5/12(木) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 変爻無し

5/12(木) 坎爲水(かんゐすい) 変爻無し


【運勢】
大きく道を見失う時。
どんなに辛い状況でも、芯を曲げず自分を信じて行動する事が大切である。
思い悩み立ち止まれば、問題は先送りになり、進退極まる結果となるだろう。
やるべき事を整理して迅速に取組むと良い。


【結果】

坎爲水(かんゐすい) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


〔根本通明の解釋〕
危険なるものの上に危険なるものが重なり、険難の象である。
しかし如何に危険な状況にあっても孚(まこと)を失ってはいけない。
たとえ禍のために僵(たお)れても、その行いの尊ぶべき所は死後も人から称される。
この孚が水から出てくるのは、潮汐は時を間違えず、月は旧暦十五日に必ず満月になる。
この間違いの無い所から孚の象がある。
[彖傳]
習坎は陰を重ねたもので、これは習の字を釋(と)いたものである。
水は常に流れ続け、塞がる所が無ければ、盈ちて溢れることが無い。
水の流れは岩にぶつかったり、流路が屈曲したり困難な所があるが、潮が上り潮が下るという所においては間違いが無い。
このように人は如何なる危険な所にあっても、如何なる苦しみに遭っても、信を失ってはいけない。
信を失わず進んでゆくのが功である。
二爻と五爻の陽爻は剛にして中正であり、中庸の徳を持っている。
山川丘陵の険しく侵し難い所を、王公は外国からの護りに用いる。
また小人が跋扈し君子が難に遭い苦しみを受ける世の中である。
[象傳]
洊(かさ)ねるという字は「再び」「仍る」と解くことができる。
水は如何なる危険な所を流れても常に失わない孚がある。
そこで徳の行いを常にする。
教育を重ね、徳を育てなければいけない。

5/11(水) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 四爻

5/11(水) 地雷復(ちらいふく) 四爻


【運勢】
一陽来復。何事も低迷が長く続いた後には良い事がある。
初心に立ち返り、消極的な考え方を避け、積極的な人に倣うと良い。
偏った考え方を良しとしてはいけない。
周りとの違いを正しく認識し、改善する事が大切である。


【結果】
䷗◎
地雷復(ちらいふく) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。
彖に曰く、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。
象に曰く、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。


《爻辭》
六四。中行獨復す。
象に曰く、中行獨復すとは、以て道に從ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
復はかえるの意󠄃味である。ひとつ前の
剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。一陽来復、また盛んになろうとしている。陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。


《爻辭》
四は上下各二陰有りて、厥中に處り、履に其の位を得て、初に應ず。獨復する所を得、道に順ひて反る。物之を犯すなし。故に中行獨復すと曰ふなり。
四爻の上下どちらにも二陰があって、厥中の処にいる。其の位を得て、初爻と応じている。独り復の処に復するのである。道に従い、物を犯すことがない。故に「中行獨復す。」という。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
復は本の所に反(かえ)るという意である。一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。天の気が地の底に来ることで万物は生じる。この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。「其道」とは、万物を生成する所の道である。「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。雷気が往くに従って万物が発生する。また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。それで「利有攸往」なのである。
[彖傳]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。「天地之心」は万物の生成である。
[象傳]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。
《爻辭》

5/10(火) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻三爻

5/10(火) 天雷无妄(てんらいむまう) 四爻三爻


【運勢】
思わぬ災難に遭い易い時。
冷静に正しさを守り進めると良い。
強い使命感を持ち、自らの役割を全うすれば、災難を未然に防ぐ事が出来る。
謙虚な姿勢で相手と向き合い、堅実に努力を続ければ何事も上手く行く。


【結果】
䷘◎四⚪︎三
天雷无妄(てんらいむまう) 四爻三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。
象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。


《爻辭》
[四爻 優先]
九四。貞すべし、咎なし。象に曰く、貞すべし。咎なしとは、固くこれを有するなり。
[三爻]
六三。无妄の災。或はこれが牛を繋ぐ。行人の得るは、邑人の災なり。
象に曰く、行人、牛を得るは、邑人の災なり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
動いて健とは震のことをいう。雷動して乾健である。剛中というのは五爻を言う。剛が外からきて、内卦の主爻となる。動いていよいよ健である。剛中で応じている。私欲が行われない。妄動することはない。无妄の道ができ、大吉。剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。剛中にして応じれば斉明の德が通る。天の教命である。もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。茂は盛んなことである。物は皆あえて妄でない。その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。時に対して物は育つ。是より盛んなことはない。


