第4回 勉強会

6月28日、209研究室で第4回勉究会が行われた。

前回に引き続き新渡戸稲造著武士道」の要約発表が行われた。

今回は「一章 武士道の淵源」「三章 正義(+愛について)」「四章 勇気」「六章 礼儀」について発表が行われた。

勉強会では、愛と忠義の関係性や、感情に起因するさまざまな行動礼儀が他の要素に比べ低く扱われている事等について、活発な議論が行われた。

顧問の高野先生からは「これら纏めた内容を視覚化すれば、更に理解が深まり、研究会の成果物としても活用出来る」との意見が出された。

視覚化について、会員の一人からは「ワードツリーを活用し、武士道に登場するさまざまな要素を結びつけて、関係性を詳らかにしたら良い」との意見が出された。

第5回勉強会の日程(7/12 18:50〜予定)と発表の担当者が決められた。

6/28 16:50〜19:00 参加者7名

第3回 勉強会

6月14日、209研究室で第3回勉究会が行われた。

新渡戸稲造が1899年に米国で出版した「武士道」の要約発表が行われた。

武士道」は明治期に日本人が英語で書き、日本人の道徳観の核心を世界へ普及させた極めて歴史的に重要な書物である。

今回は「二章 武士道の淵源」「三章 正義」「五章 仁愛不忍の心」について、担当の会員が内容をプリントに纏め、他会員に解説する形で要約発表が行われた。

勉強会当日は、顧問である高野先生の誕生日であり、その祝賀会も併せて行われた。

6/30(木) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 三爻二爻

6/30(木) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 三爻二爻


【運勢】
不平不満を感じやすい時。
人に多くを求めると辛い思いをする。自分で自分を認める事が大切である。
何事も、来る者拒まず去る者追わずの精神で取り組むと良い。
困難は長く続かない、平常心を保つ事が大切である。


【結果】
䷮◎三⚪︎二
澤水困(たくすいこん) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。
彖に曰く、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。
象に曰く、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。石に困(くる)しみ、蒺藜(しつれい)に拠る。其の宮に入り、其の妻を見ず。凶。
象に曰く、蒺藜に拠るとは、剛に乗るなり。其の宮に入り、其の妻を見ずとは、不祥なるなり。
[二爻]
九二。酒食(しゆしよく)に困む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利し。征けば凶。咎なし。
象に曰く、酒食に困むとは、中、慶有るなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《爻辭》
[三爻 優先]
石の物爲るや、堅にして納れざる者なり。四を謂ふなり。三は陰を以て陽に居り、志武き者なり。四は自ら初を納れ、己を受けざる者なり。二は據る所に非ずして、剛の乘る所に非ず。上には比しみて石に困しみ、下には蒺藜に據る。應ずるなくして入れば、焉んぞ配耦を得ん。困に在りて斯に處れば、凶其れ宜なるなり。
[二爻]
二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。
水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。遠方から人が来る。自分から行こうとしてはならない。留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖傳]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象傳]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《爻辭》
[三爻 優先]
[二爻]
九二は賢人である。初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。食貧は『論語』にも『詩経』にもある。「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。三顧の礼と同じである。この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。「征くは凶」である。しかし咎が有るわけではない。道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。つまり夏の祀りである。夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。
[象傳]
酒食に困する中にして喜びがある。やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。

6/29(水) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 五爻二爻

6/29(水) 艮爲山(ごんゐさん) 五爻二爻


【運勢】
努力に見合った結果が出せず、物事に本気で向き合うのが難しい時。
急いては事を仕損ずる。
言葉に責任を持ち一貫した姿勢で臨む事が大切である。
長い目で見て状況を判断し、失敗を最小限に成功を確実にすると良い。


