4/30(土) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ)→䷲ 震爲雷(しんゐらい)
【運勢】
勢いだけではどうにもならない時。
直く正しく誠の心を持ち、内実の伴う行動で誠意を示すと良い。
成果の出ない時は、焦らず平静を保つ事が大切である。
冷静に、先を見据えて行動すると良い。
【結果】䷼→䷲
本卦:風澤中孚(ふうたくちゅうふ)
之卦:震爲雷(しんゐらい)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 老陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][四爻][二爻]
【原文】
《本卦:䷼ 風澤中孚》
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰く、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。
《之卦:䷲ 震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰く、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰く、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。
【解釋】
《本卦:䷼ 風澤中孚》
〔王弼の解釋〕
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。
〔東涯の解釋〕
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。
〔根本通明の解釋〕
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖傳]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象傳]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。
《之卦:䷲ 震爲雷》
〔王弼、東涯の解釋〕
震は雷鳴を表す。上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。
〔根本通明の解釋〕
前の卦は火風鼎である。鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。この震は皇太子の象である。皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。震は剛(つよ)いから亨る。また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。卦全体の主になるのは初爻目である。虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。