《爻辭》
[四爻 優先]
陰の四爻に陽であるので、謙順を失いがちである。至尊󠄄の五爻に近いので、正しいものをつけるべきである。初爻と応じていない。何もしようとせず、正しさを守っていればよい。
[三爻]
陰を以て陽に居り、行ひて謙順に違ふ。これ无妄の災を爲す所以なり。牛は、稼穡の資なり。二、以て不耕さずして穫り、往く攸有るに利し。而して三、陰にして順はざるの行ひなり。故に或はこれが牛を繋ぐ。これ有司の穫を爲す所以、彼の人の災を爲す所以なり。故に行人の得るは、邑人の災ひなりと曰ふ。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
妄(もう)は、望と音に相近し。无妄は、希望することがない。『史記』では无望󠄇とかく。この卦をさかさにすると
山天大畜になる。主爻は初九である。无妄は予期せずに来るものである。卦体は震が動くで、乾が健やかである。五爻と二爻は応じている。まさに天命である。逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


《爻辭》
[四爻 優先]
[三爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
无妄は欲がないということである。無望の意味である。『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。ただ誠にのみ志すのである。志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。五爻と二爻が応じており、上下心が通う。天命を受けることを表す。その天命に従うのがよい。それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。春夏秋冬、天に従った生き方をした。


《爻辭》
[四爻 優先]
四爻は陰の位に陽がきているので、正しくあるべきと戒めている。
[象傳]
四爻は、仁の徳を初爻と共に大切に育めば問題ない。
[三爻]

5/9(月) ䷠ 天山遯(てんざんとん) 変爻無し

5/9(月) 天山遯(てんざんとん) 変爻無し


【運勢】
困難が目前に迫る時。
無理に進めても上手く行く事は無い。心の余裕を保つ事が大切である。
上手く行かない事に執着してはいけない。一旦引き、改めて進める柔軟さが求められる。
正しいと思う道を信じて進むと良い。


【結果】

天山遯(てんざんとん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
遯は亨る。小しく貞に利し。
彖に曰く、遯は亨るとは、遯れて亨るなり。剛位に當りて應ず、時と與に行くなり。小しく貞に利しとは、浸して長ずるなり。遯の時義大なるや。
象に曰く、天の下に山有るは遯なり。君子以て小人を遠ざけ、惡うせずして嚴にす。


【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
遯の義爲るや、遯るれば乃ち通ずるなり。五を謂ふなり。剛位に當りて應ず。亢るを否ぐに非ざるなり。遯れて亢るを否がず。よく時と與に行ふ者なり。陰道浸して長ぜんと欲す。正道もまた未だ全く滅びず。故に小しく貞に利しなり。天の下に山有り、陰長ずるの象なり。

5/8(日) ䷞ 澤山咸(たくざんかん)→䷗ 地雷復(ちらいふく)

5/8(日) 澤山咸(たくざんかん)→ 地雷復(ちらいふく)


【運勢】
献身的な努力が実を結ぶ時。
自らの直感に従い行動すると良い。
誠実に正しさを守る事が大切である。
一陽来復、何事も低迷が長く続いた後には、必ず良い事がある。
初心に返り気を引き締めると良い。


【結果】

本卦:澤山咸(たくざんかん)
之卦:地雷復(ちらいふく)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 老陽]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
澤山咸》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。
彖に曰く、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《之卦:
地雷復》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。
彖に曰く、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。
象に曰く、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。


【解釋】
《本卦:
澤山咸》
〔王弼の解釋〕
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。天地万物の樣は感ずるところに現れる。同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。下に在って初めて吉である。虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


〔東涯の解釋〕
咸は感じることである。反転すると
雷風恒になる。恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。つまり、柔が昇って剛が下りている。陰陽二気が通じ合っているのである。内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。艮の少男を兌の少女に下す。皆和順している。物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。


〔根本通明の解釋〕
是は下経の始まりである。上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。兌は少女、艮は小男である。上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖傳]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。情欲の私があってはいけない。天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象傳]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。我が満ちていてはいけない。


《之卦:
地雷復》
〔王弼、東涯の解釋〕
復はかえるの意󠄃味である。ひとつ前の
剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。一陽来復、また盛んになろうとしている。陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。