【結果】
䷳◎五⚪︎二
艮爲山(ごんゐさん) 五爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。其の輔に艮る。言に序有り。悔亡ぶ。
象に曰く、其の輔に艮るとは、中正を以てなり。
[二爻]
六二。其の腓に艮まる。拯(すく)はずして、其れ随ふ。其の心快(こころよ)からず。
象に曰く、拯(すく)はずして、其れ随ふとは、未だ退いて聴かざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
[五爻 優先]
止を輔に施し、以て中に處り。故に口、言を澤ぶことなくして、能く其の悔を亡ぼすなり。
[二爻]
隨とは趾を謂ふなり。其の腓に止まる。故に其の趾拯はれざるなり。腓は躁を體して止まるに處り。而して其の隨を拯ふを得ず、又た退き聽きて安靜すること能はず。故に其の心快からざるなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]

6/28(火) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 五爻四爻

6/28(火) 雷澤歸妹(らいたくきまい) 五爻四爻


【運勢】
何事も楽な道などない。
物の順序を無視して、不正な道を歩めば、最悪の結果を招くだろう。
大きな間違いを犯す前に、自らの行いを省みる事が大切である。
やるべき事を堅実に進め、好機が来るのを待つと良い。


【結果】
䷵◎五⚪︎四
雷澤歸妹(らいたくきまい) 五爻四爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
婦妹は征けば凶。利(よろ)しき攸(ところ)なし。
彖に曰く、歸妹は天地の大義なり。天地交はらざれば萬物興らず。歸妹は人の終始なり。說󠄁(よろこ)びて以て動く。妹を歸く所󠄃なり。征けば凶とは位に当たらざるなり。利しき攸なしとは、柔、剛に乘ずればなり。
象に曰く、澤上に雷有るは歸妹。君子以て終を永くし敝(へい)を知る。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。帝乙妹を歸く。其の君の袂は、其の娣の袂の良きに如かず。月望に幾し。吉。
象に曰く、帝乙妹を歸く、其の娣の袂の良きに如かずとは、其の位中に在り、貴を以て行くなり。
[四爻]
九四。妹を歸くに期を愆る、遲く歸けば時有り。
象に曰く、期を愆るの志は、待つこと有りて行くなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
妹は少女のことである。兌は小陰で、震は長陽である。小陰が長陽を承けるので、よろこんで動く。妹を嫁がせる象である。陰陽が既に合って長と少が交わった。天地の大義、人倫の終始と言える。少女を長男に嫁がせる。少女は嬉しくない。不正を犯し、それを喜んで動くのは邪道である。終には敝を知る。


《爻辭》
[五爻 優先]
歸妹の中にして、獨り貴き位に處り。故に之を帝乙妹を歸くと謂ふなり。袂は衣の袖にして、以て禮容を爲す者なり。其の君の袂とは、帝乙の寵する所を謂ふなり。卽ち五なり。帝乙の崇飾する所と爲る。故に之を其の君の袂と謂ふなり。配は九二に在り。兌は少にして震は長たり、長たるを以て少に從ふ。少たるを以て長に從ふの美を爲すに若かざるなり。故に其の娣の袂の良きに若かずと曰ふなり。位中に在りて、貴を以て行く。極陰の盛んなるなり。斯を以て配に適けば、少たるに若かずと雖も、往けばまた必ず合す。故に月望に幾し、吉と曰ふなり。
[四爻]
夫、不正應ずるなきを以て。人に適うなり。必ずすべからく彼道窮盡すべし。與に交はる所なし。然後すなはち以て往くべし。故に期を愆り遲て歸く。以て時を待つなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
婦人のことを嫁とも歸ともいう。兌は少女、震は長男である。これは婦人が嫁ぐ時に礼を失している。二爻から五爻まで位を得ていない。三爻と五爻の陰爻が陽の上に居る。これは陰として正しくない。夫が先に声をかけて、それに妻は随うのである。これは天地の大義である。父母の命、媒酌の言を待ち、礼を尽くす。その後にそれぞれがその道を尽くして家道󠄃がなる。正しい道に由らないと、その夫婦は礼儀を乱し、制御できなくなる。


