10/10(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 上爻五爻
【運勢】
損することなく、皆が豊かになれる。
周りにも富を分けることで、皆が良い生活を送ることができるが、損するのではなく、利益を生む。
節度を守って、事業を始めれば上手くいくとき。
【原文】
《卦辭》
損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。
《爻辭》
〈上爻〉
上九。損せずして之を益す。咎めなし。貞にして吉。往くところ有るによろし。臣を得て家なし。象に曰はく、損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。
〈五爻〉
六五。或いは之を益す。十朋の龜も違ふことあたはず。元吉。
象に曰はく、六五元吉は上より祐(たす)くるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。陰は陽に順うものである。陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。下を損じて、上を益す。上に上昇するということである。損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。不足を補うものではない。君子の道を長ずるわけでもない。損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。だから元吉なのである。剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。下を損して上を益す。それで上を満たして剛を損して邪をなさない。自然にはそれぞれ分というものが決まっている。短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。
《爻辭》
〈上爻〉
上爻は損の最上位に在り、悔いあることが多いが、陽の徳を大切にしているので、應爻の三爻が助けてくれて、損をすることはない。三爻は自分の家を失っても尽くしてくれる忠臣である。あくまで正しくあろうとすべきである。
〈五爻〉
陰が尊󠄄位に居る。尊󠄄を履んで損なので、あるいは益になる。亀は疑いを決める物である。陰は先に唱えてはいけない。柔は自分で任じることは出来ない。尊󠄄にいて、その場を守る。故に人はその力を用い、その功に尽くす。才能を持ったものが集まってくる。十朋の龜を得て、天人の助けを尽くす。
〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
損は減少である。損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。下が損して上が益する様である。天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。あくまで正しくあろうとすべきである。二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。損益は時に應じておこなわれるとよい。
《爻辭》
〈五爻〉
昔は貝を貨幣としており、二つの貝を朋という単位にした。十朋の龜とは澤山の宝石に相当するものである。龜は大変貴重である。比に損があるが、柔順中正である。そして尊󠄄位に居る。二爻の賢人と応じている。五爻は賢人の言をきく。其れは利益となる。賢人と親しくなる益は、諸󠄃鬼神にただし、違うことはない。民の順うところに天は従う。神々も祝福するだろう。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
この卦は「損」を意味する。損とは有る物を失って不足になることである。前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。解ければ人の心が緩む。緩めば損を生じる。この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。つまり人民が富んでいる。初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。そこで余りを以て上に献ずる。そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。上の方ではこれを止(と)める。上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。兌の卦は喜びを意味している。こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。しかし、是も程良い所でなければいけない。そこで貞が大切である。乾は満ちているから、奢りが生じる。余剰は御祭用に献上するのが良い。多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。
[彖伝]
損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。下を損らして、上を益すのである。下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。豊年で献上物が多ければ、益すこともある。下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。凶年の時には上から下へ益して来ることもある。損すべき時には損し、益すべき時には益す。満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。これも其の時節に従って時と共に行うのである。
[象伝]
山下に澤があるのは損である。君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。これは止める義であり、元は乾の卦である。乾は三畫とも剛である。強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。
これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。つまり喜ぶところとなる。また欲は坤の卦の象である。坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。上は坤の卦であるから、欲が盛んである。その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。
《爻辞》
〈上爻〉
これは己が既に益を得ているから、その分損をして他人を益することを言うのではなく、咎は無い。「貞吉、利有攸往」は、人民から上の方へ益してきたのである。上爻が五爻目へ行き、五爻目が上爻へ行くと、艮が坎に為る。艮の卦が無くなったから、家なしと言う。「臣を得る」というのは、坤の陰爻が来たからである。坤は險(僉の字源:「亼」は覆いの下に集める、「吅」+「从」で人々が集まる様)であるから人民のことである。人民は皆家をなくして臣となる。臣たるものは我が家を持たない。我が家は無くして、皆上の為にするから、「臣ヲ得テ家ナシ」と言うのである。
[象伝]
大いに志を得るというのは、元来人民の方を富ましたいという志を遂げることである。祀りは倹約を以て二簋で行い、下にとって難儀になる様なことはしない。「大得志也」という。
〈五爻〉
六五と九二は互いに応じて居るが、二爻目は五爻目を益することが出来ない。ここでは上九から益するので、「或いは之を益す」るのである。上九が富んでいるのは、三爻目が六爻目を益したことによる。人民(三爻目)からの献納物を上方(六爻目)で受け取り、これを天子(五爻目)に差上げた格好になる。これは全く当然の事だから、「十朋の龜も違ふ能はず」なのである。一朋は二百十六銭であるから、十朋は二千百六十銭となる。それだけの価値がある上等な龜のことで、これは神霊である。この龜の甲羅で占えば、必ず吉となるのである。
[象伝]
六五を上九が祐(たす)ける。下からの献納物を上九が受けて、そこから天子の方へ廻っていく。よって「上より祐くる也」と云う。