〔根本通明の解釋〕
復は本の所に反(かえ)るという意である。一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。天の気が地の底に来ることで万物は生じる。この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。「其道」とは、万物を生成する所の道である。「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。雷気が往くに従って万物が発生する。また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。それで「利有攸往」なのである。
[彖傳]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。「天地之心」は万物の生成である。
[象傳]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。

5/7(土) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 五爻

5/7(土) 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 五爻


【運勢】
仲間と協力し、大事を行うのに良い時。
目の前の事に一喜一憂せず、冷静さを保ち、視野を広く持つ事が大切である。
直く正しく誠の心を持ち、内実の伴う行動で、誠意を示すと良い。
相手を尊重する事が大切である。


【結果】
䷼◎
風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰く、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。


《爻辭》
九五。孚有りて攣如たり。咎なし。
象に曰く、孚有りて攣如たりとは、位正に當るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。


《爻辭》
攣如は、其の信を繋ぐの辭なり。中誠に處りて以て相交るの時にして、尊位に居りて羣物の主と爲る。信何ぞ舍つべき。故に孚有りて攣如たり、乃ち咎なきを得るなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖傳]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象傳]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。
《爻辭》

5/6(金) ䷟ 雷風恆(らいふうこう) 変爻無し

5/6(金) 雷風恆(らいふうこう) 変爻無し


【運勢】
一貫した姿勢で、段階を踏み、自らの本分を全うするのに良い時。
時は得難くして失い易し。やるべき事を後回しにしてはいけない。
不測の事態に備える事が大切である。
心に余裕があれば、相手の気持ちも尊重出来る。


【結果】

雷風恆(らいふうこう) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
恒は亨る。咎めなし。貞に利ろし。往く攸あるに利ろし。彖に曰く。恒は久なり。剛上りて柔下る。雷風相ひ與す。巽にして動き、剛柔皆應ず。恒。恒は亨る。咎めなし。貞によろしとは、その道に久しきなり。天地の道󠄃は恒久にしてやまず。往くところあるによろしとは、終れば則ち始まり有るなり。日月は天を得てよく久しく照らす。四時は変化して、よく久しく成󠄃る。聖人はその道を久しくして天下化成す。その恒とするところをみて、天地萬物の情󠄃見るべし。象に曰く、雷風は、恆なり。君子以て立ちて方を易へず。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
恒であり享る。恒の道は通り、咎めなく通る。正しくしていれば良い。常道を修めることが終われば、また始まりがある。行って間違いはない。剛が尊く柔が卑しいの順序が得られる。長く陽で長く陰である。互いに成就する。動いて間違えることなく、よく連れ合い、長く続く。窮まることがない。


〔東涯の解釋〕
恒は常、久しいの意である。卦は変じて咸となる。咸の三爻が上に行き四爻となった。上爻が下って初爻となった。剛が昇り柔が下る。雷も風も共に鼓動する。内外全て応じる。だから久しく続き不易である。咎めなく、正しくしておけば良い。作為や粉飾は恒の道でない。必ず駄目になり、長く続くことはない。正しくなければ恒であっても善でない。恒で善であれば何をしても良い。伊尹が畝の中に居て堯舜の道を楽しんだことは、身を終えたことはまさに恒と言えよう。


〔根本通明の解釋〕
「つね」は常と恒の二つがある。「常」の方は幾万年経っても少しも変わる所が無い。しかし「恒」の方は毎日変わり続けて居るが、幾万年経っても易わらない所が有る。是は日月の象になり、常の字は日、恒の字は月である。太陽は幾万年経っても大小変化せず、何時も変わらない。しかし月は毎日形が変わって居る。この卦は夫婦の卦である。夫婦は一旦婚姻を結んだ上は何処までも全うすべきものである。しかし人の身の上というものは毎日変わって往く。初爻目は下卦の主であり、四爻目は上卦の主である。また初爻目と四爻目は互いに相応じて居る。其処で正しい所が良い。夫婦力を合わせ心を同じくして事を為せば、一家は段々盛んになり先に進んで往く。
[彖傳]
この卦は元は地天泰で、一番下の陽爻が四爻目に上り、また四爻目の陰爻が一番下に下った。其処で陰陽相交わり雷風恆の卦になった。雷が鳴って動けば、風が従って雷を助ける。雷と風は相離れず、互いに相與しめ、万物を生じさせる。初爻目と四爻目、二爻目と五爻目、三爻目と上爻目、皆剛柔応じて居る。男女の道は天地陰陽の道である。
[象傳]
雷が春に起こって風が是を助ける。雷気の滞る所を風が一帯に吹き散らし、能く気が循環して万物が育つ所がある。君子は陽が外、陰が内という在り方を易えない。