《爻辭》
[五爻 優先]
[四爻]
愆は過ちなり。此爻歸妹に存て、陽剛を以て上體に在り。下、相應せず。此女子の賢行有りて妄(みだり)に人に嫁がざる者なり。故に其の歸すること期を過ぐ。人を擇(えらび)て適ふ。故に云く、妹歸、期を愆つ。遲れて歸ぐ時有り。蓋し女子の嫁ぐや、猶ほ士の仕ふるがごときなり。其の君に非ざれば事(つか)へず。何ぞ歸つの遲るるを怨みんや。其の人に非ざれば適はず。何ぞ歸するの遲るるを憂へんや。待つ有りて然り、售(もちゐ)られざるに非ざるなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上卦は震で長男、下卦は兌で少女である。兄たる六五の天子は、六三の我が妹を以て、諸侯に嫁がせる。兌は巧言令色で、男子を玩ぶ象がある。しかし婚姻は必ず男子の方から求めるべきものだから、女子の方から征くのは凶である。
[彖傳]
夫婦の道は、天地陰陽の道である。陰陽が正しく交わって、萬物が生じる。天地の大義は、人の大倫である。孟子も、男女室に拠るは、人の大倫と云う。兌は說び、震は動く。これは妹が帰ぐ所の義にあたる。三爻目の陰が、一・二爻目の陽の上に乗っており、柔が剛を凌ぐ所がある。これは戒めなければならず、この女が征けば凶である。
[象傳]
澤上に雷がある。雷が動けば、澤も随って動く。これは男子が動いて事を行い、女子がこれに応じる象である。婚姻を終生の永いものとするには、後々弊害が出ないように能く対策し、始めを慎まなければならない。
《爻辭》
[五爻 優先][四爻]

6/27(月) ䷺ 風水渙(ふうすいかん)→䷔ 火雷噬嗑(からいぜいごう)

6/27(月) 風水渙(ふうすいかん)→ 火雷噬嗑(からいぜいごう)


【運勢】
物事を整理し、無駄を省くのに良い時。
過去のしがらみを断つ事で、新たな道が生まれる。
問題から目を背けてはいけない。
傲慢さが極まると、素直に過ちを改める事が出来なくなってしまう。


【結果】

本卦:風水渙(ふうすいかん)
之卦:火雷噬嗑(からいぜいごう)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
風水渙》
渙は、亨る。王有廟に假(いた)る。大川を涉るに利(よろ)し。貞に利(よろ)し。
彖に曰く、渙は亨(とほ)る。剛來(きた)りて窮(きはまら)ず。柔、位を外に得て上同す。「王有廟に假(いた)る」とは、王乃ち中に在るなり。「大川を涉るに利(よろ)し」とは、木に乘じて功有るなり。
象に曰く、風、水上を行くは渙。先王以て帝に亨して廟を立つ。


《之卦:
火雷噬嗑》
噬嗑は亨(とほ)る。獄を用うるによろし。
彖に曰く、頤(おとがひ)の中に物有るを噬嗑といふ。噬(か)み嗑(あは)して亨る。剛柔分かれ、動いて明󠄃なり。雷電合して章なり。柔、中を得て、上行す。位に當たらざると雖も、獄を用うるに利しなり。
象に曰く、雷電は噬嗑。先王以て罰を明󠄃らかにし、法を勅ふ。


【解釋】
《本卦:
風水渙》
〔王弼、東涯の解釋〕
渙とは散ること、問題が解決することである。王が散らばっている民心をまとめて、混乱を収拾し、宗廟(そうびょう)に先祖を祭り、天下を統一したことを表す。
は木であり、水の上に木があるから、舟が水に浮いている様を表すので、大きな川を渡るによいというのである。つまり大きな難題を解決できるのである。その時、常に正しさを守るべきである。


