8/20 (木) ䷏ 雷地豫(らいちよ) 四爻

【運勢】

志を同じくする仲間が協力してくれるので、物事は順調に進むだろう。

順調に進んでいる時ほど、段階を踏むという慎重さが大切になる。

信頼されて今の地位を得ているのだから、周りを疑う様な不義をしてはいけない。

【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。

彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。

象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。

《爻辭》
九四。由豫す。大いに得ること有り。疑ふこと勿(なか)れ。朋盍簪す。

象に曰はく、由豫す。大いに得ること有りとは、志大いに行はるゝなり。

【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。

四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。

上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。

統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。

そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。

〔王弼の爻辭〕
豫の時に居て、動きの始めに居る。

一つだけの陽爻である。

澤山の他の陰が従う。

ものが信でなければ疑いが生じる。

だから疑うことが無くなったら、朋が集まってくる。

〔伊藤東涯の爻辭〕
由豫は己によって豫であるということである。

友人が集まってくると解釋される。

豫にあって、一つの陽であり澤山の陰の主である。

だから、君の傍に居ても、陰陽相求め、其の志は上に行く。

陽剛の才で、中陰の王に仕え、衆を下に得る。

危うく疑われやすい地位である。

だが其の志は名誉や権利にない。

これは周󠄃公が民の流言を恐れた所以である。

至誠であれば最後は良くなる。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
豫は象の中の最も大きなものをいう。

豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。

そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。

一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。

上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。

天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。

[彖伝]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。

また長子でもあり、大臣にもなる。

この四爻目の剛に天下悉く応じる。

震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。

日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。

三・四・五爻目の坎は法律の義がある。

法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。

国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。

[象伝]
豫は萬物皆悦ぶという義である。

この象を用いて作ったのは音楽である。

歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。

そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。

殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。

黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。

上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。

《爻辞》
天下は悉く九四の大臣を用い、その徳に由(よ)って天下は安楽となる。

権力が甚だしければ、周公旦の様に流言の禍を受ける様にもなるが、この場合は天下の朋友が自然と九四の徳に集まってきたのだから、疑うことは無い。

「朋」の字は他の陰爻のことで、これが残らず九四の元に集まって来る。

「盍」の字は合うという字で、「戠」の字は集まると云う義である。

一本の簪(かんざし)が多くの髪の毛を括るように、九四は天下の人民を集める。

[象伝]
無し

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