5/5(木) ䷛ 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻

5/5(木) 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻


【運勢】
周りからの信頼に応えるため、無理をしがちな時。
精力的に進める事は大切だが、結果を出すには効率が求められる。
闇雲な努力は自己満足に終わる。
先人の助言を受け、土台を固める事で、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷛◎
澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
大過は棟(むね)撓(たわ)む。往くところ有るによろし。亨(とほ)る。
彖に曰く、大過は大なるものは過󠄃ぐるなり。棟撓むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。
象に曰く、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。


《爻辭》
九二。枯楊稊を生ず。老夫、其の女妻を得。利しからざることなし。
象に曰く、老夫、女妻は、過ぎて以て相與するなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大なるものはよく過ぎることが出來るものである。初爻が本であり、上爻が末である。初爻は陰に居て過ぎるのである。二爻は中。弱󠄃の極みであり、衰を興す。それでも中を失わない。巽順で喜び行く。だから難󠄄を逃れる。君子は為すことがある時である。大過は普通では及ぶところではない。


《爻辭》
稊は楊の秀なり。陽を以て陰に處り、能く其の本を過ぎて、其の弱きを救ふ者なり。上に其れ應ずるなく、心、特に吝なし。過に處るに此を以てすれば、衰へ濟はざるなきなり。故に能く枯楊をして更に稊を生じ、老夫をして更に少妻を得令む。弱きを拯ひ衰ふるを興すは、斯の爻より盛なるはなし。故に利しからざることなきなり。老いること過ぎれば則ち枯れ、少きこと過ぎれば則ち稚なり。老なるを以て少きに分かてば、則ち稚なる者長ず。稚なるを以て老に分かてば、則ち枯るる者榮ゆ。過ぎて以て相與するの謂なり。大過は至衰にして、己は至壯なり。至壯なるを以て、至衰なるを輔く、斯の義に應ずるなり。
稊は楊の優れたものである。陽で陰に居る。
その本を過ぎることが出来て、其の弱きを助けるものである。上に応じるものがなく、心に特に吝がない。過ぎるのはこれによる。衰えが収まることはない。老いた男がさらに若い妻を得る。弱きを救い衰退したものを再興する。二爻が一番良い。老が過ぎれば枯れてしまい、少し過ぎれば稚い。老が少を分れば稚は長じ、稚が老を分れば枯れたものが栄える。大きく過ぎれば衰えてしまって、至壮が至衰を輔ける。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陽大であり、陰は小である。大過は大なる者が過󠄃ぎる。四つの陽が中心に集まって、二つの陰が外に居る。陽が過剰に盛んになる。棟の中心が太く、端が細く弱くなっている。二爻と五爻が陽剛の才があり、中に居る。巽順であり、喜びゆく。うまくいく。憂虞(ゆうぐ)の時にあれば、陽剛の才が必要である。或いは厳しすぎ、失うこともある。棟が撓む時に当たり、剛にして中に居る。人心が服すのを嫌うと、行きて利なし。


《爻辭》
楊は水の傍に生える木である。巽は木であり、喜びであり、澤の象である。陽が過ぎる時にあるので、枯れるという。稊は荑(つばな)ともいう。幼い木である。老夫は二爻のことで、女妻とは初爻のことである。大過の時に剛中の才があり、上に応じるものがなく、下は初爻と比の関係である。陽が過ぎるといっても、つき従うものがある。生育の功がある。不利はない。剛が過ぎる人は人と上手く行かず、物事を成就できない。二爻は剛が過ぎるが中である。時を得ないといっても、不利はない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上下の陰爻の間に陽爻が四つ連なっており、剛の方が多いため大に過ぎる。下卦の巽は五行では陰木である。堅く丈夫な陽木に対して、陰木は柔らかで弱い。棟ばかり多くても、受ける方の木が弱ければ、棟も撓んで来る。また兌の卦は水である。上の水が下に流れて来て、天下の人は皆水中に居るが如くに苦しむ。此れを救わなければいけない。進んで往けば志を遂げられる。
[彖傳]
君や役人が大なる事を好んで贅沢が過ぎて居り、其れを受ける方の人民が弱って居る。陽爻が多く剛が過ぎるが、二爻目も五爻目も中を得て居り、丁度世の中を治めるのに宜しき所がある。上卦の兌は悦びの象があり、和して人と共に行う。其処で人の助ける所があり、往く所あって宜しきを得る。上下共に奢り盛大なる方に過ぎる世であるから、遂に人民は奢りのために倒れるようになる。此の時に志あるものは大いに為すべき所がある。
[象傳]
楊(やなぎ)が水中に潜って居る。楊は陰木で水を好むが、過ぎれば害を為す。上下の陰爻に陽爻が包まれている。陰爻に挟まれた内側の陽爻を一つと見れば、坎(
)の卦の似体である。坎の卦は小人であり、洪水の如き世の中である。しかし君子は我れ一人独立し懼れることは無い。世を遯れても非望を抱かない。