〔根本通明の解釋〕
渙は四方の水が散じて往く所の義である。下卦の坎は季節では冬、方位では北にあたり、水は冰(こお)る。氷は陰の固まりである。二・三・四爻目は震の卦で、春の真ん中(旧暦二月)であり、その時期には雷が鳴り氷が砕ける。『詩経』には、妻を娶るなら氷の泮(と)けないうちに娶れとある。妻を娶るのは陰を迎えることだからである。よって氷の融けた後には妻を迎えない。これは古からの礼である。氷が砕けて泮けるのは、渙の字と同じ義である。普通、陽は正しい方に取り、陰は悪い方に取るが、渙は悪い物を融かし砕いて正しい所にする。小人の悪い物が摧(くじ)けて無くなり、道徳の方が亨る所となる。
[彖傳]
剛は二爻目の陽爻である。坎=水であり、能く流れて何処までも達する所があるので「不窮」という。「柔」は四爻目の陰爻であり、これが巽の主爻である。有廟を假にするとは、廟を大いに盛んにすることである。天下の人は東西南北から集まり祭りを助ける。
[象傳]
風が水上を吹くのは、ちょうど二月である。氷が融けようとする時に風が吹き、氷は皆砕けて消えてしまう。これは天下の難が解ける所の象である。そこで先王は天を祭り、廟を立て、天下の諸侯皆集まって会するのである。


《之卦:
火雷噬嗑》
〔王弼の解釋〕
噬はかむこと。嗑は合わせることである。物は親しくなかったら、間を開けるものである。物が整わず、過ちがある。噛み砕いて合わせると通ずる。噛まなければ通じない。刑に服して改心するのは獄の利である。剛柔は分かれて動けば乱れず、明らかである。雷電が合わされば明るい。獄に用いるべきである。五爻が主爻である。五爻は位に当たっていないが、獄に用いるのに良い。


〔東涯の解釋〕
噬嗑は嚙合わせることである。物が口の中に入っている。これを嚙合わせるのである。上下に二陽があるが、これが口である。四爻の陽爻が口の中のものである。内卦は動いて外卦は明󠄃るい。この卦は賁から来ており、賁の二爻が上に昇って五爻に来ている。位に当たっていないが、君位に居て柔順の德と勢いを失っていない。刑罰を執行するによい。剛と柔が卦の中を得ており、偏りがない。


〔根本通明の解釋〕
噬は噛む、嗑は合わせるである。口の中に物が一つある。頤は上に動いて物をかむ。上のあごは動かないものである。飲食をする卦である。堅いものが四爻に一つある。骨である。また、上と下とを通わせない悪人である。悪人を取り締まるのが刑獄である。刑獄を用いるによいというのは、そういうことである。雷、火は造物者󠄃が天地の間の惡を砕くためにある。
[彖傳]
上は火で下は雷。火は陰で雷は陽である。雷は動く。すると火が起こり、明るくなって、悪人がよく見えるようになる。五爻は陰爻であり、位に当たっていないが、刑獄にはよい。なぜなら、陽であったなら強すぎて苛烈な刑罰を下す。それよりは陰の方が良い。
[象傳]
朱子学者は雷電を電雷にした方が良いという。上が火で、これが電、下が雷というのである。しかし其れは良くない。文字に拘泥して道理に背いている。この電は雷に発したものであるから、雷電で良いのである。三四五爻に
がある。是を法律とする。世の中に悪人は絶えないものであるから、刑獄の必要性はなくならないのである。

6/26(日) ䷰ 澤火革(たくかかく)→䷕ 山火賁(さんかひ)

6/26(日) 澤火革(たくかかく)→ 山火賁(さんかひ)


【運勢】
物事を根本から改め、己の価値を高めるのに良い時。
思い切って行動すると良い。
悪い習慣を取り除き、良い習慣を積極的に取り入れる事が大切である。
外面ばかり気にして内実が伴わない様ではいけない。


【結果】

本卦:澤火革(たくかかく)
之卦:山火賁(さんかひ)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陽][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][四爻]


【原文】
《本卦:
澤火革》
革は已る日乃ち孚あり。元いに亨る。貞に利し。悔い亡ぶ。
彖に曰く、革は水火相ひ息し。二女同居して、其の志相得ざるを革と曰ふ。已る日にして乃ち孚あり。革めて之れを信にす。文明にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。大いに亨るに正を以てす。革(あらた)めて當る。其の悔い乃ち亡ぶ。天地革りて四時成る。湯武革命。天に順ひて人に應ず。革の時大なるかな。
象に曰く、澤中に火有るは革。君子以て歷を治めて時を明󠄃にす。


