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう)

【運勢】‬
礼儀を弁えた程良い立ち振る舞いが、全ての基本である。
欲深く邪な者は、力の有無に関係無く、機会を逃す。
その場の勢いに従い進む者を他山の石とし、自らを律し冷静な心を保つと良い。


【結果】

本卦:天澤履(てんたくり)
之卦:雷天大壯(らいてんたいそう)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][三爻]


【原文】
《本卦:
天澤履》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《之卦:
雷天大壯》
大壯は貞に利し。彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《本卦:
天澤履》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《之卦:
雷天大壯》
[王弼]
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。

[東涯]

陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
天澤履》

下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《之卦:
雷天大壯》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖伝]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象伝]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。

9/5(日) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 二爻


【運勢】
先入観を持たず、相手の意見を素直な気持ちで捉える。
直感に頼る事が成功へのきっかけとなるだろう。
相手にただ従い、流され易い人間になるのでは無く、落ち着きを保ち、自らの意思で正しい行いをする事が大切である。


【結果】
䷞◎
澤山咸(たくざんかん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。
彖に曰はく、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《爻辭》
六二。その腓(こむら)に咸ず。凶。居れば吉。
象に曰く、凶と雖(いえど)も居れば吉とは、順(したが)えば害あらざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。
天地万物の樣は感ずるところに現れる。
同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。
陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。
下に在って初めて吉である。
虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


《爻辭》


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。
反転すると
雷風恒になる。
恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。
恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。
つまり、柔が昇って剛が下りている。
陰陽二気が通じ合っているのである。
内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。
艮の少男を兌の少女に下す。
皆和順している。
物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。
人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。
妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。


《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。
上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。
人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。
『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。
上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。
兌は少女、艮は小男である。
上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。
男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。
そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖伝]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。
情欲の私があってはいけない。
天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。
婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。
天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象伝]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。
山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。
それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。
我が満ちていてはいけない。

爻辭

9/4(土) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻二爻

【運勢】‬
現状にいくら不平不満を訴えても、行動しなければ何も変わらない。
変わらない事に固執すると、精神の平穏を失うだろう。
言うは易く行うは難し。
安請け合いせず、自分の能力で解決出来るか冷静に考えると良い。


【結果
】䷉◎⚪︎
天澤履(てんたくり) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。
[二爻]
九二。履の道󠄃坦坦たり。幽人貞なれば吉。
象に曰はく、幽人貞なれば吉とは自ら亂れざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の卦辞〕
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


〔王弼の爻辞〕
[三爻 優先]
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。すがめるものである。行動すれば跛である。その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。志剛健があるが、履むところを確認しない。武は人をあなどろうとする。大君と為り、進めば凶を免れない。志は五爻にある。頑ななこと甚だしい。
[二爻]
道を履み、謙譲をとうとぶ。満ちることを喜ばず、務めは誠を致す。外を飾ることを憎む。二爻は陽でありながら陰位に居る。謙を履行するものである。内に居て中を履む。隠しながら顕している。道󠄃を履むことの美が盛んである。険しさや災厄はない。吉である。


〔東涯の爻辞〕
[三爻 優先]
眇は片目が小さいこと。跛は足が不自由なこと。虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。才がなく志が高い。成功したいと願っている。武人が大君と為り、志は强いが凶である。荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。往々にしてあることである。剛を履んでことを爲すことは出来ない。
[二爻]
坦坦とは道が平󠄃らなことである。剛中で下に在る。上に応じるものがないが、履行する所󠄃は道が平坦である。用いられても陥れられても心が乱れることはない。正しくしていればよいのである。利害の絡む場合、どうしても予期せぬ事態に巻き込まれてしまう。一方、利害の外に超然としていれば、道は平坦である。天下が乱れていては隠れて正しさを守るのが吉である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辞》
[三爻 優先]
三爻目は虎の口である。至って剛情で、不正なる者である。目や足が片方しか無いのは、邪(よこしま)な心の譬えである。虎は君を犯して、大君となる勢いである。天子は油断できない。そこで虎の後ろに旋って、尾を履んで往く。
[象伝]
片目や片方の足では、明らかに見ることは出来ず、人に追いつくことも出来ない。六三は陰爻を以て陽位にあり、陽を犯す所の象がある。乱臣賊子の懼れるべき所を示す。
[二爻]