《爻辭》
枯れた様に見える楊の根から稊(ひこばえ)が生じる。譬えれば老夫である。九二の老夫は一家の事を埋めるには力が足りないが、初六の若い妻を得て一家の事を担当して貰う。国家の事に取れば、国事の担当者が段々年を取って来て元の様な働きが出来ないため、之を輔ける若者を用いる。
[象傳]
老夫は自分が行き過ぎた年であるから、若い者を得て相互に親しくして其の輔けを受ける。

5/4(水) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 二爻

5/4(水) 天雷无妄(てんらいむまう) 二爻


【運勢】
正しさを守る事は大切だが、成果に期待してはいけない。
あるがままを受け入れると良い。
強い使命感を持ち、自らの役目を全うする事が大切である。
謙虚に人と向き合い、無心で努力すれば、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷘◎
天雷无妄(てんらいむまう) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。


《爻辭》
六二。耕さずして穫(か)り。菑せずして畬す。則ち往く攸有るに利し。
象に曰く、耕さずして穫る。未だ富まざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
動いて健とは震のことをいう。雷動して乾健である。剛中というのは五爻を言う。剛が外からきて、内卦の主爻となる。動いていよいよ健である。剛中で応じている。私欲が行われない。妄動することはない。无妄の道ができ、大吉。剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。剛中にして応じれば斉明の德が通る。天の教命である。もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。茂は盛んなことである。物は皆あえて妄でない。その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。時に対して物は育つ。是より盛んなことはない。


《爻辭》
代りが終りにできてつくらない。その果実を独り占めしない。臣道を尽くす。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
妄(もう)は、望と音に相近し。无妄は、希望することがない。『史記』では无望󠄇とかく。この卦をさかさにすると
山天大畜になる。主爻は初九である。无妄は予期せずに来るものである。卦体は震が動くで、乾が健やかである。五爻と二爻は応じている。まさに天命である。逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


《爻辭》
穫は刈り取りである。菑は一年目の田である。畬は三年目である。柔順中正であり、五爻が応じている。才があるが人と競わない。望みがかなう人材である。古代の人は天の評価を求め人の評価を求めなかった。人の評価など自然についてくるものである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
无妄は欲がないということである。無望の意味である。『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。ただ誠にのみ志すのである。志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。五爻と二爻が応じており、上下心が通う。天命を受けることを表す。その天命に従うのがよい。それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。春夏秋冬、天に従った生き方をした。


《爻辭》
六二は陰爻を以て陰位にあり、慾が無く正しい。震は東の卦で農の象がある。菑は神田地で、開墾した計りだから実りが悪く、利が無い。畬は二年目の田地で、聊か利を得る。農民が田地を拓くのは、自分の慾でなく、君の為国家のために耕さなければいけない。利の為にするのでなければ、何処へ往っても利がある。
[象傳]
民が皆耕さないのであれば、利を専らにして富む所までは行かない。富を欲するのでなく、義を以てするのである。

5/3(火) ䷯ 水風井(すいふうせい) 五爻初爻

5/3(火) 水風井(すいふうせい) 五爻初爻


【運勢】
物事が大きく前進する時。
綺麗な飲み水が皆から好まれる様に、誠実な者の善行は万人から受け入れられる。
私利私欲を持たず、公の為に尽くす事が大切である。
一貫した姿勢で正しさ守り、地道に努力を続けると良い。