《之卦:
山火賁》
賁は、亨る。小しく往く攸有るに利し。
彖に曰く、賁は亨る。柔來たりて剛を文る。故に亨る。剛を分かちて上りて柔を文る。故に小しく往く攸有るに利し。天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成す。
象に曰く、山の下に火有るは、賁なり。君子以て庶政を明らかにし、敢へて獄を折むることなし。


【解釋】
《本卦:
澤火革》
〔王弼の解釋〕
民は常識を学ぶことを共にすることが可能であるが、変動に共に適応していくことは難しい。共に成功を喜ぶことは出来るが、共に事業を始めることを考えるのは難しい。だから革の道は、即日は誠なく、日が終わる時には誠がある。誠があって元亨利貞で悔いが滅ぶのである。日が終わるころに誠が無ければ革に当たらない。後悔が生じるのである。変動を生じるものである。革めて其の悔いに当たれば、悔いを無くせる。不合に變が生じ、変が生じるところに不合が生じる。だから不合は革である。息とは變を生じることである。火は上に昇ろうとし、澤は下に降りようとする。水と火が戦い、その後に變が生じる。二女が同居している。水と火が近くにあって互いに適合しない。革めるところとなり信があれば、文明の喜びである。正しいことを履み行う。そして改める。天に應じ民に遵う。大成功する正しいものである。革めて大成功する。必ず正しさを失ってはいけない。


〔東涯の解釋〕
革は変革である。已日は事を終える日のことである。澤は水である。火と水が互いに消しあっている。中女が下に居て、少女が上に居る。同居して志を一緒にしない。変革の兆候である。内は明るく外は喜びである。智があってよく和す。其れで革のはじめに居て、疑いを免れないが、最後まで達成できる。よく互いを信じることが出來、妨害や滞りがない。その正しさを失わない。革めて当を得ている。悔いは亡くなろう。非常の初めに在り、革の初めである。人々は旧習に安んじ、疑いや讒謗が生じる。非常の事をして、人心を察せず、軽挙妄動してはいけない。初めは疑われるが最後には信を得て悔いはなくなる。


〔根本通明の解釋〕
己は十干の土の弟で、五行の半ばを過ぎた所である。其所で、最早革命を行わなければならない勢いになって居る。また己は五行に於いて、仁義礼智信の信に当たる。即ち己日は、天下の人の信用が出て来た所でもある。其所で後悔も亡びる。
[彖傳]
革は水と火の卦で、互いに相害する所である。此の卦は丁度、水火既済の相和する所と反対である。同じ家に女が二人一所に居る。兌は何処迄も下へ下がり、離は何処迄も上に上る。其所で互いに衝突する。革命は殷の湯武に始まる。之は止むを得ずして行ったものであるが、併し逆賊と云うのが正しい所である。天下一同の求める所に従うのが、人に応じる所である。併し革命に当たっては、真に大いなる目的を以て行うべきである。
[象傳]
沢の中に火が有り、火気の動く所に依って色々なものが変わって来る。火の字には、物の変化する所の義がある。君子は暦を第一に治め、春夏秋冬の時を間違わない様にしなければいけない。


《之卦:
山火賁》
〔王弼の解釋〕
剛柔分かたざれば、文何に由りてか生ず。故に坤の上六、來たりて二の位に居る。柔來たりて剛を文るの義なり。柔來たりて剛を文り、位に居りて中を得。是を以て亨る。乾の九二、分かちて上位に居る。剛を分かちて上りて柔を文るの義なり。剛上りて柔を文り、中の位を得ず、柔來たりて剛を文るの若くならず。故に小しく往く攸有るに利し。

6/25(土) ䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく) 上爻三爻

6/25(土) 風天小畜(ふうてんしょうちく) 上爻三爻


【運勢】
成果の出ない時は、焦らず心を落ち着かせる事が大切である。
問題は一人で解決しようせず、周りと協力関係を築き一丸となって進めると良い。
正道を守る事は大切だが、結果として不和を生む様ではいけない。


