8/28(日) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻四爻

8/28(日) 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻四爻


【運勢】
勢いに流されやすい時。
急がば回れ。逸る気持ちを抑え、堅実に正しさを守る事が大切である。
学びを深め、力を蓄え、時期を見て大事を進めると良い。
冷静に状況を分析し、引き際を見極める事が大切である。


【結果】
䷡◎上⚪︎四
雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 老陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。
彖に曰く、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰く、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利しき攸なし。艱むときは則ち吉。
象に曰く、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、詳にせずるなり。艱むときは則ち吉とは、咎長かふざるなり。
[四爻]
九四。貞にして吉。悔い亡ぶ。藩決して羸(ちぢ)まず。大輿の輹(とこしばり)に壮なり。
象に曰く、藩決して羸(ちぢ)まずとは、往くを尚(とうと)ぶ。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
三に應ずる有り。故に退くこと能はず。剛長ずることを懼る。故に遂ぐること能はず。疑ひを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱むときは則ち吉と曰ふ。
[四爻]
下は剛健で進む。憂慮すべきことがあろう。陽で陰に居る。行きて謙に違わず、壮を失わない。だから正しくしていれば吉で悔いがなくなるのである。すでに壮であり、上は陰で己の進󠄃む道󠄃ははっきり見える。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


《爻辭》
[上爻 優先]
[四爻]
四爻は大壮にあり、陽なのに陰に居る。悔いることもあろうが、必ず正しくあれば後に吉となるのである。咸の四爻と同じで、三がが昇ってきて陽を承けると、進行に妨害が入る。四爻の上は二陰がある。進んでも害はない。雄羊が柵が開いて逃げて角を矯めない。上爻を承ける。だから羊とは言わない。乾爲天の四爻に龍が居ないのと同じである。陽であり五爻の陰を承ける。これが輿のようで、よく大任にたえられる。剛壮な人が智略を用いて早く進めば悔いを残す。終に志を遂げることが出来ない。だから正しければ吉と忠告しているのである。昇進するときは注意が必要である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖傳]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象傳]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。


《爻辭》
[上爻 優先]
[四爻]
九四は震の卦の主爻であり、正しくする所で後悔が無くなる。併し四爻目から先は陰爻であり、先が開けているから、大いなる途と取る。然るに雷の如くに動いて進んで往く。
[象傳]
藩根は眼の前に無く、羸(つか)れる気遣いは不要である。最早動くべき時であるから、往く所を尚ぶ。四爻目は丁度旧暦の二月に當って居り、雷の鳴る時節であるから、時を得ている。雷が進めば、萬物が生まれ花も咲く。華と云う字は震の卦の象である。

8/27(土) ䷊ 地天泰(ちてんたい) 三爻

8/27(土) 地天泰(ちてんたい) 三爻


‪【運勢】‬
調和が保たれ万事順調な時。
前向きな姿勢で、周りの期待に応えると良い。
困難に直面しても、芯を曲げず、正しさを守る事が大切である。
油断禁物。
如何なる時も感謝と敬意を忘れず、謙虚、堅実に進める事が大切である。


‪【結果】
䷊◎
地天泰(ちてんたい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
泰は小往き、大來る。吉にして亨る。
彖に曰く、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。
象に曰く、天地交はるは泰。后以て天地の道󠄃を財成󠄃し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右す。


《爻辭》
九三。平󠄃にして陂(かたむ)かざるはなく、往きて復らざるはなし。艱貞にして咎なし。其の孚(まこと)を恤(うれ)ふることなかれ。食󠄃において福有り。
象に曰く、往きて復らざることなしとは、天地の際なり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
泰は物が大いに通る時である。上下がよく通じれば、物はその節󠄄を失う。