【結果】
䷯◎五⚪︎初
水風井(すいふうせい) 五爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
井は邑を改めて井を改めず。喪ふことなく得ることなし。往来井を井とす。汔(ほとん)ど至らんとして亦た未だ井に繘(ゐつ)せず。其の瓶を羸(やぶ)る凶。彖に曰く、水に巽れて水を上ぐるは井。井は養ひて窮まらず。邑を改めて井を改めざるは乃ち剛中をっ以てなり。汔(ほとん)ど至らんとして未だ井に繘(ゐつ)せずとは、未だ功有らざるなり。其の瓶を羸(やぶ)る、是を以て凶なるなり。象に曰く、木の上に水あるは井。君子以て民を勞し、勧め相(たす)く。


《爻辭》
[五爻 優先]
九五。井冽して、寒泉食はる。
象に曰く、寒泉の食はるるは、中正なるなり。
[初爻]
初六。井泥にして食はれず。舊井に禽なし。
象に曰く、井泥にして食はれずとは、下なればなり。舊井に禽なしとは、時舍つるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
井は不変の徳がある。常にあり、変化しない。ほぼ到達するのに井の水が出てこない。井は水が出なければ意味がない。至る直前でこぼしてしまったら、汲まないのと同じである。剛中である。だからよくその場にとどまり、変わらない。


《爻辭》
[五爻 優先]
冽は潔なり。中に居りて正を得、剛を體して撓まず。不義を食はず、中正にして高潔なり。故に井冽し、寒泉なり、然る後に乃ち食はるなり。
[初爻]
最も井の底に在り、上もまた應ずるなし。沈み滯りて滓穢る。故に井泥にして食はれずと曰ふなり。井泥にして食ふべからざれば、則ち是れ久井の渫治さ見ざる者なり。久井渫治さ見ざれば、禽すら嚮せざる所なり。而るに況んや人をや。一に時共に棄舍する所なり。井は、變はらざるの物にして、德の地に居る。恆德至賎なれば、物取るなきなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
汔はほとんど、繘は井戸の水をくみ上げる綱、瓶は水を汲む器、羸は破れるの意󠄃。内卦は木、その徳は入る。外卦は水。木が水の下に入って水をくみ上げる。よく人を養い、極まることがないのである。二爻も五爻も剛中の才があり、常の徳がある。そして人々を養う。井の水は減りもしないし、増えもしない。往来の人々は、みなその恩恵にあずかる。また、井は水を汲んで初めて役に立つ。水をほとんどくみ上げたところで、綱が上まで来なかったり、器が壊れてしまっては、何の役にも立たない。君子が德を修め、世の中に不正がはびこっても常に一人正しさを守り、世の中にどんな禍󠄃があろうとも不易の道を進む。窮まったり、通ったりで増えも減りもしない。あまねく人々のためになる。終始励み、怠らない。そして成功をおさめるのである。其の志を挫くことは出来ない。


《爻辭》
[五爻 優先]
[初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
此の井は、俗に言う井戸で、水を汲み上げて以て人を養う所である。井戸の水は人間の徳に譬えたものである。乃ち道徳である。邑が変わり、国が種々に変化しても、道徳は動かすべきものでない。井戸の水は幾ら汲んでも減じて無くなる事は無く、また汲まずに置いても溢れ出る事も無い。地の中に名水を掘り当て清水が湧出するのは、学問を修め仁義礼智の徳が湧き出でて来るが如くである。釣瓶縄を置かなければ之を汲み上げることが出来ないように、道徳ある人物を朝廷へ薦め挙げる人が無ければいけない。しかし、賢人を妬み釣瓶を壊す小人もあり、之は最も凶である。
[彖傳]
下卦の巽は五行では木の象である。其処で瓶に取る。上卦の水の中に瓶を入れる形である。井戸は、水を幾ら汲んで人を養っても尽きることは無い。賢人と云うものも道徳を以て多くの人に施し養うが、道徳は尽きることが無い。此の卦は二爻目と五爻目とも剛中を得ているから、中庸にして長く施して養う所がある。しかし折角井戸を掘っても繘(つるべ)が無い。学問道徳盛んな人があっても、朝廷において挙げて用いなければ養ったところの功が出て来ない。また釣瓶を蠃(や)ぶり、賢人を用いないように讒言を以て害する者がある。是を以て凶である。
[象傳]
木の上に水がある。即ち繘を井戸の中へ入れる形である。水は広く人を養うものであり、農業が最も盛んなるものである。君子は水を以て農民を良く励まし助ける所がある。
《爻辭》
[五爻 優先][初爻]