【結果】
䷈◎上⚪︎三
風天小畜(ふうてんしょうちく) 上爻三爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][三爻]


【原文】
《卦辭》
小畜は亨る。密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
彖に曰く、小畜は柔、位を得て、上下之に應ずるを小畜といふ。健にして巽。剛中にして志行はる。乃(すなは)ち亨(とほ)る。密雲雨ふらずとは、往くを尚ぶなり。我、西郊よりすとは、施、行はれざるなり。
象に曰く、風天上を行くは小畜。君子以て文德を懿(よ)くす。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。旣に雨ふり旣に處る。徳を尚びて載つ。婦貞なれども厲し。月望に幾し。君子征くときは凶なり。
象に曰く、旣に雨り旣に處るとは、德積載するなり。君子征くときは凶とは、疑はるる所有るなり。
[三爻]
九三。輿(くるま)輻を說(と)く。夫妻目を反す。
象に曰く、夫妻目を反すとは、室を正すこと能(あた)はざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大を養い、健をとどめることが出来ない。強い志があれば、うまく行く。四爻が主爻である。二陰四爻は陰に陰でおり、初爻と応じている。三爻は乗り越えることが出来ない。小畜の勢いは密雲を作るに足る。しかし雨を降らすには至らない。陽の上の陰が薄く、今初爻の復道󠄃を抑えることが出来ない。下の方は往くを尊び、上爻だけが三爻の路を固めることが出来る。もし四爻五爻も上爻のように善畜であったなら、よく雨をふらせる。旣に設けられているが、行われない状態である。彖傳は卦全体を言い、象傳は四爻に特化して説明する。


《爻辭》
[上爻 優先]
小畜の極に處り、能く畜まる者なり。陽亨るを獲ず。故に旣に雨ふるなり。剛侵すこと能はず。故に旣に處るなり。巽を體して上に處り、剛敢へて犯さず、德を尚ぶ者なり。陰の長ずるを爲すや、能く剛健を畜む、徳積み載する者なり。婦其の夫を制し、臣其の君を制す。貞と雖も危ふきに近し。故に婦貞なれども厲しと曰ふなり。陰の盛を盈つるや、此より盛なるはなし。故に月望に幾しと曰ふなり。滿ちて又た進めば、必ず其の道を失ふ。陰、陽に疑はれ、必ず戰ひ伐た見る。君子に復ると雖も、以て征けば必ず凶。故に君子征けば凶と曰ふ。
[三爻]
上、畜の盛と爲りて、以て牽きて征くべからず。斯を以て進む。故に必ず輻を説くなり。已に陽の極爲り。上は、陰の長ずるを爲し、陰を畜ひて長ず。自ら復る能はず。方に之れ夫妻反目するの義なり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
畜はとどめる、制止の意󠄃である。一陰が四爻に在り、五爻はこれに従っている。陽は大であり、陰は小である。二爻五爻は剛であり、中を得る。君子が君を得ることを表すので、うまく行くという。二三四爻に
澤がある。岐周󠄃より西で陰陽が交わり雨を降らそうとするが、陽気がまだ盛んであり、まだ降らない。剛のものが害をなせば柔のものが救う。陽が陰をとどめることが出来ていない。文德は礼樂教化をいう。
《爻辭》
[上爻 優先][三爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
畜は育成するの意󠄃味である。育ててよいものにしていくことである。小は陰、大は陽である。又止めるの意󠄃味がある。君が悪い方に行くのをとどめ、良い方に導くことである。小は臣であり、君に対するものである。君を諫めるのは難しい。君を徹底して批判するのは正しくない。至誠を以て諫めるのが良い。密雲というのは細かな雲が集まって大きくなることを言う。それは二三四爻の
澤をさす。雲は陰である。陰が集まっているが陽が作用しないと雨は降らない。上卦の風が雲を吹き払ってしまい、雨が降らない。兌は西である。東は陽、西は陰である。西の方に雲ができる。臣下(陰)が天下をよくしようと志す。しかし君主(陽)がそれに応じない。
[彖傳]
四爻が主爻である。これは人に譬えるなら周󠄃公旦であり、その徳を慕って人々が集まってくる。下卦は
であるから意志が強い。意志が強いが謙遜を忘れていない。下のものが天下をよくしようとどこまでも志すが、君主がそれに応じてくれない。それでも下のものはどこまでも誠を尽くして君に訴える。どこまでも諦めないのである。そして上爻に達すると雨が降る。君主に至誠が通じたのである。
そして、恩沢があるが、まだその時でない。
[象傳]
風が天の上をふいて雲が散じたり集まったりして、いろいろな模様ができる。
《爻辭》
[上爻 優先][三爻]

