8/26(木) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻

【運勢】‬
何かを成し遂げよう、進めようとする気持ちは大切である。
その為には、自分自身何が出来て、何が出来ないのかを理解しなければならない。
その場の気持ちに流されて、安請け合いしてしまう事は、危険で無謀だといえる。


【結果】
䷉◎
天澤履(てんたくり) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。
彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。
象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。
象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。
人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の卦辞〕
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


〔王弼の爻辞〕
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。すがめるものである。行動すれば跛である。その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。志剛健があるが、履むところを確認しない。武は人をあなどろうとする。大君と為り、進めば凶を免れない。志は五爻にある。頑ななこと甚だしい。
〔伊藤東涯の爻辞〕
眇は片目が小さいこと。跛は足が不自由なこと。虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。才がなく志が高い。成功したいと願っている。武人が大君と為り、志は强いが凶である。荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。往々にしてあることである。剛を履んでことを爲すことは出来ない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。
革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。
虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。
天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。
虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。
天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。
そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。
上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。
そのため九五に「夬履」と云っている。
沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。
これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。
沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。
二・三・四爻目に離がある。
離には礼儀の象意がある。
そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。
つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。
上下の別を辨じて民の志を定めるのである。
民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。
「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辞》
三爻目は虎の口である。
至って剛情で、不正なる者である。
目や足が片方しか無いのは、邪(よこしま)な心の譬えである。
虎は君を犯して、大君となる勢いである。
天子は油断できない。
そこで虎の後ろに旋って、尾を履んで往く。
[象伝]
片目や片方の足では、明らかに見ることは出来ず、人に追いつくことも出来ない。
六三は陰爻を以て陽位にあり、陽を犯す所の象がある。
乱臣賊子の懼れるべき所を示す。

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