5/5(木) ䷛ 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻

5/5(木) 澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻


【運勢】
周りからの信頼に応えるため、無理をしがちな時。
精力的に進める事は大切だが、結果を出すには効率が求められる。
闇雲な努力は自己満足に終わる。
先人の助言を受け、土台を固める事で、何事も上手く行くだろう。


【結果】
䷛◎
澤風大過󠄃(たくふうたいか) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
大過は棟(むね)撓(たわ)む。往くところ有るによろし。亨(とほ)る。
彖に曰く、大過は大なるものは過󠄃ぐるなり。棟撓むとは、本末弱ければなり。剛すぎて中。巽にして說󠄁(よろこ)びて行く。往くところ有るによろし。乃(すなは)ち亨る。大過の時、大なるかな。
象に曰く、澤木を滅するは大過。君子以て獨立して懼れず。世をのがれて悶(うれ)ふることなし。


《爻辭》
九二。枯楊稊を生ず。老夫、其の女妻を得。利しからざることなし。
象に曰く、老夫、女妻は、過ぎて以て相與するなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大なるものはよく過ぎることが出來るものである。初爻が本であり、上爻が末である。初爻は陰に居て過ぎるのである。二爻は中。弱󠄃の極みであり、衰を興す。それでも中を失わない。巽順で喜び行く。だから難󠄄を逃れる。君子は為すことがある時である。大過は普通では及ぶところではない。


《爻辭》
稊は楊の秀なり。陽を以て陰に處り、能く其の本を過ぎて、其の弱きを救ふ者なり。上に其れ應ずるなく、心、特に吝なし。過に處るに此を以てすれば、衰へ濟はざるなきなり。故に能く枯楊をして更に稊を生じ、老夫をして更に少妻を得令む。弱きを拯ひ衰ふるを興すは、斯の爻より盛なるはなし。故に利しからざることなきなり。老いること過ぎれば則ち枯れ、少きこと過ぎれば則ち稚なり。老なるを以て少きに分かてば、則ち稚なる者長ず。稚なるを以て老に分かてば、則ち枯るる者榮ゆ。過ぎて以て相與するの謂なり。大過は至衰にして、己は至壯なり。至壯なるを以て、至衰なるを輔く、斯の義に應ずるなり。
稊は楊の優れたものである。陽で陰に居る。
その本を過ぎることが出来て、其の弱きを助けるものである。上に応じるものがなく、心に特に吝がない。過ぎるのはこれによる。衰えが収まることはない。老いた男がさらに若い妻を得る。弱きを救い衰退したものを再興する。二爻が一番良い。老が過ぎれば枯れてしまい、少し過ぎれば稚い。老が少を分れば稚は長じ、稚が老を分れば枯れたものが栄える。大きく過ぎれば衰えてしまって、至壮が至衰を輔ける。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
陽大であり、陰は小である。大過は大なる者が過󠄃ぎる。四つの陽が中心に集まって、二つの陰が外に居る。陽が過剰に盛んになる。棟の中心が太く、端が細く弱くなっている。二爻と五爻が陽剛の才があり、中に居る。巽順であり、喜びゆく。うまくいく。憂虞(ゆうぐ)の時にあれば、陽剛の才が必要である。或いは厳しすぎ、失うこともある。棟が撓む時に当たり、剛にして中に居る。人心が服すのを嫌うと、行きて利なし。


《爻辭》
楊は水の傍に生える木である。巽は木であり、喜びであり、澤の象である。陽が過ぎる時にあるので、枯れるという。稊は荑(つばな)ともいう。幼い木である。老夫は二爻のことで、女妻とは初爻のことである。大過の時に剛中の才があり、上に応じるものがなく、下は初爻と比の関係である。陽が過ぎるといっても、つき従うものがある。生育の功がある。不利はない。剛が過ぎる人は人と上手く行かず、物事を成就できない。二爻は剛が過ぎるが中である。時を得ないといっても、不利はない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
上下の陰爻の間に陽爻が四つ連なっており、剛の方が多いため大に過ぎる。下卦の巽は五行では陰木である。堅く丈夫な陽木に対して、陰木は柔らかで弱い。棟ばかり多くても、受ける方の木が弱ければ、棟も撓んで来る。また兌の卦は水である。上の水が下に流れて来て、天下の人は皆水中に居るが如くに苦しむ。此れを救わなければいけない。進んで往けば志を遂げられる。
[彖傳]
君や役人が大なる事を好んで贅沢が過ぎて居り、其れを受ける方の人民が弱って居る。陽爻が多く剛が過ぎるが、二爻目も五爻目も中を得て居り、丁度世の中を治めるのに宜しき所がある。上卦の兌は悦びの象があり、和して人と共に行う。其処で人の助ける所があり、往く所あって宜しきを得る。上下共に奢り盛大なる方に過ぎる世であるから、遂に人民は奢りのために倒れるようになる。此の時に志あるものは大いに為すべき所がある。
[象傳]
楊(やなぎ)が水中に潜って居る。楊は陰木で水を好むが、過ぎれば害を為す。上下の陰爻に陽爻が包まれている。陰爻に挟まれた内側の陽爻を一つと見れば、坎(
)の卦の似体である。坎の卦は小人であり、洪水の如き世の中である。しかし君子は我れ一人独立し懼れることは無い。世を遯れても非望を抱かない。


《爻辭》
枯れた様に見える楊の根から稊(ひこばえ)が生じる。譬えれば老夫である。九二の老夫は一家の事を埋めるには力が足りないが、初六の若い妻を得て一家の事を担当して貰う。国家の事に取れば、国事の担当者が段々年を取って来て元の様な働きが出来ないため、之を輔ける若者を用いる。
[象傳]
老夫は自分が行き過ぎた年であるから、若い者を得て相互に親しくして其の輔けを受ける。

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