《爻辭》
乾は上に基づき、坤は下に基づくので、泰を得たら、下りて升に与するのである。三爻は天地の際に居り、まさに元の場所に帰ろうとしてゐる。元ある場所に帰ると、上はその尊さを守り、下はその卑しさを守る。だから行けば戻らないのである。天地の閉じようとし、平らな道が坂になろうとする所󠄃で、時は大きく変わろうとする。世は大きく変わろうとしているが、それでも正しさを守る。動いても応じているものを失わない。難でも正しくある。正義を失わない。だから問題はない。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
泰は通󠄃るという意味である。卦は否と逆である。否の三爻の陰が外卦に行き、三陽が下に来たのである。陽は大であり、陰は小である。天気が下降して地気が上昇したのである。陰陽がよく通じているのである。人は世の中で、人と交際しながら生きていく。上は下をおさめ、下のものは上のものを助ける。君臣上下から親戚や町の仲間にまで言えることである。そして天下は治まるのである。よく通るので吉である。


《爻辭》
陂は平らでないことである。難を知りながら正しくある。三爻は泰の時にあり、内卦の上に在る。まさに中間を過ぎようとしている。予防の道󠄃をいうのである。平󠄃らで歩きやすい道もいつかは坂道になるし、行ってしまったものも最後には戻るのである。もし難󠄄を知って正しくいれば問題ない。期待する所󠄃の得失をとわず、自ずから福禄をえる。これが開物成務の道である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
泰の字は滑らかという義で、天地陰陽の気が流動して滞らず、能く万物を成長させる。太、代、世も皆通じる意味である。外卦が坤で、内卦が乾であるから、小は外の方に往き、大は内の方に来る。地の底で陽が三つになって、盛んになる。一ヶ年で考えれば、丁度旧暦の正月にあたる。旧暦の十一月に一陽来復するため、初爻目が十一月、二爻目が十二月、三爻目が正月となる。この卦は天の元気が地に十分に充ちて居る所の卦である。世の中で譬えてみれば、天子の恩沢が人民の間に一杯に溢れて居り、下々の者もそれに随って上の方に事(つか)え、上下相交わる所の卦である。その為、是より吉なる所の卦は無い。
[彖傳]
天の気が下に降り、地の気が上に昇り、天地の気の交わった所で、万物が発生する。地の中に陽気が十分に充ちており、陽気に随って陰気が外の方に昇っていく所である。一人の人にしてみれば、乾は心が十分に剛く、且つ外の行いは順従で人に抵抗しない。又世の中で譬えてみれば、内に在って事を用いるのは君子、外へ出て君子に使われているのは皆小人である。又世の道徳上の事にとってみれば、君子たる所の仁義の道が段々と盛んになって行き、小人の方の道は段々と滅びる所となる。
[象傳]
天地が交わり万物の生成が盛んになる。しかし人間がこれを輔けなければ、天地の造化は昌(さか)んになる様なものではない。天地があり、人間というものがあって、天地を輔けるから天地人、これを三才という。即ち君と書かずに后(きみ)の字を書いたのは、天地を承けてこれを相(たす)けるためである。財の字は裁に通じ、物を計って余計な所は裁り、少ない所はこれを補う。天子が天下を治め人民を取り扱うのは、我が家に生まれた赤子を養育する様な物で、倒れない様に右からも左からも手を引いて輔ける。そうして民を左右するのである。


《爻辭》
九三は乾の卦の終わりで、平らかな状況も陂(かたむ)き、一変する所がある。油断が出来ない。内に居た坤の小人が外へ出たのが、復た帰って来ないという道理は無く、必ず来るのが自然の理である。しかし苦しんでも正しい所を何処までも行って往けば、陂むかんとする所を持ち直すことが出来る。九三は下卦の一番上で大臣である。太平が長く続いて、人の心に怠りや奢りが生じ弊害が盛んになって来ても、誠を以て行っていけば大臣は大臣だけの食禄を得る所に於いては差し支えが無い。
[象傳]
天地が交わり、下にあるべき地が上の方へ往ったのであるから、傾いて下に落ちてこないという道理は無いと云う戒めである。これを耐えて太平を長く保って往くには、上たる者は己を虚しくして、下の賢人に能く下らなければいけない。