【運勢】
不正の中で得たものに対し、恥を感じられ無い人は、欲に囚われていて危険である。
その様な人の周りには、不徳の人が集まっているので、変えようとしても理解されないだろう。
何事も無理に理解を求めるのでは無く、慎ましくいる事が大切である。
【結果】 ䷋◎三
天地否(てんちひ) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]
【原文】
《卦辭》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞によろしからず。大は往き、小は來る。
彖に曰はく、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。
象に曰はく、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。
《爻辭》
六三。羞(はぢ)を包む。
象に曰はく、羞を包むとは、位當らざるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
無し
《爻辞》
すべて小人の道を用いる。
上を承けて、位に当たらない。
恥をかく。
〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辞》
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。
天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。
世の中が乱れる時である。
君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。
悪人が栄え、有徳者は德を隠す。
このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。
《爻辞》
否の時にあり、陰柔で不中正である。
陰なのに陽に居る。
下卦の最上にをり、また陽に包まれおもねり汚れる。
恥をかく。
無道の時に仕え、どんなに高位についてもその徳はほめられたものでない。
旣に時を計るのに暗く、又己の力量を量るのに短慮である。孔子は言はれた。
邦に道無く、富栄えるは恥である、と。
羞を包むとはそういうことである。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
否は塞がるの義である。
天地陰陽の気が塞がっている。
これは地天泰と反対である。
こうした隔絶をつくったのは匪人である。
匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。
君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。
このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。
大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。
[彖伝]
天の気が上にあり下に降ってこない。
地の気は下に滞って上に騰がっていかない。
天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。
上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。
君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。
外卦は陽爻で内卦は陰爻である。
これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。
朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。
世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。
それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。
[象伝]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。
君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。
徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。
そこで営するに禄をもってすべからず。
後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。
《爻辞》
包羞は恥を知らない小人の事である。
六三において行う所は、羞の上に羞を重ねており、自分が利さえ得れば良いと思っている。
君子と小人の違いは此の廉恥の有無である。
[象伝]
六三は尊い大臣の位に在るが、大臣に為るべき身分でない。
羞を知る者ならば、自分から官を辞するであろうが、そのような事は無い。
世が乱れ、段々小人の世の中に為って来たが、人民の方で朝廷に在る悪い役人を罷免させ、君子に直接出てもらいたいと願う心が起こる。