9/3(金) ䷶ 雷火豐(らいかほう)→䷅ 天水訟(てんすいしょう)

【運勢】
勢いの盛んな時は、その勢いを正しい方向へ向けなければならない。
争い事に執着したり、負の感情に流されてしまう様では、かえって物事の成就から大きく離れてしまう。
認め合いの精神が大切である。


【結果】

本卦:雷火豐(らいかほう)
之卦:天水訟(てんすいしょう)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][三爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
雷火豐》
豐は亨る。王、之に假る。憂ふる勿れ。日中に宜し。
彖に曰はく、豐は大なり。明󠄃以て動く。故に豐なり。王、之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふる勿れ。日中に宜しとは、天下を照らす宜しきなり。
日中するときは則ち昃(かたむ)き、月󠄃盈(み)つるときは、則ち食󠄃す。天地の盈虚、時とともに消息す。而るを況や人に於いてをや。況や鬼神に於いてをや。
象に曰はく、雷電皆至るは豐。君子以て獄を折し刑を致す。


《之卦:
天水訟》
訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
豐の義はひろめる、ひらく、微細にするである。
隠れ滞っているものを通して天下の主となって、微隱にはうまく行かない。
憂えは未だに収まっていない。
だから、豐は亨に至るのである。
そして憂えが無くなる。
豐亨憂えなきの德を用い、天中に居るべきである。そして天下を照らす。


《之卦:
天水訟》
訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。


〔伊藤東涯の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
豐は盛大である。
知有りて動く。
よくうまく行く。
王者が大事業を起こす時である。
火を日とし、下に在る。
その徳の光明、あまねく四方を照らせば、憂うことなく、自然と豊大である。
人は明󠄃がなければ物を照らすことできない。
動かなければ事業は出来ない。
明にしてよく動く。
昔は湯王の徳を慕っていった。
天が王に勇智を錫(たま)う。


《之卦:
天水訟》
五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。大川とは内卦の
を表す。訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。やらない方が良い。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
「豊」は腆(あつ)いと云う義で、物が厚く充ち満ちて居ることである。
世の中で云えば、天子が名君で政事が能く行き届いて居り、天下が盛んで富んでいることである。
しかしながらどれだけ盛んであっても、衰える所も出て来る。
下卦の離は日である。
東に在る時は未だ日が低いが、日中になれば遍く東西南北を照らし届かない所は無い。
ただし日が昃(かたむ)くといけない。
[彖伝]
天子の明徳は宜しく四海天下を照らすべきで、暗い所が出て来てはいけない。
しかしながら日が南中すれば、やがては傾いて往く所がある。
月も満ちれば、欠けて来る。
天地の道は斯くの如きもので、いつまでも保つことは難しい。
人間の主でなって居る所の鬼神と雖も、神明なることもあれば、時には神明ならざることもある。
自然の勢いと云うものは、力を以て動かすことは出来ない。
[象伝]
雷と電が一書に来るのが豊の卦である。
天下が皆富んで、上下安楽の時である。
しかし安楽であると、自然と人の心には奢りが出て来るようになる。
其処で刑罰を厳重にしなければいけない。


《之卦:
天水訟》
天水訟の前の卦の需は飲食の道である。飲食の次に生じるのは、慾による争いである。そこで訟の卦となる。『説文解字』によれば、訟は争である。鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。つまり孚(まこと)が無ければならない。孚は坎の象で水である。水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。また水は危険なものという象でもある。窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。剛情にして遂げ終えるのは凶である。
[彖伝]
訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。
[象伝]
天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。