6/24(金) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 上爻四爻

6/24(金) 雷地豫(らいちよ) 上爻四爻


【運勢】
減り張りのある生活が大切である。
緩慢さが過ぎると、やるべき事にも力が入らず、取り返しのつかない結果を生んでしまう。
心を入れ替え、志を同じくする仲間と協力して慎重に進めて行けば、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷏◎上⚪︎四
雷地豫(らいちよ) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰く、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰く、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。冥豫す。成るも渝ることあり。咎めなし。
象に曰く、冥豫上に在り。何ぞ長かるべきや。
[四爻]
九四。由豫す。大いに得ること有り。疑ふこと勿(なか)れ。朋盍簪す。
象に曰く、由豫す。大いに得ること有りとは、志大いに行はるゝなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
上爻は過剰に楽しみがあるので、人々の締まりがなくなってしまった状態である。早く頭を切り替えるべきである。
[四爻]
“王弼”
豫の時に居て、動きの始めに居る。一つだけの陽爻である。澤山の他の陰が従う。ものが信でなければ疑いが生じる。だから疑うことが無くなったら、朋が集まってくる。
“東涯”
由豫は己によって豫であるということである。友人が集まってくると解釋される。豫にあって、一つの陽であり澤山の陰の主である。だから、君の傍に居ても、陰陽相求め、其の志は上に行く。陽剛の才で、中陰の王に仕え、衆を下に得る。危うく疑われやすい地位である。だが其の志は名誉や権利にない。これは周󠄃公が民の流言を恐れた所以である。至誠であれば最後は良くなる。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
豫は象の中の最も大きなものをいう。豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖傳]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。また長子でもあり、大臣にもなる。この四爻目の剛に天下悉く応じる。震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。三・四・五爻目の坎は法律の義がある。法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象傳]
豫は萬物皆悦ぶという義である。この象を用いて作ったのは音楽である。歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。


《爻辭》
[上爻 優先]
無し
[四爻]
天下は悉く九四の大臣を用い、その徳に由(よ)って天下は安楽となる。権力が甚だしければ、周公旦の様に流言の禍を受ける様にもなるが、この場合は天下の朋友が自然と九四の徳に集まってきたのだから、疑うことは無い。「朋」の字は他の陰爻のことで、これが残らず九四の元に集まって来る。「盍」の字は合うという字で、「戠」の字は集まると云う義である。一本の簪(かんざし)が多くの髪の毛を括るように、九四は天下の人民を集める。
[象傳]
無し

6/23(木) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 上爻

6/23(木) 艮爲山(ごんゐさん) 上爻


【運勢】
努力に見合った結果が出せず、物事に本気で向き合うのが難しい時。
心にゆとりを持つと良い。
一度始めた事を、無責任に投げ出してはいけない。
無理に周りに合わせようとせず、出来る範囲で地道に進める事が大切である。


【結果】
䷳◎
艮爲山(ごんゐさん) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
その背に艮(とどま)り、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》
上九。艮るに敦し、吉。
象に曰く、艮るに敦きの吉は、終を厚うするなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》
止の極に居り、止を極む者なり。敦く重にして上に在り、陷らずして、妄に非ず。宜しく其れ吉なるべきなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。
《爻辭》